7.9
いつだって変わらない。
春樹はいつも私の特別だった。誰より特別大切だった。
近くにいたかったし、独占したかったし、果ては春樹の何もかもが欲しかったし、守りたかった。
そうそうするのは図々しいし私がやって良いことではないとずっと見ないふりをして封印していた。
だけど気付けば随分はっきり形が浮かび上がり、すぐ背後まで来ていいた。
今度こそ危ない。危なかった。
何を暴走してたんだ、私は。
でも、気付けた。本当にぎりぎりのところで。
自分に言い聞かせる。
春樹のために。
春樹のために。
春樹は満たされなければいけない。幸せでなければいけない。
そして、それは篠原のいう通り私が周りをうろついていたままじゃ絶対に叶わない。
本当は篠原に言われなくても分かっていたんだ。分かっていたけど知らないふりをして誤魔化そうとしていた。
「本当ならもっと完璧になれるのに惜しいよね。学校だってこんな田舎に来なくったって私立とか東京の学校に行ったって不思議じゃない。それに、君がいなければ新垣君は人気者のままだった。現に君が嵌められたのを助けてから新垣君に近寄ろうとする女子はいなくなったし。
君がそのままでいる限り新垣君はそうし続けるよ。不相応な場所と不相応な人間関係、不相応な環境でくすぶり続ける。好きでもない君への執着のせいで」
私のせいで。
「その執着で新垣君は一生身動きが取れない。そして、そういうことに関しては不器用だから軌道修正もできないし」
篠原が言っていることは正しいのだと思う。だから私のこれまでの事がいたたまれない。
そんな私の顔を篠原はじっと見つめて、切り出した。
「手伝ってあげようか、島崎ちゃんが一人立ちするの」
篠原の顔にいつもの冗談っぽいの色は見当たらない。
「手伝いって…」
「君は多分一人じゃ新垣君を手放せないと思う。だから僕が手を貸してあげるよ。新垣君に依存しないでいけるように」
そんなの出来るんだろうか。
好きだと自覚して、暴走しだした私に完全に春樹を諦めあげられることなど本当にできるんだろうか。
「島崎ちゃん」
「あ…私は…」
春樹のために。
分かってる、分かっているんだ。それは。
だけどどうしたって、辛い。臆病な私は自分で自分を殺せない。
「僕を信じてよ」
私の手の甲に篠原のそれが重なった。
「このままじゃだめなんだよ、僕なら島崎ちゃんをちゃんと正しく導いてあげるから」
ね、と篠原は柔く笑いかける。
たった一度頷けば良いだけ。よろしく頼みます、と言えば良いだけ。折角篠原がここまで言ってくれているのに。
私、私、と言いかけて先が出てこない。
「ま、いいよ。簡単には割りきれないのも当然。いつでもいいから心の整理ができたら言って」
篠原が手を離したと同時に、須藤が席に戻ってきた。
「…なんかあんた達さっき異様に近くなかった?」
「え?そんなことないけど?気のせいじゃないのかな。いつでも僕達はこんな感じだよ。超仲良しだから」
へらっと笑う篠原を無視して須藤の顔が私の方に向いた。
「島崎、あんたは……ちょっと何て顔してんのよ」
「え?」
須藤に言われて自分の顔を触ってみる。特に変わった所は見当たらないけど。
「なんで泣きそうな顔してんのよ」
半ば責めるように須藤が言う。本気で心配している顔に逃げ出したくなるような謝りたいような気持ちになる。
「そんなことないって。あ、早くお弁当食べないと昼休み終わっちゃうよ」
高めの声を絞り上げて篠原を真似して笑ってみせれば、上手くいかなかったようで余計に怪訝な顔をされた。
「本当大丈夫なの」
「何が?全然大丈夫だって。そもそも泣きそうになんかなってないし。ほら私いつも情けない顔してるから、勘違いしただけだって」
言っても須藤は納得できなさそうに口を尖らせていた。
■■■■
HRが終わって、なるべく早く玄関へ急いだ。さっさと靴を履き替えて急ぎ足で学校を出た。
できるだけ早く学校から遠ざかろう。
とにかく今は家に帰ることだけに集中しよう。それから色々考えればいい。
勉強会などできない。
そもそもこんな状態で春樹と顔を合わせられない。何も言わないでサボるのは褒められたものじゃないが、私には無理だ。
だが逸る気持ちとは裏腹に校門出てすぐの信号機に捕まった。焦れて横断歩道の前で足踏みした。
いつもならあまり気にしない信号の待ち時間が異様に長く感じる。
とうとう待ちきれなくて道路交通法違反だけど車が来てないのを確認して足を踏み出した。
が、その瞬間肩に力が加わって引き止められる。
「そんなに急いでどこに行くんだよ」
うっかり振り返ってしまい後悔。
どうしていつも起こってほしくないと思う事ほど起こってしまう。私はどれだけツイてないのだろう。
「春樹…」
振り返ってそこにいたのはやたら顔の整っているよく見知った男子。
走ってきたのか呼吸が荒い。
そこまでしてわざわざ追ってくなくても良いじゃないか。どうして逃がしてくれない。
「何で先に帰った?何も言わないで」
睨まれて、つい耐えられず目を背けた。
「あ…いや、あと体調も悪くて。ちょっと風邪引いたかもしれないから春樹にうつしたくなくて・・・」
視線が痛い。
とっさに思い付いた薄っぺらな嘘などすぐ見破られてるだろう。それでもじっと黙って視線だけ向けられて居心地悪い。
この場をどうにか逃げてしまいたいと横目で青信号になったのを確認して横断歩道に身を乗り出す。
「じゃ、私これで。また」
「真琴」
手が。
手が重なり、あっと言う間に握り締められた。
「送ってく。体辛いんだろ」
駄目だ。止めてくれ。
そんなもの私にはいらないから。
「いや、風邪かもしれないし治ったばかりの春樹にうつしたら悪いよ」
放っておいてくれ、と言外に込めたものに気付かない春樹じゃないだろう。
だが、私の手が解放される気配はない。
それどころか、ぎゅうとそこに強い力が加わる。
「なぁ、真琴。どうした?」
鼻先が触れそうな距離まで詰められる。甘さを滲ませた声をかけられる。
春樹は既に知っている。私がそういう態度に弱いのを。
「何かあったのか。何でもいいから言ってみろよ」
そういうの、止めてほしい。
何もかも受け止めてくれると錯覚しそうになる。
「いや、本当に体調悪いだけで何にもないんだって。大袈裟だなぁ」
はは、と笑い声をあげてはみたがみるみる春樹の顔が強張っていくだけだった。
どれだけ演技力ないんだろう、私は。
誤魔化さなきゃと無闇に慌てるが、何をやっても春樹を騙すことなどできないんじゃないかと心の片隅では思う。
「もしかして昼休みに俺が行けなかったのに関係してるのか」
「違う」
言いきったのに、春樹はまるでそれを信用した様子が見られない。
「やっぱり何も言わなかったのはまずかったな。もうこの際だからいうけど、あれは」
「だから、言わなくていいっ!!」
自分でも全くこんなに声を張り上げることになると思ってなかったから、喉の壁が裂けそうになる。
怒鳴り散らして、春樹からできるかぎり離れる。
「…知ってたのか。篠原にでも聞いたか」
「違うって…」
もう今更否定したって是としか聞こえないだろう。
「嫌だったな、昨日言った矢先にこれだもんな。俺なら激怒してる。ごめん、俺が悪かった」
そっと手を繋いでない方の手が私の横顔に触れた。慰めるように優しくて無性に泣きたくなる。
「でも大丈夫だから。真琴が心配するようなことは何もない。心配なら俺をいくらでも見張ればいい」
それも違う。
春樹は悪くない。
ただ悪は罪は私一人だ。だから謝らなくたっていい。薄汚い私の嫉妬になど心を痛めなくていい。
「違うっ…ごめんっ、私が駄目なだけだから」
ごめんなさいと頭を垂れる。本当なら土下座でもしたい。
ごめん。
たくさんのものを奪って。
その気持ちを錯覚して、錯覚させて。
鬱陶しい思いを押し付けて。
どんなに謝っても足りない。
例え許されなくても春樹に謝らなくてはいけない。
せめて償いに、私は私を殺すから。
臆病な心を、馬鹿らしい愛情を、汚ならしい欲望も。
殺して二度と甦らないように、冷たい地面の奥深くに埋葬するのだ。
「お前…何を考えてる…?」
低い声は警戒する獣を連想させる。
「何を謝ってんだよ。駄目って何だよ。そんなことを言うくらいなら思ってる事を言ってくれ。…頼むから、じゃないと何もできない」
強い力に押し潰される。みしみしと骨が軋む音が聞こえそうだけど、悲鳴はあげない。甘んじてそれを受け入れる。
多分これが最後だから。
止めろよ、と春樹が喉奥から絞り出したような声を出した。大きな体を折り、私の肩に顔を押し付けている。
「また何にも言わないで消えるのとか、本気で止めろよ」
春樹の声も体も震えていた。懇願するように額を肩に擦り付ける。
私のせいだ。
春樹がこんなに弱くなってしまったのは。
私が歪めてしまった。
「大丈夫だよ」
ちゃんと鎖は切ってあげる。必ず自由にさせてあげる。
未練たらしい私がどうなに邪魔しても、絶対に。
「嫌な予感がする。あの時と似てる気がして…。恐くて頭がおかしくなる」
「気のせいだよ」
春樹の頭を撫でれば、震えが少しだけ収まった。
好きだよ。
好きだよ。
何より誰より世界で一番好きだよ。
好きだから、大事だから、春樹には幸せになってほしいんだよ。
そして春樹ならそのままでそれは手にはいる。
じゃあ私は邪魔なんてできるはずない。
私こそ何を怖がってたのか。
そんな下らない感情なんて、春樹に比べれば取るに足らない。
もうずっと前から、私はそんなことを知っていたじゃないか。
すいません、7章一話付けたしました。




