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7.7

特に何にもない日々が続いた。期末テストまで一週間に迫ったが、勉強の方は今までとは比べ物にならないくらいはかどっていた。春樹のおかげだった。

そしてそんな平凡な日の昼休み。



「…島崎ちゃん、最近よくそれ飲んでるよね。好きなの?豆乳」



篠原の言葉にぶっと吹き出しそうになった。

変な所に入って咳き込む。


「だ、大丈夫?」


篠原が私の背中を叩こうと手を伸ばした気配がした。


「触るな」


が、その言葉をきっかけに誰かが動いた気配。篠原に代わって私の背中を軽く叩いた。

涙目になって見上げると春樹だった。


「ありがと…もう大丈夫だから」


「来い、そこは篠原に近すぎる」


軽く腕を広げた春樹。だが、素直にそこに入っていくことなど誰ができるだろう。

少なくとも私には無理。恥ずかしい。


「…いい」


行きたい気持ちはなくもないが、痩せ我慢に近い気持ちで断る。

好きなら尚更安易に近付けない。


「そんな返事はいらない」


焦れたように春樹が私を引き寄せる。

そうなる事は半ば分かっていたし、実は期待をしていた。春樹から来てくれる分にはいいのだ、自分でも変な理屈だと思うが。

私はずるい。

自分は怪我を避けて、春樹に言わせるやらせる。卑怯者と呼ばれても否定出来ない。


「だから、真琴嫌がってんじゃん。止めなよ、いい加減」


しかし、春樹の手を止められる。飛び出してきたのは井澤さん。


「うるさい。チビは黙っとけ」


「やだよ、黙らない!あんた強引すぎる。いくら付き合ってるからってあまりにひどい」


篠原と井澤さんがいる手前、どうしても来ないでと言ってしまう。そうすれば二人は春樹が私に近寄れなくする。既にそういうパターンができていた。

今さら実は私…なんて言えるわけないし。


微妙にそれに悩んでいる。


篠原は察するかもしれないが、井澤さんは多分はっきり言わなきゃいけないだろう。うん、無理。言えない。


春樹は私から手を離して、腕にくっついた井澤さんを振り払う。

あ、と思う。

割と結構ショックかも。


「ほら、こっち。後は井澤さんに任せちゃいなよ」


篠原に肩を支えられるまま後ろに退いた。

何のつもりなんだろう、篠原も。今までの篠原ならにやにやしながら傍観でも決め込みそうなのに。


「ていうか、また部活来なさいよ。新垣」


威勢良く春樹の前に立ちはだかって井澤が切り出す。


「この前行っただろ」


「あんなの来たうちに入んない。あんた途中で帰ったでしょ」


「そもそも興味ないから行ったって仕方ないだろ」


「そんなこと分かんないじゃない。やってみなきゃ」


そんな問答が続く。

最終的に口で負かされた井澤さんが春樹に飛び掛かり避けられる。が、そこでめげる訳もなくすぐ春樹に向かっていく。

その光景はじゃれあっているように見えなくもない。何だかんだ言いつつも、意外と仲が良いのかもしれない。この二人。


何だかもやもやする。


よく分からないが、良い気持ちではない。

それは井澤さんと春樹が密着すればするほど。

止めてと言いながら、気を抜けばみっともなく二人の間に割って入りそうになる。


似たようなものは遠い昔に私の中にあった。

嫌な思い出が頭をよぎって身震いする。押さえ込もうとするがそれは肥大する一方で。


「…島崎ちゃん?」


ふいに篠原の顔が目の前に出てきて我にかえった。


「どうしたの、ぼーっとして」


「いや、何でもない」


馬鹿っぽくあははと笑ってみせれば特に不審がられた様子なく「そう?」と篠原が首を傾けた。


何考えてる、私は。


井澤さんと春樹はそういうのではないと分かってるじゃないか。

春樹を陸上部に入れるために動いているのであって、誰よりもそういうものから遠い人だ。


分かっていても怖い。

怖くてたまらない。


だって春樹は誰もが認める美形で無闇に何もかも綺麗で、いつ誰が心を奪われたっておかしくない。

春樹に夢中になる人間を何人も見てきた。とにかく沢山。あの須藤でさえ春樹が好きだった。


春樹の方だっていつ誰を好きになるか分からない。

自分を好きになってくれる確証などないのだ。


嫌われてはないんだとは思う。最近の春樹を見て、もしかしてなんて夢を見なくもない。


だけど結局確信に至らないのは一度も言葉にして言われたことがないせいだ。

卑怯な私は、やっぱり怪我をしたくない。

勘違いだと後で分かって手痛い傷を負うのは嫌だ。

私には何にも人に誇れるものがなくて、美人でなければ頭も良くはない。動きは鈍くて人を苛々させてしまう。こんな私を春樹が好きになってくれるとは信じられない。


私より条件の良い女の子なんて山ほどいるだろうし、春樹なら選び放題だろう。

その誰を選んでも、私には文句のつけようがないのだ。




■■■■




「お前さ」


勉強中、春樹が珍しく声を上げた。


「え?」


私も顔を上げて春樹の方を見た。

学校帰り、私はいつものように春樹の家で勉強していた。下校中も春樹の口数が少ないから何か考え事をしているとは思っていたけど。


「今日篠原と何話してたんだよ」


ぽつりと言葉を落とす。揺れている瞳から目が離せない。


「何って…別に」


「別に何でもないって言うなら言えるだろ」


「何話したか覚えてないほど何でもないことだって」


さすがに忘れてはないけど、本当にどうでもいい内容の会話しかしてない。そんな長い時間話していたわけでもないし。


「篠原といるのは楽か」


「う、うん。楽って言えば楽だけど…どうしたの」


言えば、その目がつり上がる。失言だったと今更気付く。


「尻軽女」


ごち、と額と額がぶつかる。


「な、なんで」


尻軽呼ばわりされる覚えは全くない。別に特別愛想を振り撒いたわけじゃない。断じてない。


「俺といるとどきどきするって言ったくせに、篠原の前じゃ安心しきった顔でへらへらしやがって」


へらへらなんてしてない。安心もしてない。

言い掛かりだ、それは。


「何回、篠原に近付くなって言ったと思う。だけど、お前はそれでも聞かない。近すぎる距離を許して、気安く喋って、俺と違って抵抗しないし…」


言葉の合間に啄むように唇を落としていく。

タイミングが掴めなくて反論も出来ない。絶対これは確信犯。

気づけば体はぴったりくっ付いていて手が私の腰辺りに伸びている。


「俺以外の誰かなんて見るな。他人なんか寄せ付けるな」



なんでそんなことを言えるんだろう、春樹は。

いつもそうだ。

春樹ばかりが言いたいことを言って、私に押し付ける。

理不尽だ、そんなの。

私だって言いたくても言えないことなど山ほどある。


ゆっくりとまた距離を縮めだした顔を鷲掴んで止めた。


「…なんのつもり?」


ぐぐっと凄い力が手に加わる。今にも支え切れなくなりそうな。

どんな首の筋肉してるんだ、と泣き言を言いたくなる。


「いや、あの、春樹はそんな好き勝手、言うけどっ」


全力で春樹を留めてはいるが徐々に詰め寄られる。

余裕がなくっていっぱいいっぱいで言葉を選ぶことも探りを入れることも出来ない。



「春樹だって井澤さんと仲良いじゃん!」



「は?」


力が緩まる気配がして春樹を見上げれば、意味が分からないって顔をしていた。

一方、私は一度口火を切ったらもう止まれない。


「わ、私だって春樹が違う女の子といるのは見たくない!他の誰かなんか気にかけて欲しくない!」


吐き出す、小汚い感情を。もう殆ど衝動的に。


「春樹に、私だけ、みてほしい…」


なんだこれ。

格好悪い。何言ってんだ私は。

どんな顔してこんなこと言えるんだ。

これが春樹と本当に付き合ってるなら言ってもいい。だけど、どう転んでも今の私が言えることじゃない。


「分かってる、馬鹿なこと言ってるよ!身の程知らずだって分かってる!うん、変だねっ。何言ってんだろうね!」


焦れば焦るほど早口になって全身から脂汗が吹き出る。喉から血が出そうなくらい声を張上げる。声量の調整がうまく出来ない。


「何でもないっ。ていうかっ全部忘れて!今言ったこと全部!」


最後には怖くなって逃げる。そんなことを言っても一度吐いた言葉が取り消せるはずがないのに。

どうしよう。自分が仕出かしたことの重大さに頭が回る。

取り返しのつかないことを言ってしまった。


「は、るき…」


さっきから春樹の反応が無いのが怖い。怖くて目の縁に涙が溜まる。


恐る恐る伏せていた目を上げれば、恐ろしく嬉しそうな顔をしている春樹がいた。

目を細めて、口角が上がりさっきまでの苛立ちなどなかったように機嫌が良さそうに笑っている。ただし擬態語を付けるならにこにこというよりにやにやが似合いそうな意地の悪い笑顔。


「いいよ」


声まで楽しくってしょうがないという声色で。


「そんなにいうなら、真琴だけずっと見てやってもいい。他には構わないし、気をとられない。何があってもこれからずっとそうするって約束してもいい」


腰に回っていた春樹の腕が外れ、その手が私の顎を持ち上げてじっくりと視線で私を照射していく。



「お前にも同じ事を要求するからな、俺は」



そう言って緩慢な、勿体付けるような動作で顔を寄せた。

なんだかやっぱりあの発言は撤回しなければいけないような気になっている私は臆病すぎるのだろうか。



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