第121話 ムラマサに秘められた力
「グヌヌゥゥ……」
アドニスが思わず唸り声を発する。苦虫を噛み潰した表情したまま、ギリギリと音を立てて歯を食い縛る。悔しさのあまりはらわたがグツグツと煮えくり返り、脳の血管が沸騰して爆発寸前になる。
相手に戦いぶりを褒められても全く嬉しそうではない。それもそのはず、彼の目的は相手を殺す事で、実力を認められる事ではない。その相手に「よくやった」と言葉を掛けられても、プライドに傷が付くだけだ。最初から相手に同格と看做されていなかった証明なのだから。魔王の態度はどんな挑発の言葉よりも強く若者を怒らせた。
「まだだ……まだ終わっちゃいない! 俺にはまだ大魔王から与えられた手札が残っている!!」
自分に戦う手段が残っている事を大きな声で告げた。
アドニスは蛇腹剣をポイッと投げ捨てると、自分の真横に空間の裂け目を作る。そこに手を突っ込んで、鞘に収まった一振りの刀を取り出す。
「ああっ! あれは……」
その刀を目にして、ルシルが驚きの言葉を発する。その場にいた他の者達も一斉にどよめく。皆が信じられないと言いたげな表情をして、困惑の色を表に出す。
それもそのはず、青年が異空間から取り出したのは、他ならぬ妖刀ムラマサだったからだ。
「ザガートの所有物だったはずの刀が、何故ヤツの手元に?」
レジーナが観衆の意思を代弁するように疑問を口にする。
「うぬら、そう慌てるでない……村長が言っておったじゃろう。ムラマサは全部で三振りあると。大魔王がそのうち一振りを持っていたとて、何ら不思議はあるまい……」
ただ一人冷静さを保っていた鬼姫が、仲間の疑問に答える。自分達に妖刀を渡した村長の言葉を思い出させて、魔王が持っていたのとは別の刀があってもおかしくないと説く。
アドニスは刀を鞘から抜くと、鞘を地面に放り投げる。柄を両手で握ると、刀を縦に構えたポーズのまま力を溜め込むように数秒間静止する。
「ザガート……俺はこの一撃に全てを賭けるッ! 俺の全力を込めた大技で、貴様をこの世から消し去る!!」
強い敵意に満ちた言葉を吐くと、彼の体から白い靄のようなオーラが立ち込める。オーラが刀へと吸い込まれていくと、刀身が不気味に赤く光り出す。
「秘剣……魔神龍撃斬ッ!!」
技名らしき言葉を叫ぶと、アドニスが刀を縦一閃に振る。ブォンッと風を斬る音を鳴らしながら振られた刃から、巨大な龍の形をした衝撃波が放たれた。龍はドガガガガッと大地を削る音を鳴らしながら飛んでいき、ザガートを一瞬で呑み込む。その後は大地を高速で駆け抜けて、そのまま地平の彼方へと飛び去る。
龍が通り抜けた地面は凄まじい威力の衝撃波で削られており、Uの字に凹んだまま茶色の土が剥き出しになっていた。魔王は影も形も見えない。バラバラの肉片になって吹き飛んだのか、塵も残らず蒸発したのか……。
「そん……な……」
魔王の姿が何処にも見えない事にルシルが唖然となる。ポカンと口を開けたまま棒立ちになる。
他の者達も魔王がやられたらしい光景を目にして俄かに動揺する。そんな馬鹿な、信じられない、と言いたげな顔をする。ある者は恐怖で青ざめて、またある者はガクッと膝をついてうなだれる。
誰も魔王の生存を信じる者はいない。それほど凄まじい威力の技だった。
「フフフッ……フハハハハッ……」
アドニスが声に出して笑い出す。魔王の死に悲嘆した連中とは真逆に、勝利の喜びに全身の細胞を打ち震わせた。
「フハハハハッ……やった……遂にやったぞ! 今度こそ、本当に、間違いなく俺が勝った! 最強無敵の魔王に、俺が勝ったんだぁぁぁぁああああああーーーーーーーーッッ!!」
天にも届かんばかりの絶叫を発して、拳を強く握ってガッツポーズを取る。人生で味わった事が無いような喜びを得て、心が強く満たされた。今まで胸に抱えたモヤモヤが晴れてスッキリしたような満足感が得られた。今この瞬間死んでしまっても良いとさえ思えたのだ。
……若者の笑い声が響き渡った時、何処からかボコッと音が聞こえた。
「ッ!?」
音が聞こえた方角に若者が振り向くと、ザガートが立っていた場所にあった大地の土がモコモコッと盛り上がる。人と同じくらいの大きさまで膨れ上がると土が割れて、中から人が出てくる。
「……そんな」
土の中から現れた人物を目にして、アドニスがショックのあまり茫然自失になる。
そこに立っていたのは大技を受けて死んだはずの、紛れもないザガート本人だった。あれだけ威力が高い衝撃波を受けたにも関わらず、肌には掠り傷一つ付いていない。服の表面が微かに焦げていたが、被害はそれだけだ。
「なるほど……確かに凄い威力の技だ。何しろ足元の大地を削って、巻き上げた大量の土砂で俺を生き埋めにしたのだからな……まぁそれでも俺には傷を負わせられなかったが……」
ザガートが服に付いた泥を手で払いながら、皮肉めいた言葉を吐く。技の威力に感心したようだが、もはや褒めているのかけなしているのか分からなくなる。
「あああっ……あっ……」
魔王が生きていた事に深く動揺したアドニスが、全身をわなわなと震わせて、手から刀が零れ落ちた瞬間……。
「うっ……ぎゃぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」
突然悲鳴を上げて苦しみ出す。いきなり横向きに地面に倒れ込むと、ミミズのように全身を激しくのたうち回らせた。まるで水分が蒸発しようとするように彼の体からシュウシュウと白煙が立ち上ったが、何が起こっているのか分からない。
「アドニスっ!」
もはや戦いどころではなくなり、エレナが慌てて駆け寄る。彼の前まで来て膝をつくと、両手を当てて回復呪文を唱えたが、彼の容態は一向に良くならない。少女の行為を無駄と嘲笑うかのように、男の体が衰弱していく。
「エレ……ナ……」
掠れた声で仲間の名を呼ぶと、糸が切れた人形のように動かなくなる。
場がシーーンと静まり返り、誰も一言も発しない。ある推測が頭に湧き上がったものの、誰もそれを口に出せない。岩のように固まったまま棒立ちになる。
数秒間時間が止まったような状態だったが、冷静に歩き出したトールがアドニスの側まで来て、彼の兜を両手で外す。
「……ッ!!」
あらわになった男の素顔を見て、皆の表情がこわばる。
男は全身の水分を失って干からびたミイラになっており、苦痛に顔を歪ませて口を開けた表情のまま固まっていた。彼が死んでいた事は心音を確かめなくても一目で分かる。
「一体何が起こっちまったってんだ……」
ドーバンが思わずそう口にする。若者の身に起こった出来事が全く理解できず、疑問を感じずにはいられない。
「魔神龍撃斬は、持ち主の生命を技の威力へと変換する捨て身の大技……あやつは魔王を殺すために、今の一撃で全生命を使い切ってしまったのじゃろう。ムラマサが妖刀と恐れられた所以は持ち主を選ぶからではない。たとえ刀に認められた戦士だろうと、今の技を使えば命を失う危険があったからじゃ」
唯一人、技の性質について知っていたらしき鬼姫が疑問に答える。若者の使用した技が大きな代償を支払うものだった事、それにより彼が命を失った事を教える。
「激しく燃える松明ほど、使い道を誤れば我が身を焼く……その結果がこれという訳じゃ。大バカ者が……」
最後は喩え話を持ち出して、若者の無残な死を嘆く。分不相応な力を手にしたために悲惨な末路を迎えた彼の生き様を、他の者への教訓として言い聞かせた。
ザガートはカツカツと歩いていって死体の側まで来ると、若者の死に顔をじっと眺める。自分に歯向かったばかりにこのような死に方をした若者に敵ながら憐れみの念を抱く。
(デスナイト……敵ではなく自分に死をもたらすとは、何とも皮肉な話だ)
彼が名乗った肩書きを口にして、迎えた末路に思いを馳せた。




