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第252話 神の戦争/Harmagedōn

(い、イカン……負ける……このままでは負けてしまう!!)


 自身の不利を悟ってヤハヴェが心底焦りだす。これまであった勝者の余裕は一瞬で消し飛び、目の前の敵に殺されるかもしれない恐怖に心を支配された。


 自己治癒ちゆ能力があったのか、拳の傷はみるみるうちに修復されていき、粉々に粉砕されたガントレットも時間を巻き戻したように再生して元通りになる。神の右腕は完全に砕かれる前の状態へと戻り、ダメージを受けた事実は無かった事になる。

 だが体の傷がえても、心の傷は癒えないままだ。拳のぶつかり合いに敗れた事実は、肉体よりも彼のプライドを深く傷付けた。


(……チャンスだっ!!)


 敵が冷静さを失ってうろたえる姿を見て、ザガートは千載一遇の好機とみなす。この機を逃さず一気に距離を詰めて、相手を殴り殺そうと思い立つ。考えが決まると正面の敵めがけて一直線に駆け出す。


 魔王がタタタッと走る音を聞いて、ヤハヴェが「はっ」とわれに返る。戦闘中にも関わらず他の事に気を取られていた自身にかつを入れて、すぐさま冷静さを取り戻す。


ひざまずけ……暗黒重力ダーク・グラビティッ!!」


 正面に右手のひらをかざして攻撃魔法を唱える。

 すると魔王が立っていた床からドォォーーーーンッ! と何かが爆発したような音が鳴り響いて、男が磁力で引き寄せられたように地べたに叩き付けられた。


「ウッ……うおおおおおおおおッッ!!」


 うつせに大の字に倒れたままザガートが悲鳴を上げる。全身を踏ん張らせて立ち上がろうとしたが、足の小指、手の指先一本すら動かせない。まるで地球と同じ大きさの岩にかかられたような感覚があり、一瞬でも気を抜いたら気絶しそうになる。


 魔王は地球の百倍の重力を受けたとしても、ものともしない。その彼が全く動けずにいた。


「フハハハハッ! 私の暗黒重力ダーク・グラビティは百倍や千倍などというチャチなレベルのものではない! 十万倍ッ! 地球の十万倍の重力が、貴様にかかっているッ! これは無効化できなければ、たとえゼウスだったとしても地べたに叩き付けられて数分で息絶える威力ッ!!」


 ヤハヴェが魔王を倒れ込ませた技の性能を得意げに語る。これまで出てきた同型の技とは比べ物にならないけた違いの威力だと教えて、魔王がそれに耐えられないだろうと確信を抱く。


救世主メシアザガートっ! 私はお前をアダムの代わりとなる義理の息子として迎え入れる事も、やぶさかでは無かった……最初は紳士的な態度で接したのもそのためだ。だがもう遅い! お前はここで死ぬ! ここでブザマに息絶えて、愚かな人間どもにくみした事を後悔しながら死んでいくがいい!!」


 魔王を養子として迎える気でいた事、それを撤回して、完全に殺す方針に切り替えた意思を明確にする。最後は人類に肩入れした男の判断を、愚かな間違いをしたと糾弾きゅうだんする。


 神に好き放題言われても、魔王は全く動こうとはしない。十万倍の重力に抵抗できないように地べたに倒れ続けている。骨がミシミシときしむ音が鳴り、衣服がビリビリに破けそうになる。このまま放っておいたら五分と持たずに死ぬ事は明らかだ。


 魔王は重力に押しつぶされて死ぬだろう……ヤハヴェがそう確信した瞬間。


「……後悔など、しない」


 ザガートがボソッと小声でつぶやく。

 その時魔王の体が一瞬ピクリとだけ動いたように、神には見えた。


 まさかと思い、神がよく目をらして相手をよく見ると、魔王の右手の小指がかすかに動いている。目の錯覚かもしれないと疑い、顔を左腕でゴシゴシぬぐってからもう一度見てみたが、確かに相手の小指が動いている。目の錯覚などではない。


 最初に右手の指……次に右手全体が動きだし、最後は両腕が動かせるようになる。やがて両足までもが動くようになると、四肢ししに力を入れてゆっくりと起き上がる。まず右足の裏を大地に立たせて、次に左足を同じように立たせると、その姿勢のままグググッと重力にあらがうように体を立ち上がらせていく。


「かけがえの無い大切な家族を……これ以上誰一人死なせないと、そう心に決めたのだ!! そのためなら、たとえこの場で死んだとしても、後悔などするものか!!」


 最後は二本の足でしっかりと立ち上がると、断じて神に屈しない意思を言葉によって伝える。そのまま神がいる方へとゆっくりと歩き出す。


 魔王は重力を無効化などしていない。重力結界は変わらず維持され続けており、男の骨がミシミシ悲鳴を上げて、服のはしがビリビリに裂け始めて、皮膚が高速で振動しているのが目で見て取れる。それでも魔王は力を振り絞って、気迫で、執念で……重力に抗っていた!


(ななな、なんて事だ!! 重力魔法の結界を維持する為には、唱えた場所から一歩たりとも離れてはならない! かといってこの場から離れる為に重力魔法を解除すれば、その瞬間自由になったザガートが高速ですっ飛んできて、私を殴る事は目に見えている! つまりヤツが重力結界の中で動けるようになった時点で、私はすでに詰んでいる!!)


 魔王が重力に抗う姿を見て、ヤハヴェが心底驚嘆する。重力魔法の特性を心の中で復唱して、自分が八方ふさがりな状況に追い込まれたと確信を抱く。その事実に落胆したあまりまいと吐き気がして気が遠くなりかけた。


 そうこうしている間に魔王が拳の届く距離まで近付いてきていた。もはや神を生かすも殺すも、男の思うがままだ。


「ちょっ……まっ……」


 神が咄嗟とっさに相手の説得をこころみようとした。


「待たんッ!」


 魔王は相手の言葉に聞く耳持たず、間髪入れず神の顔面に全力の右ストレートを叩き込んだ。男の拳がドガァッとてつかぶとにめり込んで、装甲がグニャァッとひしゃげる音が鳴る。直後神の両足が地面から離れて、体が宙に浮き上がる。


「まっ……へぶるぁぁぁぁぁぁああああああああっっ!!」


 ヤハヴェが滑稽こっけいな奇声を上げながら豪快に吹っ飛ぶ。時速三百キロの新幹線にねられた勢いで飛んでいって墜落するように地面に激突すると、ゴムボールのように何度もバウンドした挙句、手足をだらんと伸ばして大の字に倒れたまま手足をピクピクさせた。

 殴られたダメージがよほど深刻だったのか、いつまでっても起き上がらない。パッと見では気絶しているようにも感じ取れた。


 ザガートは重力魔法が解除されて体が軽くなると、数歩前へと進んでピタリと足を止める。腕組みしてふんぞり返りながら、地べたに倒れた神を見下すように遠くから眺める。大打撃を与えた達成感にひたるようにフフンッと鼻息を吹かす。


「ヤハヴェ……茶番は終わりにして、そろそろケリを付けよう!!」

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