第101話 まんまと一杯食わされた魔王
「魔王ザガート……ココガ貴様ノ墓場トナル!!」
三体のデーモンのうち一体がそう口にすると、開いた両手を胸の前で向き合わせて、呪文の詠唱を行う。他の二体も同じ行動を取り、三体の悪魔が氷の魔力を集めだす。
「「「大気ノ水分ヨ、氷トナレ……凍結吹雪ッ!!」」」
三体が声を重ねるように同時に呪文を唱えると、彼らの両手に集まった光から全てを凍てつかせる猛吹雪が放たれた。
吹雪は包囲の中心にいるザガートへと襲いかかる。魔王は全くその場から動こうとしない。防御の結界を張る素振りすら見せず、相手のなすがままにさせる。そうこうしているうちに足元からビキビキと凍り付いていき、あっという間に分厚い氷に覆われてしまう。
「ああっ!」
ルシルが悲痛な声で叫ぶ。魔王が凍らされた姿を見て、愛する人が死んだと確信して胸を痛めた。悲しみに打ちひしがれたあまり、ガクッと膝をつく。レジーナとなずみも落胆の表情を浮かべる。
「フフフッ……」
少女が悲しむ姿を見て、デーモンが顔をニンマリさせた。
「フフフ……フハハハハッ! ヤッタ! 遂ニヤッタゾ! 異世界ノ魔王ヲ、我々ノ手デ仕留メタノダ! コレデモウ、我々魔族ノ邪魔ヲスル者ハ誰モイナイ! 人類ハ皆殺シニサレテ、我々魔族ガ支配スル、暗黒ノ世界ガ訪レル!!」
自らの揺るぎない勝利を大きな声で叫ぶ。少女達を絶望の奈落へ突き落とそうと、人類の敗北を声高に宣言する。
宿願を果たせた喜びで胸が躍りだす。嬉しさのあまり鼻歌を唄いながらスキップしたい心境になる。
すっかりウキウキ気分に浸っていたデーモンだったが……。
「……ン?」
ある異変に気付く。何処からかゴゴゴッと奇妙な音が鳴り続けているのを耳にする。音が聞こえた方角に目をやると、氷漬けにされたザガートが、電源を入れたマッサージチェアのように小刻みに揺れている。振動は最初は小さく、だんだん大きくなっていく。しまいには大地を揺るがしかねないほど激しくなる。
揺れが激しくなるにつれて、ザガートを閉じ込めていた氷に亀裂が入りだす。亀裂はビシビシと音を立てて広がっていき、瞬く間に氷全体を覆う。
「バッ……」
馬鹿な……デーモンがその言葉を吐きかけた瞬間、氷がバァーーーンッ! と音を立てて砕ける。全方位へと時速百キロを超える速さで放たれた氷の破片が、デーモンの体にビシビシと当たる。
「グアアアア! 痛イ痛イ痛イ!!」
全身を駆け回る痛みに悪魔が情けない悲鳴を漏らす。石つぶての雨に打たれたような激痛は並みの攻撃呪文よりも遥かに強力で、体中に打撲のアザが出来上がる。
ルシル達は咄嗟に防御結界を張ったため無傷だった。悪魔達よりも後ろにいたため、反応が間に合うだけの余裕があった。
氷が砕けた地点に皆の視線が向けられると、ザガートが余裕の表情で立っている。何事も無かったかのようにピンピンしている。彼が氷を内側から砕いて自力で脱出した事は火を見るより明らかだ。
「フン……この程度の術で俺を倒せた気でいたとはな」
敵を小馬鹿にするように鼻で笑う。勝利の気分に浸っていた悪魔に侮蔑の眼差しを向ける。
「ザガートッ!!」
「ザガート様っ!」
「師匠っ! 無事だったんスね!!」
魔王が健在な姿を目の当たりにして、少女達が歓喜の言葉を漏らす。胸の内にあった絶望は消え失せて、心の底から安堵した晴れやかな笑顔になる。
「……オノレェ」
敵が無事なのを知って、デーモンが悔しげに歯軋りする。戦勝気分に水を差された事に対する憤りは凄まじく、何としても相手を生かしておけない気持ちになる。
「氷ノ呪文ニ耐エタクライデ調子ニ乗リヤガッテ! 許サン! 絶対ニ許サンゾ、貴様! 二度ト生意気ナ口ガ利ケナイヨウ、バラバラニ引キ裂イテ、ハラワタヲ引キズリ出シテ、鍋デ煮テ食ッテヤル!!」
胸の内に湧き上がる憤激を声に出してぶちまけた。完全に頭に血が上って、怒りで我を忘れている。顔を真っ赤にしてフーフーと鼻息を強くして、興奮した猛牛のように荒ぶる。
「死ネェェェェェェエエエエエエエエーーーーーーーーッッ!!」
三体のうち一体が大声で喚きながら魔王めがけて駆け出す。鍛えられた脚力で大地を走って、僅か一瞬で間合いを詰める。強く握った右拳を高々と振り上げると、全力で振り下ろして相手を殴り付けようとした。
魔王は焦る様子もなく、右手の人差し指を相手に向ける。凄まじい威力を誇るはずのデーモンのパンチが、男の指先に触れた瞬間ビタッと止まる。悪魔がいくら腕に力を入れようと、ピクリとも動かない。遥かに体が小さいはずの魔王が、デーモンの何十倍もの力があるかのようだ。
「……」
魔王が聞こえるか聞こえないかぐらいの小声で、ボソッと呟く。男の指先に豆粒くらいの大きさの、白い光が灯る。その光は接触した拳を通じてデーモンの腕へと移動し、更に体の中心へと進んでいく。
男の指先から生まれた小さな光が、デーモンの心臓部分にたどり着いた瞬間……。
「グッ……ウギャァァァァァァアアアアアアアアーーーーーーーーッッ!!」
悪魔の口から、この世の終わりと思えるほどの絶叫が放たれた。化け物の胸元がドクンドクンと脈打った後、全身の皮膚が沸騰したようにボコボコと泡立つ。体全体が空気を入れた風船のように膨らんでいき、一瞬眩い光を放ったかと思うと、バァンッ! と音を立てて弾けた。
バラバラに吹き飛んだ肉片が大地に散乱する。どうやら魔王が圧縮した爆裂魔法を指先から送り込んだようだ。
「コノ……ド畜生ガァァァァァァアアアアアアアアッッ!!」
その時魔王の背後にいたもう一体のデーモンが、怒りの言葉を吐き散らしながら突進する。グワッと開いた右手を魔王めがけて振り下ろし、鋭い爪で心臓を抉り出そうとした。
「フンッ!」
魔王は背を向けたままジャンプして、相手の一撃を難なくかわす。悪魔の顔面と同じ高さまで飛ぶと、宙に浮いたままクルリと横に回転して、後ろ回し蹴りを放つ。魔王の足の甲が、デーモンの顔面を直撃する。
「バッ……ドブルゥゥゥゥァァァァァァアアアアアアアアッッ!!」
悪魔が滑稽な奇声を発しながら、豪快に吹き飛ぶ。戦場の端にあった岩壁に頭から突っ込んで、上半身をめり込ませたまま手足をピクピクさせた。そのまま気絶したように動かなくなる。
「ウウッ……!!」
二体のデーモンが瞬く間にやられた事に、最後の一体が顔面蒼白になる。胸の内にあった怒りは消え失せて、死への恐怖が湧き上がる。無意識のうちに足が後ろへと下がり、体の震えが止まらなくなる。全身から冷や汗がとめどなく溢れ出す。
無策のまま突っ込めば命を落とす考えが、冷静な思考として働く。
「大気ノ水分ヨ、氷トナレ……凍結吹雪ッ!!」
近接戦では分が悪いと踏んだのか、呪文の詠唱を行う。両手の間に白い冷気が集まっていくと、そこから猛吹雪が放たれる。
魔王は猛吹雪を受けてもビクともしない。最初に使われた時はバリアで防いだが、今回はそれすらも行わない。三体が重ねがけすれば氷に閉じ込める威力の魔法も、一人が唱えただけでは魔王にとってはそよ風にしかならないようだ。
「同じ魔法でも、術者が違えば威力も変わる……それを教えてやろうッ!」
ザガートが恰好を付けるようにマントをバサッと開いて、雄々しく立つ。
開いた両手を胸の前で向き合わせて、小声で術の詠唱を行う。
「大気の水分よ、氷となれ……凍結吹雪ッ!!」
これまで敵に使われたのと同じ魔法を唱える。魔王の両手の間に魔力の冷気が集まっていき、そこから冷たい風がデーモンに向かって吹き抜けた。
魔王の手から放たれたのは、もはや吹雪などと呼べるものではない。液体窒素に匹敵するマイナス二百度の、極低温の冷凍ガスだ。水分などあろうが無かろうが、触れたものを瞬時に凍らせる。
「ガッ……!!」
冷気を浴びたデーモンは十秒と経たないうちに全身が凍って、氷の像と化してしまう。そのままピクリとも動こうとしない。既に死んでしまっているように見えた。
魔王はズカズカと歩いていって、氷漬けになったデーモンの前に立つ。しばらく相手をじーーっと眺めていたが……。
「……フンッ!」
喝を入れるように一声発すると、右脚による回し蹴りを放つ。魔王の全力を込めたキックが命中すると、デーモンの形をした氷はガシャーーンッと音を立てて、ガラスのように脆く砕けた。バラバラになった氷の破片が周囲に散乱し、再生する様子も無い。三体目の悪魔が死んだ事は一目瞭然だ。
「やったな、ザガート!」
「やりましたね!」
「さすが師匠ッス!!」
少女達が思い思いの言葉を口にしながら魔王に駆け寄る。完全に戦いは終わったと確信を抱き、勝利の喜びを分かち合おうとする。
だが喜ぶ少女とは対照的に、魔王の表情は重い。顎に手を当てて眉間に皺を寄せたまま、何やら考え事をしている。戦いに勝った事を喜んだりはしない。
「……おかしい」
そんな言葉が口を衝いて出た。
「師匠、どうかしたんスか?」
ただならぬ魔王の様子に、なずみが首を傾げた。
「グレーターデーモンも決して弱い魔物ではないが、世界を救う勇者でなければ倒せないほどではない。腕の立つ冒険者なら十分倒せる相手だ。それは三体いようとも変わらない。呪いに関してもそうだ。村全体に呪いを掛けるほど強大な魔力など、コイツらは持ち合わせちゃいない……これは一体どういう事なんだ?」
魔王が頭の中に湧き上がった疑問を口にする。倒した相手が決して大物とは呼べない事を指摘し、チンプンカンプンになる。これまで聞いた話と照らし合わせると、グレーターデーモンでは力不足であり、致命的な矛盾が生じる。その事が男を大いに悩ませた。
いくら思考を働かせても納得の行く答えが導き出せず、考えあぐねていると……。
「……気付イタヨウダナ」
岩壁に頭を突っ込んでいた二体目のデーモンが、唐突に口を開く。岩壁からズボッと頭を引き抜くと、足をよろめかせながら数歩前へと進む。その場に立ち止まって喋りだす。
「俺達ハ、タダノ囮ニ過ギン……魔王ザガート、貴様ヲ引キ付ケテオク為ノナ。今頃、ギルボロスノ兄貴ガ村ヲ攻メ滅ボシテ……ガハッ!!」
自分達がおとりに過ぎない事を告げると、口から血を吐いて前のめりに倒れる。最後の言葉を発して力を使い果たしたのか、そのまま息絶えた。
三体のデーモンは山に棲む魔物の首領などでは無かった。その手下に過ぎなかったのだ。恐らく彼の口から発せられた『ギルボロス』という言葉こそ、首領の名であろうと思われた。
「何という事だ……まんまと一杯食わされたとは。こうなったら一刻も早く村に戻らなければ!!」
ザガートは敵に裏をかかれたと知り、即座に転移魔法の準備に入るのだった。




