91話:話し合い1
サリアンは感情を無にして黒い悪魔ことゴキブリを追い払う。
抱き合ったアンドリエイラと魔王は宙に浮いて硬直したままだ。
枝葉のついた木の枝を箒のように使って、サリアンはゴキブリを森に帰した。
そもそも集めたのもサリアンなのだが。
(周辺青い炎で燃やし尽くすかと思ったが、本当にお嬢も疲れてるんだな)
サリアンはゴキブリを払いながら、そんなことを考えていた。
(寝食の必要もないから早起きなんて関係ないよな。となると、やっぱり神の相手がそれなりの負担だったわけか)
さらにダンジョンでも深層で大暴れしていたのは記憶に新しい。
サリアンたちではどうにもできない強力な魔物を相手に、アンドリエイラは無双したのだ。
人間なら生きていないし、運良く生きていても本来なら寝込む。
ただついて行った形のサリアンたちも疲れが残っているほどなのだから。
(あ、やべ。意識したら滅茶苦茶だるい)
サリアンは襲い来る疲労を意識してしまい、枝にもたれるようにして立った。
命を脅かす深層の魔物との遭遇だけでも寿命が縮まる思いがするというのに、さらには神の思惑によって巻き込まれる。
どちらも戦ったのはアンドリエイラだ。
しかし被害から逃げ回り、可能な限り対処を行ったのは確かにサリアンもだった。
その疲労は確実に蓄積している。
「…………面倒になって来た」
「おい、本音が漏れてるぜ」
呟きに白鴉が肩にとまって突っ込みを入れる。
足元では黒猫が催促するように猫パンチを入れた。
「あー、えー、二人ともちょっといいか?」
動物姿とは言え、人間にとっては避けられない死の概念の人外たちに迫られ、サリアンは未だに抱き合うアンドリエイラと魔王に声をかけた。
物陰へと走り去った害虫がいつ飛び出してくるかと震える姿に、いっそ面倒さが増す。
(効きすぎたか)
サリアンは考えて、二人を落ち着かせることにした。
「お嬢、確か館周辺には虫は侵入できないようにしてるんだよな? そこで一回話し合いしてみたらどうだ」
「そ、そうだわ! 私帰る!」
「うむ! すぐに行くぞ!」
アンドリエイラと魔王は提案を聞くと、残像を残して走る。
あまりの早さに、置いて行かれたサリアンは何が起きたかわからなかった。
「…………早」
「本当に魔王にも効くとはな」
黒猫はわからない顔で、大人しく従う様子に首を傾げる。
「猫としては平気なのはわかるけど、俺だって触りたくはねぇよ」
「本来は人に近い姿の死神だ。が、踏みつぶして終わる虫だろう?」
黒猫のゲイルは人に近いというが、サリアンは頷けない。
白鴉のラーズはサリアンの肩から動かずその頬を突いた。
「これ急いで追わないと、完全に結界閉じて館に近づけなくなるぞ」
言われて走るサリアンの目の前で、渦を巻くように館の姿を白い霧が押し隠そうとする。
慌てて走り込み、片足でスライディングを決めた。
先にいたアンドリエイラと魔王は、そんな様子に気づきもせずに騒ぐ。
「決して入って来れないように結界を強化するわよ!」
「待て、同じ方法では乗算にしかならん。もっと細かく掛け合わせるのだ!」
結界の強化案を口々に語るが、目的は黒い悪魔が二度と入って来ないようにすること。
それどころか周辺に現れないようにとまで話は進み、次々と組み上がる結界はまさに堅牢。
魔法使いでもあるサリアンからすれば、高度な技術だが、目的は害虫の排除という点では技術の無駄遣いにしか見えない。
しかも命の危険など関係なく、ここまでする理由はひたすら嫌悪感があるから。
実害もない相手に何処まで本気なんだというのが、正直な感想だった。
「はぁ、ともかく腰落ち着けて話し合える場所ってあるか?」
サリアンに黒猫のゲイルは、修繕中の館を指す。
「階段は外したから二階には行けない。リビングを中心に半壊しているから、台所に無事な椅子と机置くくらいか」
「もうそれでいいや。あの台所広いし」
疲れているせいもあってサリアンは投げやりに応じる。
その上で黒猫と白鴉が先に館へ入った。
サリアンは、なおも結界を強化しようと騒ぐ少女二人へ対応しなければならなくなる。
「その辺にして、一回茶でも飲んで落ち着いたらどうだ。手とかも洗いたいんじゃないか?」
「それもそうね。思い出したくもないから気分転換は必要ね」
「む、つい手で払ってしまったのだった。手洗いの水をもらおう」
アンドリエイラはお茶を入れるという仕事をして、気分転換を図るつもりだ。
魔王は反射でやってしまったことを思い出して嫌な顔をしている。
手を洗うための水を用意して、椅子と机もサリアンが用意した。
アンドリエイラに言われて薪を運び、疲れから無心で指示に従う。
(…………いや、何やってんだ、俺?)
疲労で思考放棄していたサリアンは、アンドリエイラから香りよくスパイスを入れた刺激のある茶をもらってから正気づいた。
同時に手早く焼いたパウンドケーキを片手に腹も満ちて思考が戻る。
目の前では亡霊令嬢と魔王という人間の敵が、揃って談笑していた。
「もう、大変な目に遭ったわ。虫だけは本当に嫌。特に黒いのは駄目よ、だめ」
「こんな所に住んでいるからだろう。北ならあのような気持ち悪い動きの害虫はおらぬぞ」
「あの寒さだとそうよね。けど、その分畑もまともに作れないじゃない?」
「毛皮や肉を売ることで売買すればいい。水も困らないが、薪が面倒だな」
生活必需品などを話し始める少女たちを横目に、サリアンは首を捻る。
「争っていたはずだが、なんでこんなに仲良くなった?」
椅子の背もたれに掴まる白鴉は、同じように首を捻って見せる。
「同じ脅威を前に、抱き合って身を守った仲ってやつじゃね?」
サリアンは適当な返答を聞き流した。
深く考えればその脅威を与えたのがサリアンだ。
つまり共通の敵にされることが目に見えたため、サリアンは口を閉じた。
ただそれを黒猫がまた足にパンチを入れて阻止する。
「そら、話し合いを進めろ」
「俺かよ」
「お前以外にいないだろ」
白鴉まで嘴で突くため、サリアンは大きく息を吐いた。
そのままグイっと茶を飲み干す。
「それで、魔王はお嬢に文句言いに来たのか? それともこれ以上手出しをしてくれるなと言いに来たのか?」
そもそものスタンスを問いただす。
ただ答える前に、サリアンは続けた。
「どっちにしても、お嬢に手を出すつもりはないはずだ。何せ今は二百年の間に人間が変わった様子を見て回るほうを面白がってる」
そんな説明に、魔王はちらりとアンドリエイラを見る。
「つまり、今回の件はこちらが手出しをしたからだとでも言いたいのか」
「えぇ、そのとおりよ。勇者だって来たけれど無視していたのよ、私」
アンドリエイラの雑な説明に、サリアンは補足した。
「四天王の一人は勇者と共謀してお嬢のいるウォーラスを襲った。で、もう一人は明確にこの館を狙った。どっちも自分からお嬢に喧嘩売った形だと、こっちは判断してる」
「ふむ、一応の道理ではある。…………ではその共謀の勇者はどう処した?」
魔王が試すように聞いた。
勇者がいることを知っていて共謀していたのだ。
その上で、勇者は一度見逃したことをアンドリエイラは明言している。
魔王側だけに被害を与えたとなれば、それは明確な敵対行為だった。
しかし動じることなく、アンドリエイラは茶を飲みつつ事実を告げる。
「操り人形をしてる人間なんて潰しても、新しいお人形を用意するだけでしょう? だから指示を出していた神を三柱殺したわ」
「は!? 待て、まさかその三柱分の神核も砕いたのか!?」
「もう、前に散々そのことで神々にうるさく言われたのよ。懇意にしてる神にまで苦言を言われてうるさいったらなかったんだから」
だからさすがにしなかったと聞いて、魔王は胸を撫で下ろした。
その行動と籠る思いは、やはりもったいないというもの。
さすがにしていなかったと聞いて安堵したのもつかの間、サリアンが殺さずにどうしたのかという話を振ることで、神核のインテリア計画に絶句することになるのだった。
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