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6.4

気がつけばもう取り返しのつかない所に来ていた。

歪んで所々千切れて火花を飛ばしていて、もう壊れてしまっていたといってもいいのかもしれない。

それを感じ取ってもなお、大丈夫と思い続けていた。

鈍感というより、それは懇願に近い。

どうかこのまま。誰も何も邪魔をしないでほしい。放っておいて、他には何にも求めたりしないから。危害を加えたりしないから。あの女の子以外、何にも欲しがったりしないから。



「私って春樹に要る?」


そう真琴が聞いてきたことがあった。

本当に急に前触れもなく。自分が必要かと。そう言いたかったんだろう。

なんで真琴がそんなことを言いだしたのか分からなかった。気まぐれか、それとも何か気にかかることでもあったのか。それを全く言わないで切り出すから困る。もし問い詰めても、ただの冗談だったとき一々そんなことに目くじら立てている俺を真琴に晒したくはない。

しかし、どうであれ答える内容は変わらない。

俺が必要としているから真琴が一緒にいるのか。俺が望まなかったら、真琴は消えることができるのか。

違うだろ、それは絶対に違う。

勝手に俺に近づいてきたのは真琴だ。そうやって勝手に大事なこともいらない事も教えたのは真琴だ。

全部真琴の意志のはずだ。義務とか責任とかそういうものとしてではない。

そうでなきゃ済まされない。許せない。


「何いってんの、お前とはそういうのじゃないだろ」


だからそう言った。その言葉が全てだった。

必要だから、とかそういうのじゃない。

真琴も俺もお互いに一緒にいたいからいる、他に何がある。約束なんかなくても真琴は俺の傍にいてくれる。

真琴は小さく笑った。小作りの口から白い健康的な歯が見えた。

俺の言わんとしてくれることを理解してくれたのだと思った。

ひどく安心した。もう大丈夫だ。

ずっとこれからも真琴は俺と離れることはない。


そう思っていたのに。


分かってくれたと思ったのは、ただの俺の妄想だったみたいに現実は理想と大きく違っていた。

気付けば真琴が居なくなっていることが増えた。

いても大抵後ろにいる。後ろにいて困った顔をしている。

話しかけても上の空であることが多かった。いつも何かを考えこんでるようだった。

捕まえとかないと逃げそうだったから、その手を掴んでいた。そうまでしないといけないのに苛立った。


最初は、また他の奴らに何かされたか言われたのかと思った。

それで様子をみていても特に変わった所はない。相変わらず女子からの風当たりは強いが、何かされているという訳ではなさそうだった。真琴が女子達に好かれるまで面倒を見る気はないし、むしろこれくらいの距離でいいと思っていた。そう、真琴に友達なんか作らせる必要はない。


じゃあ原因はなんなのか。

俺なのか。すぐ思い当たるふしはある。

でも、真琴は嫌だとは言わなかった。俺にこうしてほしいと希望を言ったりしなかった。真琴のせいにするようだけど、俺だって止まれなくなってしまった。

不安になればなるほど虐めてしまう。それでも付いてくる真琴を確認することでしか安心を手に入れられない。


他の奴らにするように真琴にも接すればいいのか。

だけど、それはできないと思った。

どうしても無視できない違和感がある。真琴にはそのままの自分を受け入れてほしかった。たとえ壊れている俺でも。

受けいれてほしい、それを真琴に求めていた。受け入れて、その温かさで包んでほしかった。そのことが言葉にはできなくて、イメージのようなものでしか分かっていなかったけど。


そして本当に突然、別れの時はやってきた。





「島崎さんが二週間後に転校することになりました」



担任の教師が口にした言葉の意味が分からなかった。

だって俺はそんなこと聞いていない。

嘘だ、そんなこと。真琴が転校するなんてそんなこと。

なんで、なんで、なんで、なんでだよ。

誰か、間違いだと言ってくれ。そんなこと冗談だと笑い飛ばしてほしい。


いつまでも誰も否定しないのに焦れて、真琴の座っている席の方を見た。

彼女の口元が僅かに上がっているのが見えた。微笑んでいた、何故か。俺と目が合うと真顔に戻ったけど。意味が分からない。

まさか本当に冗談なんだろうか。教師もクラスメートも抱きこんだ嘘なんだろうか。

こんな心臓に悪い、趣味の悪い冗談を仕掛けるとはよっぽど仕置きされたいのだろうか。

そう、これは冗談。そして嘘。悪戯。

そうに違いない、それ以外ありえない。

だって約束した。ずっと傍にいてくれるって。

破るなんて、そんなこと優しい真琴がするわけがない。ましてや俺を捨てるなんて、そんなこと。


大丈夫、嘘をついたっていくらでも許せる。

あまりにも驚いて心配させられた反動で、いつもより少し激しく苛めてしまうかもしれないけど。

それでも変わらず俺の傍にいてくれるなら大丈夫。


休み時間になって真琴の席の前に立つ。

真琴が全部冗談だよ、と種明かししてくれるのを待ったがいつまでたっても言ってくれないので脅しをかけてやることにした。


「苛め殺してやる」


多分どんなことがあっても殺すなんて勿体無いこと、しないけど。

洒落にならない冗談なんか言って俺を不安にさせたから、それ位大きく言って仕返しをする。

真琴は怯えた様子を見せたがそれでも嘘だと言わない。慌てた様子で逃げたが、そんなのすぐに捕まえてやる。足で俺に勝ったことがないのになんで逃げれると思ったのか不思議だ。

どうすれば嘘だと吐かせられる?

もしかして、まだまだ真琴はこの茶番を続けていたいのだろうか。

また昔のように俺を振り回して遊んでいるのか。

ならば、少しなら付き合ってやってもいい。俺に構おうとしてるならそれはそれで嬉しい。

騙されているふりをしていればいいのか、何も相談しないで転校することを怒っている役を演じてやろう。それで腹いせにいつも以上にきつく苛めて沢山泣かせてやれば真琴もその内飽きてこの遊びも止めるだろう。


もしこれが本当ならば、怒るなんてものじゃ済まないけれど。

どんな手を使っても離してなんかやらないけど。

そんなことはありえないから。

約束があるから、いや約束なんて無くたって真琴は俺とずっといてくれる。

今まで何をしてもそれでも一緒にいてくれたから。

だから、こんなあっけなく離れていくなんて有り得ない。


そう自分に言い聞かせて、気持ちを落ち着かせていた。

じゃないと気が狂いそう。真琴を捕まえてそのまましがみついて自白するまでずっと問いただしてしまいそう。


しかし、一向に真琴は俺を騙し続けて止める様子がない。

真琴の家に行けば、ダンボールの中に荷物を詰めていた。おじさんもおばさんも真琴の嘘に協力しているようだった。本格的すぎて騙されそうになる。元々気さくな人達だけど、今回は悪ノリが過ぎる。いっそもう言ってしまおうか、自分は気付いているのだと。それだけだとハッタリに聞こえるだろうか。やっぱり真琴が止めるか、決定的な証拠を見つけるしかない。

真琴が好きな菓子で釣ってやろうかと近所のコンビニに行った。が生憎その店には置いてなかった。ブランドは同じだが季節限定だとかに品換えしたらしい。仕方ないから自転車でスーパーまで行って買ってきた。休日だからかセールでもやっているのか混んでいた。レジまで行くのに結構な時間待たされて、さらにじろじろ他人から眺められて不快だった。


やっとマンションに戻ってそのまま真琴の部屋のインターフォンを鳴らした。

しかし反応が無い。誰も出てこない。さすがにおかしい。土曜はおばさんはパートを入れてないから家にいるはずなのに。出かけたのだろうか、とドアを見上げて気付く。


表札がない。


え、と頭が真っ白になった。

嘘だ、そんなの。


ばさ、とスーパーの袋が地面に落ちた。そんなもの気にしてられない。

自分の頭の中を整理するので精一杯だ。


「あ…ああ…」


潰れた悲鳴が喉を過ぎる。

糸の切れた操り人形みたいにその場に崩れ落ちた。


だって言ったのに。ずっと一緒にいて守ってくれるって。


それなのに。


捨てた。捨てられた。


こんなに簡単に、未練なんて一片も無いように。




いつまで待っても、そこに真琴が戻ってくることはなかった。

手紙も電話すらない。気付けば真琴がいた痕跡がどこにも無い。

そうして俺はまた何も無い人間に戻ってしまった。

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