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第256話 最後の問いかけ

 しばらく勝利のいんひたるように神殿内にとどまっていたザガートだったが、それにも飽きると神殿の入り口に向かってゆっくりと歩き出す。ヤハヴェの配下が仇討ちと称して襲ってくる気配は無く、ひっそりと静まり返った神殿内をただ黙々と歩く。そのまま玄関へと辿たどり着く。


 入り口から外へ出た魔王が頭上を見上げると、空を覆っていた暗雲は晴れていて、雲一つない青空が広がっていた。『隕石群落下メテオ・スウォーム』の準備動作である黒い雲が消え去った事は、神の魔力が消えせて、世界から滅びの危機が去った事を意味する。


 ヤハヴェが死んだ時点では実感が湧かなかったが、魔王は本当に世界を救った救世主となったのだ。


「ザガート様ーーーーっ!」


 魔王が空を見上げたまま立ち止まっていると彼を呼ぶ声が聞こえた。声が発せられた方角に目をやると、荒野の彼方から四人の女が走ってくるのが視界に入る。

 四人の先頭を走っているのは男の名を呼んだルシルだ。レジーナ、なずみ、鬼姫が彼女の後に続く。ブレイズの姿は見当たらない。


 女達は空を覆っていた暗雲が晴れたのを見て、魔王が勝利したと確信してここまで走ってきたようだ。最愛の男が死ななかったと知って、ても立ってもいられなくなったのだろう。


「魔王、お主ついにやりよったな! ヤハヴェを……この世界を創造した神を、遂に倒したのじゃろう!!」


 魔王の前まで来ると鬼姫が大はしゃぎで声をかける。男が名実ともに世界最強の存在となった事実を興奮気味に熱く語る。


「隕石を降らせようとした雲が晴れたッス! 師匠は正真正銘の、世界を救った英雄ッス!!」


 なずみが空を指差しながら大きな声で叫ぶ。世界を滅びの命運から救った男の活躍を手放しで称賛する。


「ブレイズが村人と宴会の準備を進めているぞ! 一刻も早くキャンプ地に帰って、勝利の祝杯をあげようじゃないか!!」


 レジーナが、この場にいない不死騎王がうたげを開こうとしている事を伝える。今すぐにでも祝勝パーティを始めたくて体をウズウズさせた。


「お前達は先に戻っていてくれ……俺はもう少しの間だけここに残る。なに、心配する事は無い。一人で考える時間が欲しくなっただけだ。数分ったら、すぐに後を追いかける……」


 ザガートは少し深刻そうな顔をしながら、女達に難民キャンプに戻っているよう言う。周囲に誰もいない空間で考え事をしたくなったのだと理由を伝える。

 表情は何処かさびしげで、声の調子は暗い。女達が戦勝ムードにき立っているのとは大違いだ。


「仕方あるまい……だが魔王よ、いいオトコはあまり長くおなごを待たせるものでは無いぞ」


 鬼姫は一言だけくぎを刺すと、不満げな表情を浮かべながらも男の意をみ取って、のっしのしと難民キャンプがある方角に向かって歩き出す。

 鬼姫が男の言葉に従ったので、他の女達も彼女にならって歩き始める。

 そうして四人の女達が男の前から去っていく。


 一人荒野に取り残されたザガートは目の前にそびえ立つ神殿を眺めながら、これまでの戦いを回想する。旅の中で起こった様々な出来事、出会った多くの仲間達、戦った強敵、楽しいイベント……それらが走馬灯のように浮かんでは消えていく。記憶が生み出した脳内映像が、頭の中をグルグルと駆け回る。


 ……思えば長い戦いだった。実際の期間は一年にも満たないものだったが、それでも数年は旅をしたと錯覚させるほど密度の濃い内容だった。一年らずで一生分の働きをしたような、そんな疲労感があった。それがようやく終わりを迎えたのだという大きな達成感があった。


(本当に……本当に終わったんだな。何もかも……)


 改めて戦いを終えた満足感で満たされたザガート。

 心のもやが晴れてスッキリした彼が、キャンプ地がある方角に向かって歩き出そうと後ろを振り返った時……。


「……!?」


 視界に飛び込んだ光景に心臓が飛び出んばかりに驚く。

 それは彼にとってにわかには信じがたいものだった。




 魔王から数メートル離れた場所にある荒野の大地……そこに王が座るための玉座がドガッと置かれていて、一人の男が座っていたのだ。

 玉座に座っていた人物……それはさっきの戦いで死んだはずの、世界を創造した神ヤハヴェに他ならない。極大魔法を受けて死んだはずの神が、今目の前にいるのだ。


 ザガートは内心深く動揺しながら反射的に身構える。だがよく見てみると、神の姿は半透明にけていて実体が無い。荒野を吹き抜ける冷たい風が、神の体をスゥーーッと通り抜ける。まるで立体映像を映し出したものか、はたまた幽霊であるかのようだ。


「人は愚かな生き物だ……いともたやすく罪を犯し、簡単に悪事をす。一時いっときの快楽に身をゆだねて、良心も誇りも、うじが湧いた肉のように腐っていく。常に他人を責めるばかりで、自分をかえりみようとはしない……」


 半透明に透けた神が、玉座に座ったまま魔王に語りかける。人間がどれだけ無価値で愚かな存在であるかを、おとしめる言葉を並べ立てて力説する。


「ザガート……神ですら背負い切れなかった人のごうを、お前は背負うつもりか?」


 人間の愚かさを力説した上で、人の業を背負う覚悟があるのかと問いただす。


「人が愚かである事など、とうに分かっているつもりだ。何故なら俺も彼らと同じ、一人の人間だからだ……」


 ザガートが神の主張に言葉を返す。相手が雄弁に語ってみせた人間の愚かさを、今更いまさら言われるまでもなく知っていた事だとなく答える。


「俺は人の業を背負うつもりも、裁くつもりも無い。同じ人間として、彼らと共に歩んでゆく……それだけだ」


 自分は人間を裁く立場にも無ければ、それをする考えも無い意思を明確に打ち出して、神への反論の言葉とした。


「……」


 魔王の主張に神は一切反論しない。一言も言い返さないまま石化でもしたかのように固まる。完全に沈黙をつらぬき通した姿からは、相手の主張に一定の理解を示したようにも、反論できず押し黙ったようにも受け取れる。


 しばらく無言のまま押し黙っていた神であったが、数秒が経過するとスゥーーッと姿が薄れて消えていく。後には何も無い荒野の大地だけが残された。


(今のは幽霊か、俺自身の記憶が見せた幻か。それとも……)


 蜃気楼しんきろうのように消えた神の姿を見ながら、ザガートが相手の正体に思いをせた。頭の中にあれこれ推測が浮かびはしたものの、どれも仮説のいきを出ない。

 神はひょっとして死んでいないのではないかという考えも頭の片隅かたすみにはあったが、それを確かめるすべもない。


 ただ不思議な事に、もし神が生きていたとしても、もう人類を滅ぼすような真似まねはしないだろうという予感めいたものが魔王の中にはあった。先ほどわした会話のやりとりが、そう思わせたのかもしれない。


「師匠ーーーー! 何してるんスかっ! みんな待ちくたびれてるッスよーーーー!!」


 魔王がいつまでっても来る気配が無いので、なずみが荒野の彼方から早く来るよう呼びかける。


「ああ……待ってろ。すぐ行く」


 魔王は女の呼びかけに答えると、神殿のある方角を一度だけ振り返ってから、キャンプ地に向かってスタスタと歩いていくのだった。

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