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第247話 聖書を読んだとしても……。

 魔王が神殿の回廊を歩き続けていると、背後から彼を追いかけてくるらしい四つの足音が聞こえてくる。後ろを振り返ると、足音の主である四つの人影が回廊を猛スピードで走ってきていた。


「魔王ザガート、止まりなさい! それ以上先に進む事は許しません!!」


 四人の先頭にいた女が大きな声で叫ぶ。

 四つの人影は魔王から五メートルほど離れた場所まで来て立ち止まる。そのまま相手を牽制けんせいするように敵意に満ちた瞳でにらむ。


 先頭にいたリーダー格と思しき女はウェーブが掛かった長めの金髪をしていて、二十代なかばに見える絶世の美女だ。後ろに控えた三人は彼女より年下に見える若い少女だ。四人とも背中に鳥の翼を生やして頭上にっかが浮かんでおり、一目で天使だと分かる。

 先頭の女は普段着らしい白い衣を着ていたが、後ろの三人は『戦乙女』と呼ばれる天界の女戦士の格好をして、手に槍を持っていた。


(大天使長ミカエルと、その配下の三人の天使……か)


 女達の姿を目にして、魔王が彼女達の素性を推測する。本人達が直接名乗った訳ではないが、今目の前に立つ四人の女こそが神に仕える著名な天使なのだろうと判断する。特に大天使ミカエルは彼女の像を崇敬する教会があったため、外見的特徴から判断するのは容易だった。


「魔王ザガート……罪と冒涜ぼうとくで薄汚れた、いつわりのメシアよッ! 今すぐこの場から立ち去りなさい! さもなくば、我ら四人の力をもって、貴方の悪しき魂をめっします!!」


 ミカエルが魔王を偽のメシアと呼び、神殿から退去するよう命じる。勧告に従わなければ武力行使に出ると、強い口調でおどしを掛けた。


「ならば問おう、ミカエルよ……お前は神が全人類を皆殺しにしようとする今の状況を、正しい行いをしていると、そう考えているのか?」


 ザガートが大天使に質問をぶつける。命を奪うと脅しを掛けられてもひるんだりしない。

 神の忠実なしもべである彼女に、主人の行いをどう感じているのか聞いて確かめようとする。


しゅは決して判断をあやまらない……悩まない……かえりみない!! 主のなさる事はいつだって正しい!! ザガートッ! 貴方は自らを生み出した神である主のお考えが間違っていると、そう言いたいのですか!?」


 ミカエルが主人の判断を全肯定する。創造主である『主』の考えは常に正しいと力説して、魔王にそれに逆らうつもりなのかと問いただす。


「神の行いに一切疑いを抱かなければ、それは目を閉じ、耳をふさいで、都合の悪い事から目をそむけようとしているのと何ら変わりない……」


 魔王が即座に言葉を返す。盲目的に信仰を抱き続ける行為の愚かさを指摘して、女の主張が間違っていると論理的な反論を行う。


「信仰を貫き通す事が、神の命令に絶対服従するのと同義であるならば、それは絶対的権力を持つ皇帝の奴隷になるのと何ら変わらないではないか」


 ミカエルが力説する神への忠誠が、地上の権力者をあがめるのと大差ない行為に過ぎないとダメ押しの一言を付け加えた。


「……ッ!!」


 魔王に正論をぶつけられてミカエルはぐうのも出ない。論理的な誤りを指摘されて一言も言い返せず、ただ下を向いて押し黙るしかない。親にしかられた子供のように顔を真っ赤にして両肩をぷるぷる震わせた。


 いっそ会話を一方的に打ち切って、いきなり襲いかかってしまおうか……そんな考えが彼女の頭をよぎりかけた。


「もう良い……もう良いのだ、ミカエルよ」


 その時神殿全体に響き渡るほどの大きな声が発せられた。マイクしにしゃべったようなくもった音声をしていたが、それが神ヤハヴェが発したものである事は明白だ。


「私はそこにいる男と二人きりで話がしたい……そう告げたはずだ。お前達にその男を止めろと命じた覚えは無い。ここは大人しく引き下がるがいい」


 魔王に戦いを挑もうとした女の独断専行をとがめる。あくまで魔王と一対一で対話する事が神の望みであり、それを反故ほごにしようとしたしもべに、いさぎよく身を引くよう命じる。


「ですが……!!」


 ミカエルがなおも食い下がろうとする。神の決定に不満があったようで、たとえ主人の命令に逆らってでも魔王を押しとどめたい思いがあったようだ。


「お前達などよりも、その男に敗れた勇者の方がはるかに強い……お前達程度の力では千回挑戦したとしても、その男のかかとに噛み付く事すら出来ん。ライオンに逆らったネズミのようになぶり殺しにされるのがオチだ」


 神が言葉を続ける。かつて魔王に敗れた勇者を引き合いに出して、天使達の強さは彼に遠く及ばない事、それにより魔王に戦いを挑む事の無意味さをく。


「お前達四人が魔王に殺される姿を見たくは無い……ここは大人しく引いてはもらえないか」


 最後に部下達の身を案じる一言を付け加えた。


「……」


 神に優しく言葉を掛けられて、ミカエルがしばし無言になる。これからどうすべきか迷ったように思い詰めた表情をしたが、やがて後ろを振り返ると合図を送るようにサッと右手を上げる。

 後ろに控えた三人の天使は上司の合図を受けてコクンとうなずくと、回廊をもとた方角へと引き返す。ミカエルも彼女達の後に続いて歩き出し、魔王の前から姿を消す。部下が立ち去ったのを見届けて安心したのか、神の声も以後は発せられない。


 魔王はしばらく自分一人だけになった回廊にポツンとたたずんだが、再び神殿の奥を目指して歩き出す。


  ◇    ◇    ◇


 回廊の終わりに近い場所まで来ると、玉座の間に通じるらしき大きな鉄製の扉がある。ギギギッと扉を開けて中へ入ると、部屋の中は真っ暗だった。


 ザガートが一歩足を踏み入れると、ポッとあかりがく。

 部屋の中央にレッドカーペットがかれていて、その左右に一対いっついずつ燭台が置かれている。燭台は部屋の奥に向かって一定の間隔をけて並んでいて、ザガートが奥へと進むたびに一つずつ順番に点火されて、そのたびに部屋が少しずつ明るくなる。かつてアザトホースの城で見たのと同様の仕掛けだ。


 ザガートが部屋の奥に向かって歩き出すと、何処からか声が聞こえてきた。


「真のえいとは、知識そのものを指すのではない……知へのくなき探究、あらゆる事に興味を持ち、どんな事でも知りたいと願う好奇心……それらが、その者の人生に必要な知識を与える」


 ヤハヴェのものと思しき声は、真の叡智とは何たるかについて語る。

 魔王に向かって語りかけるその言葉は、男の行動を制止する魔法のたぐいではなく、単に薀蓄うんちくを語っているようだ。男の見識の深さを認めて、えてそうしているようにも受け取れる。


「知への飽くなき探究なくしては、本を百冊読んだとしても、偉大な十人の賢人の話を聞いたとしても、真の叡智に辿たどり着く事は決して無い」


 好奇心が無ければ知識を求める行動そのものが意味をさないのだとく。


「……神の存在を信じぬ者が聖書を読んだとしても、神の偉大さを知る事は決して無いのと同じように」


 神の存在を信じない者にとって聖書は無価値であるとむすんで話を終わらせた。


 声が自説を述べ終わるのとほぼ同時に最後のあかりが点火されて、それにともなって部屋の中全体が明るく照らし出された。

 レッドカーペットがかれた中央の一番奥に、王が座るための玉座が置かれてあり、そこに一人の男が座っている。背丈二メートルほどある、フルプレートの鎧を着てたけの長いスカートを穿いた、鉄仮面の騎士の男……魔王は彼の姿に見覚えがあった。


「……ヤハヴェ!!」


 男の姿を目にしてザガートがその名を口にする。

 玉座に座ってえらそうにふんぞり返っているその男こそ、夢の中で魔王に無理難題を押し付けた人物であり、世界を破滅させようとする、神その人に他ならない。

 扉の試練を用意したり、先ほどミカエルに話しかけたりはしたが、彼自身はずっと玉座に座ったまま魔王が来るのを待ち続けていたようだ。


「待っていたぞ、ザガート……我が息子よ」


 神が自分の部屋を訪れた魔王に歓迎の挨拶あいさつをする。

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