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第107話 ギルボロス死す

「マサムネ、お前に意思があるなら来い! 今だけでいい……俺のモノになれ!!」


 ザガートが大声で叫びながら、刀が落ちた方角に右手を伸ばす。

 すると彼の呼びかけに応えたのか、地面に落ちた刀が自ら意思を持つようにひとりでに浮き上がり、魔王がいた場所へと飛んでいく。

 魔王は刀のつかをガシッとつかむと、両手で握り直して構える。日本刀の扱いに心得があるのか、刀を構えた姿は非常にさまになっている。


 鬼姫には一瞬、魔王の姿がかつて対峙した桃太郎と重なって見えた。


「グヌゥゥゥ……」


 地面に倒れたギルボロスがうなり声を発しながら起き上がる。両腕を支えにして上半身を起こすと、二本の足でゆっくり立ち上がって体勢を立て直す。

 魔王の方へと向き直ると、ギリギリと割れんばかりの勢いで歯ぎしりする。「フゥーーッ、フゥーーッ」と興奮した猛牛のように鼻息が荒くなり、みるみるうちに顔面が紅潮する。はらわたが煮えくり返り、爆発寸前になる。


「ヨクモ……ヨクモヤッテクレタナァッ! ユルサンッ! 絶対ニ許サンゾ、コノクソッタレイケメン魔王メガッ! コノワシニ屈辱ヲアジアワセタ罪、ソノ命デアガナッテモラウワァァァァァァアアアアアアアアーーーーーーーーッッ!!」


 胸の内に湧き上がった怒りを声に出してぶちまけた。眉間みけんしわを寄せて目をグワッと開いた阿修羅のような顔になる。二度も土を付けられた事に対する恨みは凄まじく、相手を一分一秒たりとも生かしておけない気持ちになる。

 魔神の怒号は大地を揺るがし、空気がビリビリと振動し、山を二つ超えた遠くの町までも届く。空を飛んでいたカラスの群れが異変を察知して、慌てて飛び去る。


 ギルボロスは地面に叩き付けられても全く傷を負わなかったが、プライドを深く傷付けられた事への精神的ダメージははかり知れない。最強の魔神としての誇りを踏みにじられた事は彼にとって到底許せるものでは無かった。


「殺ス! 何トシテモ殺ス! コノワシノ手デ、貴様ヲ殺シテヤルゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウーーーーーーーーッッ!!」


 大声でわめき散らすと、魔王めがけて早足で駆け出す。両腕を左右に大きく開いたポーズのまま、ドスドスと音を立てて走る。自慢の怪力で相手を抱き締めようとしたか、首を絞めて殺そうと思い立ったようだ。

 完全に頭に血がのぼって怒りで我を忘れており、無策のまま突っ込んでいく。返り討ちにうかもしれない考えは頭の片隅にも無い。


 近接戦の間合いに入ると、グワッと開いた両手を相手の首へと伸ばす。魔神の指先が触れようとした瞬間、ザガートの姿がワープしたようにフッと消える。


「!? ド……ドコダ!!」


 敵の姿を見失った事にギルボロスが慌てふためく。咄嗟とっさに後ろを振り返ると、彼から数メートル離れた背後に刀を振り下ろした構えのザガートがいる。その構えのまま動こうとしない。

 魔王が何かしたのは明らかだが、何をしたのかは分からない。刀を振ったにも関わらず、魔神には傷一つ付いていない。状況だけ見ると、ただワープして逃げたようにも感じ取れた。


「フッ……フフン! ナンダ、オドロカセオッテ! タダノ、コケオドシカ!?」


 魔神が冷や汗をかきながら必死に強がる。自身の体に何ともなかった事に深く安堵すると、再び魔王に向かって歩き出す。相手をつかもうと右手を伸ばした瞬間――――。




 魔神の右手首に、ブレスレットのような赤い線がピッと入る。そこが切断面となり、線が通った箇所から先の右手がズルリとすべるように落下して、ゴトリと地面に落ちる。


「……ア?」


 魔神は一瞬何が起こったのか分からない。手首から先にあるはずのものが無い。それから数秒遅れて、切断面から真っ赤な血が噴水のように噴き出し、傷口がビリビリと激しく痛みだす。


「ギャ……ギャァァァァァァアアアアアアアアーーーーーーーーッッ!! ワワワ、ワシノ手ガ、ワシノ手ガァァァァアアアアアアッ!!」


 手首から湧き上がる痛みにギルボロスが悲鳴を上げる。右手を失ったショックのあまりパニックにおちいってしまい、大声でわめきながらその場でクルクル回ったり、手足をジタバタさせたりして、狂ったように踊りだす。とても正気をたもってなどいられず、完全に頭がおかしくなる。


「俺が貴様の右手を切り落とした……と言っても、そのザマではまともに聞いちゃいないだろうが」


 ザガートが真相を明かしながら魔神の方へと振り返る。斜め上を向いたまま目だけ相手の方を見て、ゴミを見るような視線を向ける。

 魔王が手に握っていた刀の刃には赤い血が付着しており、ボタッボタッと地面にこぼれ落ちる。男が目にも止まらぬ速さで斬りかかり、魔神の右手を切り落とした事は疑いようがない状況だ。


「これで終わりにさせてもらう……ギルボロス!!」


 魔王はそう言うやいなや、前方に向かって駆け出す。ヒュンッと音が鳴ると、残像で姿がぼやけた黒い影のような物体になる。そのまま一直線に進んでいく。相手のふところに飛び込むと、ヒュン、ヒュヒュンッと音を鳴らしながら、魔神の周囲を縦横無尽に飛び回る。軽快に動くさまは黒いイタチのようにも、カラスのようにも見えた。


 やがて魔神から数メートル離れた背後にザガートがスタッと着地する。またも刀を振り下ろした構えを取っている。

 一瞬の沈黙の後、魔神の体に刀で斬られたあとらしき赤い線が入る。最初は一本だけだったのが、ピッピピッと音が鳴るたびに一本、また一本と増えていき、最後は体中のいたる所に線が走った状態になる。


「グッ……ウギャァァァァァァアアアアアアアアッッ!!」


 断末魔の悲鳴を上げた瞬間、ギルボロスの体がバラバラに崩れていき、こまれの肉片になる。後に残されたのはトマトのような赤い血だまりと、かつて彼であったモノが無惨に転がるだけだ。


「グレーターデビル……ギルボロス。お前は確かに強かった。バハムートに次ぐ魔界第三位の実力というのもうなずけるほどにな……だが俺の敵ではない」


 相手の死にざまを眺めながら、ザガートが勝ち誇ったように言う。それなりの実力を見せた魔神の強さに一目いちもく置きながらも、それでも自分の方が格上だと得意げな表情で語る。

 つゆを払うように刀をサッと横に振ると、刃に付着した血がビシャァッと大地に飛び散る。それによって刀がれいになる。


 魔神が死ぬと、彼がいた場所の真上にある空に青い光が集まっていく。それはやがて一つの宝玉へと変わっていき、ゆっくり降下していって魔王の手元に収まる。

 まばゆい光を放つガラスのような半透明の球体に、乙女座の紋章が刻まれていた。それは大魔王の城に行くために必要な十二の宝玉の一つだ。今回六つめを入手した事になる。


「………」


 その場にいた者達はポカンと口を開けて、呆気あっけに取られていた。

 後ろで控えた村人達も、駆け付けた三人の少女も、助けられた当の鬼姫も、心底驚く。凄まじい力を持つはずの魔神が、こうもあっさりほふられた光景に驚愕せずにいられない。本当に倍程度の違いしかないのか疑いたくなるほど、力の差が大きく開いていた。そのあまりに圧倒的すぎる勝ち方は、完全に予想をくつがえすものとなった。


 しばらく誰も一言も発しないまま茫然ぼうぜんと立っていたが……。


「うっ……うぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおっっ!!」


 やがて村人の一人が感極まったあまり大きな声で叫ぶ。彼の声を聞いて、他の村人がハッと我に返る。村が救われた事を実感すると、胸の内に喜びの感情がじわじわと湧き上がる。


「村が救われた……村が救われたんだ!」

「俺達助かったんだ!」

「ヒャッホーーーイ!!」


 思い思いの言葉を口にすると、魔王に向かって一斉に駆け出す。


「アンタのおかげで村は救われたんだ! 本当にありがとう!」

「アンタこそ、世界を救う勇者様だっ!」

「ありがてえ……本当にありがてえ」


 みなで救世主を取りかこむと、感謝の気持ちを伝えながら体をベタベタ触ったり、ガッチリ握手をわしたりする。最後は感動のあまりむせび泣く。


「本当に感謝しなければならないのは、俺ではなく鬼姫の方だ。もし彼女が持ちこたえなければ、俺が駆け付けた時には村人は皆殺しにされていただろう……」


 ザガートが仲間への感謝をうながす。えて自分の手柄を謙遜けんそんし、彼女こそ称賛されるべき英雄だと伝える。


「おお、そうでしたな!」


 魔王の言葉を聞いて、彼に殺到した村人の半数が鬼姫の方へと向かう。皆で輪になって彼女を囲む。


「アンタも、村を守るためによく戦ってくれた!」

「姉ちゃん、アンタも十分強かったぜ!」

「魔神に勝てなかったからって、気にするこたぁぇ」


 村人のために尽力した彼女の労をねぎらう。命を救われた事に深く感謝する。

 魔神に力が及ばなかった事を擁護する言葉が飛び出す。力不足を責めたりはせず、彼女が責任を感じないように配慮する。


「……」


 それでも鬼姫の表情は暗い。村人に優しく言葉を掛けられてもあまり嬉しそうにせず、下を向いたまま黙っている。魔神に勝てなかった事に落ち込んだのが一目で分かる。


 ザガートはそんな彼女の姿を、ただ遠くからじっと眺めていた。

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