5.2
夏休みも終わってしまい、新学期が始まった。
朝、目を擦りながらリビングに出てきた私に母が言った。
「春樹君の住所分かったんだけど、あんた行く?」
一気に目が覚めた。
何が?何の話。春樹がなんだって?
「春樹君の住んでる所結構近いのよ。市内だし、ウチからは少し離れてるけど車でいけばそんなかからない所にあるし。あの金丸スーパーがある通りの…」
「ちょっと待ってよ、そんなことまでなんで分かったのよ」
住所とか分かるってちょっとおかしくないか。個人情報どうなってんだ、と疑問に思ってしまう。
「ある確かなツテで分かったのよ」
ふふん、と得意げな母。確かなツテってなんだよ、探偵でも雇ったのか?
「じゃあ皆で行くか」
ソファで新聞を読んでいる父が言った。父も乗る気らしい。
まずい。まずいまずい、この流れはまずい…。
ウチの両親と春樹が接触すれば、まず春樹が同じ学校に通っているのがばれてしまう。そして、下手すると現在私と付き合ってるということも言ってしまうかもしれない。春樹が私に口裏を合わせてくれるとはどうしても思えない。
「い、行かなくてもいいじゃない?」
なんとしても阻止しなければ、の一心で口を開いた。
「春樹ももう高校生だし、今更私達が会いに言ったって迷惑なだけでしょ」
きっと私達のことなんてとっくに忘れてるよ、とはっきりと言い捨てる。
実際は何故か覚えていたようだったけど。
何年もあんなに濃い付き合いをしていたら忘れようにも忘れられないものなのだろうか。
春樹くらいの人気者ならばいくらでも他の人との付き合いは広げることはできるだろうし、その中に紛れて忘れていたって不思議じゃないのにな、と思う。
「真琴、あんた随分冷たい事言ってるじゃない。初恋の男の子相手に」
「…はぁ?」
一瞬幻聴かと思った。
なにが?誰が初恋?
「だって、あんた達何をするんでもいっつもくっ付いていたじゃない。結構大きくなってもあんたも金魚の糞みたいに春樹君に付いて回ってたし」
「それは春樹以外あんま遊び相手いなかったからだよ…」
しかし初恋云々は別として、今思うと確かに少し不思議だ。
なんで昔の私は春樹に虐められてでも一緒にいたのだろうか。遊び相手が他にいなかったのも確かだったが、他に友達を作ろうともしていなかった気がする。
「お母さん期待してたのに。あんたたちがデキていつか春樹君が婿に来てくれるのを」
むふふ美形の息子、とかにやにやしている。
なにいってんだ。このおばはんは。
「はいはい、残念だったね」
こういうのはさらっと受け流すに限る。面倒臭いので。
「しかし、春樹君はお父さんと上手くやってるのか」
父がリモコンを手で弄びながらぽつりと言った。
「ああ。春樹君今一人暮らししてるらしいわよ」
そこまで知っているのか。すごい情報だな。本当、その情報を母に教えた人は何者なんだ。
「じゃあ尚更、行ってあげないと駄目じゃないか。まだ高校生なのに一人暮らしなんか大変だろうに」
本気で心配した顔をしている父に、また妙な流れになってしまったと内心冷や汗をかく。
「そうよね。助けになってあげられることもあるだろうし、またウチに来てご飯とか皆で食べてもいいし」
冗談じゃない。そんな恐ろしいことできるか。
大体、母も父も昔から春樹に甘すぎる。実の娘より可愛がってる、確実にそうだ。
「いや、昔からあいつは一人暮らしみたいなものだったでしょ。それを今更行ったって鬱陶しいだけだって、絶対」
止めた方がいいと必死に言い含める。
えー、と母が拗ねたように唇を出していたが、もう一度絶対会わない方がいい、と念を押したのだった。
なんとか春樹の所に行かないように説得するのには成功した。また同じ話題が今後来ないように祈るばかりである。
説得に時間を食ってしまい、いつもより家を出るのが遅れてしまった。
遅刻はギリギリ大丈夫だと思う。
少し小走りになりつつ学校に向かっていると、前方の交差点に小さな人だかりができている。
「…なにあれ」
嫌な予感がする、すごく。
周りにいるのはウチの学校の女子や社会人っぽい女の人など、そしてその中心にいるのはすらりと背の高い男。近づいて行くたびにその綺麗な顔がはっきり見えだしてしだして、嫌な予感は確信に変わる。
間違いない。あれは春樹だ、新垣春樹だ。
たじろぎ、とりあえず回り道をしようと方向転換してできるだけそっと歩き出す。大丈夫、まだ私の存在は認識されてないはずだ。
「…なんでここにいるんだ」
頭を抱えたくなる。
今朝の母の話が正しければ春樹の登校ルートとは真逆じゃないか、ここにいる意味がまるで分からない。しかもウチの近所。何故…?ひたすらホラー。
「どこに行くんだよ」
びくぅと背中が跳ねてしまった。
早すぎる、ちょっと意味が分からないほど早いレスポンス。
そっと恐る恐る振り返るとやっぱりそこには目もくらむほどの美貌の男子が一人。
「あ…おはよう…ございまーす」
強い視線を受け止めきれず目が泳ぐ。
「おはよう、久しぶりだな」
…久しぶりっていっても一週間ぶりくらいじゃないですか。私的にもう少し休養期間欲しかったくらいなんですけど。
とりあえず機嫌は悪くなさそうで少し安心した。
夏休みになれば春樹に会わないかと思っていたらそうではなかった。
思えば夏休みどうするのかと聞かれて下手に空いてるというのは危険かなと学校の補習に出ると言ったのが間違いだった。この男は学年一位の成績のくせにそれに参加しだした。補習に来たときに春樹の姿を発見した時の絶望感といったらなかった。
「あの春樹さん、また、なんで今日はここに」
「真琴が俺に会いたいかと思って」
そんなことはないです。
あと、なんで私がここを通ると知っていたのかその辺を詳しく教えてほしいです。
「嬉しいか」
「……うん…」
すごく迷いながら答える。豈嬉しくないとはこの状況下で言える人があろうか。
その言葉に春樹は笑みを深める。にやぁ、という効果音が付きそうだ。
「なら、朝これから毎日来てやろうか」
「…勘弁してください」
遠慮すんなよ、と頬をつぶされた。
「ていうか来るのが遅い、遅刻したらどうしてくれるんだ」
とふいに春樹が私に向けて手をだした。
なに…?なにを差し出せと?
「馬鹿」
首を傾げていると手を取られた。大きな手にすっぽり包まれて反射的に顔に熱が走る。
春樹はそのまま歩き出して私もそれに続く形になる。最初は引っ張られていたけど、だんだん落ち着く。
最近気付いた。春樹が私の歩調に合わせているのを。
知らない振りが得策。だから何も言わないけど。




