39話:ホーリン観光4
早朝からアンドリエイラは料理屋の厨房に向かう。
「もう火を入れて温めておいてくれたの? 素敵ね」
「ふん、子供の遊び場じゃねぇが、それでもこっちが言い出したことだからな」
さすがにひと晩で頭の冷えた料理人が、渋面でそう答えた。
そんな料理人を横目に、欠伸を噛み殺すウルが別のことを聞く。
「お嬢、その前掛けどうしたの?」
「自分の家から持って来たわ」
自分のせいでと気にしていたモートン。
気に病むことも忘れて声を潜めた。
「家とはまさか、森にある? どうやって?」
「そんなの夜の内に飛んで行って、戻って来ただけよ」
荷物で足は遅いながら、それなりに急いで馬車を走らせ二日の距離。
急げば一日でも、騎馬ならもっと早くに着ける。
だが往復でひと晩は尋常ではない。
ただ、さらに早いのは地形をものともしない夜間飛行だという理屈はあった。
いかんせん空を飛べないモートンは腕を組んで唸る。
アンドリエイラは気にせず、自分に合うエプロンを翻し、厨房の設備に興味津々だ。
「これがオーブンというものね。扉が多いけれど、薪は何処へ入れるの?」
「お、竈の火を自分で起こせる口か? このかご型の部分で火を焚くんだ。で、いい感じの炭をこっちの扉から入れる。上が焼き窯、下は灰を落とす場所の蓋だ。全体に熱が回るから、手を突くなよ」
「この金属の天板も熱くなるのね。あら、この穴は何かしら?」
「そこは鍋ややかんを入れるんだ。焼きながら湯が沸かせるのさ」
「素敵! 一度火を起こすだけで複数の作業ができるなんて」
料理人に使い方を教えられ、アンドリエイラは二百年の間に発展した調理器具に夢中だ。
モートンに連れられて来たウルは、端にあった椅子に勝手に座っていた。
「あれだけ浮かれてるなら、あの料理人のおじさんに無茶なことはしないんじゃない?」
「そうだといいんだが、俺は料理がわからないからな。おかしなことがあればウルに見ていてもらわないと」
「モートン、味はわかるのに料理のセンスないよね。もっそもそのジャガイモに塩振っただけとかでも、なんでか塩足りないし」
「どうしてお前はその適当な性格で、料理をするとなれば工夫を惜しまないのか。普段も美人局のようなことをせずに真面目に働いて得た金で酒を楽しめばいいものを」
「あーあー、ほら、お嬢が料理始めるみたいだよ」
説教の気配にウルは指を差して、アンドリエイラに目を向けさせる。
モートンは厳めしい顔を緩めて、心配そうに亡霊令嬢の姿を目で追った。
アンドリエイラは下ごしらえを始める料理人とは別に、包丁を握る。
まずは野菜。
玉ねぎ、にんじん、セロリ、キノコ、ジャガイモをぶつ切りに。
さらにジャガイモは水にさらして放置。
「このドミグラスソース、もらってもいいかしら?」
「あぁ、ビーフシチューには欠かせなからな」
「だったらそっちの鍋は置いておいて、こっちからね」
アンドリエイラは段取りをしつつ、晒したジャガイモを上げて一度野菜は横へ。
見ていたモートンは、ウルに聞く。
「あのソース、何かあるのか?」
「骨を沸かないよう煮続けて作るの。数日がかりのソースだよ」
「う、そうなのか」
作り方を知らなかったモートンは、簡単に批判した自分を反省する。
そんなこと知らないアンドリエイラは、慣れた様子で作業を進めた。
足元は料理人に見えていないからと、歩かず浮いて右に左に移動する。
お湯を沸かした鍋にトマトを入れ、すぐに出すと水の入ったボウルに入れる。
そのままつるりと皮をむくが、本当は氷水が必要な行程だ。
しかし氷はそう簡単に手に入らない。
なのでアンドリエイラは自分の手を氷ほどに冷たくして代用していた。
「このジャガイモやトマト、大きいのね」
「おう、最近品種改良して大きくしたやつだ。味も大振りだが、煮込むにゃいい」
料理人は店のための下ごしらえの合間に答える。
それを聞きながら、アンドリエイラはトマトを煮詰めた。
そうしてひと煮立ちすると、そちらもまた置いておいて、今度は肉に取り掛かる。
こぶし大に大きく切り、塩コショウを刷り込む。
そして小麦粉で閉じるように塗すと、そちらも一度置いて、トマトの鍋に戻った。
「忙しいな」
「料理って忙しいものだよ」
やることのないモートンとウルは端で眠気と戦いつつ見る。
アンドリエイラが肉を焼き出すと、先に油に通したにんにくの香りも相まって食欲を刺激する。
それを鍋に入れて、水から煮込んで灰汁とりが始まった。
その後は臭い消しのハーブを入れてゆっくり煮込むまでに、すでに一時間以上。
「お嬢、そっちの鍋はどうするの?」
「赤ワインを煮詰めるわ。その後にデミグラスソースを合わせるの。手が空いたら、別にジャガイモの皮をむいてふかして潰すわ」
暇なウルの問いに、アンドリエイラは先を説明して聞かせた。
ただそれを聞いた料理人が振り返る。
「まさかシチューに入れるわけじゃないな?」
「デミグラスソースをわけてもらえるなら時間ができそうだし、ちょっと付け合わせをね」
料理人も幼いわりに慣れているアンドリエイラに、特に言うことはなく作業に戻る。
怒っていた勢いとは言え、料理人に正面から言えるアンドリエイラが何を出すか楽しみしてる様子が背中から見える。
そうして料理開始から二時間は瞬く間に過ぎる。
それでようやく煮ていた肉が柔らかくなり、アンドリエイラは切っておいた野菜をフライパンに。
たっぷりのバターの香りが厨房に広がった。
「次は何をするんだ?」
「野菜に火が通ったら、お肉の鍋に入れるの。そこからまた煮込むわ。で、その後はデミグラスソースの鍋と合わせてまた煮込む」
モートンに答えるアンドリエイラは、さらに指を立てて見せた。
「まだこれから一時間かかるわよ。その後にも手を加えるから完成はまだまだ。朝食もとっていないのでしょう? 一度食べてくればいいわ」
「嬢ちゃんはいいのか? 火の晩くらいはうちの下っ端にさせるが」
「私小食なの。朝は抜いても平気よ」
本来食べない言い訳をして、アンドリエイラは料理を続ける。
ウルが見る限り、アンドリエイラは普通に料理をしていた。
モートンも言葉に甘えて一度離れることにする。
そして次に来たのは昼前、ヴァンとホリーとサリアンの三人だった。
「なんか固そうな草が煮込まれてる」
「それはハーブ。草だなんて言い方しないで」
「けっこうでかい肉はいってるな」
野菜嫌いのヴァンに、ホリーが呆れる。
その横で、サリアンが肉しか見てない発言に、アンドリエイラも呆れた。
「舌触りの悪いものはさすがに後でどかすけれど、ヴァンには今度野菜たっぷりのスープでも振る舞おうかしら」
「えー、いらないよ。肉たっぷりなら食べたい」
鍋の様子を見つつ、トマトピューレを入れるアンドリエイラ。
味を見た上で整えつつ、ヴァンを横目に考える。
(それとわからないように食べさせてみようかしら? 人参ケーキは食べるかしら? ルバーブのジャムでも入れたパイとか? いえ、苦みを美味しいと言わせてみたい気も)
アンドリエイラが獲物を狙うような目でヴァンを見ていた。
それに気づいたサリアンが、意識を逸らすように声をかける。
「それで、これはあとどれくらいで出来上がるんだ?」
「ひと煮立ちしたら味を調えて、後は仕上げね」
言ったとおり、アンドリエイラはひと煮立ちを待って、火から鍋を上げる。
中から肉を抜く様子に、料理人も寄って来て首を傾げた。
その間にアンドリエイラはからの鍋に麻布をかけると、その上から肉を抜いたスープを入れる。
そのまま、麻布で漉して具を潰し、さらさらのシチューに仕立てた。
そこに肉を戻してまたひと煮立ちと忙しい。
「その漉した具はどうするんですか?」
「こっちのマッシュポテトに混ぜて付け合わせにするわよ、ホリー。さ、これでできたわ」
アンドリエイラは白い皿に、肉とサラサラのシチューを料理人の前にだす。
白い皿の中には、具のないつややかな赤いシチューと、唯一の具というよりもメインとして存在を誇示するじっくり煮込まれた肉。
「いいお皿にはこれくらい綺麗なビーフシチューでなくちゃ」
「ぐ、うぅ。確かにこれだけ肉を主にして見た目も、舌触りも、色合いも、くぅ」
料理人は悔しがりながらも、付け合わせのマッシュポテトはパンに乗せて食べた。
文句なしなのは言葉もなく手を動かす様子から察して余りある。
アンドリエイラは完勝に胸を張り、得意満面で笑みを浮かべたのだった。
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