87話:魔王襲来2
オーブンを取り戻し、ウォーラスに戻ると、教会の結界が消失していた。
異変を察して駆けこむと、人のいない聖堂には血だまりだけが残されている。
ただ、聖堂の中は無人。
「…………ルイス!」
サリアンの鋭い声が高い天井に響いた。
その声に応じるように、かすかだが聖堂の奥からかたりと音がする。
そして奥の扉が開いて、見慣れた顔が覗いた。
「やぁ、ちょうどいいから水汲んできてくれない?」
「「ルイス!」」
ヴァンとホリーが涙目になってその名を呼ぶ。
モップを手にしたルイスは笑って、現れた。
しかしその胸元には確かな血痕が服を汚している。
ルイス自身も強がって笑みを浮かべるが、顔色は悪い。
神官のモートンは周囲を見回し攻撃された形跡がないことを確認すると、胸元の血痕を指した。
「それは体調不良か? それとも結界を故意に破られた反動か?」
「故意だねぇ。もう、紙を破くよりも簡単にさぁ」
ルイスは疲れを滲ませながらも、おどけるように肩を竦めて見せる。
その強がりに、ホリーはモップを受け取ると、聖堂の椅子に座らせた。
ヴァンも文句を言わずに水汲みを引き受ける。
そうして気を使われながら、ルイスはまずウルを確かめた。
目が合ったウルは首を傾げてみせると、思い当たった様子で道中口にしたことを繰り返す。
「なんか帰りたくない気がしたんだけど?」
「はははははは」
確実にウルの勘が働いていたことに、ルイスは乾いた笑いをあげる。
ただし、疲れの色は一層濃くなり、笑う姿が表面だけのものだとわかった。
あまりに不穏な反応に、カーランは渋面で問い詰める。
「おい、何があった? いや、誰が結界を破った?」
ルイスは脆弱だ。
しかしそれも力あってこそであると、アンドリエイラが認めている本物。
その上で神の声を聞ける能力も確かにあり、体力面さえどうにかなれば、冒険者としてやっていけるだけの力はあった。
そんな聖職者が張った結界だ。
しかも神が降りられるほどには聖域として機能する場所。
そこに結界を破って侵入した者がいる。
並大抵の力ではないことは歴然だった。
それと同時に生半可な目的でやる行動でもない。
アンドリエイラさえ、特に壊すことはなく入り込んでいるのだ。
そもそも敵対を明確にする意図以上に、教会の結界を破れるだけの力ある者が手間をかける必要もなかった。
「…………魔王が来るぞ」
ルイスは聞いた神の声を復唱して聞かせる。
水を汲んで戻って来たヴァンは肩を跳ね上げて、桶の中身を少量零した。
アンドリエイラさえも身構える中、ルイスは手を振ってみせる。
「って、神に言われて、気づいた時には結界破られたんだよねぇ」
「おい、それってつまり…………」
サリアンは呟くと、勢いよくアンドリエイラを見た。
「あら、ヴァンの予想が当たったわね?」
途端にカーランが身軽さを使って距離を詰めると、身長の高いヴァンの襟首を引く。
「何してんだお前?」
「俺、関係ないだろ!?」
「噂をすれば影が差すというものねぇ?」
アンドリエイラは意地悪く笑う。
その様子に息を詰めていたモートンが、確認を口にした。
「魔王さえ、敵ではないということか?」
「まぁ、お嬢だったらそうなのかもしれないけど」
ウルも逃げたい衝動がないため気軽に応じる。
けれどアンドリエイラは小首をかしげてみせた。
「さぁ? 相手の状態次第ね」
「お、それを聞いて安心した」
不安が残る言葉だというのに、ルイスは強がりではない笑みを浮かべる。
ホリーはカーランに掴まったヴァンから桶を取り、血だまりの清掃を始めながら聞いた。
「どういうことですか? それに、本当に魔王は来ているんでしょうか?」
ルイスが無事であることは、嬉しいがおかしいとホリーは破壊された様子のない聖堂に目を向ける。
本当に魔王はいるのか。
神の助言ならそこは疑えないが、ウォーラス自体に騒ぎの気配はない。
そして血痕だ。
この場で結界が破られたのは確かで、それはつまり魔王は聖堂に入ってきたことになる。
けれどそれなら、相対しただろうルイスは何故無事なのか。
「その魔王、女だったら私も知る相手だと思うのだけれど?」
「だろうね。お嬢さんを捜しに来てた」
「あら、本当にあの魔王なの? いまさらどうしたのかしら?」
アンドリエイラはルイスの応答を聞いて、気軽に疑問を並べる。
ただその自覚も責任感もない言葉に、サリアンは激しく首を横に振った。
「いやいやいやいや! どう考えても四天王の件だろうが!?」
「うん、もう、すっごい怒ってた…………」
ルイスは遠い目をして、魔王がアンドリエイラを探す用件を肯定する。
「なんか、二百年前は後れを取ったとかいってたんだよね」
ルイスの言葉に、カーランは疲労の滲む声でアンドリエイラに聞く。
「おい、まさかすでにその魔王自体と因縁作った後か?」
「完全に、ルイスは巻き込まれたんですね」
ホリーが同情しつつモップを動かし、ヴァンは布巾で血を拭きとりつつ周囲を見回した。
「それで、ここにいないのはなんで?」
「そうだ、どうやって無事だったんだ?」
モートンも、怒れる魔王に結界を破られた割に、外傷のない様子に聞く。
ルイスは肩を竦めて両手を開いて見せた。
「素直に不在だってことを教えたよ。あと、神さまが何かしてるみたいで、鳩がひねられたって言ったら、なんか遠い目してた」
「鳩?」
それが神の化身とは知らない面々は、サリアンの呟きと同時に首を捻る。
アンドリエイラだけはわかって、神の祭壇を眺めた。
つまり二百年前と変わらず、神も捻ってる状況に頭が冷えたのだと察する。
「でも、それで退くならこんなところまで来てないと思うのだけれど」
魔王の城から大変な距離があると知っているアンドリエイラに、ルイスは笑顔で応じた。
「もちろん、お嬢さんに会いたいなら家に行けばいいって教えておいたよ」
少々自棄を感じる笑顔に、ウルは半笑いを浮かべる。
「うわ、あの森に追い出したんだ」
「まぁ、私の館はまだ修繕途中なのよ?」
怒ったように文句を言うアンドリエイラに、サリアンはいっそ息を吐いた。
「だが、留守番に神もどきどもがいるだろ」
「ゲイルとラーズじゃ魔王はさすがに無理よ」
神の末端である黒猫と白鴉。
しかし生まれながらに神に属する存在だからこその、地上での不利もある。
それに比べて地上に生まれ、地上で魂を磨いて地力をつけ、神の座に手を伸ばす魔王とでは振るえる力が違う。
貴族の子と、護衛のどちらが上かと言えば貴族だ。
だが、強さはと聞かれれば護衛に軍配が上がるようなもの。
(そもそも二人の権能は、死という強い想念の上で発揮されるからこそ縛りも強い。あの魔王相手じゃ不利だわ)
ただの人間を相手にするのとはわけが違う。
場合によっては館を守り切れないことを、アンドリエイラは懸念していた。
(血は、乾いてる。つまりルイスは血を吐いてから回復するまで片付けもできなかった。もちろんその間に魔王は去ったはずで…………)
アンドリエイラは側にいたサリアンの襟首を掴むと、そのまま聖堂の入り口に向かう。
サリアンは必死に足を踏ん張りながらも引きずられ、震える声を向けた。
「お、おい、まさか!?」
「さぁ、行くわよ!」
「あぁぁぁぁ…………!」
聖堂を出た途端消えたのは、ダンジョンの帰りと同じ。
問答無用で上空から森へと向かったのだ。
呆然と見るしかない冒険者たちは、無言でそれぞれ見なかったことにする。
その中で、ルイスだけは笑いながら言った。
「まぁ、きっとお嬢さんで慣れてるあいつなら大丈夫だよ」
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