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8.5

「おはよう」


振りかえれば、にこにこ微笑む眼鏡の男子。茶色に近い色の髪が朝日に照らされてきらきらしている。


「おはよう、篠原」


私の隣に付いて、また勝手に手を握る。

私の家のすぐ前。今日は春樹じゃなくて篠原がいた。


「…やっぱりそこまでしなくていいと思うんだ。わざわざ篠原が迎えに来なくたってさぁ」


そうなのだ。

昨日篠原と帰ったのだが、付き合っているという設定なのだから登下校も一緒にした方がいいという話の流れになって今に至っている。


「距離的にはそんなに変わらないから別に気にしなくていいよ」


一つ前の駅で降りただけだし、と嫌味なく言う。


「それに、新垣君が君の家まで来たら一人で対処出来るの?」


「…いや、もう春樹は何もしないでしょ」


昨日は相当ショックを受けていたようだったし、さすがに諦めてくれたと思う。

だが、篠原はそう思ってないようで鼻で笑われた。


「甘いよ、島崎ちゃん。全然分かってない。ああいうタイプはしつこいんだって。下手したらストーカーとかになるかもしれないよ」


「まさかぁ」


春樹がストーカー化するなど、それこそ全く想像出来ない。どうみてもストーカーされる立場だろう。

ないない、と首を振るとデコピンされた。


「何呑気な事言ってるの。高校まで追いかけて来たのは誰なんだよ」


「う…」


「あと思考も吹っ切れてるから、何をやらかすのか分かったもんじゃない。だからなるべく僕から離れない方がいい」


いつもへらへらしているくせになんでそんな事まで考えているんだ。

私の危機感がアレみたいじゃないか。

分かった?と聞かれて頷くしかない自分が悔しかった。

私の返事を見届けて篠原が口を開いた。


「それから、あとは島崎ちゃんだよ」


「私?」


私が何なのだろう。

篠原の言いたい事がよく分からない。


「君が完全に新垣君を切り捨てなきゃいけない。出来れば好きな気持ちも忘れないと」


「私はもう大丈夫だって」


その辺りはもう大丈夫なはずだ。

春樹に自分の口から言えたのが証拠。

私の気持ちの息の根は止めた。これで大丈夫。この先春樹を前にしてもぶれたりしない。


「…本当、に?」


見下ろす横目にぎくりとした。


「僕からしたらまだまだ未練あるように見えるんだけど」


「そんなことない」


「そう?昨日だって僕を庇ったのは新垣君に余計な傷を付けさせない為だったんじゃないの」


ああ、と思う。

本当に見透かされている、この男には全部。


「元々新垣の為に始めたことだから、そうなるのは無理もないけど」


ちゃんと捨てないといけないよ、と篠原が優しい口調で惨い事を言う。

「そういう気持ちも新垣君には重荷しかならない。それは余計なお世話ってものだし、そんな気持ちを持ってる限り新垣君から君を断ち切ることなんて出来ない。だから出来るだけ早く捨てないと」


「分かってる」


篠原の出来るだけ強く声を上げた。

私にだって分かっているんだ。

春樹の為に、その気持ちこそエゴ以外の何物でもなく、私の執着や恋心の成れの果てだ。

持っていてはいけないものだ。

私が春樹に対して持っているもの全て捨てなければいけない。

春樹の事などどうでもいいと思っていなければいけない、無関心でいなければいけない。

そういう風に自分を作り替える必要があることなど分かっている。


「なかなか難しいとは思うけど、僕は協力するよ」


「協力?」


「うん、考えないでおこうとか忘れてしまおうって言っても出来ないものだよ。

だから、代わりを作ろう。新垣君と同じくらい、もしくはそれ以上に大切な人間を作ればいい」


春樹以上に大切な人?

出来るんだろうか、そんな存在が。

また不安が顔に出ていたのか「大丈夫」と言葉が落とされる。


「島崎ちゃんなら必ず出来るよ。そして新垣君を離してあげよう」


そう、これでいい。

迷う事なんてないのだ。

それで私が楽になれるなら、春樹を解放してあげられるのならそれでいい。

そうしてしまおう。


「…うん」


昨日の春樹の顔がふと思い浮かんだが、すぐにかき消した。





学校に付いて、自分の教室に行こうとすると手を引かれた。

篠原ではなかった。隣の篠原がいる方向とは反対側の手を引かれたからだ。



「真琴」



大きな黒目がひた、と狙いを定めたように此方を見詰めている。小柄な髪の短い、見慣れたシルエット。

井澤美咲。その人がいた。


「井澤さん、どうしたの」


「どうしたもこうしたもない」


やっぱりその目に睨まれている。多分恐らく気のせいではない。強い視線を受け止めきれずに、目をそらして逃げる。


「昨日の話ってどういう事?新垣も、篠原も、あんたも一体どういうことなの」


「井澤さん、その話は…」


いきなり出てきた話に井澤さんが戸惑うのも無理ない。昨日も篠原と私は言い逃げみたいに帰ってしまったから、説明を求めるのは不思議じゃない。

ただ、ここで話すことじゃない。登校してくる生徒が周りに沢山いる。ただでさえ横目で此方の様子を伺っている人がちらほらいる。

ふと後ろの篠原の方を見やったが、言い出した張本人のくせに知らん顔をしていて腹が立った。


「後で説明するから、今するのは止めよう、ね?」


宥めるように笑顔を見せたが、それをしたことで井澤さんが落ち着いた手応えがない。


「そうやってまた逃げるつもり。そんなの許さない、今ここで説明して」


出来ればもう少し声を抑えてほしい。

悪目立ちしてるから。

もう少し周りの状況を見てもらおうと私は口が開いたが、それは僅かに井澤さんに届かなかった。


「井澤さ…」



「新垣と付き合ってたのが嘘ってどういうこと?!」



あ、と気が遠くなる。

よりにもよってそんな大きな声で言ってしまった。

秘密を。いいや、もう秘密とは言えないような代物になってしまったのかもしれないけど。


「それは」


否定すれば取り消せる。嘘を重ねれば。

だけど、言えない。

それが間違いとは言えない。


言葉が出てこない。


ただ言えさえすればいいのに。


本当の事をぶちまければいい、それだけなのに。


春樹に助けられた事と引き換えに女子避けの為に私は春樹の彼女になっていたということ。

井澤さんを、全校生徒を騙していたこと。

井澤さんが春樹を好きになるのに全く障害がないこと。


言ってしまえばいい。


「島崎ちゃん」


篠原が私を呼ぶ。

切り捨てるんでしょう?

未練なんてないんでしょう?

そう言いたげに。


分かってる、分かっているんだ。


頭の中で文章を組み立てて、私は口を開いた。

井澤さんに比べれば遥かにか細い弱々しい声で、本当の事を彼女に、欺いていた全ての人に告げた。







■■■■




「ねぇ、聞いた?春樹君の彼女の」


「聞いた、聞いた。あれでしょ。実は演技だったんでしょ」


「春樹君の女避けの為に付き合ってたんだってね。なんか春樹君がそんなことしてたなんてショック…」


「え、私は結局島崎が春樹君を騙してたって聞いたんだけど。しかも春樹君の弱味を握って脅してたとか」


「それマジ?島崎最低じゃん」



女子トイレにはそんな会話が大きく響いている。

キィ、と開けた個室のドアの音が思ったより大きく出てしまった。


「…あっ」


ああ、気まずい。

これ以上ないくらい気まずい。

何が悲しくて自分に関する噂話をしてる最中に出てこなきゃいけない。


だって仕方ないだろう。

トイレにずっと籠ってる訳にもいかないんだから。


せめて彼女達とは目を合わせないで、出来るだけ素早く女子トイレを後にする。

彼女達の顔は知らないが、お願いだからそういう話は本人が耳にする可能性がない所でしてほしい。色々居たたまれないし、彼女達だって私に聞かれて楽しくはないだろうに。


春樹と付き合っていたのは契約の上だったということはあっという間に全校に広まった。

3日目にはどこを歩こうが視線を感じるようになった。こんな風に自分と春樹の噂話をよく耳にすることもしばしば。

噂話の内容は大分事実から離れている気がしなくもないが、訂正する気は特にない。それを取り消そうとも思わない。

これで良かったんだ。

外堀が埋められ、これで私は容易く春樹に近付けなくなった。

また一つ抑止力。脆弱な心の持ち主の首輪に繋ぐ鎖になってくれる。

迷ったけど、井澤さんにぶちまけて良かった。うまい具合に私が悪役になってくれているみたいだし。

上手く行き過ぎてちょっと恐ろしいくらい。




教室に戻ると、戸口の前に仁王立ちしている女子が一人。

唇をへの字に歪めて、くりくりしている目を吊り上げていた。時々サラサラの長い髪を煩わしそうに掻き上げている。

そんな彼女を目に入れてないふりをして、通り過ぎようとすると不意に腕を取られた。


「どこに行こうとしてんのよ、コラ」


ふざけんじゃないわよ、と須藤が凄む。


「島崎の癖に何私を避けてるわけ。ここ最近ずっと私に絡まないようにしてるのに気付かないとでも思ったの?私がそんな事を気にしないとでも思ったの?それなら、ちょっとお馬鹿過ぎるんじゃない」


うぐ、と言葉に詰まる。

言い訳と逃げ道を頭の中でぐるぐる考えている。

確かに、春樹と別れてから私は須藤に近寄らないようにしていた。彼女に問い詰められればうっかりボロが出てしまうのは大いに考えられたから。


「ごめん、私次の小テストの勉強したいから後にしてくれる?」


無理矢理抜けようと前に出ればその先に須藤が立ち塞がる。


「どうだっていいのよ、んなことは。家で勉強してこなかったあんたが悪い」


とんだ暴論だ、それは。

駄目だ、須藤には通用しない。最初から私が何とか言って逃げようとしているのを見切っている。こんな彼女をどうやればかわすことができるというのか。


「もう諦めて大人しく説明しなさいよ。この状況はどういう事なのよ、なんであんたと春樹君が付き合ってたのが嘘だって噂が流れてんのよ」


ああ、やっぱり須藤はその事を問い詰めてしまうんだ。


「噂じゃなくて、本当に事実だから」


これ以上突っ込まれないようにと祈りながら答えたが須藤の顔色を見てその確率の低さを知る。


「あれのどこが付き合ってなかったっていうのよ、目も当てられないバカップルだった癖に。あんた、春樹君好きだって言ってたじゃない。春樹君だって島崎を」


「だから全部嘘なんだって!」


その先を言わせまいと大声をだせば、須藤の言葉は途切れた。

もうこれ以上困らせないでほしい。なまじ私の気持ちを知ってる須藤には、だから今関わりたくなかったんだ。


「…どうしたのよ、あんた本当に。いきなりこんな風になるなんて何があったのよ。最近春樹君と一緒にいるの見ないし」


それでも須藤は黙ってくれない。少し口調は和らいだものの、相変わらず遠慮なく問い詰めてくる。


「何があったもなにも春樹とは本当に別れたから。それだけ、元々私には過ぎた相手だったしそうなっても変じゃない」


「それ本気で言ってるわけ?変すぎるわよ、何もかも。こんなのっておかしいわよ、絶対このままで良いわけない」


そもそもこれが正しい道だと須藤も分かってくれない。

ほっといてくれ、私のことは。須藤には他人事だろ。こんな事を私に言って何の得がある。

行くわよ、と不意に須藤が私の腕を掴んだまま歩き出す。


「ちょ、ちょっと須藤なに?どこ行くの」


二歩三歩引っ張られながら聞けば、此方を振り返らずに須藤が答える。


「春樹君の所に決まってる」


それを聞いて全身全霊で前に進まないよう脚に力を込めて重心を後ろに持っていく。


「嫌だ、それだけは嫌だ!」


須藤は私の気持ちを知っている。それを春樹にばらされたら今までしてきた事が全て水の泡だ。


「須藤!」


ずんずんと私の制止など聞かないで前に進んでいく。引きずられて粘ってもどうにもならなくて情けない声で懇願する。


「嫌なんだって。無理なんだ、春樹とはもう。駄目なんだよ、分かってよ。頼むから」


そこまで言うと須藤の歩みも止まる。須藤が振り返って私に向き直る。

ふざけんじゃないわよ、ともう一度言う。一回目よりは覇気のない声で。


「そんな顔してそういうこと言わないでよ」


言われても自分が今どんな顔をしているのか分からない。


「須藤」


「だって言ってくれてもいいじゃない。下らないあんたの相談だって私受けたじゃないの。迷惑だなんて思わないわよ、今更」


キッと私を睨む。その瞳が潤んでいるように見えて目をそらしてしまった。



「私はあんたの何なのよ。友達だと思ってたのは私だけな訳?あからさまに邪魔そうな顔されて避けられて、大事なことを相談すらされない私の気持ちがあんたには分かるの」



涙声が混じった怒鳴り声が耳に痛い。それでも私は須藤の顔を見ることが出来ない。

俺の気持ち位想像してくれ、と言った誰かさんの姿と須藤がだぶって胸が痛くなる。


「ごめん」


ただもうそれしか言えない。

そうやって逃げることしかできない。

数分前に言われた通り、私は最低の人間だ。


「口先だけで謝られてもムカつくだけよ、バカ」


須藤にそう言われてしまったらもう何も言えなくなってしまった。予鈴が鳴るまでその場を動けず、沈黙していた。

やり過ごしたのだ、結局は。やっぱり最低。

こんな私は須藤の友達でいる資格がない。心からそう思うし、今回の事で須藤もそれを痛感しただろう。

折角の須藤の気持ちを捨ててしまった。耐えきれずに逃げ出してしまった。

彼女は私をもう許してはくれないだろう。

それを裏付けるようにその後教室に戻ってから須藤は私に近づかなくなり、たまたま目があっても無視された。




昼休み、さっさとお弁当を食べ終えて一人になりたくて人のいない場所を求めて廊下を彷徨っていた。

気付けば人気はないが日が当らず薄暗い一階の奥の廊下まで来ていた。


「どうしたの溜息なんか吐いちゃって。幸せが逃げちゃうよ」


急に背後から声がして振り返れば篠原。

確かにさっきまで一人で廊下を歩いていたはずなのに、いつの間に。しかもこんな奥の所まで。時々忍びの者なんじゃないかと本気で疑ってしまう。


「幸せになんてなれなくていいや…」


春樹と須藤をこんなに傷つけておいて私が幸せになどなっていいわけがない。

はは、と空笑いしてみると篠原がどうかしたのと聞いてくる。

それに答えるつもりはまるでなくて曖昧に笑ってみせた。


「僕は島崎ちゃんに幸せになってほしいけどな」


この男はなんのつもりでそんな事を言ってるんだろう。


「…ありがとうね」


一応お礼を言えば、篠原は口を尖らして不満げな顔をしてみせた。普通男子がそんなぶりっ子な仕草をすれば気持ち悪いものだけど何故か篠原がやっても不自然に見えないのはなんでだろう。


「信じてないでしょ、僕が言った事」


「え?ああ、まぁ…」


「ひどいな、こっちは真面目に言ってるのに」


嘘だろう。真面目に話している人はそんなにやにやした顔をしてない。

はいはい、と受け流す。ちょっとだけその穏やかな空気に癒されているのを自覚している。確かに篠原の存在に私は救われている。

そう思っていたのもつかの間篠原がぽつりと言葉を落とす。


「好きだよ」


はっ?と素っ頓狂な声が出てしまった。

え、えっえっ、えぇ…と発した声がまともに言葉にならない。

落ち着いてと言われてもパニックからはそう簡単に抜けられない。


「何で、誰が、誰を…」


「僕が島崎ちゃんを。だから島崎ちゃんには幸せになってほしい」


それこそ、えぇ…としか言葉が出てこない。

だって嘘だろ。今までそんな素振りを見せなかったのに。

全く予想もしてなかった言葉にただただ慌てふためく。

篠原が私を好きだって?

こういう時はなんて言えばいいんだ。


「篠原…」


でも篠原がもし真面目に言っていることならば、ちゃんと答えなければいけない。

わななく唇を引き締めて、私は篠原の方に頭を向けた。

ところが篠原は私の答えを待たずに此方に身を寄せてくる。


「友達として、ね」


「え」


こそっと何故か耳元で囁かれた声。

目の前の顔はにやりと悪戯っぽく唇をⅤの字の形にしていた。

…恥ずかしい、これは恥ずかしい。

そりゃあ、そうだろう。なんで私は異性として好意を持たれていると思ったんだ。

自意識過剰な自分がこの上なく恥ずかしい。

思わず蒸気して熱くなった頬を自分の手の平で冷やした。

篠原だってひどい。確実にわざとやったに違いない。普通友達同士で好きだとか言うわけがないのに。


「島崎ちゃんは?僕の事好き?」


完全に面白がっている顔をしている篠原の顔を睨む。憎たらしい。全く憎たらしい。

なんだか挑発されているような気がしてつい啖呵を切るように大きな声を出してしまった。


「好き」


友達としてだけど、とさっきの仕返しのようにその先に言葉を続けるつもりだった。

突然篠原の表情に妙なものが混じって口を噤んだ。

いつものおちゃらけた篠原ではない。何度かこんな顔をしている篠原を見たことがある。それを見るたび総毛立つほど怯えてしまう。



「だって、新垣君。聞こえた?」



吐かれた篠原の言葉にどくっと心臓が大きく震えた。

血液が巡りすぎて頭が痛い。怖くて怖くて仕方ないのに私は背後をゆっくり振り返ってしまう。


篠原の言葉通りに、そこに背の高い男子が一人。

その名前を私は知っている。新垣春樹という。


予想しても尚春樹と目が合えば息が止まった。

表情を無くしたまま此方に顔を向けている。

偶然か、それとも私と篠原の姿を見かけて付けてきたのか。今となっては分からない。確かめる術もない。


「ねぇ分かったよね、島崎ちゃんは僕のものなんだ。いつまで彼女に付き纏ってるつもりなの。学校のアイドルがカッコ悪いよ、しつこすぎて気持ち悪いし。今の君は、ただの邪魔者なんだからとっとと消えてくれないかな」


私の知っている篠原はこんな話し方をしない。

こんな風に低い声で嘲りながら喋ったりしない。


誰だこれは。

一体私の横にいるのは誰。


「真琴」


春樹が私の名前を呼ぶ。

虚ろな目で、それでも私を見つめている。


「嘘だよな、違うよな、そんなのはあるわけない。だって、ずっと俺の傍にいてくれるって言った。守ってくれるって。言ったんだ、お前は。だからそんなはずない。お前が俺以外を選ぶなんてありえない」


ぼろぼろと思っている事が端からこぼれ出ているように春樹が言葉を落としていく。

何言ってんの、と篠原がクスクスと私の肩口で嗤っていた。


「そんな事その場限りでいくらでも言えるじゃない。大切なのは今だよ。島崎ちゃんが今だれといたいか、それだけだよ。いつまでも過去を引きずって妄想しているのもいいけど、島崎ちゃんと僕を巻き込むのだけは勘弁してよね」


行こう島崎ちゃん、と篠原が私の腕を引く。

引かれたまま後ろ歩きで三歩歩いてよろけた。

足がもつれて上手く歩くことができない。今にも腰が抜けてしまいそうなくらいふにゃふにゃの動きになってしまう。


春樹がまだ此方を見ている。

私を見ている。

その瞳に私が映っている。


「もう、なにやってるの」


見かねた篠原が抱えるように私の体を支えた。

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