第253話 神の聖絶/Anathema
「グッ……グヌヌゥゥゥ」
神が悔しげに歯軋りしながら手足を動かす。両腕を支えにして上半身を起こすと、二本の足でゆっくりと立ち上がって体勢を立て直す。頭を左右にブンブンと振って朦朧とした意識をハッキリさせると、体中に付いた砂と埃を手でパンパンッと叩いて払う。最後は自分を殴り飛ばした相手を憎々しげな目で睨む。
拳で殴られてひしゃげた兜の装甲は時間を巻き戻したように治っていたが、彼にとって『それでよし』とはならない。深い屈辱を味あわされた事実が鋭いナイフとなって彼の胸に深く突き刺さる。
今後について思い悩んだように無言のまま立っていたが……。
「茶番は終わりにする……だとぉ!? それはこっちの台詞だザガートっ! もうこれ以上ダラダラと戦いを長引かせる気は無い!! ここからは全身全霊、我の持ちうる力の全てを以て、貴様を完膚なきまでに撃殺してやる!!」
やがて相手を煽る言葉を早口で喚き散らす。これまで全力を出していなかったと、本気とも冗談とも付かない台詞を口にして、どんな手を使ってでも魔王を殺す決意を強い口調で伝える。
「はらわたをブチ撒けて息絶えるがいい! 死光線ッ!!」
死を宣告する言葉を発すると、相手に左手の人差し指を向けて攻撃の呪文を唱える。紫の光が指先に集まっていって、凝縮されて一筋の光線となって発射された。
魔王は自身に向けて放たれた光線をサッと横に動いてかわすと、間髪入れず反撃に移ろうと、右手のひらを相手に向ける。
「ゲヘナの火に焼かれて、消し炭となれッ! 火炎光弾ッ!!」
攻撃魔法を詠唱すると、煌々と燃えさかる梨くらいの大きさの火球が、目の前にいる神めがけて放たれた。
太陽の中心温度に匹敵する灼熱の火の玉を、ヤハヴェがガントレットを嵌めた手でワシ掴みにする。そのまま指に力を入れて、トマトのようにグシャァッと握り潰した。
バラバラに砕けた炎は大気に霧散して、霞のように消えていく。炎に直に触れた鋼鉄のガントレットは表面が微かに焦げたものの、深手を負った様子は無い。
「なにっ!」
灼熱の魔法を防がれた光景にザガートが俄かに色めき立つ。初撃で相手を殺せるとまでは考えていなかったが、だとしてもこうもあっさりと防がれるなどとは夢にも思わず、動揺せずにはいられない。
ヤハヴェは魔法を防ぐためのバリアすら張らなかった。それは至近距離で魔法が直撃したとしても致命傷にならない事実を物語る。
「フハハハハ、バカめっ! その程度の魔力で我に傷を付けられると、本気で思ったのか!! いやザガートっ! たとえ貴様が最大火力の魔法をぶつけたとしても、私には掠り傷一つ負わせられん! 何故なら私の攻撃魔法に対する耐性は、アザトホースのおよそ十倍……宇宙最高クラスだからだ!!」
魔法を防がれたショックで唖然となる魔王を、ヤハヴェが声に出して嘲る。自身に攻撃魔法が一切通用しない事実を教えて、憎っくき相手に一泡吹かせられた喜びで笑いが止まらなくなる。
「そしてザガート……我が最大威力の魔法を以て、貴様を塵も残さずこの世から消し去ってやる!!」
相手を抹殺したい覚悟を大きな声で叫ぶと、両手で印を結んで魔法の言葉を唱え出す。
(……ここだッ! ゼウスから伝授された切り札を邪魔されずに使えるのは、相手がより長い詠唱の魔法を唱えようとした、ここしか無い!!)
神が必殺の魔法を唱え始めたのを見て、ザガートが千載一遇の好機とみなす。とても隙の大きな技ゆえに、それを使えるチャンスは今しかないと確信を抱く。
使用の判断に踏み切ると、正面に両手のひらをかざして呪文の詠唱を始める。
「ザラズズール・ギラズズール・ディルケイム・ザザートマ……天の光よ、裁きの雷よ。赦されざる罪を犯した我が敵に、永劫の苦痛を与えたまえ」
ヤハヴェが非常に長い詠唱を行う。かつてソドムの村を焼き払った時に使用した、あの極大核撃魔法だ。
「オリンポスの十二柱の神々よ……汝の敵となりし神の力を、永劫に封じたまえ」
ザガートが数秒遅れて詠唱を開始する。敵の詠唱に割り込もうと判断しただけあって、相手が使う魔法より詠唱がかなり短い。
「聖……」
「反教会ッ!!」
両者がほぼ同じタイミングで魔法名を叫ぼうとしたが、詠唱の長さの違いにより、ザガートの方が唱え終わるのが一瞬早かった。
魔王の手のひらから紫に輝く不気味な光が、極太レーザーのように発射されて、目の前にいる神を直撃する。神の全身が一瞬禍々しい紫のオーラに包まれた後、すぐにオーラは見えなくなる。
「……絶ッ!!」
一瞬遅れた後に神が魔法を唱え終わる。だが魔法は発動しない。
ただ神が「アナテマ」と大きな声で叫んだのが神殿内に響き渡るだけだ。
数秒が経過しても、極大魔法が発動する気配は一切ない。神殿内にヒュゥウウッと吹き抜ける冷たい風は、魔法の発動に失敗した神を嘲笑っているようだ。
「なっ……!!」
渾身の魔法が不発に終わった事に神が唖然となる。一瞬何が起こったのか全く理解できず、脳に思考が追い付かなくなって気が遠くなりかけた。
それは彼にとって決してあってはならない事だ。この最大威力の魔法を唱えたら、目の前にいる相手は絶対に死ななければならないのだ。彼はそのつもりで魔法の使用に踏み切った。
にも関わらず魔法は不発に終わり、目の前の敵はピンピンしている。
絶対に起こってはならない事態が起こってしまい、神は脳の血管がキューーッと締め付けられて、口の中が急激に酸っぱくなる。
「何故だ……何故だ何故だ何故だ何故だ、何故なんだぁぁぁぁぁぁああああああああッッ!! どうしてなんだ! 何故なんだッ! これは一体どういう事だッ! 何が起こった! 何故魔法が発動しない! どうしてだ! 訳が分からん! こんな事は私の人生で、今まで一度たりとて起こった事は無いというのに!!」
最後は精神的ショックを受けたあまり大きな声で喚き散らす。両手で頭を抱えながら地べたにしゃがみ込んで「何故だ、何故だ」とうわ言のように叫び続ける。まるでこの世の終わりを見たように心の底から絶望する。
「ザガート……貴様かッ! 貴様がやったのか!? 貴様がこれをしたのかッ! おのれザガート……貴様、一体私の体に何をしたぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああッッ!!」
一しきり叫び終わると顔を上げて立ち上がり、目の前にいる敵を激しい口調で問い詰めた。魔法を邪魔された怒りで脳の血管が爆発寸前になっており、神の威厳をあさっての方向にぶん投げたチンピラの物言いになる。自分が不利な状況に追い込まれていようと、一向にお構いなしだ。
「天界の神にしか効かない代わりに、神相手なら必中で成功する魔法……それが『反教会』だ」
ザガートが腕組みしてふんぞり返りながら勝ち誇ったドヤ顔になる。相手に一泡吹かせられた満足感に浸ると、敵の魔法を妨害した技について解説を始める。
「この魔法を受けた神は、一切の魔力が使えなくなる……攻撃魔法はもちろん、回復の術も、防御結界も、空間を切り裂く技も、全てだ。しかも術の効果は、使用者が生きている限り永続的に発動し続ける……」
ヤハヴェにぶつけた技が単に『聖絶』の発動を妨害したのみに留まらず、彼のあらゆる魔法を封じた事、その術の効果は魔王が生きている限り持続する事……それらの事実を伝える。
全知全能であるはずの神が、『鎧を着た只の中年男性』に成り下がった……という事になる。
「ゼウスはいずれお前を殺す必要が生じた時の為に、あらかじめこの技を用意した。それを俺に伝授した……という訳だ」
最後にこの技がゼウスから伝授された手札であると教えて話を終わらせた。
(神同士の私闘が禁じられたにも関わらず、私を殺す為の技を用意していただと!? おのれゼウスめッ! 異世界転生者を差し向けた一番の理由は、それだったという訳か!!)
魔王に真相を知らされたヤハヴェが割れんばかりの勢いで歯軋りする。湧き上がる怒りに身を任せるように地団駄を踏んで悔しがる。自分を殺す備えをしていた異界の神に、まんまとしてやられた気持ちにすらなる。
早急に手を打つべきだった、どうしてこうなった……そんな後悔の念が湧き上がる。もっと早くに魔王を殺しに行っていたら、こうならなかったのではないか……そんな『もしも』の分岐した未来を頭の中に思い描く。
だが今となっては、何もかもが遅すぎた。
「そして魔法を封じられた相手にだけ使おうと思って、これまで使わずに取っておいた、俺の奥の手を見せてやろう!!」
落胆した神に追い打ちを掛けるようにザガートが言う。恰好を付けるようにマントを右手でバサッと開いて風にたなびかせると、両手で印を結んで魔法の詠唱を始める。実戦ではこれまで一度も使った事が無い技だと教えて、神に全力で止めを刺しにかかる。
「ザルダーク・ギルダーク・ヴェルギム・ベベウ……我裁きの代行者となりて、人を殺した者に七倍の復讐を与えん!!」
非常に長い呪文の詠唱を行う。かなりスケールの大きな技らしく、詠唱の長さは『聖絶』に引けを取らないほどだ。
「……天罰ッ!!」
最後に技名を大きな声で叫ぶ。
魔法を唱え終わるとヤハヴェの足元にある地面に、黒い大きな穴のようなものが生まれる。穴は異空間に繋がるゲートだったらしく、真上に立つ神をズブズブと底なし沼のように引きずり込んでいく。
「うっ……うおおおおおおおおっ!!」
ヤハヴェが大声で叫びながら手足を動かして暴れる。吸い込む力に全力で抗おうとしたが、穴はそんな彼を無情にも呑み込み続ける。
やがて全身が穴に呑み込まれると、彼の意識はそこで途絶えた。




