第16話 レッサーデーモン襲来
「ザガート……貴様、何故生キテイル!?」
デーモンが思わず声に出して問いかけた。完全に死んだとばかり思っていた男が立ち上がった事実が頭で受け入れられず、金魚のように口をパクパクさせた。
「魔法で強化されたナイフだか何だか知らんが、俺には掠り傷にすらならなかったぞ」
ザガートが相手を小馬鹿にするように鼻で笑うと、腹に刺さったナイフを手で引き抜いて、ポイッと床に投げ捨てた。
「ダ……ダガナイフハ腹ニ深ク刺サリ、血ガ流レ出タデハナイカッ!!」
デーモンが俄かにうろたえながら問い質す。視覚的に男は死んだと確信を抱けた状況だったからこそ、それが裏切られた事に酷く困惑した。
「大臣……貴様が必ず何か仕掛けてくるだろうと予測して、俺は腹に袋入りのトマトケチャップを仕込んでおいた。それで刺された時、わざと痛がって死んだふりをしてみせた。まんまと俺の演技に騙されてくれたようで大変助かる」
魔王が相手の疑問に答える。ナイフが刺さったのは袋の容器に入ったケチャップで、男の腹には一ミリたりとも傷を付けられていない。ドクドクと流れ出たように見えたのは、血ではなくケチャップなのだと。
「ケケケ、ケチャップダト!? ソンナ馬鹿ナ!!」
デーモンが驚くあまり声を上擦らせた。あんぐり口を開けて呆気に取られたまま棒立ちになる。
ザガートがした話は突拍子が無さすぎて、とても信じられるものではない。
「貴様ノ言葉ガ嘘カ本当カ、確カメテヤル!」
とても男の言葉に納得が行かず、悪魔が真相を確かめようとザガートに向かって駆け出す。彼の側にある床に流れた液体を指ですくうと、すぐさま安全な場所まで後退し、指に付いた液体をペロッと舐めた。
するととても濃厚なケチャップの味が、悪魔の口の中に広がる。
「ンッ! ウ……ウマイッ! コレハ確カニ、トマトケチャップダ! クソッ、ヨクモ俺ヲ騙シタナッ!!」
その美味さに思わず感心し、男の言葉が真実だったと分かる。自分が騙されたとようやく気付かされて、地団駄を踏んで悔しがった。
「大臣……俺は一目見ただけで、貴様の正体に気が付いたぞ。いくら人の姿に化けようと、魔界の瘴気までは隠せん。それをあえて黙っていたのは、あの場で真実を明かすより、貴様が自分から化けの皮を脱ぐのを待つ方が得策だと判断したからだ。俺をたばかったつもりだろうが、俺の方が一枚上手だったという訳だな。ハハハハハッ」
ザガートが腰に手を当ててふんぞり返りながら勝利宣言する。最初の時点で正体を見破ったと明かし、大きな声で敵を嘲笑った。
「ザガートッ!!」
魔王が楽しそうに笑っていると、レジーナが早足で駆け出して、男に抱き着く。
「バカバカバカっ! 私がどれだけ心配したと思ってる! 大丈夫なら、ちゃんとそう伝えてくれっ!」
顔を真っ赤にして怒りながら、ザガートの頭を両手でポカポカと叩く。男の演技に騙されていた事に深く憤る。
「本当に……本当に心配したんだぞ。無事で良かった……ウッウッ」
そう口にすると一転して泣き出す。男の胸にすがり付いたまま、グスッグスッと声に出して泣きじゃくる。怯える子猫のように小さな肩を震わせた。
「すまない……また泣かせてしまったな」
父親に甘える子供のように泣くレジーナの頭を、ザガートが優しく撫でる。
大臣に一杯食わせる為とはいえ、王女を悲しませた事を深く詫びる。彼女を傷付ける事は本意ではなく、責任を取らなければならないと思った。
王女の顎に手を当てて顔を上げさせると、頬を濡らす涙を指でそっと拭う。
男を見つめる王女の瞳が涙で潤んでいる。
「……どうか、これで許して欲しい」
そう言うや否や、ザガートが王女の唇にキスした。
「んっ……」
王女の口から吐息が漏れ出す。唇を奪われても一切抵抗しない。目を閉じて両腕で抱かれたまま、相手のなすがままにさせる。
男の腕に抱かれて唇がねっとり触れ合う感触に、幸福感すら覚えた。
王女はもう自分の思いに逆らってもしょうがないと観念し、心の中で魔王を愛していた事実を素直に受け入れた。彼の野性的な男らしさで、乙女の花園をグチャグチャに穢して欲しいとすら願った。
誰に強制された訳でもなく、彼女自身がそれを深く望んだのだ。
「……」
目の前でいきなり男女が抱き合ってキスしたのを見せ付けられて、デーモンがポカンと口を開けた。全く予想しない話の流れにとても付いていけず、置いてけぼりにされた形となる。
「……貴様ラァ」
だがやがてハッと我に立ち返り、急激に怒りがこみ上げる。体中の血管が沸き立つほどハラワタが煮えくり返り、ギリギリと音が出るほど強く歯を食い縛る。
「貴様ラ……ヨクモ……ヨクモ俺様ヲ差シ置イテ、二人ダケデ、イチャイチャシタナッ! シカモ事モアロウニ、キスニ及ブトハ! 俺ヲ全ク恐レテイナイ証拠ダッ! エエイ、何トモ腹立タシイ!!」
胸の内に湧き上がった憤激を声に出してブチ撒けた。早口で喚いたあまり、口から大量の唾が飛ぶ。
いつ襲ってくるかも分からない化け物がすぐ近くにいるのに、その事を忘れてしまったかのような二人の行いに深く憤る。魔族として誇りを踏み躙られた心境になる。
「……許サン。殺ス……絶対殺ス……百万回ブチ殺スッ! 貴様ラヲ八ツ裂キニシテ、ハラワタヲ引キズリ出シテ、大魔王様ヘノ手土産ニシテクレルワァァァァァァアアアアアアアアーーーーーーーーッッ!!」
相手の抹殺を宣言すると、感情の赴くままに敵に向かって走り出す。ドカドカと大きな足音が鳴り、その衝撃で建物が微かに揺れる。
「レジーナ、下がっていろ! こいつの相手は俺一人で十分だっ!!」
ザガートはそう口にすると王女を片手でドンッと突き飛ばし、デーモンがいない方向へと離れさせた。
「死ネェェェェエエエエエエーーーーーーッッ!!」
一人だけになったザガートに、悪魔が襲いかかる。一メートルしか離れない間合いまで迫ると、グワッと開いた右手を大きく振り上げて、鋭い爪で相手を引き裂こうとした。
「フンッ!」
魔王が喝を入れるように一声発しながら、敵の腹に正拳突きを叩き込む。男の拳が触れた瞬間ドオォォンッ! と何かが爆発したような音が鳴り、振動が伝わって城内の空気がビリビリと震えた。
「グワアアアアアアッ!!」
直後デーモンが悲鳴を上げながらゴミのように吹き飛ばされる。城の廊下の壁に激突して、そのまま一気に壁をブチ抜いて中庭へと投げ出された。殴り飛ばした力の勢いは尚も衰えを知らず、悪魔は地面に激突して全身を数メートル擦り付けた挙句、ブレーキを掛けたように止まる。
「グヌゥゥゥ……」
しばらく大の字に寝転がったまま手足をピクピクさせたが、やがて力を振り絞ってゆっくりと立ち上がる。首をブンブンと左右に振って、朦朧とした意識をはっきりさせた。
殴られた箇所は大きく腫れたものの、致命傷にまではなっていない。
「なっ……何だ!?」
中庭を巡回していた数人の兵士が突然の出来事に驚く。いきなり城の壁が爆発したと思ったら、そこから巨大な化け物が飛んできた事に心底驚愕する。
「てっ、敵襲だッ! 敵襲ーーーーーーッ! 中庭に魔族が侵入したぞーーーーーーッ!!」
兵士の中で比較的冷静だった一人が鐘塔に上がり、鐘をカンカン鳴らして魔族の襲来を告げた。
それまで眠っていた城の住人が一斉に目を覚まし、ランプの灯りが点いて城内が明るく照らし出される。
槍と鎧で武装した兵士が中庭へと殺到し、デーモンを瞬く間に取り囲む。後を追って駆け付けたザガートとレジーナも、包囲網に加わる。
「レジーナっ!」
「ザガート様!」
悪魔と兵士達が睨み合っていると、王とルシルが遅れて中庭に到着した。




