第147話 斬れぬッ!
『……ヌゥゥウウウ』
魔王の言葉を聞いて、ブレイズが思わず声に出して唸る。あまりに突拍子もない提案をすぐには受け入れられず、困惑したように黙り込む。
男の狙いは分かったものの、とても納得の行く話ではない。「そんな事できるわけがない」という考えがあり、どうにも腑に落ちない。嘘を言っているわけではないとしても、俄かに信じがたい。
要求通りに無抵抗の男に斬りかかって良いものかどうか迷いが出たが、このまま何もせずにいるわけにも行かず、ひとまずやるしかないと心に決める。
(魔王よ……本当に我の攻撃を無傷で耐え凌げるというなら、それを証明させてもらおう)
男の言葉が嘘か本当か確かめてやろうと思い立つ。ハッタリであればすぐに化けの皮が剥がれるし、もし本当に耐えたなら、確かに勝敗を決する要因にはなり得る……そう結論付けた。
戦う意思を固めると、一振りの刀を両手で握って構える。そのままジリジリと数歩前へと進む。突然ピタッと止まると、そのポーズのまま固まったように動かなくなる。
ザガートも相手の方をじっと見ながら静止する。互いに相手の出方を窺うように睨み合ったまま立ち止まる。そのまま数秒が経過した後……。
ブレイズの姿がワープしたようにフッと消える。直後ザガートの背後に刀を握った状態で姿を現す。やはり高速移動ではなくテレポートの技を使ったようだ。
一瞬で背後に回り込まれてもザガートは慌てる素振りを見せない。声も出さず、表情も変えず、無反応のまま棒立ちになる。
『魔王ッ! その首貰い受けるッ!!』
不死騎王が死を宣告する言葉を発しながら刀を横薙ぎに振る。相手の首を一刀の元に斬り落とそうとする。
全力で振られた刀の刃が魔王の首にぶつかると、ギィンッ! とけたたましい金属音が鳴って、刃が振ってきた方角へと弾かれた。
『何ッ!?』
魔王の首が予想を遥かに上回る強度だった事にブレイズが困惑する。一瞬何が起こったか全く理解できず、思考を放棄したように頭が真っ白になる。
不死騎王の剣による一撃は本来凄まじい威力だ。何の備えもなしに受ければ、たとえ世界を救った勇者だろうと無傷で済むはずがなく、下手をすればそのまま首を斬られて命を落とす。
にも関わらず魔王は一切回避行動を取らず、男の斬撃に無傷のまま耐えた。とても常識で考えられるものではない。
男は魔王が何らかのトリックを使ったのではないかとも考えた。だが防御魔法は確かに発動しておらず、透明な防具を装備した訳でもない。防御力がアップする薬を飲んだりもしていないし、密かに男の攻撃力が低下する術を掛けたりもしていない。
紛れもなく、魔王は素の肉体の打たれ強さだけで男の斬撃に耐えたのだ。
『……』
一瞬どうすべきか悩んだブレイズだったが、このまま考えていても仕方がないと自分に言い聞かせる。再びザガートから数メートル離れた正面にワープすると、数秒ほど相手を牽制するように睨む。
そのまましばらく押し黙っていたかと思うと、突然何かを思い立ったように前方めがけてダッシュする。
『……ヌゥゥゥゥォォォォォォオオオオオオオオーーーーーーーーッッ!!』
腹の底から絞り出したような大声で叫ぶと、手にした刀を縦横無尽に振り回して魔王に斬りかかる。魔王に剣がぶつかるとコンクリートの壁を擦ったような鈍い音が鳴るが、ブレイズは気にも止めない。いずれ攻撃が通るはずと心に決めたようにがむしゃらに剣を振り続ける。
ブンブンブンッと剣が振られた音と、ギンギンギンッと魔王にぶつかった金属音が、リズミカルに鳴り続ける。不死騎王は必死に剣を振り、魔王はそれを棒立ちのまま受ける。あたかも銅像を削ろうとする作業をしているようだ。
無抵抗の男を剣で斬り続ける……そんな光景が数分ほど続いた後。
『ヌッ……ヌゥゥゥゥウウウウウウ』
ブレイズが根負けしたように唸り声を発する。剣を振っていた腕が止まり、両腕をだらんと下に伸ばしたままガクッと膝をついてうなだれる。手足がガクガク震えて力が入らず、ゼェハァと呼吸が激しく乱れる。
不死である彼はいくら戦っても疲労しないはずだが、精神的疲労を感じた事が、肉体の疲労となって表れたようだ。
『斬れぬ……何度やっても斬れぬッ! いくら力を込めようと、絶対に斬れぬッ!! それがしの剣は宇宙最高物質アダマンタイトをも切り裂く……その我の剣が、掠り傷一つ付けられぬとは! 不死の命を得てから千年……このような事は一度も無かった!!』
どれだけ斬りかかっても魔王に傷を付けられない驚きが声に出る。自身の剣の切れ味に絶対の自信を抱いた事、その自信が脆くも打ち砕かれた事に、強い焦燥感に打ちのめされた。
「フンッ……たわけめ。魔王の皮膚は、そのアダマンタイトを飴のように溶かすバハムートのブレスに無傷で耐えたのじゃぞ? つまりあやつの体こそ、宇宙で一番硬い……という事じゃ」
鬼姫がそれ見たことかと言わんばかりのドヤ顔になる。魔王の体が凄まじい硬さである事を、得意げに鼻息を吹かせながら説明する。自分もかつて魔王に弄ばれた身だからこそ、同じ境遇に立たされた不死騎王を見てスカッとした気持ちになる。
「さてブレイズよ……どうする? これでもう終わりか?」
疲れた表情の不死騎王を見て、ザガートがまだ戦う意思があるかどうか問いかける。
『……まだ終わりではない』
ブレイズが聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で答える。攻撃が効かない事に一度は慌てたものの、その目から闘志の炎は失われていない。
戦いの続行を宣言すると、一旦後ろに大きく下がって魔王から距離を開く。
(……まさかこれを使う日が来ようとは)
心の中で感慨深げに口にする。
『……魔王よッ! この城に来てより千年、その間それがしは何万もの挑戦者を迎え撃ち、その大半を逃げ帰らせ、尚も挑まんとする百を超える猛者を屠った! そうした中で、僅か十人にしか使用した事のない奥義をお見せしよう! 今までこの技を受けて生きていられた者は一人もいない! 貴殿が不死身だというなら、見事耐え凌いでみせよッ!!』
自身が今から必殺の奥義を放つ事を教える。これまで誰も耐えられた者がいない凄まじい破壊力の技なのだという。
話を終えると右手に握った刀を天高く掲げる。刃の切っ先は自身の真上にある天井を指す。
『冥王剣……剣ノ雨ッ!!』
技名らしき言葉を叫ぶと、ザガートの遥か頭上にある空間に魔力と思しき青い光が集まっていき、一つの大きな塊になる。
次の瞬間、そこから青白く光る剣のような物体が、真下にいるザガートめがけて雨のように降り注ぐ。魔力のオーラで生成された光の剣が何十本、何百本と地表に落下して、ドガガガガガガガガッと機関砲のような音が鳴り響く。モクモクと煙が立ち込めて、魔王の姿が見えなくなる。
空中にあるオーラの塊が次第に小さくなっていき、完全に消えてなくなると剣の落下が止む。時間にしておよそ二十秒ほどだ。
剣の落下は止んだものの、魔王がどうなったかは分からない。白煙が立ち上っただけで、悲鳴一つ上がらなければ、肉片が飛んだりもしない。ただ技の威力は見るからに凄まじく、とても無事でいられたとは考えにくい。
「ざっ……ザガート様ぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」
ルシルが思わず悲痛な声で叫ぶ。目に涙を浮かべて泣きそうになる。
他の女達も表情が青ざめて浮き足立つ。魔王がやられたのではないかという考えが頭に浮かんで、「アワワ」と声に出してうろたえる。男の生存を信じたかったが、とても冷静ではいられない。
『……やったか!?』
ブレイズが思わずそう口にした。魔王が死んだらしい光景を目にしてガラにもなくガッツポーズを決める。これまで一切攻撃が通じなかった強敵を討ち果たせた宿願で胸が躍り出す。今まで味わった事がないような喜びを得て、テンションが最高潮になる。
不死騎王も、魔王の仲間達も、誰も魔王の生存を信じる者はいない。勝敗が決したらしいムードが辺りに漂い始めた時……。
「なるほど……確かに凄い技だ」
そんな言葉が何処からか放たれた。
声が聞こえた方角に皆の視線が向けられると、モクモクと立ち込めた煙が次第に晴れていく。煙が完全に消えてなくなり視界が見渡せるようになると、一人の男が立っていた。
『……ザガートッ!!』
男の姿を目にしてブレイズは心臓が飛び出んばかりに驚く。
そこに立っていたのは紛れもなく大技を受けて死んだはずのザガートその人だ。彼の周囲の床に無数の剣が刺さっていたが、彼自身には一本も刺さっていない。彼にぶつかって弾かれたと思しき数十本の剣が床に転がっていた。
彼は相変わらず腕組みしたままふんぞり返っているだけで、一歩も動いていない。むろん掠り傷も負っていないし、防御魔法も使っていない。公約を守り、何もせず棒立ちのまま相手の大技に耐えた。
魔力のオーラで生成された剣は魔王を殺す事を諦めたようにスゥーーッと薄れて消える。剣が刺さって穴だらけになった床だけが残る。
「ブレイズ……今の技はなかなかのモノだったぞ。俺以外が食らえば間違いなく死んでいた技だ。その事をどうか誇りに思うといい」
ザガートが技の威力を素直に褒める。自身に効かなかったとはいえ凄まじい破壊力の技だった事は実感しており、相手の実力の高さに感心する。俺に効かなかった事は気にするなと言いたげだ。
『グッ……ヌゥゥウウウ』
ブレイズが残念そうに呻き声を漏らす。さしもの彼もこの技が効かなかった事は相当精神的に堪えたらしく、見るからに悔しがっているのが分かる。
魔王を殺すつもりで放った技だったのに、傷一つ付けられなかったのだ。いくら技の威力を褒められようと、目的を果たせないのでは皮肉にしか聞こえない。本人にその気がなくとも、武人の誇りを穢されたに等しい。
「ブレイズ……今のが最大威力の技なら、もう俺を傷付ける手段は残されていない事になるが」
ザガートが念を押すように問いかけた。今ので手札を使い尽くしたか、それともまだ残っているか、聞いて確かめようとする。
『……まだだ』
ブレイズがボソッと小声で呟く。下を向いたままドスの利いた低音で喋る。感情を押し殺した雰囲気は、かなり怒っているようにも、覚悟を決めたようにも受け取れる。
『まだそれがしには最後の技が残っている……我の全身全霊を賭した、正真正銘、捨て身の大技が。如何にそれがしとて、これを超える威力の技は持ち合わせぬ。つまりこれに耐えられたら、貴殿を殺す手段は一つとして無くなる……という事になる』
もう一つだけ技を残してある事、それでダメなら完全に詰む事、それらの事実を悲壮感溢れる口調で語る。言葉の節々から、背水の陣へと追い込まれた男の、不退転の覚悟のようなものが感じられた。
『魔王よ……この一撃に耐えたなら、我は貴殿を倒す事を潔く諦めるッ! それを以て、この長き戦いの終わりとしようぞッ!!』
目をグワッと見開いて、最後の勝負に臨む決意を宣言するのだった。




