3.6
*篠原純視点
「へぇ、そりゃまた…」
細フレーム赤眼鏡をくいっと上げて、部長は僕の方を見た。
「面白いことになってきたじゃない」
結局の所、同類なのだ僕たちは。他人の話が大好きなのだ。しかもちょっと複雑そうな恋愛話なら尚更血が騒ぐ。
「でしょ?この前も島崎ちゃんったら新垣君の地雷を踏んだみたいですし。何で気付かないかな、あの子は」
部長に新垣君と島崎ちゃんの事を話した。
僕一人が知っているのは勿体無いと感じたからだ。部長なら新垣君絡みのことでも易々広めたりなどしないと分かっているし。
「…でも、あの新垣春樹がそういう性格だとはね」
「あはは、それは僕も最初は驚きましたよ」
部長の言葉に、意図的に明るい声を出す。多分おそらく、新垣君の性格を理解していないと思うから。
新垣君が実はどSで冷血漢なだけだったら多分こんなに面白いことにはなってなかったと思う。
最近の新垣君を見ていて感じるのは、底無しの執着、憎悪、そして救済の切望。普通の人にだってそういう感情はあるとは思うけど、色々なものに分散しているものだ。新垣君の場合は島崎ちゃんにそれが全部いっちゃっている。可哀想に、と思う。島崎ちゃんが。
そんなものを容赦無くぶつけられて、嬉しいはずがない。ただ痛みを生むだけのものを。
僕の考えが外れていなければ、新垣春樹は相当面倒臭い男だと思う。
「まぁ、あんたもそろそろ首を突っ込むのは止めた方がいいんじゃない」
ふいに部長から意外な発言がでた。もっと情報を集めてこいとか言われるかと思ったのに。
「なんでです?僕がでしゃばって二人の仲を壊すと思ってるんですか。それなら、もう壊すどころじゃないと思いますけど…」
違う、と部長は即座に否定した。
「壊れる可能性があるのはあんたよ、篠原。断言してもいい、いつか絶対後悔する」
部長が眠り姫に呪いをかけた魔女みたいだな、と思った。
言っている意味はよく分からなかったけれど。
■■■■
それから、しばらくして島崎ちゃんは新垣君を避けるようになった。
昼は屋上に来ないし、休み時間も教室に姿が見えない。HR後も逃げるようにさっさと帰ってしまう。
新垣君は2日もそんな態度を取られて、かなり苛々しているようだった。
その上、井川さんが妙にしつこく付きまとっている。あの人は人の話を聞かないし、無駄に打たれ強いから新垣君も苦労しているようだ。多分、島崎ちゃんの策略だ。新垣君だって勘づいているだろう。
「…って、噂をすれば」
新聞部部室の前には、見慣れた人物の影。
僕の顔を認識すると、彼女は強張った顔面を緩ませた。それを見て、ちょっとした優越感が湧く。
「あの…少し、部室の中に入らせてくれない?」
恐る恐ると言った感じに島崎ちゃんが聞いてきた。
しきりに後ろを気にしている。大方、新垣君に待ち伏せされ逃げてきたという所か。
どこで出くわしたか知らないけどここまで逃げれたのは島崎ちゃんにしてはよくやったと思う。
「いいよ」
ちょうど新聞部は今日は休みだった。僕はちょっと所用があってさっき職員室から鍵を借りてきた所。
鍵を開けて部室に入ると島崎ちゃんはいちにもなく内側から鍵をかけていて、思わず吹き出してしまった。
「まぁ、座りなよ」
窓を開けながら言うと背後で島崎ちゃんが椅子にかける気配がした。次いで僕も島崎ちゃんの前に座る。
さてと、と僕から話を切り出す。
「匿ってあげるんだから、どうして最近新垣君から逃げているか教えてよね」
島崎ちゃんが明らかに苦い顔をする。
それでも中々言葉を発してくれないから、また僕が口を開く。
「水族館で何かあった?」
それしか考えられないけど。
気を利かせたつもりでドタキャンしたけれど、やっぱり生で見るべきだったかなと後悔。
「…な、何も」
「そんな顔で何もなかったっていわれても信じる訳がないじゃない」
僕の言葉に下がり眉がさらにシュンと下がる。なにそれかわいい。
島崎ちゃんは怒られた子犬みたいな顔でしばらく黙っていたが、やがて決心したように話始めた。
「……もう隠している意味がないから言うけど」
意味がないという割りに随分とためらいながら島崎ちゃんは新垣君の事を喋っていった。
「なるほどね…」
総括すると、大体僕が予想した感じだった。
島崎ちゃんと新垣君は小学校まで幼なじみみたいな関係だった。傍若無人な新垣君に堪えかねて親に付いて転校したらしい。別れ際の際「虐め殺してやる」と言われ、高校で再会してから一年は必死で逃げるも二年になって運悪く遭遇した。が、新垣君は島崎ちゃんの事を忘れていた。だから大人しく新垣君に従っていたが、この間の水族館で新垣君が島崎ちゃんのことを覚えていると判明。それ以来、虐め殺されるのが怖くて新垣君から逃げているのだという。
ちなみに水族館は雨が止んだのを見計らってタクシーで急いで逃げてきたらしい。それ以来ずっと避けられていれば、それは新垣君じゃなくても怒るだろうと思う。
「あいつなら確実に虐め殺すに決まってる…」
真っ青な顔をして本気で怯えている島崎ちゃんに僕は安っぽい笑顔を向けてあげた。
「いやいや考えてみなよ。このご時世、殺人なんか簡単にできるわけないでしょ。ただの子供の大袈裟な脅しだよ、それは。
たとえ殺すつもりでもどうして今まで殺さなかったの。島崎ちゃんをどうこうするチャンスならいくらでもあったでしょう」
そもそも、島崎ちゃんのことを忘れていると思った意味が分からない。別人だと思っているというのも論外。島崎ちゃんは確かにどこにでもいるような顔だけど、喋ることや表情・仕草には独特のものがある。少なくとも僕は何年離れても彼女を見間違えはしないだろう。
「それより、僕が気になることはさぁ」
島崎ちゃんの話の中で引っ掛かる部分があった。島崎ちゃんの話の根本をひっくり返すような事だけど。
「島崎ちゃんが逃げてきたのって、本当に新垣君の態度が嫌だったのが理由?」
え、と島崎ちゃんが固まった。小さな目の小さな黒目の中の瞳孔がみるみる大きくなっていく。
その奥に広がる真っ暗な闇。そこに彼女すら知らない真実がある。
暴きたいと条件反射みたいに思ってしまう。
「島崎ちゃんはさ、多分そんなことくらいじゃ新垣君から離れたりしないと思うんだ」
ここまで島崎ちゃんは新垣君からの仕打ちに嫌々ながらも耐えてきた。本気で拒否しようとすればできたのに。敢えて彼女はそれをしなかった。
なのに小学生だったからとはいえ理不尽な扱いをされるから逃げたというのは不自然なように思う。
「な…何言ってる、の」
口角を痙攣させながらまだ混乱から抜けてない顔で島崎ちゃんが言う。
その顔を見て、今日はこれ以上突き詰めるのは無理だと判断した。
「どうする?もうすぐ下校時間終わるけど、帰るなら玄関まで送ろうか」
お願いします、と島崎ちゃんは少し頭を下げた。
その旋毛をグリグリと押してやる。
「やめて、明日お腹痛くなる」
なればいいんじゃないかな。僕のせいで彼女が苦しむことを想像すると自然と笑みが零れる。
少しずつ得体の知れない何かが蝕んでいるのを感じている。だけどどうしたらそれを取り払うことができるのか不明で、今は放置するしかない。
「ああ、そうだ。昼はこの部屋でお弁当食べるといいよ」
昼休みは部長がいるから部室が開いてる。
鍵もあるし安心してお昼が食べられるだろう。
「…何か企んでる?」
「まさか。人聞きの悪いこと言わないでよ」
ただ頼ってほしいだけ。
もしかしたら自分は彼女に必要な存在だと思われたいのかもしれない。
――――いつか絶対後悔する
部長の声が脳内に蘇った。
大丈夫ですよ、と僕は答える。
だって僕は彼女達と違って自分が分かっている。そして、彼女達よりずっと器用だから。




