88話:魔王襲来3
一難去ってまた一難。
サリアンのここ数日の感想だ。
それでも二日連続で上空射出からの森への落下は、中々にない経験だということを、吐き気を逸らすために考える。
「うっぷ…………!」
「まぁ、締まりのない。やめてちょうだい」
「だ、誰のせいで…………」
内臓を乱高下させた本人からの文句に、サリアンは怒りを覚えた。
しかし無体のために顔は白く、吐き気と戦い口は半開きで、あまりの体調の悪さに焦点も合わない表情では、その怒りも通じない。
何より、アンドリエイラは異変を察して森の中へと向ける目が半眼になっており、サリアンを木にかける余裕はなかった。
「やだわ、本当にいる」
「いるって、魔王か?」
サリアンは行きたくない思いを込めて、当たり前のことを聞き返す。
なんとか言葉を発して足掻くが、アンドリエイラは容赦なく突きつけた。
「えぇ、四天王の言葉を思えば、私が前に倒して氷漬けにした奴よ。生きていたのねぇ」
「完全に報復できてんじゃねえか! うっぷ…………」
サリアンは全力で叫ぶが、すぐには落ち着かない内臓を服の上から押さえて呻く。
だが巻き込まれたからには、怒りをぶつけなければやり場がない。
そもそも田舎の冒険者であり、アンドリエイラに血筋云々言われたが、実際にやって生きていることは周囲と変わらない小さなことだけ。
だからこそ巻き込まれたことに対して、英雄の血筋だろうが人並みに動揺する。
けれどそれが悪かったのか、すでにそこはアンドリエイラの館近く。
つまり、魔王が帰りを待つその場所だった。
「ガー!?」
「ギャゥ!」
獣の悲鳴がほとばしる。
それと共に何も見えなかった木々の間から、白鴉と黒猫が飛び出した。
しかも自らではない。
まるで蹴り捨てられたように、体勢も整わない姿で。
そうして、サリアンの横を掠めて飛ぶと、森の木々にぶつかり根元に落ちる。
アンドリエイラは目を向けたものの、その場を動かず館があるはずの方向へと体を向けていた。
「遅いぞ」
アンドリエイラに向けられた文句。
亡霊令嬢に対して不遜としか言いようのない言葉。
しかも相手はアンドリエイラの結界の中にいる。
だというのに、アンドリエイラはそちらに入らず相手を窺っていた。
ただ、令嬢らしく余裕をとりつくろって、動きはあくまで優美に。
手袋に覆われた手を揺らし、アンドリエイラは結界を解除する。
それでサリアンからも、誰かが朽ちた庭園の石造の土台に座り込んでいるのが見えた。
「勝手に上がり込んで、挨拶一つまともにできない者が王を名乗るのかしら?」
アンドリエイラも、相手が誰かをわかっていて文句を返す。
ただ言ってから、眉が上がた。
その動揺に、黒猫のゲイルから注意が飛ぶ。
「おい、気を抜くな」
「クカカ、不意を突かれた」
白鴉のラーズも、木の根元に伏して起き上がる様子はない。
(おいおい、こいつらにこれだけのダメージ与えられるほどかよ)
サリアンはつばを飲み込むと、意を決して相手をしっかり視界に収める。
そうして見れば、角、翼、尻尾と、明らかに人外の容姿。
そしてサリアンは確かに魔王と呼ばれる相手を視認して、堪らず叫んだ。
「…………また、ガキかよ!?」
ただ、叫んで息が切れる。
予期しない上下運動のせいもあり、緊張から空気が足りなくなったのだ。
それで冒険者らしくもなく足元がふらつき、体が傾ぐ。
次の瞬間、サリアンの顔の横、先ほどまで頭のあった個所を雷が駆け抜けた。
空気を焼く独特の匂い。
目に焼き付く光が放たれた方向を見れば、人外の特徴を持つ少女が金色の槍を片手に殺気を放っていた。
「ほう? 我が雷光を避けるか、人間風情が」
サリアンは体を傾けたまま動けない。
下手なことをすれば死ぬ。
それほどの実力差が確かに感じられた。
その上で、アンドリエイラほど面白がる様子もない魔王と呼ばれる少女。
(ガチじゃねぇか!)
非難を込めてアンドリエイラを見るサリアン。
けれど、片腕を押さえて動かないアンドリエイラは、うつむいていた。
(いや、肩が震えてる?)
亡霊令嬢が震えるほどの強敵。
勇者とは雲泥の差の力は嫌でもわかる。
そもそも神が育てようと画策しなければいけなかった勇者たちに比べて、質が違うのだ。
(それだけ魔王は成熟してるってことか? …………これで?)
サリアンは少女姿の魔王に疑問を覚えつつ、この場から逃げる隙を伺う。
そうしてサリアンが息を整えていると、アンドリエイラは盛大に息を吐き出した。
「あっはははは、うふふ、おほほほほほ! なぁに、その姿!? どれだけ弱ったのよ?」
堪えることのできない笑声を放ちながら、アンドリエイラは涙さえ浮かべて魔王を笑う。
雷霆を放った魔王は、殺気が行き過ぎて固まっていた。
真っ赤になった顔が、どんどん白くなっていくさまは異様。
同時に刻一刻と膨れ上がる魔力の荒々しさに、周囲では激しく雷鳴が轟く。
だが、アンドリエイラは容赦なく煽った。
「まさか私をあれだけ馬鹿にしたのを忘れたの? よくそれで姿を見せる気になったわね? ねぇ? どんな気持ち? 未熟が姿に現れているなんて言っておいて、自分こそがそんなに小さくなって? 未熟も未熟な姿になるほど、誇っていた力を封じられてしまった気持ちは?」
魔王はかつて亡霊令嬢と戦った。
その時亡霊令嬢は勇者側に、大魔女と呼ばれて所属していたのだ。
しかし魔王は、その正体を幼くして死んだアンデッドと看破。
その上でアンドリエイラの未熟な精神性を嘲笑った。
「成熟した肉体だとか言っていたけれど、駄肉が落ちて少しは人間に後れを取らずに動けるようになったのではないかしら? あぁ、ごめんなさい。さっき避けられていたわね」
かつての魔王は出るところの出た豊満な肉体を持っていたのだ。
そして王者としての威厳をも備えた、確かな女王だった。
まさに神に挑みその地位を取らんと望む戦う者としての脅威も備えていた。
だというのに、今の魔王に殺意はあっても王者と言える覇気はない。
見た目の幼さもあるが、そもそもの力が減退している。
それでも人間を威圧するには十分な実力。
威圧されたサリアンも気が気ではない。
(俺を巻き込むなー!)
だが口には出さない、出せない。
何故ならすでに魔王の膨れ上がる魔力に対抗して、アンドリエイラも力を膨らませている。
そのせいで拮抗する力同士のぶつかり合いで、周囲の空気は軋み、火花が散り始めていた。
「貴様が我々の約定を無視して介入という蛮行を犯したのであろうが! 恥を知れ!」
「知らないわ。あなたたちのお遊びだなんて。私の行く先にいただけでしょう。それに、私の介入は神のほうが許したことよ。あなた、出し抜かれたのにまだ気づいてないの?」
余裕ありげにアンドリエイラは返す。
しかしその眉間には確かに力が入っていた。
魔王も気づいて口を歪める。
「その神さえ屠っておいて。この悪食」
「失礼ね。私は美食家よ。…………あんな不愉快な神の核なんて砕いて捨てたわ」
アンドリエイラの言葉に、魔王の側の魔力が弱まる。
アンドリエイラも無理には押さない。
そもそも神とすでに一戦を交えた後なのだ。
口で言うほどの余裕はない。
左手も呪われた状態で、力を消費すればそれだけ呪いの浸食が深まる。
決して十全ではないが、魔王が敵意を持っていることだけはわかっていたので、駆けつけないわけにもいかなかった。
「神の核を、砕いた?」
「な、な、な…………なんてもったいない!」
そもそも意味がわからないサリアンの呟きを覆うように、魔王は神と同じ反応をする。
すでにアンドリエイラに対して上位存在たちがうるさく投げかけた言葉だった。
(魔王ももったいないって感覚、あるんだな)
最早ついていけないサリアンは現実逃避をしてそんなことを考える。
その実態を知れば、サリアンもまたもったいないと叫ぶことになるのだが。
今はまだ知らないままだった。
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