58話:追い詰められた勇者3
ウォーラスは混乱に陥り、誰もが可能な限り火を焚いて夜を照らそうとした。
発端は、夜中に巨馬の嘶きが響いたこと。
そして不安を煽り、勇者一行を引き出す新町で騒ぎが起きた。
さらには勇者一行が森へと入り、一度は姿を消したのだ。
結果、逃げ帰った勇者一行は、背後に黒い巨馬の魔物を引き連れていた。
「ともかく火を焚け! 矢を射ろ!」
「う、うわぁぁああ!? また体当たりが来るぞ!」
防壁の上は、喉が嗄れんばかりに兵が声を上げる。
防壁の外、森の境から現れた巨馬は、固い蹄や巨躯による体当たりでウォーラスの誇る防壁を大きく揺らした。
夜の闇に沈んでいてもはっきりとわかるほどの揺れ。
さらには防壁の上には赤々と火がたかれているため、凶暴な巨馬の姿は嫌でも防衛に回る者たちには見えていた。
「くそ勇者! くそ勇者! くそ勇者!」
「死んだら勇者を呪い殺してやるー!」
必死に矢を射る兵も、上から石を落として巨馬を攻撃する兵も、恐怖を怨嗟に変える。
「ふ、ふふふふ…………」
それらを見てアンドリエイラは笑いが堪えられず、口を押さえた。
その様子に、周囲の冒険者たちはいっせいに身を引く。
(ふふん、私の偉大さに改めて恐れおののくなんて可愛いところがあるじゃない)
得意になるアンドリエイラは、巨馬で恐れる人々の狂乱を楽しんでいた。
元凶である巨馬を従える己の優位を誇り、優越感に浸る。
ただ、距離を取ったまま寄ってこないサリアンたちに気づいて眉を上げた。
(これはこれで、面白さが半減するわね。ここで屋敷を買ったのに、食事の腕を見せる相手がいないのはつまらないわ)
アンドリエイラは自分本位に考え、改めることを決める。
人間たちを怖がらせすぎないように、渦巻く負の感情に昂る己のアンデッドとしての感性は抑えた。
「さて、恨み言を吐かれる勇者はどうしているかしら? そろそろ馬を森に帰そうと思うのだけれど」
「やりすぎだ」
「え?」
余裕たっぷりに聞くアンドリエイラだが、サリアンの言葉に驚きを返す。
それに素直なヴァンとホリーが頷いていた。
「でも直接攻撃もしてないのに? 血の一滴も流してないわ」
「まぁ、お嬢の性質を考えれば手加減はしてくれてるのだろうが」
モートンがどう伝えるべきか悩むと、ウルが問題点をはっきり上げた。
「これさ、勇者ビビり散らしてもう森いかないんじゃない?」
「今からでも少し、あの巨馬にこちらの攻撃が有効だというポーズを取らせろ」
カーランの助言に、他が一斉に頷く。
不満顔のアンドリエイラを見て、サリアンは呟く。
「神鹿の言うとおり、お嬢に任せると周辺が消失しそうだ」
「会ったのか? 喋ったのか?」
サリアンを引き掴んでカーランが迫る。
その目には夜の暗い中でも確かに光る欲があった。
「少なくとも、お嬢より真面目で融通は利かなさそうだが、常識的だ」
カーランはサリアンの評価に拳を握って希望を見出す。
アンドリエイラよりも金にできそうだという確信を得られたのだ。
それを横目にヴァンは呆れた。
「もうお嬢は神さま周辺消失させてくれば? おっさんたちが変なこと考える前にさ」
「そうだね、鹿のほうが話通じるならそれが早いかも」
ウルが言った途端、何やら騒ぎの声が上がった。
防壁のほうを見れば、勇者一行が勇んで防壁の上に向かっている。
「こういう戦いならわかりやすい! これは右に左に攻撃して、パターンを予測して攻撃が当たる瞬間を見極めてやるんだ!」
「大丈夫だよね? この壁壊れないよね? と、ともかくこれが正しい戦い方なら!」
「うぅ、神のご加護…………神のご加護が…………」
勇者は何やらやる気になって、鼻息荒く語っていた。
王女は自らを鼓舞するように、揺れる防壁を見下ろす。
そして聖女は不安ながら、仲間をサポートするらしく、聖杖をしっかりと握りしめていた。
「ちょうどいいな。あの勇者たちの攻撃でそれらしく撤退し、また森の中へ向かわせよう」
「そうですね。あまりウォーラスの防壁を歪めると、また森への出入りが滞ります」
モートンとホリーが案を出すと、アンドリエイラは溜め息を吐いた。
「面倒だから、勇者たちの攻撃に合わせて私が攻撃するわ」
言う間に、勇者は適当に剣を振って攻撃が届く場所を探し始めている。
王女は赤々と炎を魔法で作ると、巨馬に狙いを定めた。
それを聖女が強化をかけて援護する。
「森に向かって何しようとしてくれてるのかしら?」
巨馬の後ろには暗く沈んだ森がある。
そんな所に火球を放つのは放火と同義だ。
考えなしな攻撃に、アンドリエイラは不機嫌に眉を顰める。
その感情に動かされた様子に、サリアンは苦言を聞かせた。
「おい、手加減しろよ。やってる勇者たちにもばれないように」
「面倒ねぇ」
言いながら、勇者たちを驚かせて怖がらせようとしていたことをおくびにも出さない。
「…………では、こんなのはどうかしら?」
アンドリエイラは細い指を弾いて鳴らす。
途端に炎を放とうとしていた王女の魔法が、一羽の白鳥となって飛び立った。
そして炎の白鳥は優雅に夜闇を飛ぶと、果敢に巨馬へとくちばしを突き刺す。
巨馬が振り払っても旋回してまた攻撃を繰り返した。
その姿はまるで勇者たちを守るように。
「え、えぇ!?」
ただ、魔法を放ったはずの王女は混乱するばかり。
そして聖女を見る。
「ね、ねぇ、これも神さまの加護!?」
「え、えぇ!?」
今度は聖女が混乱するが、勇者は意気を上げて言った。
「よし! ステージギミックか! だったら攻め時だ!」
やる気になって巨馬にまた剣を振り回す。
その様子を見ていたサリアンは大きく顔を歪めた。
どうやらおかしいらしいと察して、ヴァンとホリーは魔法使いでもある兄貴分に聞く。
「なんか、魔法が形変わったけど、お嬢は何したんだい?」
「普通、他人の魔法をどうこうなんてできないはずでは?」
「…………あれは、お嬢の魔法だ。あの王女の魔法をごく自然に、見分けがつかないほどなめらかに、内側から同じ火で掻き消して、魔法使ってる奴に魔法が消えたと気づかせないように、魔力も吸いつつ、あの鳥の形の炎を動かしてる」
それはとんでもない荒業。
それと同時によほどの玄人でも難しい繊細さだった。
だというのに、白鳥の動きに粗はなく、さらには暗い空に赤い羽根が優美に舞う。
どう考えてアンドリエイラが凝って動かしていた。
(ばれないようにとは言ったが、これほどの芸当見せろとは言ってねぇよ!)
魔法使いに気づかせないように魔法を使う。
それは魔法を使う者にとっては恐怖にも等しい技だ。
自ら扱う剣が、突然自らを裏切って動き出すようなもので、本来ならあり得ない現象。
生きた年数の違い故に、生者の魔法使いでは行きつけぬ高みへと至った、アンデッド故の技量だ。
サリアンと同じくそれがわかったのは神官のモートンは唸る。
「なんて無駄に洗練された技術なんだ」
「まぁ、なんか勇者元気になったしばれてないしいいんじゃない?」
ウルが言う間に、巨馬は鳴き声を上げると重い蹄の音がウォーラスの防壁から離れる。
これは宗教裁判などという強硬手段をうやむやにするためでもあり、最終的に勇者には負けてもらうため。
逃げないように誘い込み、多くの注目が集まる中で負かすためだ。
その前段階のためにも、夜に逃げないこと、朝まで調子づかせておくこと、多くの目撃者を作ることが目的の夜襲だった。
宗教裁判で混乱し、意気が落ちた勇者はほどよく調子に乗って言う。
「なんだ、時間経過で撤退する感じだったのか」
勇者は余裕を取り戻していた。
逆に防衛に従事していた兵たちは泣き笑い、抱き合い叩き合って無事を喜ぶ。
「日が出てからもやるなら、観戦用に飲食物売るか」
カーランは周囲に集まる者たちを見て、余裕で呟いた。
サリアンは呆れつつ、もっと呆れることをしたアンドリエイラに目を向ける。
「で、お嬢はいつ神のところ行くんだ?」
「これから行ってくるわ」
散歩にでも行く気軽さで、アンドリエイラは神を殺しに動き出したのだった。
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