64話:馬と鹿のお遊戯4
アンドリエイラは天界を通ってウォーラスへ戻った。
時間をかけることになったため、すでに地上は白々と明けている。
ウォーラス内は人が起きて活動を始めており、宵闇に隠れることもできない。
そのため天界から地上へと降りる場所は森の中にした。
隠蔽も魔法で行い、森のただなかへと降りたアンドリエイラは首を巡らせる。
「なんだか騒がしいわね?」
森の淵に向かうアンドリエイラに、ついて来た黒猫のゲイルと白鴉のラーズが答えた。
「騒がしいというよりも、ずいぶんと高揚した声だ」
「あぁ、戦意が高いな。ビビってたはずだったよな?」
聞こえるのは戦意に高揚した人間たちの声。
「神鹿が捕まったかしら?」
最後に見た時には逃げに徹してはいたものの、足場は狭く人間に囲まれた状況だった。
神鹿もあまり人間を傷をつけないようにしていたため、身動きが取れなくなる可能性もある。
「捕まっても逃げるだろ、あいつなら」
白鴉のラーズがアンドリエイラの肩に止まった状態で応じる。
実際森に住む魔物の中では、アンドリエイラに次ぐ力を持つのが神鹿だ。
人の作った防壁など一足で踏み砕ける。
神鹿と呼ばれるのは伊達ではなく、神に近い存在に昇華されていた。
ただ、天界は今人間に近い形の神々が信仰を集めている。
そのため獣神たちは人に姿を変えるか、地上の一地域で土着信仰を維持する形をとっていた。
神鹿は森で過ごせればいいだけなので神にはならず、森の主という立場もそうそうにアンドリエイラへと譲っている。
「おい、やられてるのは馬のほうだぞ」
黒猫の身体能力で高い枝に乗り、ゲイルが教えた。
アンドリエイラとラーズは顔を見合わせると、気配を殺して木の上へ飛ぶ。
枝の間に隠れてウォーラスの防壁を見れば、高揚した声を上げる人間たちが防壁の下を見ていた。
「あら、本当。転んでしまったのかしら」
「足痛めてるらしいな。それで起き上がれなくなったところを集中攻撃受けてるぜ」
ラーズの言葉に、アンドリエイラは鹿の姿を捜す。
「神鹿は降りてきてるわね。じゃあ、何があったか聞きましょう。ラーズ、呼んで」
アンドリエイラが言うと、ラーズは羽ばたいて鴉の鳴き声を発した。
動物の言葉がわかる者であれば、神鹿への呼び声に聞こえるはずだ。
神鹿は耳を動かして気づくと動きを止めた。
そして集中砲火を受ける巨馬を守っていたのをやめて、森へと跳躍。
途端に巨馬が情けない鳴き声をあげるが、神鹿は気にしない。
巨体に見合う耐久力があるため、人間の攻撃など致命傷にはならないのだ。
神の加護を持つ勇者は脅威だったが、加護を与える神が死んだ今、ただの人だった。
「戻ったか」
「神は三人やったわ。ほら」
「神核…………」
木の下にやって来た神鹿に、アンドリエイラは無造作に神核を見せる。
つまりそれだけの神が存在を消されたという証拠だ。
さらにアンドリエイラが大事にすることもないと知っていて、神であった者たちに哀れみの目を向けた。
「あ、そうだわ。蔦で編んだ丸籠に入れて吊るしても、味のある飾りになりそうよね」
「神核を弄ぶとは、いや、砕くよりましか」
諫めようとした神鹿だが、以前の行状と比べてやめる。
「そういう結論になるよな」
「人の住処に無造作に飾ろうとしているがな」
白鴉が笑うと黒猫がさらに雑な扱いの予定を教えた。
もはや奇跡の触媒ともなる神核を弄ぶさまに、神鹿は呆れた目を向ける。
その間も森の外からは殺意に満ちた人間の声と、助けを求める巨馬の嘶きが聞こえていた。
「それで、どうして馬は転んだの?」
気にせずアンドリエイラが聞けば、神鹿は巨馬がいる方向へ鼻面を向ける。
「突然勇者が足のすぐ側に現れた。そのせいで慌てて足が絡んでこけた。さらに慌てて立ち上がろうとしたが、また足がもつれて今度は足を捻った」
そしてバランスを崩しているところに、勇者たちの攻撃を受けまた転ぶという、なんとも不運な間抜けを演じたのだと。
もちろんウォーラスの防壁からは追いうちの攻撃が降り、起き上がる機会はなくなったとも。
「あら、勇者死んでなかったのね。良かったわ」
「亡霊令嬢の気配がついていたから、あれも踏まぬよう焦ったのだ」
神鹿は同情的に教える。
本来巨馬は魔物であり、人間を殺すことなどなんとも思っていない。
ところがその人間に格上の気配がまとわりついていた。
つまり、わざわざアンドリエイラがこの場に戻したのだから、そんな相手を踏みつけたら後が怖い。
そのため巨馬は焦ってしまったのだ。
「勇者は思ったよりも動きがいいな」
黒猫のゲイルが枝の上から、巨馬に挑みかかる勇者を観察していた。
その隣に飛び乗った白鴉のラーズも、勇者の状態を確認して評する。
「変に暴走寸前まで加護押しつけられるよりましか?」
「だが、殺せるほどの力はない」
実際に戦った神鹿からの、感情の乗らない事実の報告。
「ということは、このまま馬が嬲られるだけなのね」
アンドリエイラが考える間も、巨馬の悲鳴が続く。
そのあまりの音量に、アンドリエイラは溜め息を吐いた。
「いいわ。神は殺したし、勇者もただの人。もうお遊戯の必要もないでしょう」
「どうするつも、うぉ!?」
「おわ! こら、言え!」
黒猫のゲイルは言葉を切って、別の枝へと飛び移る。
白鴉のラーズは羽ばたいて宙に逃れると文句を言った。
アンドリエイラは無造作に、二人が立つ周辺の木々を操って縄のように引き延ばす。
「全く、いつまで情けない声を出しているの」
アンドリエイラは巨馬をそう叱責した。
森の中から、騒ぐ人間たちのいる防壁近くへは聞こえない距離。
しかし確かに向けられる、森の主の気配を感じられる者は感じる。
巨馬はアンドリエイラの気配に、すぐさま黙った。
そしてそれまで行っていた抵抗もやめる。
どころか、ガタガタと目に見えて震え始めたことで、人間たちに困惑が広がった。
「え、おい…………まさか」
防壁の上でそんな声がする。
アンドリエイラの人間を超えた五感で聞こえた呟きはサリアンだ。
察しが良すぎる相手に笑みを浮かべて、アンドリエイラは腕を振った。
途端に、縄のように変形したいくつもの木々が伸び、森から飛び出す。
「逃げろー!」
誰の口からも退避の声が悲鳴のように上がった。
アンドリエイラが雑に放った木の縄は、勢い余っていくつか防壁に激突し、さらに悲鳴を誘発する。
ただ一番の悲鳴を上げたのは巨馬だった。
その身は木の縄によって縛り上げるように拘束されると、容赦なく森の中へと引きずり込まれていく。
悲痛なまでの鳴き声と拘束されたまま引き摺られる姿は、屠殺場を思わせた。
「…………全て持って行ったな」
神鹿は静まり返った人間たちの様子に、そう呟いた。
人の手では殺しきれない巨馬が、引き摺られ、怯えさせられる何者か。
それが森にいると明示したのだ。
神鹿が離脱したことも、何者かの存在に気づいて逃げたように人々には見えただろう。
そして不穏な存在への恐怖と警戒は、アンドリエイラに集まる畏怖という力になる。
「どうでもいいわ」
「「だろうな」」
切り捨てる言葉に、黒猫と白鴉が声を揃えた。
アンドリエイラは気にせず、傍まで引き摺って来た巨馬に目もくれず笑う。
「さ、お遊びは終わりよ。早く人間には畑を耕してもらわないと」
森の主の畑はダンジョン。
そこで生死をかけて日銭を稼ぐ肉体労働をすることで、冒険者か魔物が糧となることを、アンドリエイラは期待した。
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