第245話 最終決戦前の見送り
時計の針が七時を指し、すっかり夜が明けた朝――――。
難民キャンプの果てにある入口に一人の男が立つ。彼の出発を見送ろうと無数の人だかりが出来ている。
キャンプ地の入口に立つ男は言うまでもなく魔王ザガートその人だ。神の神殿に向かう彼を見送る為に、彼の仲間である四人の女、ブレイズ、ゼウス、それからバーラ村長やハゲのおっさんら数十人の村人が来ていた。
「本当に一人だけで行くつもりなのか? やはり私達も一緒に行った方が良いんじゃないか」
レジーナが開口一番に問いかける。神が何らかの罠を仕掛けているのではないかと警戒しており、魔王を一人で敵地に向かわせる事に不安を感じる。
「いや……向こうは一対一の決闘を持ちかけてきた。俺がその提案を反故にする訳にはいかない。まぁ万が一向こうが約束を破り、多数の天使をけしかけてきたとしても、俺にとっては猫が襲ってくるに等しいが……いずれにせよ神と戦うなら、俺も仲間が居ない方がかえってやりやすい」
魔王が王女の提案を却下する。こっちが先に申し出を破る気は無い事、相手がどんな罠を仕掛けても恐るるに足らない事、一人の方が自分にとっても都合が良い事……それらの考えを伝える。
「そうか……お前がそう言うんなら、仕方ない。だがくれぐれも無茶な真似はするなよ。神なんかに絶対負けるんじゃない。お前は私達の……この世界みんなの希望なんだ」
王女が魔王の言い分にやむなく従う。彼自身がそれを望んでいると伝えられてはしつこく食い下がる訳にも行かず、大人しく言う事を聞くしかない。せめて自分達がどれだけ仲間の身を案じたか、気持ちを言葉で言い表す。
王女の言葉に魔王が無言のままコクンと頷く。お前達の気持ちは受け取ったと言いたげに真剣な表情になる。
「ザガート様……どうかお気を付けて」
ルシルが不安げな表情になりながら魔王の旅立ちを見送る。一緒に付いていけない以上、愛する人の無事をただ祈り続けるしか無い。
「ルシル……ギレネス村を発ってからここまで、よく俺の旅に付いて来てくれた。その事に深く感謝する。お前には道中不便な思いをさせたかもしれない……いつか必ずその埋め合わせをすると約束しよう」
ザガートが長旅に同行してくれたルシルの一途な思いに感謝する。彼女を過酷な戦いに巻き込んだ事に負い目を感じており、その事に対する礼をしたい気持ちを伝える。
「不便な思いなんてしませんでしたとも……私はずっと貴方のお役に立ちたいと、それだけを願ってここまで付いて来ました。貴方と一緒にいられた数ヶ月間、私はとても幸せでした。ですからどうか、これからもずっと貴方のお側にいさせて下さい……」
ルシルがニッコリ笑いながら、負い目を感じる必要は無い旨を告げる。旅の体験が彼女にとってより良いものだった事、何一つとして嫌な思いをしなかった事、この先も変わらず魔王の側に仕えたい事……それらの意思を伝える。
魔王は穏やかな笑みを浮かべて少女の頬にキスすると、今度はなずみの方を振り返る。
「なずみ……忍術の心得が無い俺が、お前の師匠と呼ばれるに相応しい人間だったかは分からない。それでもここまで付いて来てくれた事を嬉しく思う。お前に何か一つでも大事な事を教えてやれたなら幸いだ」
自分に彼女の師匠たる資格が無かったのではないかと感じた事、にも関わらず最後まで旅に同行してくれた彼女の貢献に深く感謝する。
「オイラ、今回の旅で師匠からたくさんの事を学びました……師匠はオイラにとって最高の師匠だったッス!!」
少女が満面の笑みを浮かべながら言う。魔王から多くの大事な事を教わった事、男が師匠としてちゃんと使命を果たした事……それらの気持ちを伝える。
魔王は娘を見つめる父親のような笑顔で少女の頭を優しく撫でると、今度は王女に話しかける。
「レジーナ……仲間になってからもずっと、お前は対等の立場で俺に接し続けてくれたな。お前のそういう友と接するような態度、俺は心の何処かで嬉しく感じていた。俺にとってお前はいいオンナというだけでなく、どんな事でも気軽に話せる腐れ縁の親友のような存在だった……この先どんな事があったとしても、俺にツッコミを入れ続ける女であって欲しい」
彼女の自分に分け隔てなく接する態度を気に入っていた事を打ち明けて、これから先も変わらぬまま友のような存在でいて欲しいと要望を伝える。
「な、何だ急に改まって……水臭いじゃないか」
魔王の言葉を聞いて、レジーナが照れ臭そうに顔を赤くする。親友のように思っていた発言を聞かされて、ヘタに愛の告白されるよりも余計に恥ずかしい。
「たとえお前が世界の王になろうと、私がお前の妻になったとしても、私達二人のどちらかが死ぬまで対等の立場で接してやる!!」
お互いがどんな立場になったとしてもブレない態度を貫き通す事を、ドンッと胸を前面に突き出したポーズでドヤ顔になりながら宣言する。
魔王は彼女の言葉に安心したようにニッコリ笑うと、声をかける四人目の相手として不死騎王を選ぶ。
「ブレイズ……お前という有能な臣下を得られた事は俺にとって幸運だった。お前は考え方は俺に近く、性格は冷静沈着で、判断を見誤らない。何より戦闘能力においてお前を超えられる者などいない。俺が帝国を築いた時にはお前をナンバー2の地位に据えて、俺が不在の折には、帝国の全権をお前に託す」
不死騎王がどれだけ信頼の置ける配下であったかを、一つ一つ特徴を挙げて語る。自らが帝国を築いた暁には右腕として側に仕えさせる事を真剣な口調で約束する。
『一介の武人に過ぎぬそれがしには、我が身に余る光栄……必ずや主君のご期待にそえる所存ッ!!』
重大な役目を任された事にブレイズが深く感激する。自身に寄せられた信頼の大きさにその身を打ち震わせて、何としても使命を果たすのだと強い決意を胸に抱いて任命を受諾する。
「鬼姫は……」
ザガートは他の仲間に一通りの言葉を伝えると、まだ声をかけてない最後の一人である鬼姫の方を向く。あからさまにめんどくさそうな表情をしており、彼女に言葉を掛ける事にある種のためらいすら感じ取れる。
鬼姫はそんな魔王の心情など露とも知らず、今か今かと待ち侘びたようなウキウキ笑顔になる。どんな言葉を掛けられるんだろうと期待に胸を膨らませたあまり体をウズウズさせた。
「鬼姫は……いいか」
「ズコーーッ!!」
魔王が別れの挨拶を省略しようとした為、女が上半身をのけぞらせて派手にズッコケた。仰向けに地べたに倒れたまま尻餅をつく。これまで散々待たされておきながら、壮大な肩透かしを食らった形となる。
「何でじゃ! 何で妾にだけ、決戦前の挨拶をせぬのじゃ! 魔王よッ! お主、妾の事が嫌いなのかえ!?」
鬼姫は慌てて起き上がると、物凄い剣幕で怒鳴りながら魔王に詰め寄る。自分だけオチ担当のような扱いをされた事に心底憤慨しており、納得の行く理由の説明を求めた。
「……仕方あるまい」
魔王がやれやれと言いたげに溜息を漏らす。けだるそうな表情を浮かべて頭を手でボリボリ掻くと、しばらく考え事に没頭した挙句にようやく口を開く。
「鬼姫……お前は見た目は抜群にエロいが、わがままな子供のようにだだをこねるから、扱いが面倒だ。その上常に他人を出し抜こうと考えていて、打算的で狡猾ときている。だがそこがお前の良い所でもある。本当にいいオンナとは、お前のような女の事を言うのかもしれない……これからも変わらぬまま、独身アラサーOLのような性格のままでいてくれ」
彼女の性格的な問題点をズバズバと指摘しながらも、そこが彼女のオンナとしての魅力でもあるとフォローを入れた。大人の女性として色気があると言いたかったようだが、これでは褒めているのかけなしているのか分からない。毒と薬を混ぜた巧妙な言い回しは、魔王の女に対する感情をそのまま言い表しているように思えた。
「ウ、ウム……なんぞちっとも褒められた気がせぬが、一応褒め言葉として受け取っておこうかの……」
鬼姫が釈然としない表情しながらも相手の言い分に納得する。性的に魅力があると褒められた事は理解したようで、怒るべきか喜ぶべきか分からないように戸惑いながらも男の言葉を聞き入れた。
一通りの仲間との会話が終わると、今度は後ろに控えていたゼウスがズカズカと前に出ていって魔王の正面に立つ。
「ゼウス……アンタには随分と世話になった」
ザガートが感慨深げに口を開く。生身の人間に過ぎなかった自分を最強の魔王へと変えて、この世界に転生させた神に優しい眼差しを向ける。言葉数は少なくとも、自分を今の境遇に置いてくれた爺に心から感謝した気持ちが窺える。
ゼウスは魔王が感謝の意を示したのを見て、申し訳なさそうに顔をうつむかせたまま黙り込んだが、やがて覚悟を決めたように顔を上げる。
「ザガートよ……ヤハヴェを倒すために必要な手札は教えた。後はお前さん次第じゃ。もはや今となっては、そなたとあやつの実力は伯仲しておる……強さが同じとなれば、後は精神力の強さが勝敗を分けるという事になるじゃろう」
唯一神を倒す切り札を授けた事、両者の実力は拮抗しており、どちらが勝っても不思議ではない状況を知らせる。
手札を教えたという下りは、日が暮れる前に二人だけでナイショ話をした事と関係がありそうだが、当人達以外には何の事だか分からない。
「こっちの世界に転生させてからこれまで、そなたには苦しい思いをさせてきたやもしれぬ……だがそなた以外に頼れる者がおらんかった。重ね重ねもお願いして申し訳ない。どうか……どうかこの世界を滅ぼそうとする神を倒し、世界を……人類を滅びの命運から救ってくれ」
重苦しい表情を浮かべると、魔王に使命を背負わせた罪悪感と、そうするより他に手が無かった苦悩を吐露する。最後は藁にもすがる思いで世界の命運を男に託す。
「言われなくても、そうするつもりだ。今となっては全人類は俺の家族……家族に手を出そうとする輩は、たとえ神であったとしても容赦はしない。ヤハヴェは必ずこの手でブチ倒す。ヤツに人類を滅ぼさせなどはしない」
魔王が腰に手を当ててドンッと胸を張る。
大切な家族を守る意思を強い口調で宣言する。
「ザガート様……」
魔王の言葉を聞いてルシルが感激のあまり目を潤ませた。神にも匹敵する強さを得た男が人類を家族と看做した姿は見るからに頼もしく、彼ならやってくれるだろうという説得力を感じさせる。
レジーナ、なずみ、ブレイズ、鬼姫……その場にいた誰もが男の宣言を聞いて胸を熱くさせた。ゼウスは心の懸念が払拭されて安心したように晴れやかな笑顔になる。
ザガートは話したい事を全て話し終えたと考えて、皆に背を向ける。
「それじゃ、ちょっくら世界を救ってくる」
そう一言だけ告げると、神の神殿がある方角に向かってゆっくりと歩き出す。
「魔王よッ! 必ず生きて戻ってくるのじゃぞぉぉぉぉおおおおおおーーーーーーッ!!」
鬼姫が皆を代表するように大きな声で叫ぶ。
魔王は後ろを振り返らないまま、応援の声に応えるように右手だけサッと上げると、最終決戦の地を目指して雄々しく進んでいくのだった。




