9.0
「ほんとこの世話焼ける…バカ!このバカ!百貫バカ!」
「え、百貫…?」
後日、私は須藤にたっぷり絞られていた。椅子の上にわざわざ正座というお仕置きオプション付き。
私の机の上で乗りながら須藤は腕を組んでぷりぷり怒っている。
「一般の人が1バカならあんたはその375倍バカって事。キング・オブ・バカでワースト・オブ・バカよ。分かったかしら、お馬鹿さん」
「すいません…」
私はさっきから何回馬鹿と言われ続けているのでしょう。
「無事元サヤに戻れたから良かったものの、私が何もしなかったらどうなってたことか…。あんな胡散臭い奴の口車に乗せられて馬鹿じゃないの。傍から見ればいいように操られただけにしか見えなかったわよ」
「いや、篠原は協力してくれただけだし。あれは割と本気で考えた結果だったんだよ、私なりに」
それが中々ずれていたのかもしれない、と今は思ったりするけど。
だとしてもよ?と横目で私を睨みながら須藤が詰るのを止めない。
「私にくらい言えばいいじゃない。春樹君に言いにくいことなら、聞くわよちゃんと。篠原の言うことだけ信じるからあんなおかしな事になってんのよ。私に言えば途中で叱り飛ばしてやったものを…」
「…はは、そうだね」
「呑気に笑ってんじゃないわよ!こんだけ心配かけといて!」
べち、と頬を叩かれて「すいませんでした…」と謝るしかない。てっきり須藤は私に嫌気がさしてもう二度と構ってくれなくなったのかと思っていた。それどころか心配されていたなんて嬉しくもあり、ちょっとむず痒い。
「そういえば須藤、どうしたのアレ。須藤の私物?あのレコーダー」
気になっていたのだ。須藤がああいうのを持っているイメージがなかったから。ご両親のものだろうか。
「あ?ああ、あれは借りたのよ、なんか新聞部の元部長とかいう人に」
「えっと…もしかしてポニーテールで眼鏡をかけた人?」
「そうそう、多分その人。あんたが篠原と話してから明らかに変だったから、篠原を捕まえて事情を聞こうとして新聞部に行こうとしてたらその人が声をかけてくれて色々教えてくれたのよ。ってか、聞いてないわよ!あんたと春樹君が幼馴染だったなんて」
「や、まぁそれは置いといて。それで?」
「それでっていっても後は特にひねりはないわよ?篠原が関わってるから下手に突いても状況は変わらないと思うって言われて、物的証拠でも取ってくればいいって貸してくれたの」
「そうだったんだ…」
いつだったか須藤が用もないはずの三階から降りてくるのが見えたが、よく思い返してみればなにやら紙袋を持っていたような。なんであの時、それを気にしてなかったのだろうかと迂闊な自分に愕然とする。
ともかく部長さんにも間接的にお世話になっていたようで申し訳ない。
「あんたには大分働かされたわよ、お詫びになんか奢ってもバチあたらないんじゃないの」
「うん、駅のクレープ屋さんとか行かない?今丁度、季節限定のクレープとかあるしさ。で、その後服とか見に行こうよ。私、秋物欲しいんだ」
ふーん、と言いつつ須藤も乗り気なようでじりじりと徐々に体を正面に向けている。
可愛いなぁとにやにやしていると、ふと思い出した。あ、と声を上げると須藤が何よと聞き返した。
「…ごめん、ちょっと今日は先約が」
「あん?」
須藤がみるみる般若の顔になっていく。
「いや、この埋め合わせはいつか必ず。本当にごめん」
「いーわよ、別に。どうせ友達より彼氏の方が大切なんでしょ。へー、ふーん。勘違いしないでよね、クレープとか一人で行くし。一人クレープ祭りするし」
須藤が完全に拗ねた。
■■■■
すごく居た堪れない空気の中に私はいた。
ぐつぐつと煮えたぎる鍋の中から醤油風味の香りがする。
葱にシラタキ、春菊、焼き豆腐、うどん、牛肉。今日の夕飯はすき焼きだ。
しかもごはんはちらし寿司、上にイクラまで乗っかってる。その上、母は現在進行形でなぜかから揚げまで作っている。だれが食べるんだ、そんな量。
まぁ、ご飯が豪勢なのは別にいい。すき焼きもから揚げ好物だ。ちらし寿司も嫌いじゃない。
「春樹くーん、食べてる?」
菜箸片手にキッチンからひょこっと母が顔を出した。
「頂いてますよ、美味しいです。なんかすいませんいきなり来てご馳走になってしまって」
いつもの傍若無人っぷりなどおくびにも出さずに、いい子の顔して私の隣の春樹が母に答えた。ああ、とその会話を聞いてますます眩暈がした。
「そんな畏まらないでよ~、春樹君は息子みたいなものなんだから」
母が言うとなんだか意味深な意味に聞こえてならない、気のせいだろうか。
大体兄弟でもこんなのがいたら嫌すぎる。
「それににしても、この町に春樹君が来てるとは聞いたけど真琴と同じ高校だったなんてなぁ。真琴も付き合ってたんなら何でもっとはやく言わなかったんだ」
多少抵抗を見せると思った父は思いのほかあっさり私達の交際を受け入れた。今は上機嫌で発泡酒の入ったグラス片手に赤ら顔でへらへら笑っている。普段晩酌なんて滅多にしないのに。
「まぁ、色々あって…」
「色々ねぇ」
じろ、と春樹が私の方を睨んだ。
何だよ、私のせいだっていうのか。たしかに春樹の事を言ってなかったのは私だけれども。
彼氏with親。
なんだこのカオス空間。
居た堪れない、恥ずかしい、辛い。
一刻もはやく自分の部屋に引きこもりたかった。
どうしてこんなことになってしまったかというと、テストが終わったあの日母が学校の近くを通りかかったときに春樹と歩いているのを鉢合わせしてしまった。瞬時に春樹だと分かったらしい母は、すぐさまその場で私に付き合っていることを自白させて家に連れてきなさいよと約束をさせた。
これでもぎりぎりまで来させないよう粘ったのだ。しかし春樹の方がなぜかノリノリで、しっかり日にちを決めてたりベタに菓子折りとか持ってまでしてウチまで来てしまった。
遅かれ早かれこういうことになったとは思うけど、さぁ…。
「それにしても春樹君かっこよくなったなぁ。学校で女の子にもてるだろ。いいの?うちの真琴なんかで」
[なんか、じゃないですよ。真琴じゃないとだめなんです」
「やだー、パパ聞いた?今の聞いた?やだー」
ごめんなさい、ほんともう許してください…。
何かそういう特殊なプレイのつもりなら、ちょっと他でやってくれないか。
自分を取り残して変な方向に盛り上がっているのにやりきれない気持ちになりながら、私はただもそもそとすき焼きを食らい続けるしかなかった。
「あとは結婚ねー」
ぎょっとするどころの騒ぎじゃない。
ごふっ、大方乙女らしくもない変な音を立てて咽た。変な所にシラタキが入って悶絶する。春樹に背中を叩かれたが、そんな事よりも今の母の発言をどうにかしてほしい。
「…ないから、そういうの。まだ高校生だし、そんなの考えられるわけないじゃん。冗談でもいう事じゃないよ。ほら、何か変な空気になっちゃったし。どうしてくれんの、オバサン」
落ち着きを取り戻して、恨みを込めて言えば隣の男がいや、と声を上げた。
「変な空気にしたのは真琴だろ。今更なに言ってんだよ」
さも当然のように軽々とぬかす。
いや、なに言ってんだはこっちの台詞だ。
あまりのことに言葉を失った私の前でしみじみと父がグラスを傾けた。
「…結婚かぁ。ちょっとお義父さんとか呼んでみてくれる?春樹君」
「あ、ビール注ぎますよ。お義父さん」
なにこれ、ここにいるのは全員敵か。
え、何、私が間違ってるの?おかしくない?なんかおかしくない?
怖い、怖い。洗脳でもする気か。
「おかしい、絶対おかしいって」
一人頭を抱えた私の肩に誰かが手を乗せた。悲しいかな、それが私を慰めるものではないと良い加減分かってきている。
「一緒に幸せになろうな、真琴」
腹が立つくらい嬉しそうに春樹は言った。
春樹に勺してもらったのがそんなに嬉しかったのか調子に乗って飲みすぎて、わりとすぐに父が酔いつぶれた。
「もー、寝るならちゃんと着替えて布団で寝てよね」
母にお尻をぺしぺし叩かれて、父がうーんと声を上げた。
人様の前で恥ずかしいなぁ、と春樹の方を振り返ると、じっとその光景を見つめていてぎょっとした。
ぼそっと一言こぼす。
「やっぱりいいよな、真琴のうちって」
「え?どこが」
所帯じみてるだけじゃないか。春樹の感性は時々ちょっとよく分からない。
聞いても春樹は笑ってるだけで答えてくれない。
「ああいう夫婦になりたい」
「も、もうそろそろ帰った方がいいんじゃない。ほら十時回ってるし」
何もかも聞かなかったことにして私はテレビの上の掛け時計を見遣った。
いつのまにかこんな時間になっていた。
夕飯はすでに片付けられていて、居間でごろごろしてたせいで春樹も帰るタイミングを失ってしまったのかもしれない。
「泊まってけば?明日土曜日でしょ」
「いや、帰るって。ただでさえこんな時間まで付き合わせたんだし」
「別に俺は」
「ほら春樹も帰るって言ってる!じゃあ私見送りに行くから」
半ば強引に春樹を玄関まで押し出して私も靴を履いた。
腕を引くと以外に素直に春樹は外に出てくれた。何だか追い出した感があるけど、気のせいだ多分。
「ごめんね、なんかうちの親はしゃいじゃって」
「なんで謝る」
春樹がきょとんとした顔をしていた。この猫被りが本当に何も思ってないんだろうか。
「色々言いづらいこと質問されてたし、遅くまで引き留めちゃって」
あまりに深くまで聞こうとするから私の方も終始ひやひやしっぱなしだった。何とか春樹はそつなくそれに答えていたけど。あれにはさすがの春樹も大分困っていただろう。
そもそも母も父も絡みすぎた。いくら昔可愛がってたからっていっても春樹ももう高校生だし、他人だという線引きは必要だろう。鬱陶しいと思われたって文句は言えない。
「気にしてない。俺も楽しかったし」
「いやいや、気を遣わないでいいから…」
全く春樹らしくない。
そんなホワイトな心なんて持ってるわけ無いだろ、あの春樹が。そんな良い子で終わるわけがない。
電灯の下、春樹があきれ返った顔で私を見下ろしていた。
「…また的外れなことでも考えてんだろ。悪い癖だぞ、それ。俺が気にしてないって言ってるんだから素直に受け取れよ。それに、そんなことより気にすることがあるだろ」
「え…?」
私が気にしなきゃならないこと?
多分春樹関連のことだろ?何かあっただろうか、本気で分からない。
ごめん降参、と言うと眉間にしわ寄せた春樹が深くため息を吐いた。
「もうとっくにテスト終わったんだけど」
「テスト…あ、あぁ…」
「忘れたわけじゃないだろ。俺が言い出さないのを言いことにそのまま逃げ切ろうとか考えでもしたか」
「そ、そんなことないよ…」
つい目を逸らす。
春樹の言うとおり忘れたわけではなかった。
逃げ切ろうとしていたのも当たらずとも遠からずだった。
「真琴が切り出してくれるのを待ってたんだ、襲いかけたこともあったから俺から言えば怖がらせるかもしれないって一応考えて。なのに、人の気も知らないでそんな約束なかったかのような顔してるし」
「や、まぁ…ごめんなさい」
曖昧に笑って見せたが春樹は顔をしかめるばかりだった。
そんなに嫌かよ、と春樹が零す。拗ねたように口をへの字にしている。
春樹の事は好きだ。だから私でもそういう風になりたいと思わないでもない。
それに本当に私が拒絶すれば今度は春樹はやめてくれると思う。それくらいには春樹を信じていた。だから怖いということでもなかった。
「嫌なわけじゃない、よ。…うん」
「じゃあ、何なんだよ」
「……から」
「なに、聞こえない」
春樹が私を抱き寄せて、私の方に耳を寄せた。
ここ近所なんですけど。
「やっぱ止めた。言わない」
「早く、言えよ」
詰め寄られて、体を離す事ができなくて顔に熱が走っていくのを感じた。
半ばやけになり私はもう一度さっき口にした言葉を吐き出した。
「いや、あの……ち、乳が…貧しい、から」
春樹が固まったのを見て、やっぱり言うんじゃなかったと全力で後悔した。
普通にドン引きものだろう、こんなの。
うぎゃあ、とどうしようもなく恥ずかしい気分に苛まれ春樹の腕の中で身悶えしていた。
「ああ、暴れんな」
意識が戻ったらしい春樹が私を抱きしめて押さえた。
「本当にそれだけかよ…だとしたら下らなすぎる」
脱力したように春樹は私の肩に顎を乗せて息を長く吐いた。
「そ、そうかもしれないけど、だって小さいから春樹にがっかりされるの嫌だったんだもん」
我ながら本当下らないって思うけど。男の子ってやっぱりこう出るべき所が出てる人の方が好きっていうじゃないか。だから、せめてワンランク上に育つまで待っててもらいたかったのに。
「がっかりしないよ、真琴が胸がえぐれてても気にさせないほど愛してやる」
「流石にえぐれてはない…」
もう良い加減分かれよ、と私の耳元に唇が寄せられる。
触れてないのに耳が熱くなって何だか頭がくらくらする。
「真琴が好きだ。初めて会ったときから真琴の事ばっかり考えてる。ずっとずっと欲しかったんだ。お前を抱きたくて今だって狂いそうになってる、胸が小さいの位で揺らぐわけ無いだろ」
「…変だよ、頭おかしい。春樹って」
なんでよりによってこんな私を選んでしまう。
こんなにも綺麗な顔をして、厭味なくらい何にも恵まれているのに。どうしてそれでも私を好きでいてくれるのか。
狂気の沙汰もいい所だ。
「そんなの知ってる」
ククッと小さな笑い声をあげて、春樹は音を立てて私の唇に吸い付いた。
そのキスは甘いよりもずっと幸せな味がした。
(了)
■
「じゃあ、今から俺の部屋に行くか」
私の腰を抱えたまま、もう決定事項みたいにそんなことを言い出した。
「え、は?いやそれはないでしょ」
我に返って顔を上げて反対するも、もう既に春樹は私を抱え上げて移動し始めていた。
「うるさい、もうこれ以上我慢したくない。道端でひん剥かれたくなかったら大人しく来い」
そんな理不尽なことが許されていいのか。
嫌じゃないと確かに言った。けど、こんないきなりは困る。全然そんな事になるなんて思ってなかったから下着の上下はばらばらだし、色々準備できてない。
ていうか無理だ、普通に考えてそんなのできるはずがない。
「だって見送りに行くっていっただけだし、お父さんもお母さんも心配するって。正直に言うわけにもいかないしまた今度にしよう、ね?」
「もう待つのは嫌だ。真琴を待ってたらいっつも碌な事がない」
そんな駄々をこねられても。それに春樹だってそんな事をしたら不信感を持たれるだろうに。だが、次に春樹が言った言葉に耳を疑った。
「それに心配しなくても、おばさんにはちゃんと言ってあるから気にしなくて大丈夫だ」
「ええぇええ、ええ?!」
「うるさい、近所迷惑だ」
だって意味が分からない。ていうかあんまり分かりたくない。
母に言ってあるって、一体何を言ったんだ。
普通、彼女の母親にそんなことが言えるものなんだろうか。
「……ていうか、春樹ってお母さんと妙に仲良くなかった?七年ぶりに会ったんだよね?」
母も本来だったらもっとテンション高く反応しそうなものなのに、意外とあっさり受け入れていたっていうか。なにか違和感があったんだ。
「さぁ」
春樹は意地が悪く笑ってにやにやしているだけだった。




