6.5
*春樹と主人公以外の女性との絡みが多い回です。あと一部アレがアレしちゃった部分があるので苦手な方はご注意ください。
なんにもなくなってしまった。
よく分からないうちに時間ばかり過ぎていき、何の感情も動かされない無気力な日々が続いた。どこを探してもあの子はいない。もう俺を連れ出してなんかくれない。
まともに別れの挨拶すらなかった。言わなかっただけで本当は嫌われていたのかもしれない。振り返れば嫌われるだけのことは十分した。それでこんな風に傷付いてるのは滑稽かもしれない。でも止められなかった。真琴の言葉を信じるのも彼女を痛めつけるのも。それでもしかし捨てられたということを頭で理解していて尚拒絶されたなんて到底受け入れられない。そんなことされるくらいなら死んだほうがましだと思った。真琴がいなければ生きてるか死んでるかよく分からなかったような存在だ。見向きもされなくなったらそれはもう死んでると言っていい。
いつか自分のもとに戻ってくる、その希望をいつまでも捨てきれない。また柔らかい笑顔を自分に向けてくれる。こんなに壊れてしまった自分を受け入れてくれる。いつまでもそう信じているしかなかった。
ショーウィンドウのガラスには無愛想な中学生が映っていた。
くどい顔は近頃益々あの女に似てきて嫌になる。綺麗だ整っているだ何だと他人は勝手なことをいうがこんなものどこが綺麗だ。自分の顔が目に入る度に虫唾が走る。持て囃す人間に到底好感など持てるはずがない。
「春樹君」
そう言って、どこからか女が現れて俺の腕に絡みついた。
中学生になって格段に異性に迫られることが多くなった。学校でも街中でも油断すると声をかけられ囲まれる。鬱陶しい以外の何者でもない。理由もなくなったのに惰性で仮面を被り続けてはいるが、もういい加減切ってしまってもいいのではないだろうか。良い人間を演じて見せてやりやすくなることはいくつかあるが、デメリットも多い。
「待った?」
「いや…」
やっぱり手を振り払ってはいけないんだろうか。
あんまりにもしつこいから群がってくる女子の一人と付き合うことにした。そうすれば、他が諦めていくかと思った。しかし、その付き合っている一人も距離が近くなれば余計に鬱陶しい。いらないときにまとわりついてくるし、毎日電話をするのを強要する、べたべた無遠慮に触ってくる。俺を他に見世物扱いしているのも気に障る。今日だって無理やり俺を街まで引きずりだしてこうやって買い物に付き合わせている。その勝ち誇ったような表情に何もかも萎えていく。
俺が浅墓だった。結局、鬱陶しい多数か鬱陶しい一人かの違いだ。それだって、俺に彼女ができようが気にしないで擦り寄ってくる連中だっていて効果も微妙だ。
「ねぇ、この後どうする」
ふいに頭を俺の肩に寄せて声をひそめてその女は言う。
「今日うち親帰ってくるの遅いんだ」
それで彼女が言いたいことは理解したが残念ながらそれに応じる気はなかった。
特になんの興味がそそられないから。昔からそういうものへの興味が驚くほど薄かった。そもそも真琴以外のものに興味をもつことがあまりなかった。
「そうなんだ」
腕を抜き取ろうとしたが、さらに深く絡みとられて舌打ちしそうになる。
「ねぇ、うちに来てよ」
誰が行くか。どう断ろうか言葉を選んでいると腕に胸を押し付けられた。
「キスしてよ」
何を思ったのか目を瞑って顔を此方に向ける。
限界だ。静かにそう感じた。
「ごめん、今日は用事あるから」
腕を毟り取って距離を取る。取ってつけたような泣きそうな顔に同情心など少しも沸かない。そのまま逃げるように自分の家に向かう。待ってよ、と言われても無理。一秒たりとももう近づきたくない。恨まれても明日学校でどんなに絡まれても構わない、そんなの切り捨ててしまえばいい。
どうして本当に一緒にいたい人とはいれないのに、どうでもいい奴等ばかり寄ってくるんだ。
もう俺のことは誰も構わないで欲しい。
全部全部煩わしい。誰も彼もいらない。真琴じゃなきゃ何の意味もない。何も満たされない。だから放っておいてほしい。
家に帰ってぼんやりテレビを眺めていたら、部屋のドアが開く気配がした。
多分母親だ、とげんなりする。もう子供の時みたいに無闇に怖がったりしない。力ならもう俺の方が上だから何かされたらやり返すことができる。小学校に上がった位から母親も家を空けることが多くなった。どうやら外に男がいるようだった。別にその男と接触することもないので、そのことに対して特に何も感じなかった。むしろ母親が家にいないことで肉体的精神的負担が軽くなったからその男には感謝したいくらいだ。
「あら、いたの」
リビングに出てきたのは案の定、きつい顔をした女。
厚化粧でごまかしてはいるが年増。それなのに見ているのが恥ずかしいほどの露出の高い服。自分に相応の服すらまともに選べないのか、この女は。
「そっちこそ珍しいじゃん、帰ってくるの」
まぁね、と母親は口の端を歪めた。長い髪を掻きあげるとまた口を開いた。
「暫く見ないうちにいい男になったわね」
その双眸が此方に向いている。
そうして病人みたいに白い手を俺の肩まで伸ばした。ねっとりと顔を撫でられた。強い薔薇の匂いに頭が痛くなる。
「まぁあたり前よね。私の子供なんだから」
その口紅の赤い線が弧を描いているのが見えた。とっさにその手を振り払う。
一瞬で鳥肌が立っていた。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。本気で吐き気がして口を押さえた。
「酷いわね、母親に向かって」
奥歯を噛み締めて睨むも、相手は特に気にしている様子が見られない。それどころか笑っている。その神経が分からない。
「ところで今日一日出てってくれない?」
彼が来るのよ、と愉しそうに微笑んでいる。
「もちろんお金は出すから適当にどこかで寝泊りすればいいわ」
と言って財布を取り出す。その中から札を出して俺に見せてみる。
財布の方を取って立ち上がってそのまま家を出た。
あの女の言葉に従うのは癪だが、このまま部屋にいて母親とその男がすることを覗く趣味はない。
普通の思考回路をした母親ならこんな真似しないのだろうが、生憎あの女はイカれている。そして、もうそんなことに心も痛めることすらできない俺も相当壊れている。
もう全てどうでもいい。
もう何もかも、どうでもいい。
酷く疲れた。
気がつくと辺りは暗くなっていた。あまり行きもしない街中に俺はいた。
ふらふらと一体どのくらい歩いていたのだろうか。ネオンサインの光が目に眩しく、雑踏の音が耳に痛い。
そうだ、泊まる場所を探さなくては。ビジネスホテルはこの時間になっても空いているだろうか。無ければネットカフェ、それかファミレスといったところか。
「ねぇ、君」
肩を叩かれ振り返ると、見知らぬ女がいた。身に着けているものからして社会人のようだ。
「君っていま暇?」
「だったらどうだって言うのさ」
良い人ぶるのも疲れた。わざわざ言い訳を考えて避けるのも面倒だ。
馬鹿らしいやり取り、こんなこと今まで何度もあった。
あけすけな欲望をその面に貼り付けて近寄ってくる女達。そんなものを向けてべたべた触れてくる女に気持ち悪さを感じない訳が無い。
「どうって…」
「俺の身体が欲しいんだろ、あんたも」
もごもごと違うとか何やら言ってたがその先が続かなかった。
本当馬鹿らしい。
いい、もうどうでもいい。
欲しいのなら、こんなものくれてやる。
「いいよ。今晩は俺を好きにすればいい」
そう言ってやると、女は迷わず俺の手を取った。
「やだ、君まだ中学生なの?」
きゃらきゃらと女が笑っていた。犯罪じゃん、と下品な笑い声を上げていた。
真っ裸の身体を隠しもせずベッドに乗って俺にまとわり付いてくるのを、振り払う。
「連れないわね。あんなに激しく愛し合ったのに」
何が愛し合った?反吐が出る。
あんな浅ましい行為が愛し合うとか笑わせる。
一回すれば急に慣れ慣れしくなるのも気色が悪い。
「気安く触んないでくれる?」
「えー、何で?私のこと嫌い?」
嫌いもなにも、どうでもいい。くっ付いてくるのは鬱陶しい。
「ほんとクールだよね、君。ガツガツしてないっていうか。大人びてる、最初私高校生くらいかと思ってた」
振り払ったのに女はまた俺の顔に手を伸ばす。
その仕草が先ほどの母親を連想させて再び寒気がした。
「今日だけじゃなくて、これからも君と会いたいんだけど私」
寄せてきた素肌を押しのけて、ベッドから抜け出た。
「なに考えてんの。冗談は頭だけにしときなよ」
立ち上がってシャワールームに向かう。一刻も早く何もかも洗い流したい。
冷静になってみれば、馬鹿なことをしたと思う。
誰かと肌を重ねれば少しは何か気が晴れるかと思っていたがそんなことはなかった。
少しも埋まらない。やっぱり空っぽのまま。
満たされたりなどしない。
頭の中で小さな女の子の顔が過ぎる。
「…真琴」
呼んだってこんな所にいるわけがないので返事をするわけがない。
それでもその名前を呼んでしまった。
助けて欲しい。
もうよく分からないんだ。自分が何がしたいのか、何のために生きてるのか。
俺には特にしたいことがないし、他人に求められるまま生きていくべきなのか、それともこのまま死んだほうがいいのか分からない。
虚しくて気が狂う。悲しくて寂しくて暴れだしたい。
助けてくれ
だってあの時、真琴は俺を守ってくれると確かに言っただろ。




