第240話 月灯り
四つの空間に分断される前に一行が集まっていた荒野……そこに四人の女がいた。その者達は言うまでもなくザガートの仲間であるルシル、レジーナ、なずみ、鬼姫といういつもの面々だ。彼女達は他の二人の男より速いタイミングで現実空間に帰還していた。
女達が魔王の帰還を待ち望みながらたわいもない話をしていると、荒野の何も無い空間に、人が通れる大きさの黒い横穴がドアのように開く。そこから一人の男がスタスタと歩いて出てくる。
男が完全に出終わると穴は再び閉じていって、何も無い空間へと戻る。
「おお魔王よ、無事じゃったか! 心配しておったのだぞ!!」
穴から出てきた男の姿を見て鬼姫が、いの一番に言葉を掛けた。
「ザガート様っ!」
「師匠ッ!!」
「やはり無事だったか!」
他の女達がワンテンポ遅れて、魔王が戻ってきた事に歓喜する。愛する男が無事だった姿を見て深い安心感に包まれると、猛ダッシュで彼の元へと駆け寄っていき、労いの言葉を掛けようと周囲を取り囲む。
「服が濡れてるじゃないか。一体どうしたんだ?」
魔王の服がにわか雨に降られたように濡れてる事に気付いて、レジーナが問い質す。
服が濡れているのは勇者の死に悲嘆した魔王が、数時間激しい雨に打たれ続けたからだが、女達には知る由もない。
「何でもない……こんなもの、放っておけば数分と経たずに乾く」
ザガートが王女の疑問に素っ気なく答える。何かあったのではないかと勘繰る彼女に、何も無かったと強がりの台詞を吐く。
口調はかなり不機嫌で、胸の内に抱えたモヤモヤを隠し切れていない。それだけでも周囲に何かあったと思わせる材料として十分だったが、魔王が話したがらないので、女達は聞くに聞けない。
魔王の言葉通り、服に染み付いた水分は一分と経たないうちに蒸発して、完全に乾いた状態になる。
「騎士の兄さんが、いつまで経っても戻って来ないッス」
ブレイズがどれだけ待っても姿を現さない事をなずみが不安がる。
「心配する事は無い。ここでは数分の出来事だったとしても、向こうでは数日、あるいは数週間戦ってる場合もある……ここは気長に待つとしよう」
ザガートが心配する必要は無い旨を伝える。現実空間と閉鎖空間で時間の流れが異なっており、不死騎王が長期戦にもつれ込んだのだろうと考えた。
仲間の帰還を待つために三十分ほど取り留めのない雑談に花を咲かせていると、さっきと同じように何も無い空間に黒い横穴が開いて、そこから最後の一人である不死騎王が歩いて出てくる。
「ようやく戻ってきおったか。ずいぶんと待たせてくれたのう」
帰還を果たした仲間に鬼姫が真っ先に声をかけた。長時間の待ちぼうけを食らわされた事実を、苦言を呈するように呆れた口調で言う。
『狂戦士バルザック……恐ろしい敵だった。一朝一夕で殺せる相手ではなかった。あれほど打たれ強い猛者と戦った事はこれまでに無く、この先も無いであろう』
女の不満に不死騎王が言葉を返す。自分が担当を引き受けた相手がかなりの頑丈さだった事を伝えて、彼ほどの戦士は二度と現れないだろうと感慨深げに語る。
「じゃが、勝ったのであろう?」
鬼姫が念を押すように問いかけた。
『ああ……勝った』
ブレイズが女の問いに言葉少なげに答える。
「これで異世界の勇者パーティを全滅させて、私達が勝利を収めた……という事になる訳ですね」
ルシルが相手のパーティに勝利した喜びを口にする。異世界の勇者同士の対決という構図にライバル意識を燃やしていたらしく、自軍の犠牲者を一人も出さずに勝てた満足感に浸る。男連中が戦った相手と友情で結ばれた事など知る由もない。
「……」
仲間の言葉など気にも留めず、魔王は下を向いて辛気臭い表情を浮かべたまま黙り込む。そのまま一言も喋ろうとはしない。
まるで大切な仲間を失ったように気落ちしており、とても勝利した者の姿とは思えない。
「何じゃ? さっきから様子が変じゃぞ。何か悩み事があるなら話してみい」
明らかにただ事ではない雰囲気の魔王を見て、鬼姫が怪訝そうに問いかけた。聞くのは野暮かもしれないと思いながらも、男の様子があまりに普通じゃないので、聞かずにいられない。
「別に大した事じゃない……話したくなったら、そのうち話す」
ザガートが気にかける必要は無い旨を伝える。いずれ機会があれば話すが、今はまだその時ではないと言う。
「まあよい。男にだって人に話したくない秘密の一つや二つ、あるじゃろう」
魔王の返答を聞いて、鬼姫がそれ以上聞くのをやめる。よほど言いたくなさげな男の心情を察して、ここは相手の意思を尊重すべきだと大人しく引き下がる。
鬼姫が深く突っ込まなかったので、他のメンバーも彼女の方針に倣う事にした。パーティ内でもっとも押しの強い彼女が空気を読んだのに、自分達がそれを無視する訳にはいかない。
ザガートはふと顔を上げて空を見上げると、何処か遠くを見るような目をしながら空の彼方を眺める。遥か彼方の空を飛ぶカラスの群れを視界に収めながら、勇者と交わした会話の内容を思い出す。勇者に言われた言葉、その一言一言が胸に刺さる。
(自分で殺しておきながら、殺した相手の過去を知って同情する……つくづく矛盾している)
自分のこれまでの言動を省みて、矛盾した行いをしていると自分を責める。勇者の境遇に深い悲しみを抱きながら、その勇者を殺したのは自分なのだという事実が、鉄釘のように魔王の胸に突き刺さる。
(だが……だがそれでも、俺は……)
魔王が心の中である言葉を口にしかけた時……。
「たたた、大変じゃぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーッ!!」
異界の神ゼウスが大声で叫びながら、一行の元へと裸足で駆け込んでくる。何やらただならぬ事態が起きたようで、見るからに尋常ではない。
「いいい、一体どうしたんだ!?」
禿頭の老人が血相を変えて走ってきた姿を見て、レジーナが慌てて問い質す。あまりに老人の様子が普通では無かったため釣られてパニックに陥ってしまい、詳細を聞く声が震えている。
「あ、あれを見るんじゃぁぁぁああああっ!!」
ゼウスはそう叫ぶや否や、空の彼方を指差した。
……旧約聖書に次のような記述がある。
かみ食らういなごの残したものは、
群がるいなごがこれを食い、
群がるいなごの残したものは、
とびいなごがこれを食い、
とびいなごの残したものは、
滅ぼすいなごがこれを食った。
(ヨエル書 第一章)




