第187話 魔界の神……その名はアザトホースっ!
「ザガート様っ!」
四人の幹部を退けた魔王が物思いに耽ていると、何処からか彼を呼ぶ声が聞こえた。
声が聞こえた方角に男が振り返ると、三人の少女が彼に向かって走ってくる。それはもちろん百五十体のザコの魔物を蹴散らしたルシル、レジーナ、なずみだ。
更に彼女達の背後から不死騎王と鬼女が走ってくる。二人は既に体の大きな三十体の魔物を片付けており、三人の少女に遅れて合流する。
仲間達の中に負傷した者は一人もいない。皆が五体満足のまま広場の魔物を全滅させた形となり、魔王はその事にひとまず安堵する。
『城の魔物は全て片付けたようだが、大魔王がその気になればいつでも蘇生が可能……この機を逃さず相手の懐へと飛び込み、敵の首魁を仕留めるのが肝要かと存じ上げる』
ブレイズが今後の方針について意見具申を行う。時間が経てばザコの魔物が復活する可能性を指摘して、そうなる前に先へ進むべきだと自分の考えを述べる。
皆が彼の言葉に同意して頷く。反対する者はいない。
不死騎王の提案に従い、一行が広場の中央最奥にある大扉に向かって歩き出そうとした瞬間……。
「……無駄なあがきだ」
彼らに向かって言葉を発する者がいた。声が聞こえた方角に皆の視線が向けられると、視線の彼方に大きな人影が立つ。腹の傷から血が流れたまま、息も絶えだえになりながら途切れ途切れに喋る、鎧を着た豚頭……それはレジーナに致命傷を負わされて死んだと思われていたオークロードだった。
魔王以外の五人は新たな戦いを予感して身構えたが、魔王が右手をサッと横に振って彼らを制止する。もうヤツに戦う力は残っていない……そう言いたげに目を閉じたまま首を左右に振る。魔王の意を汲み取って仲間達が矛を収める。
オークロードは死にかけた身にありながら、尚も言葉を続ける。よほど伝えたい思いがあったのか、残り僅かの命を喋る事に費やそうとしているようだ。
「アザトホース様は全知全能にして、この宇宙を統べる偉大なお方……全ての『魔』を生んだ、魔界の神のような存在。貴様ら人間如きの人智など、到底及ぶ所ではない。死にたくなければ、戦いなど挑まぬ方が身の為だ……ハハハハハッ……ガハァッ!!」
忠告する台詞を発して高笑いすると、口から大量の血を吐いて前のめりに倒れる。血の海に沈んだままピクリとも動かず、今度こそ完全に息絶えたようだ。
「………」
オークロードの最期の言葉を聞いて、場がシーーンと静まり返る。誰も一言も発しないまま暗い顔しており、俄かにどよーーんとした空気が広がる。鼻から吸い込んだ風が濁ったような感覚を覚えて、思わずむせ返りそうになる。
豚頭が命懸けで伝えたメッセージ……それは皆の心に不安となって重くのしかかるものがあった。漂いかけた戦勝ムードは一瞬で吹き飛び、この先に最強の魔王がいる事実を否応なく突き付けた。
(主君の偉大さを、命を賭して伝えようとするとは……見上げた忠誠心だ)
ザガートは豚頭の執念とも呼べる最期を見届けて深く感じ入る。最後まで高い忠誠を貫いて死んでいった男の誇りある生き様に、敵ながら天晴と称賛の言葉を送る。
戦闘力は魔王軍十二将に劣ったかもしれない。だがこれまで戦ったどの敵よりも、魔族の戦士たる武人らしさに溢れるものがあった。
「行こう……大魔王がどれだけ恐ろしい相手だろうと、ここで引く訳には行かない」
しばらく感慨に浸っていた魔王だったが、ふと冷静に立ち返り、先に進むべきだと提案する。ここまで来て引き返す考えなど頭の片隅にもありはしない。
皆が魔王の提案にコクンと頷いて、大魔王の部屋へと通じる大扉に向かって歩き出す。
……窓枠に停まったカラスの群れは、去りゆく一行の背中を無言で見送った。
◇ ◇ ◇
広場の中央最奥にある大扉は四人の幹部が出てきた時のまま開きっぱなしになっており、一行はそこに足を踏み入れる。中へ入ると部屋は一面真っ暗だったが、数歩前に進むとポッと灯りが点く。床に左右一対になるように燭台が置かれており、それが正面に向かってズラッと並ぶ。
燭台は一行が前に進むたびに順番に点火されていき、それに伴い部屋が少しずつ明るくなる。
(ベタな演出だが……悪くない)
如何にもラスボスの部屋にありがちな演出を見て、ザガートがニヤリと微笑んだ。
大魔王がいると思しき部屋の奥に向かって歩き続ける一行……突如鼻をつく不快な腐敗臭が辺り一帯に漂い始める。周囲をよく見てみると、そこら中に人間の死体が転がっていた。
それも十や二十どころの話ではない。百を超える数の、髪の毛が生えていない全裸のマネキンのような死体が、部屋の至る所にゴミでも捨てるように無造作に置かれていた。
「……ッ!!」
四人の女達は死体の山を見て思わず顔をしかめたが、声には出さない。大魔王の部屋だからこんなものがあっても不思議じゃないと心に受け止めて前へと進む。
やがて最後の一対の燭台が灯されて、部屋の中が完全に明るくなる。だが大魔王の姿は何処にも見当たらない。最後の燭台の先に不自然に広いスペースがあるだけで、部屋の中はもぬけのカラだ。
「大魔王の姿が何処にも無いではないか。妾に恐れをなして逃げてしまったのか?」
鬼姫が訝しげな表情を浮かべたまま部屋の中を見回す。奥まで辿り着いたのに敵の首魁がいない事に、一杯食わされたのではないかと疑心暗鬼になる。
「何を言ってるんだ。アザトホースなら、さっきからずっと俺達の前にいるじゃないか」
ザガートが突然そんな事を言い出す。
魔王の発言の真意が掴めず、他の仲間が首を傾げた瞬間……。
部屋中に転がっていた全裸の死体が突然、自ら意思を持ったように独りでに宙に浮き上がる。百を超える数の死体はザガート達の前にある空間へと集まっていき、磁力で引き寄せられたように互いにくっつき合う。やがて鯨を超える大きさの巨大な肉団子になると、肉と肉が融合して境界線が無くなっていき、一つの肉の塊になる。
巨大なミートボールが生まれると、それまで死体と同じだった土気色が、赤に近い暗めのピンク色へとサーーッと変わる。肉塊のあちこちから無数に触手が生えて、十を超える数の大きな目玉が、全方位を見るようにギョロリと見開かれた。
「……アザトホース」
目の前に現れたミートボールの化け物を、ザガートがその名で呼ぶ。
そう……これまで一行が目にした部屋に転がっていた肉の死体は、全て大魔王の体の一部だったのだ。
「フハハハハッ! ヨクゾ我ノ存在ニ気付イタナッ! サスガ異世界ノ魔王、褒メテヤロウ! ソウダ……我コソ王ノ中ノ王、大魔王アザトホース!!」
肉の塊が嬉しそうに高笑いしながら自己紹介する。どこに口があるかも分からない姿のまま、マイク越しに発したような曇った音声で喋る。一行の意表を突いてからかった事を喜んだのか、妙に機嫌が良さげだ。
「俺達を驚かせるためにつまらん小細工を仕込むとは、随分と悪趣味な王だ……もっと他に言うべき事があるんじゃないのか?」
相手をおちょくる大魔王の態度にザガートが苦言を呈する。楽しそうに笑う目玉とは対照的に、かなり機嫌が悪い。緊張感が無いラスボスの態度にイラついたのか、もっと真面目にやれと言いたげに不満をあらわにする。
「……」
魔王の言葉を聞いてアザトホースが急に黙り込む。それまで楽しそうに浮かれていたのが、スイッチを切り替えたように物静かになる。ムキになって反論するでもなく、相手を小馬鹿にするでもなく、ただただ黙っている。
「……ムンッ!!」
喝を入れるように一声発すると、ザガートを見ていた一つの目玉がカァッと眩い光を放つ。次の瞬間、六人の周囲の空間がグニャアッと大きく歪んだ後、混じり気のない黒一色へと染まる。
ブラックホールのような暗黒空間に閉じ込められたかと思うと、ムンクの『叫び』のような不気味な人間の顔が、そこら中に浮かび上がる。二百を超える数の顔はゆらぁっと左右に揺れながら「死ね死ね死ねシネシネ…」と呪詛の言葉を一行に投げかける。直接攻撃してくる訳ではないが、精神に与える苦痛はかなりのものだ。
「うわあっ! なんだこれはッ! 一体何なんだ、この空間はぁぁぁぁああああああーーーーーーっっ!!」
悪夢のような光景に耐え切れず、レジーナがパニックに陥る。不気味な空間に閉じ込められた事にとても正気を保ってなどいられず、声に出して慌てふためく。鞘から剣を抜いてブンブン振り回すが、ただの精神攻撃のようで実体が無い。
「おえぇぇぇぇーーーーーーっ! なんだか胃の辺りがグルグルして、気持ち悪くなってきたのじゃ!!」
あまりの不快感に鬼姫が吐き気を催す。敵の術の効果なのか、それとも単に視界がウネウネして酔ったのかは分からないが、このまま放っておいたら吐いてしまいそうだ。
大魔王の精神攻撃であろうと思われる奇妙な空間は、直ちに命を奪うものでは無かったが、それでも少女達に与える苦痛は大きい。この状態が長く続けば命に関わる事は疑いようがない。
「フンッ!!」
術に対抗するようにザガートの両目がカァッと怪しく光る。すると暗黒空間がガラスのようにバリィィーーーーンッ! と音を立てて割れて、元いた空間へと戻る。そこは術が発動する前の大魔王の部屋のままだ。
「ホゥ……我ガ生ミ出シタ暗黒空間ヲ、コウモタヤスク打チ破ルトハナ」
自身の術を破られた事にアザトホースが驚いた顔をする。想定を遥かに上回る相手の力量に、これまでと違い敵ながら興味が湧いたような態度を取る。
「この程度の術、簡単に破れないようではお前とまともに戦う事など出来やしない……そうだろ?」
ザガートが不敵な台詞を吐いてニヤリと笑う。それは好敵手へと向けた宣戦布告でもあった。




