第72話 ステータスの謎 *
*三人称視点 (ゼシル side)
怜苑と出会った次の日、ゼシル・ゴディアス・ヴォルフはとある扉の前に立っていた。右の耳元に付いている三つ編みを弄んでいる。
ゼシルは崇神教の神の祈りの動作を終えたあと、胸元にかかっていたネックレスを、黒いシャツの中に押し込んだ。ゼシルは昨日とは変わって、黒いフード付きのジャケットと薄汚れたズボンを着ていた。ラフな格好は、この怪しい路地の空気に溶け込んでいた。
その扉は、狭い裏路地に入ったところにあった。まだ昼間なのに路地は暗く、まるで太陽がこの路地だけ避けているようだ。風はないが、しんと閑散しているわけでもない。
扉は、ぽつんと壁の中に埋め込まれるようにしてある。ゼシルが頭を下げなければ通れないくらい、小さな扉だ。赤色に塗られている。
ゼシルは扉を開けた。身を屈めるようにして潜る。入ったその中は狭く、ただの小部屋という感じだ。がらんとしていて、机や椅子などの家具は何もない。
どこからか女将さんが現れた。油で汚れたエプロンをしていて、三角巾を頭につけている。30代くらいの威勢の良さそうなおばさんだ。
ゼシルの方が先に口を開いた。
「人間は中庸と極端の狭間」
「雑巾が干してあるだろ」
「虚の季節は太陽がない」
「どうしても亭主が買えって言ったんだ」
「ドラゴンは真実を食う」
女将は頷くと、身体を横にどけた。ゼシルはわざとらしく手を額に当てて、その手をふっと上に向けた。お遊びの敬礼だ。女将さんは溜息を吐いた。
ゼシルはそのまま部屋の奥の壁に歩いていく。彼は手を壁の方に掲げたあと、壁に向かって歩いた。溶け込むようにして壁の中に入っていった。
ゼシルが目を開けると、また新たな小部屋に入っていた。目の前に黒い長机、その向こうに青色の髪の毛を持った男が座っている。机の上には物が散乱している。
目前の青髪の男は細身で、金色の瞳は煌めきを失った星のようだ。顔には疲れが見て取れる。30代くらいの男だ。
その横で、茶髪黒目の粗野な見た目の男が、腕を組んで壁にもたれかかっている。つまらなそうにゼシルを見た。
ギロリと正面の男がゼシルを睨んだ。男の三白眼の釣り目は厳つい印象を受ける。
「何の用だ」
「シエリ・クロス、俺に譲って?」
「なぜ?」
「ある坊やが探しているんだと。なかなか勇気のある少年だったぜ。シエリはどこにいるんだ?」
「向こうの部屋だ」
青髪の男は、目を横にずらした。視線の先に扉がある。恐らくその部屋で彼女は監禁されているのだろう。
ゼシルは頷くと、また男に声をかける。
「狂妖鬼の二人はどこ行った?」
「逃げた」
ゼシルは面白そうに唇を釣り上げた。
「へえ? 所詮、殊人と言えどスワトも人間だからな。仕方ない仕方ない」
「うるさいぞ。なぜクロスが必要なんだ?」
「この前のシャーク海賊団に、緑髪の男の子が乗っていたんだが、見たことないか? レオン・カワド。そいつを助けてやりたいのさ。お分かり?」
「んー……? レオン・カワド……?」
「あー、俺そいつ知ってるわぁ~」
壁に背を預けていた茶髪の男が言った。砂を噛むような間延びした声だ。ゼシルは赤い瞳を男の方に向ける。
「そりゃお前が知らないわけがない。というか、話し方変えた?」
「まぁな。もうシャーク海賊団とは関わらないしいいだろ」
「それは果たしてどうでしょう?」
ゼシルはわざとらしく首を傾げた。ゼシルの赤い瞳が爛々と輝く。男はケッと言葉を吐いて舌打ちをした。
ゼシルは正面の青髪の男──スワトの方へ向き直る。
スワトは闇社会の王にしては存外普通の見た目だった。雀斑だらけの顔は、町中で出会っても少し怖そうなおじさんという印象を受けるだけだろう。体付きが細いのも、その怖さを和らげている。
「ということなんだけど、スワトさん、俺の頼みってことで一つお願いしますよ」
「本当に怖いな。断れないのは分かっているくせに。まぁいいだろう。あいつには温情をかけてやるか」
「あいつ? 知り合いだったのか?」
「それは果たしてどうだろうな」
スワトの金の三白眼が、蛇のようにチロチロ動く。からかいを含んだ声であったが、ゼシルはそれには反応を示さない。ゼシルはスワトの顔をじっと見て、彼の顔から何かを読み取ろうとした。だが、スワトはそれ以上話すつもりはないようだ。
ゼシルはスワトから聞き出すのは諦め、投げやりに声をかける。
「一芝居売ってもらえる?」
「おう、分かった。そうそう、警告しておこう。彼女には見られるなよ?」
「へえ、そりゃ面倒なこった」
ゼシルは右手で三つ編みを触る。少し考える素振りをしていたが、にっと笑い、シエリ・クロス──黒須熾衿のいる扉の方へつかつかと歩いていった。
ゼシルは扉を勢いよく開いた。真っ暗な部屋の中で、一人の少女が口と手足を縄で縛られて転がっている。殴られた跡などはない。ベージュの肩過ぎの長さの髪が、ぺたりと地面に付いている。
熾衿は震える瞳でゼシルの方を見た。
「助けに来た! 早く出よう! あいつらは魔法で眠らせてあるから!」
ゼシルは彼女の方に近寄ると、慣れた手つきで縄を解いた。熾衿は立ち上がったが、恐怖で足が竦んでいるのか今にも倒れそうだ。
「背中に乗ってくれる?」
熾衿はこくりと頷く。ゼシルは彼女を背負った。
部屋から出ると、スワトは机に突っ伏しており、もう一人の茶髪の男は床に座り込んでいた。ゼシルの瞳が嗤う。
「じゃあ行こう」
「ど、どうやって……?」
熾衿が出てきた部屋以外は壁で囲まれている。出口があるようには見えなかった。だがゼシルはスワトの正面の壁に向かい、手を掲げた。
「んーとなんだっけ。あ、思い出した。
【術式よ、解けよ ── Prosde Lease】」
ゼシルは壁に一歩踏み込んだ。二人は吸いこまれるようにして壁の中へ入っていく。
二人は小さな小部屋に立っていた。そこには何もなく、誰もいない。目の前に、最初にゼシルが入ってきた小さな扉があるのみだ。
ゼシルは一旦熾衿を下ろした。赤い瞳を細めて、にこやかに笑いかける。
「君の名前はシエリ・クロスだな? どうして追われていたか分かっているか?」
熾衿はまだ震えているようだった。金の瞳がゆらゆら揺れる。小さく首を横に振った。ゼシルは頷き、言葉を流す。
「君が狂妖鬼と一緒にクラーケンを倒してしまったからだ。クラーケンが死んだらもっと強い使族が創られることを知らなかったのか?」
熾衿は重い口を開いて、怯えながらゼシルを見上げる。
「私……その、何も知らないのです。クラーケンが皆を悩ましていると耳にしたから、何とかしたいと考えて……」
「『何も知らない』か、ふーむ。レオン・カワドって男を知っているか?」
「えっと……。え、え? れ、レオン……?」
彼女は頭痛がしたのか、顔を伏せて苦難の表情で床を見下ろした。待つこと数秒、合点がいったのかゼシルの方へ目線を交わせる。
「川戸くんね。記憶が繋がった。でもどうして──あ、私と同じ……?」
「どういうことだ?」
「その、えっと……」
熾衿は眉を下げて、口を噤んだ。彼女が言おうか迷っているのを見て、ゼシルはとんとんと優しく彼女を叩く。
ゼシルの顔に笑窪ができて、その笑みが彼女を包んだ。熾衿は小さく言葉を発する。
「助けて、くれたんですよね。どうして?」
「レオンに言われて来たんだ。こう見えて騎士だ。まぁ正確には魔士だけどな」
「騎士? なるほど、だから強いのね。川戸くんに言われたのなら……。えっと、私は異世界からの来訪者。この世界とは別の世界……」
ゼシルは瞠目し、驚きを顕にする。
「別の世界? 本当に? そんなことってあるのか?」
「はい、私もはっきりは分かっていないのです。でも、川戸くんも転移者よ。クラスメイトだった。あ、クラスメイトというのはわたしたちの世界の言葉で、仲間というような意味を持つわ」
苦々しい顔をしながら、ゼシルはこくりと頷いた。
「とりあえずそれを信じないと話が進まないようだな。それで、だから君はクラーケンの話も知らなかったってわけか」
「うん、そう。この世界はどうやら色々な種族の人がいるようで……」
熾衿がそう言ってゼシルを見たので、ゼシルは慌てて口を開いた。
「待って! 君はステータスが見えるんだよな?」
「そうですね。どうして知っているの?」
「君を捕まえた人に吐かせたんだ。だが、できれば俺のは見ないでほしい。そして、他の人のステータスも見ない方がいい」
「どうして?」
「狂妖鬼のことは、きっとそのステータスで知ったんだよな? それも危険なことだったんだ。狂妖鬼は本来自分がそうであることを隠している。みんなに嫌われているからだ。それと同様、もし使族なんかを隠している人のステータスを見たら、君はその人に殺されるかもしれない」
「まさか、本当にそうなの……?」
熾衿は目を瞬いてゼシルを見た。ゼシルが言う。
「ああ。これは俺たちの世界の常識みたいなものだ。“相手が自分で言わない限り、相手の使族は聞かない”。相手が嘘をついて使族を言う場合もあるが、それはつまり隠したいってことだろ。だから、合っているか確かめるのもやめた方がいい。それに話によると、ステータスを見ると相手は見られたことが分かるらしいな?」
「そうなのです。だから私があなたのものを見ると、おそらく察知できると思います」
ゼシルはゆっくりと頷く。淡々とした口調で話した。
「それなら余計やめた方がいい。見られたことに気付くなら、隠している人は余計君を殺すかもしれない。それくらい危険な能力だ。そして、俺のも見ないでほしい。ごめんな」
「応じましょう。それも初めて耳にしたのです。教えてくれてありがとう。特にこの能力が便利だと思ったこともないし、使用は控えることにします」
熾衿が頷いたのを見て、ゼシルは小さく溜息を吐いた。ゼシルは手を出して、彼女に握手を求める。
「俺は魔士のゼシル・ゴディアス・ヴォルフという。一応貴族だが、気にしないでそのまま話してくれれば大丈夫だ」
「貴族……! 分かりました。ありがとう、ヴォルフさん?」
「ゼシルでいい。シエリって呼んでいいか?」
「へっ、あ、はい……。ゼシル……」
柔らかい瞳で見つめられて、熾衿は顔を俯かせた。彼女の耳元が赤く染まっている。ゼシルは熾衿の頭を撫でたあと、扉から外へ出るよう促した。
彼女は頭を少し下げて、小さな扉を潜る。その後ろからゼシルも一緒に扉を潜った。
外に出て、怪しい雰囲気の路地に熾衿はびくりと肩を震わせた。ゼシルは上に着ていたジャケットを脱いで、そっと渡す。
「シエリの顔は色んな人に見られている。ここハイマー王国にいるあいだは、なるべく顔を隠していた方がいい。俺のを着ていいから、このフードを被って」
熾衿は頷いて、彼の服を手に取った。少し悩ましげにそれを見たあと、上から着る。
彼女は赤色のチュニックとジーパンを着ている。黒いジャケットは彼女には大きすぎたため、ジャケットの裾はチュニックとほぼ同じ丈の長さになっている。袖も長く、熾衿の手は隠れてしまっていた。
彼女は袖を見て困惑したような顔をしている。それを見てゼシルはふっと笑みを零した。彼女にフードを被せたあと、話しかける。
「シエリは、自分のステータスも見ることができるのか?」
「そうですね」
「そこには何が書いてあるんだ?」
「第一に、私の名前。次点で、使族が人間、殊人という記載。次に魔法の属性が地、風、水、火、光、闇。神力が、金の瞳、ステータス閲覧、あとは伏字になっている部分があります」
「伏字か。シエリの姿は元の世界と同じか?」
「いいえ、髪も目も、元は黒色でした。顔も少し違うと思う」
「うーん? 変だなぁ。本当に神力には金の瞳しか書いてない?」
「はい……」
ゼシルは熾衿を見つめた。本当に髪の色や顔が変わったなら、それも神力としてステータスに書かれているはずだ。なぜ金の瞳だけが書いてあるのか。
もしくは髪の色などは伏字の部分に書いてあるのだろうか。だがそこを伏字にする意味はあまりないはずだ。
ゼシルは、ちょうど二人の側を通った男をチラリと見た。赤髪赤目──おそらくルテミスだ。ゼシルは熾衿の肩をつついて、あの男のステータスを見てくれ、と頼む。
「いいの?」
「大丈夫。仮に攻撃されても俺が守るし、多分彼は使族を隠していない」
「分かった。少し失礼します」
熾衿がルテミスの後ろ姿を捉える。熾衿の金の瞳がキラキラ輝いて、一瞬目の色が緑に変色した。すぐに金色に戻る。
ルテミスの男は振り返って熾衿の方を見た。少し首を傾げていたが、そのまま去っていく。
熾衿はほっと息をつくと、ゼシルに話しかける。
「彼の名はラディン・ソリューイ。使族は人間、殊人。神力は赤髪赤目、筋力、耐久力、跳躍力」
「なるほど。化系か能系かは分からないわけだ。伏字はない?」
「むむむ……ないですね」
「ふむ。シエリだけに伏字があるみたいだな」
ゼシルは三つ編みを弄った。赤い飾りがゆらゆら揺れる。熾衿が不思議そうにそれを見ているのに気付いて、ゼシルはにかっと笑った。彼女の背中をぽんと叩くと、道を歩き始めた。
熾衿はとことこと後ろをついてくる。彼女のベージュの髪がふわりと揺れた。
しばらくして、ゼシルは後ろを振り返って彼女に声をかけた。
「シエリの髪の毛、綺麗な色だな」
「そうです……?」
「結んだりしないのか?」
「前の世界にいた時は結わえていました」
「あー、これなんか、使う?」
ゼシルは立ち止まると、赤いリボンをポケットから取り出した。熾衿の方を向く。腰を屈めて、彼女と目を合わせた。熾衿はドキリとして俯いた。
ゼシルは「こうすると可愛い」と言いながら、彼女の右側の髪の毛を掴み、それを編んでいく。ゼシルのものより一回り太い三つ編みができる。それを赤色のリボンで結んだ。
ベージュの髪の毛の中で、その赤いリボンは映える。シエリは躊躇いがちに頭を動かした。
「どう? 俺とお揃いだろ?」
「ええ……ありがとう。可愛いかな」
「だろ。俺髪の毛編むの好きなんだよな」
「男なのに、おかしなことを言うのね」
熾衿は少し笑った。ゼシルはそれを満足そうにして見たあと歩き始めた。熾衿はまた、ゼシルの少し後ろを黙ってついて行った。
自分を助けてくれたゼシルなら、きっと安心して身を任せられる──そう思ったのだ。




