86話:魔王襲来1
アンドリエイラはほどほどに満足し、子羊の塩漬けを出す食堂を後にした。
昼食後は、また買い足りなかったものを買い足して、午前に回った範囲ををもうひと周り。
その合間に、アンドリエイラは気づかれないよう、手袋に簡易な隠蔽を施す。
荷物持ちのモートンは疲れと呆れで気づかない。
「染色した革は買いすぎじゃないのか?」
巻き軸に巻かれたものを片手に抱えさせられている。
さらには臭いを誤魔化すための蝋も箱買いだ。
糸や布も細々と買い足されて、全てモートンが持ち運んでいた。
ホリーとウルは、そんな姿を見て大いに頷く。
「やはり、お嬢が持つには多すぎますよね。腕の長さも足りないでしょうし」
「モートンが止めなかったらもうひと巻きくらい革買ってたんじゃない?」
モートンはきちんと歯止めの役目を果たしていた。
その上で時間も十分に稼げている。
冒険者三人は無言でうなずき合うと、落ち合う予定の場所へと向かった。
馬車も停められる広場では、がっくりと項垂れたカーランが座っている。
せっせと馬車の整備と馬の点検をしているのはサリアンとヴァンだ。
「あら、どうしたの? まぁ、怪我?」
短いつき合いながら異変を感じたアンドリエイラは、右手に包帯を巻いたカーランに気づく。
別れる時にはなかったもので、確かに両手とも無事だったことを覚えていた。
カーランは疲れた様子で顔を上げると、アンドリエイラを見て溜め息を吐く。
「まぁな。帰りは手綱引けないし、護衛もできないぞ」
何もしたくないと言いたげなカーランに、神官のモートンは抱えていた荷物を降ろす。
「そこは治してやるくらいするぞ。診せてみろ」
「えぇ、まずは傷の具合を見て、それから水を汲んできます」
ホリーも薬師として治療に当たるためカーランに近寄った。
アンドリエイラはモートンから荷物を受け取り、荷車へ持っていく。
半分はウルが持って誤魔化し、離れて行った。
「これは、火傷だ」
「まぁ、どうして?」
カーランはアンドリエイラが離れたのを確認して、怪我について口にする。
指先から肘近くまで赤くなった様子に、ホリーは目を瞠った。
「ちょっと鉄を内側から叩いた」
「まさか、オ…………いや、熱した上でか?」
オーブンと言いかけてモートンは言葉切り、言い直す。
アンドリエイラの耳の良さはなんとなくわかっていた。
カーランも頷きだけで応じて、アンドリエイラを警戒する。
結局へこみは、カーランがオーブンに手を入れて叩いて直した。
もちろん職人が微調整もしたが、常に慣れた職人ほど、カーランは要領が良くはない。
カーランは熱したオーブンの中に手を入れていたため火傷し、腕全体が熱を帯びて赤くなってしまっていた。
その上で熱いオーブン本体に触れた部分も火傷として傷になっている。
「冷やすのも足りてないな。まずは全体的に悪化しないようにしよう」
「すぐに火傷に効く薬を作りますね」
モートンが神官としての回復を魔法で行うことになった。
全部を治すには広範囲なため、薬師のホリーは補助としての薬の作成に入る。
「はぁ、何やってんだろうな」
カーランは腕の痛みが改善する安堵と共に吐き出す。
商人としても、冒険者としてもおかしな状況での怪我だ。
そもそも防御力が低いため回避に専念する戦闘スタイル。
だから常なら、怪我も少ないほうで済んでいる。
それが全く関係なく片腕が使えないような、大きな怪我を負う羽目になった。
「名誉の負傷だとでも思うべきだろうな」
「そうです、守ったんです」
モートンとホリーが慰めを口にする。
その様子に離れていながら耳を傾けていたアンドリエイラは、首を傾げた。
「カーランはいったいどうして怪我をしたの?」
アンドリエイラからすれば、別行動のホリーとモートンが知っているような言動も気になるところだ。
サリアンは雑に答えて話題を変える。
「気にするな。必要な犠牲だった。それよりも、そっちはどうだったんだ? それなりに買い込んだようだが」
「って言うか、素材ばっかりだね。もしかして気に入らないからって作るの?」
ヴァンがズバリ言い当てて呆れる。
アンドリエイラは薄い胸を張って自信満々に応じた。
「相応しいものがないんだからしょうがないわ。作るための器具も色々あるのよ」
買った物をお披露目しようとするアンドリエイラを、サリアンは面倒そうに手を振って止める。
「あー、いいって。それよりもさっさと帰るぞ」
言って、治療中のカーランたちにも声をかけた。
カーランをほどほどに回復させられた後は、出立。
ウォーラスからは急なことで飛び出すように出た。
その上で帰りたい理由もあり、行動は速やかだ。
馬を歩かせながら、カーランがあえて口の端を吊り上げた。
「足止めもできないルイスを、どうしてやろうか」
アンドリエイラをウォーラスに足止めするはずが、ことは露見してしまっている。
その上神と亡霊令嬢の大乱闘。
巻き込まれた側の恐怖と疲労は、八つ当たりの怒りとして十全に役目を果たせなかった者へと向く。
冒険者たちはカーランの逆恨みに頷き、アンドリエイラも止めない。
ただ馬の横で、ウルはウォーラスの方向を眺めて眉を顰める。
「…………ちょっと、帰りたくないかも」
「は? え、ちょっと待ってよ。それどういう意味だい!?」
声を上げたのはヴァンだが、全員がウルの発言に戸惑いを見せた。
ウルの直感が、ウォーラスの異変を言い当てているのは疑いない。
保身を考えるなら、ここで問題が解決するのを待つこともできる。
「あら、何があるのかしら?」
ただ、決して恐れないアンドリエイラだけわくわくと聞いた。
それにホリーは、荷車を振り返って諫める。
「お嬢、またオーブンの設置が遠のくだけです」
「う、そう言われると簡単に解決することがいいわね」
引く姿勢を見せたアンドリエイラに、モートンも援護を送った。
「戻らないわけにはいかないが、ウォーラス内部で被害があるようなことは避けるべきだ」
「うーん、そうね。今はせっかくオーブンが届いたのだから、そっちよね」
アンドリエイラも考慮に入れる。
ただサリアンはウルを見据えて、確認した。
「おい、今のルイスの話だったよな?」
帰りたくないと言ったウルの発言は、ウォーラスに向けて。
だが、その前に出た話題は、留守番のルイスについてだった。
異変があったのはルイスの可能性が高い。
(いや、だが帰りたくない程度なら、実害はないのか?)
サリアンは考え、わかっていない顔のウルを見て、付き合いの長い相方へと話を振る。
「帰りたくない割に、足は止めないな。モートンこういうことは今まで?」
「そうだな…………。ことのあと、見て気分のいいものじゃない事象の元へ行く時か」
具体的でいて濁すモートン。
理由は殺人現場を見た時の様相に似ていたからだ。
ヴァンとホリーは察することができず、お互いに言い合う。
「帰っても危険はないということでいいの?」
「けれど嫌な気分になるのは嫌だし」
カーランも考え、馬を止めることはなかった。
「ことが終わっていると言うなら、どっちにしても帰るからには知ることになるだろ」
オーブン以外の荷もあるため、遅く戻る理由はない。
足を止めずに真っ直ぐウォーラスへとアンドリエイラたちは帰った。
そうして異変は、見る者には即座にわかる形で存在する。
「あら、教会の結界がなくなってるわね。ルイスが解くわけもないでしょうし。何者かに襲われたのかしら?」
大事な守りが解除されていた。
その事実を聞いたサリアンとヴァンとホリーは荷車を放置で教会へ走る。
そうして叩き開けた聖堂の中には、血だまりができていたのだった。
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