第238話 届かぬ翼 / On Broken Wings
……俺とナターシャはある辺境の村で生まれた。そこは貧しい村だったが、みんな一生懸命に働いて、楽しそうに暮らしてた。俺とナターシャは家が近かった事もあり、いつも一緒に遊んでた。両親同士も仲良しだった。そこでの暮らしは平和で幸せだった。
だがある日、村に獰猛な魔獣の群れが押し寄せてきた。村は焼かれ、俺達の両親は魔獣に引き裂かれて、食い殺された。当時八歳だった俺達は、村から脱出する生存者の一団の荷馬車に乗せられて、命からがら連れ出された。
荷馬車に揺られている間、ナターシャはずっと俺の隣で泣いてた。両親が魔獣の餌になった事を深く悲しんで、いつまでもえんえん泣いてた。俺はそんな彼女を慰めようと、手をずっと握り続けた。
俺は自分が両親を殺された事よりも、彼女が泣き続けた事の方が悲しかった。何とかして彼女の涙を止めてやりたいと思った。もう二度と彼女を泣かせないと心に誓った。その為に魔獣を殲滅するんだと思いを強くした。
荷馬車が行き着いたのは比較的大きな町だった。そこは俺達にとって第二の故郷となった。身寄りのない俺達を引き取ったのは孤児院の院長のおばさんで、とても優しい人だった。商人の妻だったらしく金には困っていなかったようで、俺達に不自由ない暮らしをさせてくれた。
院長先生には感謝している。善人に引き取られたのは幸運だったかもしれない。もし奴隷に売られでもしたら、荒んだ生活を送っただろう。
俺達が育った町には勇者学校と呼ばれるものがあった。魔竜王ヴェルザハークを討伐する勇者を育成する事を目的として、王国の出資で建てられた学校だ。俺はそこに通う事にした。魔獣を殲滅する勇者になる為だ。
学校は全寮制だ。有能な成績者は学費を免除される。
俺は勇者になれるよう必死に努力した。勉学に励むばかりでなく、寮にいる間は筋力トレーニングを欠かさず、それ以外の時間は本を読んで魔法を練習した。寝てる時間を除けば、何かしら勇者になる特訓ばかりやってた。周りからはあまりの熱心さを「修行僧のようだ」と茶化されたほどだ。
努力の甲斐あって、俺は学年トップの成績を収めた。教師から「お前は才能があるぞ」と褒められたが、自分では才能があるとは考えていない。
勇者の血を引いてない俺は必死に努力しなければ勇者になれない……そう思って必死に頑張ったんだ。
学校に通った間、俺にはライバルがいた。リックという男子のクラスメートだ。大物貴族の息子だったが、自分の家柄を威張らず、身分の低い者に分け隔てなく接する紳士的で好感が持てる人物だ。
彼は親の七光りという悪評を跳ね返すため、必死に頑張る努力家でもあった。学校の成績は俺と小指程度しか違わなかった程だ。
俺達は常に何かで競い合ってた。筆記試験、マラソン、運動会、ドッジボール、体力テスト……何でもだ。俺が勝てば次はアイツが勝ち、アイツが勝てば次は俺が勝つ……それを何度も繰り返した。俺達は険悪な仲じゃなく、プライベートでは将来を語り合ったり、たわいもない話をして笑ったりもした。
俺達は親友だ。少なくとも俺はそう思っていた。
十八歳になった俺は勇者学校を首席で卒業した。まだ正式に勇者と認められた訳じゃないが、俺は町を離れる事にした。魔竜王を倒す旅に出る為だ。
町を離れる前日、俺とナターシャは町外れにある木の下で二人だけで会い、数年後の再会を誓い合った。新しい町に着くたびに手紙を出すと約束した。
必ず生きて帰ると約束して……俺達はキスをした。
町を離れた俺は道中で魔獣に襲われたいくつかの村や町を救いながら、周辺一帯を治める王国であるヴィタールの城へと向かった。
俺が旅に出るより数年ほど前、城の地下にある封印された扉が突如として開かれたのだ。扉の内部には神殿と祭壇があり、祭壇には一本の剣が突き刺さっていた。
祭壇の前にある碑文には、こう書かれていた。
「真の勇者のみが引き抜く事を許された聖剣。エクスカリバー」
……と。
これまで数々の勇者になる事を目指した者が剣を引き抜く事に挑戦したが、誰も抜けなかった。国王は、もし剣を引き抜けたらその者を正式に勇者と認めようと国中にお布令を出した。
俺も当然剣の引き抜きに挑戦した。もし聖剣に選ばれなかったら、魔竜王に勝つ事など到底不可能だろうと考えたからだ。
俺が祭壇に刺さった剣の柄に手を触れると、まるで剣が自らそうしたいと願ったようにスルリと簡単に抜けた。今まで誰も抜けなかった話がまるでウソみたいにだ。
俺は聖剣に選ばれた。国王は剣を抜いた者が現れた事に歓喜し、世界を救う前から俺の事を『勇者』と呼んだ。俺は晴れて勇者と認められる立場になり、自分でもそう名乗った。
聖剣を手にしてからの俺に敵う者などいなかった。なにしろどれだけ致命傷を負っても、すぐに傷が治って立ち上がるのだ。その上更に剣の純粋な切れ味の鋭さ、俺自身の身体能力の高さが加わり、俺は負け無しの存在となった。下級の魔物は俺の姿を見ただけで悲鳴を上げて逃げ出したほどだ。
旅の途中、一緒に冒険する仲間に出会った。
ニネヴェの町に住む狂戦士バルザック、東の国から大陸に渡ってきた人斬りザムザ、大陸最強と謳われた魔道士ツェデック、ツェデックと腐れ縁の仲であるヤハヴェ教の大司教クリムト……皆心強い仲間だ。クリムトは聖書をプレゼントしてくれた。
彼らはそれぞれ目的こそ違ったが、俺の危険な旅に同行を願い出てくれた。俺の仲間に加わってから魔竜王を倒すまで、一度もパーティから外れる事が無かった。勇者である俺を心から信頼して、何処までも付いてきてくれた。
彼らとの冒険の記憶は俺にとって一生の宝だ。感謝しても、しきれない。
俺は新しい町に着くたびにナターシャに手紙を送ると約束した。自分が無事な姿でいる事を知っていてもらいたかった。
最初、彼女からは毎回返事が送られた。俺が活躍してる事を知って喜んでくれた。彼女から返事が送られる事は俺にとって大きな支えになった。どれだけ辛い事があっても頑張れる気持ちになれた。
それがしばらく経つと二回に一回、三回に一回……と返事が届くペースが落ちていくようになり、最後は全く届かなくなった。手紙には異変があった事は何も書かれていないにも関わらず、だ。
俺は彼女の事が心配になった。彼女の身に何かあったんじゃないかと不安になった。手紙に書かれてないからこそ、人には話せない事情を抱えたんじゃないかと、余計に不安を感じた。頭がモヤモヤして、胸が張り裂けそうになった。
今すぐ故郷に帰って彼女の無事を確かめたかった。けれども今目の前で苦しんでいる人々を放っておけなかった。村を焼かれ、家を失った人々が俺の元に集まってきて「勇者様、勇者様」とひざまずいて祈りを捧げるのだ。彼らを見捨てられなかった。
せめて彼女が無事でいるよう祈りながら、旅を続けるしかなかった。返事が来なくなってからも、こっちからは一度も欠かさず手紙を送り続けた。
俺は各地に散らばった魔竜王の配下の幹部を全滅させて、城を覆っていたバリアを解除した。旅に出てから四年……俺が二十二歳になった時の事だ。
いよいよ最後の敵の城に乗り込む段となり、俺は一旦故郷に帰る事にした。最後の戦いに臨む前に、彼女に想いを打ち明けようと考えたからだ。
無事に生きて帰れたら、結婚しよう……そう彼女に言うつもりでいた。
……故郷に帰った俺を待っていたのは、他の男と結婚して、お腹に赤ちゃんまでいるナターシャの姿だった。左手の薬指に結婚指輪を嵌めていて、明らかに男を知った『女』の顔をしていた。
しかもよりによって彼女と結婚した男というのは、他でもない、俺の勇者学校時代の同期だったリックではないか。二人は俺が町を離れてる間に付き合いだして、デートを重ねて、肉体関係まで持ったのだ。
俺が魔獣と戦ってる間に、二人は俺の事など忘れて、ベッドで深く愛し合っていた……それを想像しただけで俺は頭がおかしくなりかけた。目の前が真っ暗になり、脳がグルグル回りだして、動悸と目眩がして、血を吐きそうになった。どうやらリックから話を聞いた瞬間俺は卒倒したらしい。
返事を送らなくなったのは彼女の身に何かあったからじゃない。単に他の男とくっついて、俺への興味が無くなったからだ。現に彼女が留守の間に家を訪れたら、部屋の隅の方に封を切ってない俺の手紙がゴミの山のように積まれていた。
完全に俺から心が離れた彼女にプロポーズなど出来るはずもなく、彼女と再会した俺は二、三の言葉だけ交わして彼女の前から去った。彼女と直接会ったのはそれが最後だ。
負け犬のようにトボトボ歩きながら町から出ようとした時、城塞の片隅に一本の大きな木が立っているのが目に付いた。俺とナターシャが再会の約束をしてキスをした、あの木だ。
四年前と変わらず青々と葉っぱを実らせていたその木を、俺はエクスカリバーで真っ二つに切り裂いた――――。




