60話:追い詰められた勇者5
神の下へ乗り込んだアンドリエイラは、すでに弱っていた神々を傲然と見下ろす。
さらに負の感情を吸ってしまい、赤い花を纏っていた女神が見る間に老いさらばえるさまには興味なく。
比例するように、眼下のウォーラスではひどく戦意が高揚しているさまに、口の端を上げた。
「あなたが吸い上げてくれたから、あちらは憎悪や怒りに呑まれず戦えているようよ。神として人間を導けているじゃない」
「こ、の…………!」
しわがれた声で女神が悪態を吐こうとしたが、急激な衰えについていけてない。
ましてや醜く皺のよった手や、喘鳴のうるさい声に女神が自身で驚いていた。
「さぁ、ほら。あなたの勇者が窮地よ。助けては上げないの?」
アンドリエイラは嘲弄して女神を煽る。
すでにそんな力がないことをわかった上での挑発だ。
そもそも勇者が窮地となって力が弱まっているのは、女神の加護が激減したため。
今や巨馬の足元で仲間と共に逃げ惑うしかない蟻のようになっていた。
「ここで勇者が負けてしまえば、あなたどころか他の神々の威光すら陰るでしょうね」
神は寄り合いであり、それによって人間から信仰という分け前をもらう。
しかし今回神の名の下に勇者を擁したのに、どう見ても失敗している。
しかもなんの成果もあげられない上に、人々からの怨嗟が向けられる始末。
神の力を弱める負の力しか集まらないのでは、悪化でしかない。
そんなことが起きれば、他の神々の不満は何処へ向かうか。
老いた女神から距離を取っていた男神たちは、保身と危うさに距離を取ろうとした。
しかし、アンドリエイラがそれを許さない。
「あなたたちでもいいのよ。そのつもりだったのでしょう? こんな状態ではこの女神は加護なんて与えられない役立たずだもの。ほら、助けないの?」
今手を出さなければ、勇者の敗北は必至であり、神への信仰も目減りする。
それは神としても看過できない。
何よりアンドリエイラという強敵を退けても、勇者を上手く使えないために被った損害があれば、他の神々に睨まれ身が危うい。
それでは神として、栄達は望めない。
若い神には相応の野心があり、これからという希望があった。
そしてまだ尖った自意識とプライドは、取り戻そうという欲に繋がる。
(神を殺すなら、プライドをへし折ったほうが楽だわ)
アンドリエイラは嗜虐を楽しむふりをしながら、内心は冷淡に思案していた。
宣言したとおり、この神々を殺すために。
すでに赤い花の女神は死ぬ寸前。
本来の神であれば、位階の違う存在だ。
アンドリエイラでも、俗世に所属する限りは有効な攻撃は少ない。
それが今、容色が衰え、慣れない力を押しつけられ、さらに上の神々から睨まれるかもしれない、失敗した、自らの責任という重圧で弱り切っている。
(精神的に追い詰められ、消耗した女神はもう一度呪いを叩き込めば終わるわね)
ただすぐには終わらせない。
何故なら、他の男神たちがいるのだ。
死に瀕した女神の姿に恐怖し、嫌悪している。
それがまた神としての矜持を刺激すると同時に、負の力を引き寄せやすくする下地にできた。
「や、やるしかない!」
黄色い肌の神が、奮い立つように声を上げる。
そして女神に一度手を触れ、汚いものでも触ったように顔を顰めると、勇者に新たな加護を与えるため目を閉じた。
それを見て、アンドリエイラは失笑する。
それを赤い羽根の男神は見逃さずにいた。
「待て! 罠だ!」
しかし遅い。
女神が持っていた権能はすでに黄色い肌の男神に移った。
それによって勇者に加護を与えるため下界と繋がる。
途端に、負の力が黄色い肌の男神に流れ込み、神としての力を削ぐ苦痛を与えた。
「ぐぁぁああ!?」
「あははは! 何を見ていたの? それとも、あの女神が吸い取って終わりだとでも? よく観なさい、戦っているのよ。脅威が目の前に、そして命の危機に奮い立つには感情がいるの。新たに生まれるの。あなたたち、人間たちを知らないのかしら?」
女神ほどではなくとも、負の力を押しつけられたために、黄色く艶やかだった神の肌は、土気色に黒ずんでしまう。
さらには合わない力に不調を来し、苦しげに喘鳴したかと思えば、口を覆った瞬間、嘔吐をした。
そうして身の内から湿った不穏な音を出し終えて顔を上げた男神は、まるで病人のようにやつれる。
「勇者は…………仲間を助けることにしたのね」
アンドリエイラはつまらなさそうにやつれた髪を見た後には、ウォーラスへと視線を向ける。
一瞬の加護を使って、勇者は自分の脱出ではなく、仲間の救出に動いていた。
神鹿があえて追撃をせずにいたから、無事に神の交代の余波を受けて動きが鈍くなった聖女を助けている。
そうして勇者たちは互いに守り合って三人だけで壁の外、奮戦していた。
「役に立たないわね。いったいどんな加護を与えたの? その上でそんなに弱ってしまうなんて。本当にどうしようもなく未熟。神になるだなんて早すぎたんじゃない?」
プライドを逆なでするアンドリエイラに、黄色い肌の男神は屈辱に震える。
けれど赤い羽根の男神はじっと亡霊令嬢を見て、無駄口も叩かない。
「あなたは?」
「何も、しない…………わけにはいかないだろう」
目の前のアンドリエイラと対峙するには、削られすぎたと赤い羽根の男神もわかっていた。
どうにか逃亡が叶っても、逃げた先には怒り心頭の神々がいる。
ここでなんの対処もせず逃げ帰るには、命の危険が高すぎた。
「では何をしてくれるのかしら?」
小馬鹿にするように装いながら、攻撃をされれば即座に切り返す準備をする。
そんなアンドリエイラに、赤い羽根の男神は自棄を滲ませて言った。
「こうだ!」
加護を送ることはせず、けれど勇者に干渉する。
そして、ウォーラスから勇者が掻き消えた。
そして白い空間に、先ほどまで仲間とともに戦っていた勇者が現れる。
本人も何が起きたかわからない様子で瞬きを繰り返した。
ただ周囲を見回して仲間を呼ぶ。
足元の雲間には、勇者が掻き消えたことで動転する聖女と王女の姿があった。
「勇者を、解任する。元の世界へと帰るがいい。お前は失敗だ」
「え、何を言ってるんだ? それにここは何処だ? あの化け物は?」
勇者はわからず矢継ぎ早に質問するが、赤い羽根の男神は答えない。
勇者からすれば、面影もない老婆と病人、そして羽根の折れた男がいるだけ。
そうして助けを求めるように首を巡らせ、アンドリエイラに目を止めた。
「ぼ、亡霊令嬢?」
「あぁ、私の外見は伝えられていたのね。初めまして、哀れな勇者。夢から覚める時間のようよ」
「夢? いや、でも今確かに戦って、手もあの馬の足を防ぐのにこんなに痺れて」
勇者は呑み込めず、力を籠めすぎて真っ赤になった自身の手を見る。
その仕草に警戒心はなく、神から失敗の責任を押しつけられているとも想像していない。
わかっているアンドリエイラは男神に手を向けていた。
勇者を元の世界に送還しようとしているのを、呪いを向けることで邪魔しているのだ。
その間に勇者と対話する。
「あら、夢でいいじゃない。あなたを頼る者はいない、何をしても怒鳴られ憎まれ、今なんて無理やり森へ入れられたのに、魔物に襲われたら壁の内側にも入れてもらえずにいる」
「そ、それは、ひどい悪夢だと思うけど。でも、勇者じゃないと魔王倒せないんだろ?」
「そんなことないわ。私なら倒せるわよ」
「そうなの? どうやって?」
「そうねぇ、魔王周辺全て焦土にしてしまえばいいんじゃない? それともこの神々のように呪いで囲んで締め付けようかしら?」
「焦土って、そ、それ、他の人は?」
「さぁ?」
知ったことではないと笑うアンドリエイラに、勇者は怒りさえ孕んで身構えた。
「そんなこと、させるわけにはいかない! だったら魔王はこっちで倒す!」
「誰も感謝をしないわよ? 誰も働きを認めないわよ? それでも?」
「そ、れは…………でも、それが見捨てる理由にはならないだろ。一度引き受けたからには魔王を倒して、平和を目指す。それが、仲間たちと約束したことなんだ。それを破ったら、きっと戻っても後悔するし、そんな話を聞いたら、残った仲間たちを見捨てることになるじゃないか」
勇者は聖女と王女を心配し、思いやるからこそ退かない。
さらには、アンドリエイラと魔王が戦って巻き込まれる見知らぬ誰かを案じている。
怒りに満ちるウォーラスの者たちへの不信はあっても、それが全てだと絶望などしていない者の姿だtた。
「…………そう、未熟な神々でも、本物をちゃんと選んではいたのね。いいわ、あなたは勇者でいなさい。けれど、こんな馬鹿な神々の力に頼っているようでは、あなたが馬鹿を見るわよ」
アンドリエイラはそう言って、赤い羽根の男神に指を鳴らし氷漬けにする。
それはそんな亡霊令嬢と戦えと言った、神の無責任さを知らせるためだった。
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