4.2
春樹と会わなくなって数日、須藤がなぜか私に話しかけてきた。
「…あんた、春樹君と別れたって本当?」
その質問にどう答えるか非常に迷った。
実際には別れようと言った訳ではない。
「あー、まぁ…」
曖昧に薄ら笑いで答える。
「どっちなのよ!」
須藤が苛つくのも無理がない。時々自分でもこのはっきり出来ない所が嫌になる。
「わ…別れたっ」
ごく小さい声で「多分」と付け加えたけど。
私の返事に須藤は頬骨を盛り上げ口角を小刻みに痙攣させてすごく得意気な顔をした。
「ほーら、やっぱり!
やっとあんたが何の魅力もない女だって春樹君も気付いたのよ。いい気味!」
須藤って面白いな。
こんなわざとらしい程に悪役してるなんて。
自分で全く気付いてないんだろうか。
もしくは周りの人が何も言わないんだろうか。
「なにちょっと笑ってんのよ!」
「べ、別に…」
慌てて口の中を奥歯を噛みしめて笑いを堪えた。
「じゃあもうひとつ聞くけど、あの女なんなのよ」
「あの女?」
「ほら最近よく春樹君とよく一緒にいる、ちっこいの」
ちっこいの、って…。
井澤さんのことか。
「あんたなんか知ってる?まさかあれが春樹君の新しい彼女?」
須藤が眉間に皺を作って明らかに不快そうな顔をした。
「違う」
ほぼ無意識にそう答えてしまった。
意外な程声も大きくなってしまったし。
私は動揺するのを隠すため、若干早口で言葉をまくし立てた。
「ほら、新垣君ってよく部活の助っ人とかしてるじゃん。それで新垣君の才能に惚れ込んだっていうか。新垣君を部活に入れようと頑張っているみたい」
殆ど息継ぎなしで喋ったので、喋り終えたら肩で息をしていた。
何も言わない須藤の顔を見ると、くしゃみがでそうででない人みたいな顔をしていた。
何その顔…。
「本当にそれだけ?その子も本当は下心あるんじゃないの」
どうやらその一点が気になるらしい。
「まさか」
私はかぶりをふる。
井澤さんと恋愛はどう見ても結び付かない。
陸上が恋人、とか普通に言いそうだし。
いくら春樹が女子に絶大な人気でも井澤さんが落ちることはないだろう。
最後まで須藤は不審げな顔をしていたが、もう私から聞き出せることは何もないと分かると割かし素直に引き下がった。
須藤までが井澤さんのことを認識しているなんて、井澤さんは相当派手に春樹に迫っているみたいだ。
ということは、石川さん達も彼女を認識しているということだ。
本当に春樹の彼女ではないとして大丈夫だろうか。
自分にされたことと同じことを井澤さんがされてはないだろうか。
迂闊だった。
そういう可能性を考えてなかった。
私が井澤さんに頼んだことだ。何とかしなければならない。
井澤さんが石川さん達に捕まるのを何とか庇えないか。いや、ダメだ。井澤さんがいるところは今春樹がいる。私が行ったら本末転倒だ。
こうなったら策はひとつしかない…。
■■■■
ノックすると中から女の人の声がした。ドアノブに手をかけると、当然ながら簡単に開いた。
「…失礼します」
新聞部の部室にいたのは見たところ一人だけだった。
長い髪をポニーテールにしている赤縁眼鏡の女子。ネクタイの色からして3年生のようだ。
デスクトップのキーボードを何やら叩いていたが、その目がこちらを向く。
「あ、あの…私、篠原君の友達の者で島崎といいます。篠原君に部室でお昼を食べていいって言われまして…」
なんか微妙に変な言葉遣いになってるような気がする。というか、やっぱりこんな所を部外者が来ちゃいけないと思う。早速不安になってきた。
しかし、その人は「ああ」とあっさり答えた。
「篠原から色々聞いてるわ。どこでもいいから適当に座って」
「はぁ」
色々ってなんだ。
篠原の奴、余計なことまで言ってないだろうな。
「私はここの部長。まぁ、9月いっぱいで抜けるけど」
代替わりか。文化系の部活だからか、割と遅いように感じた。
そして、なぜ名前を名乗ってくれないんだ…。何と呼べばいいか困る。
「部長さん…でいいですか。呼び方」
悩んだ末に聞いてみる。
部長さんは私の問いに眉一つ動かさないで答えた。
「何でもいいわよ、部長でも専務でも社長でも」
重役ばっかりだな。
「部長さん…は、昼まで仕事してるんですね。すごいです」
私とこうして話している間にも、キーボードを打つ音が途切れない。やっぱり上に立つ人は誰よりも働いているものだなぁと感心した。
「いや、これチャット」
予想外の言葉に、危うく転けそうになった。
「なにやってるんですか…学校のパソコンで」
「だって、面白いわよ?こんな真っ昼間からエロ親父が馬鹿みたいなことばっかり言って。やれ彼氏いるのだとか、今日のパンツ何色だとか、きもすぎてマジ笑える」
どんな愉しみかたしてるんだ、あんたは。
流石あの篠原の上司だ。何考えてるのか全然分からないし、なんていうか独特の雰囲気を持っている。
「あの…ところで部長さん。ちょっといいですか」
「なに?」
部長さんが机に置いていた惣菜パンに手を伸ばしている所だった。
あ、焼きそばパン。
よく篠原が食べているやつだ。
「今日ちょっと篠原を少し借りてもいいですか。あんまり時間はかけないんで」
「…被害者の会」
ぼそっと部長さんが何かを言った気がしたがよく聞こえなかった。
「いいわよ、あれはもう記事あげてるし」
「あ、ありがとうございます」
とりあえず了承してもらうことには成功した。
あとは篠原を捕まえるだけだ。それまでに気を緩めないようにしよう。ここまで奇跡的に春樹に捕まっていない。
井澤さんが頑張ってくれているのか、本当に春樹がもう私に飽きたのか。
後者だといいな、と思う。私のことなんか忘れて春樹には自分の人生を歩んで欲しい。
そう、最初から私となんて出会わなければ良かったんだ。




