81話:ご機嫌伺い1
アンドリエイラのオーブン盗難は、盗人の神による策略だった。
しかしアンドリエイラが撃退し、オーブンに何か仕込みをしたかった神の思惑を挫く。
人間側がアンドリエイラの機嫌に関わると、初動を迷わなかったために防げた事態。
その人間に引き摺られて出て来たアンドリエイラは、少し眉を顰めて左手を見下ろした。
「神は今ので腰が引けてしまうかもしれないわね。そうなると、次は魔王かしら」
「やめろ!」
残念そうなアンドリエイラに、サリアンが荒い息の中叫ぶ。
他の冒険者たちも同じ思いで大いに頷いた。
その上で焼き尽くされた神の燃えかすに、ウルとモートンは一抹の後悔を呟く。
「あの盗人の神って、あたしらどうにかしようとはしてなかったよね?」
「そう言えば、眠れと言っていたな。加害のつもりはなかったように思うな」
盗人の神は賊を犠牲にはしたが、その他の人間に対しては攻撃の意思はなかった。
カーランもそれはわかっていても、苦い顔で不平を漏らす。
「何かの狙いに巻き込まれて、迷惑はこうむったがな」
「迷惑のほうがましじゃない? お嬢、魔王が来るの待ってるっぽいし」
ヴァンの言葉にカーランはもっと顔を顰めた。
ホリーも額を押さえて状況の悪さを再確認する。
「昨日の畑のことを思えば、魔王の配下を倒していますし、他人ごとでもない気がします」
そんな不安も気にせず、アンドリエイラは空から降りて荒れた地面に足をつけた。
両手を背に回して、人間たちのことは気にせず荷台を確認する。
「そう言えば、ずいぶん揺れていたけれど。大丈夫だったの?」
「もっと穏便に解決できなかったのか。もしくはオーブンごと俺らを守っても良かっただろう」
サリアンが不満のまま聞いても、アンドリエイラは荷台の後方でオーブンが入ってるだろう箱を点検するばかり。
答えがないと見て、サリアンは御者席のカーランに耳打ちをした。
「これ、一回町に持ち込んで点検すべきじゃないか?」
「あぁ、馬車のほうも変な音がしてるから、ウォーラスに戻るよりもそっちがいいな」
聞こえたヴァンが、嫌な思いつきを黙っていられず口にする。
「またウォーラスに戻った時に、今度は勇者の時みたいに魔王いたらどうする?」
あまりに不穏な予想に、全員が甲高い音がなるほど息を飲んだ。
魔王には襲撃する理由があり、神も来た今、否定できない。
「もしや神の動きも、何かしらの襲来に予想を立てていて先んじようと?」
「四天王を二人も葬ってますし。黙ったままではないでしょうね」
今回のことと結びつけるモートンに、ホリーは魔王の襲来が予想で済まない可能性を示唆する。
ウルはウォーラスがある方向を見据えて呟いた。
「確かにこのまま帰るのはまずい気がするなぁ」
その一言が決め手となる。
サリアンは素早くホリーとウルを呼んで声を潜めた。
「もし傷があればお嬢が暴れることもある。こっちが点検する間、お前らお嬢の気を引いて見張れ」
「無茶振りしないでよ。点検何時間かかるの?」
不満ながら検討するウルに、ホリーも難しいことを挙げる。
「そうです。あそこの町は職人街で、おしゃれな喫茶店もないんですよ」
「だったら、その職人街で、森に行く装備の下見でもさせたらどうだ?」
カーランが、少なくともウォーラスよりも品揃えがいいことを指摘する。
ヴァンとモートンもそれに乗った。
「あ、そうだよ。どうせまた行くだろうし、その時に止められるのは面倒じゃないか」
「折よく、昨日の稼ぎで即金で売れたものもある。その分け前があればせめて防具くらいは」
アンドリエイラは人間たちのひそひそ気にせず馬車の馬へと向かう。
「あらあら、神の断末魔に当てられて死相が出ているわ。ほら、しっかりなさい」
興奮状態とわかる息を吐く馬。
しかし異様なほどに動かない異常状態は、命に係わるストレスがかかっていた。
それを見てアンドリエイラは馬の頬を叩く。
途端に、馬の死相はアンデッドであるアンドリエイラに移った。
死を招き引き寄せる力は、大抵周囲に死の不吉をまき散らす。
しかしアンドリエイラほどの高位となれば、死を引き受けることで生を呼び戻すこともできた。
(こういうことすると、聖女だとか、賢女だとか言われるのよね)
アンドリエイラは昔を思い出しながら馬を撫でる。
重傷だろうが死病だろうが、死にまつわるならアンデッドの権能の範囲内。
死を超えて起き上がったアンドリエイラに、今さら死の概念が重複したところで意味はない。
自らの内にある死の気配が強化されるだけだ。
生きているように見えて死んでいるからアンデッドなのだ。
死んだ体に重傷を負っても、死が定義されたその時の姿を維持する魔物。
死病に侵されたとしても、死病自体が死んだ体で朽ちるだけだった。
「それで、どうするか決まった?」
アンドリエイラは馬を落ち着けてから、人間たちに聞く。
途端に、魔物を相手に稼ぐはずの冒険者たちは肩を跳ね上げた。
アンドリエイラを説得するために押し出されたのは、いつもの如くサリアンだ。
「あー、お嬢。まず確認だ。教会のほうどうした? 台所で作業してたはずだろ?」
「ルイスに任せて来たわ。後片付けまでやっておくそうよ」
サリアンは顔を歪めて舌打ちをする。
つまりルイスは追うとわかっていて、保身を優先し引き留めもしなかったのだ。
もちろん鳩に身をやつした神が、目の前で絞められるという現場を目撃した上での保身。
だが知らないサリアンたちは、帰ったら文句を言おうと無言でうなずき合っていた。
「すぐに戻らなくていいなら、馬の替えと馬車の点検のためにこの先に町に…………馬、平気そうだな?」
説明を続けたサリアンは、気づいてアンドリエイラを見る。
けれどアンドリエイラは笑うだけで答える気はない。
「だったら私はウォーラスへ戻っていようかしら」
サリアンの提案には惹かれる。
しかし、目を離したうちに神がまた何をするか、警戒感も湧いた。
ヴァンが言うように魔王でも引き入れられては、アンドリエイラも困るのだ。
神の権能よりも弱いとは言え、破壊の権化である魔王にせっかくの屋敷を壊されてはたまらない。
「いや、この先の町はウルが皮革の染色なんかしたところでな」
サリアンは詳しいウルに顎を振って、アンドリエイラの気を引けと指示。
「まぁね。だからお嬢、ちょっとくらい防具見ない? 装飾重視なのも売ってるし」
「ベルトやポーチでも、それらしいものをつけていると少しは番兵の目も緩みます」
ホリーも一緒になって勧める。
アンドリエイラも、その誘いに心惹かれて考える。
「そうね。家具もみたしクローゼット棚も買ったわ。収納するものがないなんてねぇ」
惹かれる様子にサリアンはさっさと決めた態で押し通した。
「よし、どうせ体力に限界なんてないだろ。このままいくぞ」
といっても、無茶な操縦で荷車は軋みを上げる状況。
進むのも早くはない。
「ひどいわね。どうしてこんなことに?」
「嘘だろ、あれだけ暴れたのに全く他人ごと?」
ヴァンは声を上げて振り返る。
そこには荒れた大地が広がっていた。
明らかに何か大変なことが起きたと示す痕跡。
ただ派手に壊れすぎていて何が起きたかなどわからないほどだ。
もちろん神と亡霊令嬢が戦ったなど誰もわからない。
だからこそモートンは諦めた目をした。
「他に巻き込まれる者がいなかったのは不幸中の幸いだな」
「盗賊どもはいつの間にか消し飛んでたがな」
カーランが気のない様子で、死体さえもはや見つけられない賊のことを口にした。
生死問わずで戦闘不能にした相手。
その後に暴れた亡霊令嬢と神の戦いには、サリアンたちも逃げるのでやっと。
思い出した時にはもはや骨の一つも残さず消えていたのだ。
「あ、私のオーブン盗んだ奴らに制裁がまだだったわ」
「これ以上は過剰すぎて残酷なんてもんじゃないだろ」
思い出した様子のアンドリエイラに、サリアンが首を横に振って見せた。
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