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65話:馬と鹿のお遊戯5

「最後のあれはない」


 サリアンがそう苦言を呈すと、周囲は大きく頷く。


 ウォーラスの教会で、アンドリエイラは少女らしく頬を膨らませた。


「どうせ倒せなかったのに?」


 理不尽に怒られているかのように不服を露わにする少女は、しかし人間からすれば理不尽の権化だ。


「うーん、倒せるかどうかじゃないんだよ」


 宥めるようにいうルイスは、戦力にもならないため現場にはおらず、ただことの経緯を聞いただけ。


 だが実際見たヴァンとホリーは、揃って首を振りつつ訴えた。


「本当にないよ。あの尾を引く馬の悲鳴、森から聞こえなくなった時のみんなの顔!」

「散々に防壁の上で暴れた神鹿が逃げて行ったのも、悪い想像を膨らませました」


 誰もが見た、そして恐怖した。

 人間など歯牙にもかけていなかった巨馬が、突然種族の違う人間にもわかる恐怖を露わにした上で、森へと連れ去られる姿に。


「あれじゃ、まだ当分森の封鎖は続くだろうな。封鎖を解いたところで誰も入りはしない」

「どうして!」


 呆れたように言うカーランに、アンドリエイラは心底疑問の声を上げた。

 その純粋な疑問に、やらかした自覚はない。


 巨馬よりも、神鹿よりも強大な存在がほのめかされ、人が怯える。

 そうなれば森に人は入らず、より馴染みのない場所として倦厭されるだろう。

 そうなれば、勝てる見込みない相手を忘れるまで怯えるしかない。

 冒険者も、安全だ、大丈夫だと言えるほどの時を待たなければ戻らない。


「まぁ、領主代理としては稼ぎが少なくなるから、たぶん誰かが行かされるよね」

「だが、誰も最初の犠牲者になどなりたくはない。兵に命じても抵抗があるだろう」


 権力者の都合で閉鎖は年を越さないという予想をするウルに、モートンはそれでも現状では数日で動くことはないという。


 人間たちの都合を耳にしたアンドリエイラは、完全に予想外という顔をしていた。


「だって、被害なんて出さないようにしたのに。今以上に冒険者が行かないんじゃ、畑が痩せるばかりだわ」


 アンドリエイラとしては、森に入る人間に何をするつもりもない。

 けれどこの場の者以外は、アンドリエイラの思惑など知らずにいるのだ。

 だからこそ、大勢を怯えさせる結果となった巨馬の引きずり込みは悪手だとサリアンは指摘した。


 もちろんこの場の誰も、森に行く気はない。

 そもそも数日放置すれば野生の森の道は消え、枝は伸び、進行自体が面倒になる。

 その上で今まで人間の往来で遠慮していた獣や魔物が予想外の所から出てくることも想像できた。

 手間と危険が増えるばかりの今の森に、行きたい者はいないのだ。


「あなたたち…………」


 アンドリエイラが手っ取り早く目の前の冒険者たちを使おうとするが、サリアンが先に手を挙げて止める。


「ドラゴンのことでお嬢も報告義務が発生することの手間はわかってるだろ。今回は、あれよりもっと面倒なことになるぞ」


 アンドリエイラも、ギルドの対応のために待たされことは思い出せる。

 しかもその後には、そうしてギルドに報告したことで、モートンは勇者に絡まれた。

 他にも根掘り葉掘り聞かれれば、アンドリエイラ自身が何かしたらこそごまかしや口裏合わせという前準備が必要にもなる。


「…………面倒ね」


 想像して漏らしたアンドリエイラに、頷いた上でサリアンは確認を口にする。


「神はもう大丈夫なのか? 何人もいるもんなんだろ?」

「えぇ、あの勇者に直接関わってた三柱とも殺したし、他も適当に威圧しておいたわ」


 あまりの発言に、人間たちは揃って噴き出す。

 アンドリエイラに不穏な気配はあったが、まさか複数の神を始末しているとは思わなかったのだ。


「…………正直、引く」

「何?」


 サリアンが言う意味がわからないアンドリエイラに、若いヴァンとホリーが驚く。


「え、引くって通じないの? 言うよね、引くって」

「でも確かにご年配の方は使わない気もするし」


 聞いていたサリアンが今度は失笑した。

 途端に笑われたことだけはわかったアンドリエイラが浮いて、サリアンの首に腕をかけると締め上げる。


「サリアン、一人で森に行きたいのかしら?」

「行かない行かない行かない!」


 暴れるサリアンだが、アンドリエイラの腕は揺るがない。

 その異常な光景に、非力な人間たちはサリアンを見捨てる形で距離を取った。


「…………うん、よし。さっきお嬢さんから聞いたんだけどね」


 ルイスが一番に見限って話すのは、教会に現れる神からの許諾。

 護符によって森での活動に危険はないという宣伝文句を伝える。


「いつの間にそんな許諾を取ったんだ。一枚噛ませろ」

「い、や」


 即座に食いつく商人のカーランに、ルイスは作った声音で拒否する。

 それに神官のモートンが額に手を当てて懊悩した。


「神が許すのか、それを…………」

「なんの加護もないとか詐欺?」


 ウルは言って、首を傾げる。


 加護はないが、神自身からの許諾はある。

 何より、実際に身の危険はない。

 何故なら森の主であるアンドリエイラが、森での活動を推奨しているから。

 畑であるダンジョンを耕せと。


「うーん、何か欲しいなら、畑のほうに収穫物一つ放出するように言っておくけれど?」

「そんなことできるのか!?」


 護符で釣れるならと、アンドリエイラが餌を提示すれば、サリアンが苦しい息の下から食いつく。

 そこまでの貪欲さに、アンドリエイラは気を削がれて腕を放した。

 途端に、サリアンは息を大きく吸って咳き込む。


「言ったでしょう。あれは躾けたのよ。何がほしい? 畑だから、耕した分は出せるわよ」


 腕を組んで胸を逸らすアンドリエイラは得意げ。

 ただ釣られそうになった人間たちは、今までの経験から、一度立ち止まると頭を突き合わせて相談を始めた。


 ほしい、それは言葉にしなくとも共通認識だ。

 珍しいものも、希少なものも、ドラゴンさえ敵にしない森の主ならどれだけ望めるか。

 だが、そのためにはダンジョン攻略再開のために最初の面倒を買うことになる。

 欲は強いがリスクは小さく、リターンは大きく。

 人間の望むところはそんなものだ。


「ほら、ほら。私の気が変わらない内に、早く面白いことをおっしゃい」


 優位に立ったアンドリエイラは、調子に乗って欲深い人間たちを煽る。

 その様子を見たサリアンが、いっそ冷静になって言った。


「よし、岩塩寄こせ。それだったら捨て値もなく定額で売れる」

「そんなものでいいの? 胡椒もシナモンもバニラもサフランもなんでもあるのに」

「うぐぅ…………」


 カーランが欲しくてたまらない希少なスパイスの数々に唸る。

 しかし求めれば対価を求めるのがアンドリエイラだと、さすがにわかっていた。

 だからこそ、腐ることがなく、内陸の周辺では数があっても困らない岩塩を求めたのだ。


 周囲も欲に引き摺られそうなカーランを宥める。

 それを横目にサリアンは、アンドリエイラに要求を続けた。


「岩塩程度ならすぐ金にできる。今の冒険者たちなら即日金にできるものを求めるんだ」

「ふーん、まぁ、そうね。…………それで? お金に困ってないあなたたちはどうするつもりなのかしら?」


 見るからにつまらなさそうなアンドリエイラに、サリアンは口の端を持ち上げた。


「そんなのもちろん、勇者に責任取らせる」


 サリアンの言葉に、アンドリエイラは思い出した様子で顎に指をあてる。


「そう言えば、勇者どうしたのかしら? ウォーラスには入れてもらえたのよね?」


 あまりに無責任な言葉であることを知る者は、この場にはいない。

 加護を与えた神を殺し、巨馬の足元によく確認もせずに戻したのはアンドリエイラだ。


 ただ人間のほうがさらに不遜だった。


「ってことで、ここにいるらしい神に、勇者にダンジョン行くよう言わせてくれ」


 巻き込まれる側からすれば、迷惑以外の何物でもない。

 だがアンドリエイラは面白いと言わんばかりに目を細めて、意味ありげに教会の祭壇を見上げた。


定期更新

次回:ダンジョン探索1

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