79話:鉄のオーブン4
アンドリエイラのオーブンが、馬車ごと盗まれた。
ウォーラスまでの運搬を担っていた、商人のカーランの元へと一報は齎されている。
賊が去った方向から、足がつかない内に売却して逃げるつもりだろうと、部下は報告した。
不正な方法でオーブンを売るならば、元の形がわからない鉄くずにして足がつかないよう売り払う。
そうなれば、オーブンを楽しみにしていた亡霊令嬢がどんな暴挙に出ることか。
サリアンたちはアンドリエイラに気づかれない内に、奪還しようと計画した。
「信じられない! なんて馬鹿なことするんだよ!」
「もう絶対それお嬢知ったら暴れるってぇ!」
緊急依頼と言って、ウォーラスを出てから事情を聞かされたヴァンとウルが不満の声を上げる。
アンドリエイラにはただの盗賊退治と言って出ていた。
一度相手をしているせいで興味は薄く、教会に残ることも了承。
今はサリアンとルイスの誘導で、子供たちにお菓子作りを教えているはずだ。
アンドリエイラが知る前に、奪還しなければいけない。
何より町に持ち込まれて売り払う前に、鋳つぶされる前にと気持ちは急く。
生存に関して勘の鋭いウルが取り乱すほどのことが起こるのだ。
確実に周囲への被害が出る上に、高確率で巻き込まれる。
そのウルが今は涙目になって、声を震わせているのだけが救いだった。
「まだ間に合うはずだ。賊には見張りをつけてる。ともかく追うぞ!」
ウルの反応からまだ最悪の状況は避けられると見て、カーランも必死だった。
依頼の備品としてカーランが馬を用意して、ともかく部下が待つ地点へと急行する。
馬に乗れるのはサリアン、モートン、カーラン。
二人乗りでも走るよりはましな速度のため、乗れない残り三人は分乗している。
ウルと同乗するモートンが、馬の手綱を握って確認した。
「町への先回りはしないのか? 乗れる者だけでも先行して止めたほうが確実だろう」
「そうです、二手に分かれたほうが逃がさないはずですし、私たちは後から追います」
ホリーもサリアンに同乗しながら賛同した。
馬に乗れる三人が先回りし、残る三人が追って加勢をする作戦だ。
それにサリアンは首を横に振る。
「馬車ごと奪っていて、足が遅いらしい。最悪追い散らして奪還するだけでいいんだ。下手に争って壊しても危ない。それなら固まって接敵して、馬車から引き離す」
サリアンは馬上で簡単に作戦を説明した。
打ち合わせもなしに飛び出すほど焦っていたためだ。
ただそれだけ急いだことが功を奏した。
町へたどり着く前の馬車を発見することに成功する。
「このまま突っ込んでまずは馬車を止める!」
第一に確保すべきは賊ではない。
オーブンだ。
サリアンの号令に、ホリーが薬師として意見を挙げた。
「判断力を鈍らせる薬を散布するので、私たちは最後に!」
薬師のホリーは興奮剤が含まれた粉薬を出して、意図を伝えた。
応じて威圧感のあるモートンとウルの馬が先頭を走る。
モートンに隠れるように、ウルは鞭を出した。
「そこの賊ども! 罪を償い、荷を返せ!」
「そーれ、止まれー」
モートンの忠告はもちろん聞かない。
というよりも、大柄で強面の人物が鬼気迫る顔で馬を駆っているのだ。
賊でなくとも恐れて停めるわけがなかった。
ただ走り抜ける時に、ウルは鞭を巻きつけて馬車を走らせていた御者を引きずり下ろす。
続くカーランとヴァンは、馬車の馬の前に出て速度を落とし、馬車を止めるために馬を牽制する。
その隙にサリアンが操る馬の上から、ホリーが薬を撒いた。
「こんなの盗んでバカじゃないの? 間抜け面ー!」
「馬鹿の上に救いようのない阿呆だ。死ぬ前に反省しろ」
ヴァンがあえて挑発するが、子供の悪口でしかない。
そしてカーランは心底から侮蔑した声を聞かせた。
薬の効果ですぐさま怒りに染まった賊に、サリアンたちは固まって馬車から距離を取る。
それを疑いもせず追ってくる賊は術中だった。
しかし異変を察知する声が上がる。
「うん? なんかまずいかも…………」
上手くいっている中、ウルの言葉に全員が即座に馬を降りて迎撃態勢を取る。
モートンはウルの目が賊をさまよう様子に短く聞いた。
「どれだ?」
見据える先には手入れの悪い武器を手に怒り狂った様子の賊が七人。
どれも食うに困った末の蛮行だということが見てわかる。
拠点を持って食うだけは困らない冒険者たちに比べれば貧相だった。
負けるはずもない相手だが、ウルの勘が働いた上で迷う。
「なんだろ? 一瞬確かに…………。でも、隠れられた?」
「ち、離れたところに別の仲間がいたか?」
カーランは目の前の七人じゃないと見て周囲に素早く目を配る。
ウルが危機を覚えたとなれば、撤退も視野に入れなければならない。
その上で、それが今はないとなればやるべきことは手早い掃討だ。
「ともかく潰してさっさと馬車を回収する」
「それじゃ、行くよ!」
「ホリーも攻撃に回れ」
ヴァンが一番に駆けだした。
それを見てモートンもメイスを手にして、援護役のホリーに指示を出す。
サリアンはホリーと共に魔法での攻撃。
ウルとカーランは馬車の確保に走る。
(よし、思ったとおり強くはない)
サリアンは力押しで負けないヴァンとモートンの後ろから援護しつつ状況を確認する。
相手のほうが多くても、戦闘経験と自力に差があった。
食うに困れば持つ者から奪う。
そんな浅慮と切実な欲で賊になり下がる者は珍しくない。
だからこそ、冒険者たちは気にせず打ちのめす。
賊に落ちて捕まれば首縄であり、生きて引き渡す意味はほぼないのだ。
「よぉし、終わり!」
ヴァンが一閃して、最後の一人を切り倒した。
生死など気にせず、反撃の気概がないことだけを確かめて、サリアンも馬車へ向かう。
ウルは馬の状態を確認し、カーランは荷を確認していた。
ホリーは荷馬車の中へ入り、カーランを手伝う。
「どうですか? オーブンは?」
「あぁ、そのまま運んで中の確認もしてなかったようだ」
カーラン曰く、梱包もそのままだという。
減ることも増えることもなく、荷は無事だった。
ひと息ついたモートンは、すぐに表情を引き締める。
「他にもいるかもしれないんだったな。早くこの場を離れよう」
「あ…………」
ウルの声に全員がその視線の先に武器を構えた。
そこには倒れた七人の賊がいる。
しかし一人が浮き上がるように、サリアンたちの目の前で立った。
そしてかくりと首を揺らして振り返る。
「ほう? 何やら勘所の良い者がおるようじゃ」
低く落ち着きと品のある声。
見た目はただの賊であり、体も弛緩しているようにしか見えない。
先ほどまで騒ぎながら襲った者とは、何かが違った。
「無理…………」
ウルの呟きに誰も何も言わず踵を返す。
馬車を盾にする形で逃げ出し、次の一歩を踏み出そうとした。
しかし、走り出した視界の先に、さっきの賊が浮いている。
ニヤリと笑ってみせると、親しみさえ感じさえる声を聞かせた。
「何、荷は返そう。だが、オーブンとやらには少々細工をさせてもらう。それまでは眠っておれ」
「く!」
賊であった者が、決定事項のように言って手を伸ばしてくる。
すぐさまモートンが盾を構えて、攻撃を防ぐ体勢を取った。
サリアンとカーランは少しでも相手を怯ませようとナイフを投げるが、ウルの呟きがさらに絶望に染まって零れる。
「あ、駄目だ」
ヴァンとホリーも、ウルの見つめる先に気づいて、声を震わせた。
「あぁ、なんでだよ」
「どうして、ここに?」
ただそう言って見るのは賊ではない。
見上げるのは空。
そこに浮かぶ、一人の少女、アンドリエイラ。
亡霊令嬢の白い頬に浮かぶ笑みに、賊であった者さえ身を強張らせていた。
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