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59話:追い詰められた勇者4

 アンドリエイラは光る雲の間に降り立ち、舞い散る赤い花びら、赤い羽根、赤い血に冷めた目を向けた。


 氷の粒は消え、じっとりとした真っ白な空間には荒い息遣いばかりが満ちる。

 そこには、纏う赤い花を無残に散らした女神、赤い羽根が折れ、みすぼらしくなった男神、黄色い肌を赤く染めた男神がいた。


「やっぱり遠いと時間がかかってしまったわ。もう踊りも終わってしまっていたのね」


 アンドリエイラがいるのは、聖女との繋がりを利用して特定した、神々が地上へと干渉するための空間。

 呪いを送り込んで逃げられないようにしている間に、海を渡って遥々移動すると、すでに三柱の神によって氷の粒のような呪いは解かれていた。

 しかし、三柱は逃げる暇もなくアンドリエイラの来訪を受けてしまっている。


「な、何故? 確かに深夜にはまだウォーラスにいたはずでは?」

「こんな早く移動できるなどと、そんなことがあり得るか!」


 黄色い肌と赤い羽根の男神が口々に吐く。


「あら、もう夜は明けてしまっているから時間はかかっているでしょう?」


 そう言ってアンドリエイラは雲間を見下ろした。

 そこには聖女との繋がりを使ってウォーラスの様子が映し出されている。

 すでに白い朝焼けに照らされる壁から、急き立てられるように勇者一行が森へと追いやられていた。


「あぁ、ほら見てちょうだい。あなたたちが選んだ哀れな勇者が…………」

「天界でも通らなければ無理よ! いつからこんな非道な真似を!?」


 赤い花の女神が、アンドリエイラを遮って怒鳴りつける。

 無礼に溜め息を吐いて、アンドリエイラは片腕を伸ばした。

 するとそこに、黒猫と白鴉が忽然と現れる。


 アンドリエイラの古なじみであるゲイルとラーズだ。


「天界を通って来たわ。戦いの神と勝利の神の眷属がいるから通れるのよ」

「クカカカ! なーんでこれだけ存在してるこいつに、神との繋がりがないと思ってたんだよ。別に隠してもないってのに」

「どうせ若輩者ばかりを組ませて、下準備だけせるつもりだったのだろう。その権利を奪い取る算段の神が伏せたんだ」


 戦いの神の末裔であるラーズが、白い羽根を広げて若い神々を嘲笑う。

 勝利の神の末席の眷属であるラーズは、呆れた声色で神々を見下ろした。


 長く生きたアンドリエイラの、その最初にゲイルは関り、ラーズと出会うのも起き上がってからさほど時間は経っていない。

 知っている者は亡霊令嬢と呼ばれるアンデッドの側に、神の眷属がいることは知っていたのだ。


「私は地上にしかいられないから、天界なら絶対安全だとでもたかをくくって、こんなお粗末な守りの中にいるんじゃ、簡単に簒奪できると思われて当然よね」


 アンドリエイラからすれば、呪いを送り込んだ時点で、なんの対策もされていないのは手ごたえからわかっていた。

 ましてや神と争い勝った経験もあることから、逆にこの油断具合は三柱が、亡霊令嬢の情報を渡されてないということまで推測可能。


 三柱も心当たりがあるようで、歯噛みして言葉もない。

 憎しみのこもった目にアンドリエイラは笑った。

 人間たちが怯えることなど気にしなくていい暗く嗜虐に満ちた笑みだ。


「こんな児戯に等しいことで私から何かを奪えると思っているなら、とんだ愚か者だわ」

「なんだ、また神を殺すのか? 後始末で神々がうるさいと言っていただろう」

「他の神々も、二百年の間に暇持て余してるんだろ。適当に後始末押しつけろよ」


 冷淡なゲイルに、ラーズが遊びのように言う。

 そう言われた三柱は、もはや意味はなく、ただ縋るだけのプライドを刺激された。


 本体ではない呪いだけですでに満身創痍。

 だというのに亡霊令嬢本人に対して臨戦態勢を取る。

 その青さをアンドリエイラは鼻で笑った。


「そうね、ここもまた盗み見されて娯楽にされているようね」


 アンドリエイラは頭上を仰ぐと、そこには雲間にとまる無数の鳥。

 大きさも羽の色もくちばしの形さえ違う。

 ただいちように、その目は知性を湛えて光るようだった。

 誰も鳴き騒ぐことなくじっとアンドリエイラたちを遥か高みから見下ろしている。


 しかし、アンドリエイラと目が合った途端、聡い者は大急ぎで逃げた。

 距離があるからと高をくくった者たちは、アンドリエイラの視線に捉えられると青い炎で燃え上がる。


「あははは!」


 青い炎に蝕まれて逃げ惑う鳥たちは、それまでの静寂を引き裂くように鳴き騒ぐ。

 中には神本体へと影響を受けて、人に近い声で絶叫を上げる鳥もいた。


 アンドリエイラは笑いながら傲慢な神々の使いを焼き払う。


「な、なんてことを…………!」


 赤い羽根の男神は恐れおののいた。

 鳥たちは神々の使いであり、それを燃やすことはそれだけの数の神に喧嘩を売ることに等しい。


 黄色い肌の男神も、あまりの暴挙に怒鳴った。


「何をしたかわかっているのか!?」

「私を上から鑑賞しようだなんて頭が高いわ」


 傲然と答えるアンドリエイラに、赤い花の女神がいっそ高笑いを発する。


「もう終わりよ! 神々があなたを滅ぼすわ! 私たちを殺したところで、破滅を招いたのよ! 愚か者はあなたのほうだったじゃない!」

「そう、やれるならやってみればいいわ。私は当分ウォーラスに暮らすの。そこにいる人間たちを巻き込んでどんな面白いことをしてくれるのかしら?」


 余裕のアンドリエイラに、神々は奇異なものを見るように黙り込んだ。

 サリアンたちが聞いていれば、声を上げただろう迷惑な宣言。


 アンドリエイラは馬鹿にするように三柱を見回した。


「世界の終りまで彷徨うアンデッドに、死や消滅がいったいなんの脅しになると思っているの? 私に手を出すのならば、お望みどおり、引き摺り落として泥に塗れさせてあげる。何より、消滅を恐れているのはあなたたちでしょう」


 神に滅ぼされることなど歯牙にもかけないアンドリエイラ。

 どころか神こそが世俗的なそれを恐れているのだと侮辱的に指摘した。


 そしてアンドリエイラの指摘は当たっている。

 地上で信仰と徳を積んで天界に昇るのが神だ。

 そうまでしても、天界では一番下からの成り上がりが必要となる。

 積み上げた経験と努力と時間。

 それらがあるからこそ、神々は無為となる消滅を恐れる。


「ねぇ、誰かここに加わって私と遊びたい者はいる?」


 アンドリエイラは頭上ではなく背後へと目を向けた。

 そこには蛇やトカゲ、鼠と言った目立たない神の使いが息を殺している。

 しかしアンドリエイラに声をかけられると、全て雲の中へと慌てて逃げ込んでいった。


 アンドリエイラは張り合いのなさに肩を竦め、雲の間に見えるウォーラスにまた変化が起きたことに気づく。


「あぁ、見てちょうだい。ほら。あなたたちのお人形の勇者。上手には舞ってくれたわ」


 無邪気ささえ感じられる喜びよう。

 しかし見下ろすウォーラスの景色には、黒い巨馬と白く光る鹿に追い回され、森から逃げ出す勇者一行の姿があった。


 そしてウォーラスの壁の上からは、守備兵はもちろん、冒険者たちからも怨嗟の声が、弓矢と共に降っている。


「最初は邪魔でしかなかったけれど、こんなに舞ってくれるなら面白いわね。けれど、私の縄張りから人間を排除するなんて面白くないことをするなんてお仕置きが必要だわ」


 言いながら、アンドリエイラは笑ってウォーラスの狂乱を見ていた。

 壁の上から守ろうとする兵も冒険者も一丸となって、抵抗を続ける。

 その上で、まとめる気持ちは勇者一行への憎悪だ。


「ほら、あなたへ助けを求めているわよ」


 赤い花の女神にアンドリエイラは笑みを向けた。

 聖女は必死に女神へと祈っている。

 勇者も王女も、壁の内側に入れてもらえず、神に助けを乞いながら、巨馬と神鹿に踏まれないよう逃げ回り、時には攻撃も行った。


 巨馬はそれで怯むこともあるが、余計に暴れるばかり。

 神鹿にいたってはほぼ無傷で、力の差は歴然。

 そしてままならない窮地からの救いを求めて、神に祈る。

 声を上げ、その名を叫んで。


「あらあら、すごい恐怖と怨嗟。ふふ、どうするのかしら? あの力を手に入れみる?」


 勇者に向かう人々の思いは力だ。

 しかし信仰を求める神からすればそれは性質の違う力。

 神に成れた正の力を蓄えたいのに、ここで憎悪などの負の力を入れた途端、正の力が目減りするだけで、負の力も溜まらない。

 そうした感情は、最初から負の力を蓄える魔王の領分なのだ。


「ふふ、ずいぶんと衰えるのが早いわね。力が足りなすぎるわ」


 勇者を通して信仰を吸い上げる形にしていた女神は、負の力を流し込まれて、その姿は老婆のように衰え始める。

 その姿に、男神二柱も慄き、あまりの変貌と神の死に瀕した醜悪さに、悲鳴を上げて女神から距離を取ったのだった。


定期更新

次回:追い詰められた勇者5

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