第66話 魔印の二人 *
*三人称視点
あらゆるものがすっかりと月夜に静まった。
真夜中を過ぎて午前三時頃、ラムズとヴァニラは並んで座って森の奥を見据えていた。結界魔法の魔法陣のおかげか、近づいて来る魔物はいない。おそらくこのまま何事もなく夜が更けるだろう。見張りは本当に念のためだ。
ヴァニラは酒瓶をラッパ飲みして、ごくごくと喉を鳴らす。ちょうど一本飲み終わり、それをそばに置いた。ラムズのほうへ視線を投げる。
「メアリを好きになったなんて、嘘に決まってるの」
ラムズはヴァニラの方に向き直った。彼の瞳が夜に光る。その怪しくも率直な蒼い輝きにあてられ、ヴァニラはなんだか息苦しくなった。誤魔化すように新しい酒を開け、口をつけるふりをする。
「ヴァニラ、大事な話をしようぜ。魔印を交わした仲としての、大事な話」
わずかに間をあけて、彼女は頷く。それとなくケンタウロスたちやメアリに視線を向けた。彼らは寝ているようだ。
魔印は、信頼しあっている者同士で交わす魔力交換だ。魔力の印をお互いに付けるもので、交わしているといつでも転移先として指定できる。ラムズとヴァニラは、古くからの付き合いというのもあって交わしていた。
魔印を交換すると、いつ勝手に相手が転移でやって来るか分からない。居場所も特定されてしまうし、睡眠魔法や魅惑魔法などの精神魔法に、互いにかかりやすくなってしまう。だから人間以外の使族も含め、心を許していない間柄では結ばれることのない印だ。
ヴァニラは、この前のように『酒がない』などの理由でラムズを呼び出すことが多いが、ラムズはなんだかんだヴァニラを助けてくれる。そしてその逆も然り。仲間や友達という関係とは違うものの、二人は確かにお互いを信頼し合っていた。
またヴァニラがノアを呼べたのも、ノアと魔印が交わしてあるからだ。
ラムズは頷いて、淡々とした声で言った。
「たしかに初めはメアリのことを宝石だと思ってそばに置いておこうとしたが、この前のがきっかけで本当にメアリを好きになったんだ。これは本当の話だ」
一切の装飾が施されていない、トーンの変わらない話し声だった。
「なるほどの、分かったの」
ヴァニラは視線を彼から外すと、すんなり納得して軽く頷く。
先ほどまで、ヴァニラは「ラムズがメアリを好き」という話を信じていなかった。だが、ラムズは大事な話をしようと切り出した。つまりラムズは今本当のことを伝えているはずだ。しかもヴァニラに嘘をつく必要はない。
そして実際、ヴァニラの推論通りラムズは本当のことを伝えていた。
風のせいか、空気が歪むように揺れた。ヴァニラはラムズから視線を外さないまま、問いかける。
「なんで雰囲気を変えたの? さっきだって、ケンタウロスの話くらいすぐ教えてあげればいいの。好きになったならメアリには優しくすべきなの」
「俺も最初はそう思った。けどこう──好きだから優しくするってのは、虫唾が走んだよ。俺にとってはな。それにメアリが『優しいと違和感を感じる』っつったんだ」
「じゃあ、メアリのためなの?」
「ああ。あとは、どうせ好いてもらえるなら本当の自分を好きになってほしいだろ? この方がずっと俺らしいって、ヴァニラも思わねえか?」
ヴァニラは舌なめずりをする。真っ赤な舌をちろりと覗かせ、かわいらしく笑った。
「本当なの。それはすごくそう思うの!」
「だろ?」
指先で孤を描くように宙を切らせ、ラムズはそのまま無造作に跳ねた髪を掻いた。ヴァニラは自分の横の新しい酒瓶を手に取って、酒を喉に通す。
ラムズはそれを横目で見ながら言う。
「話は終わりだ。んで、気にかけるのをやめたのは面倒くさいからだな、単純に。ヒーローもやめたし」
「あの話かの。わけ分からなかったの」
彼女を一度見やったあと、ラムズは溜息混じりに声を出した。
「俺は基本、宝石とメアリ以外どうでもいいんだよ。あとはあいつが自分で選択して生きてった方が、よっぽど意味があると思ったわけだ」
「なるほどの。ラムズが導くのは良くないの?」
「そうだ。あくまで自分で選んだものじゃねえとダメだ。導いた上での生き方じゃ、いつか解れが出る」
「そういうものなのかの」
ラムズは急に声を潜めた。
「──ヴァニラ、こういうのはな、何ごともテキトウがいいんだよ」
サファイアの目がギラギラ輝いている。どこか違う世界の点を見つめているような、透けて見えない美しい蒼。
ヴァニラは口をすぼめて小首をかしげる。
「テキトウ、の」
「全てを教えてちゃ、つまんねえだろ? それに危うい。同様に、なんでも助けてたら意味がないと思わねえか? 助ける時はいざという時だけ。こういうのは、そういうやり方が、いいんだろ?」
「そんなことしてて、メアリに『ラムズがわたしを本当に好きかどうか分からない』って言われても知らないの」
「俺はいくら誰かを好きになったからって、聖人君子を気取るつもりはない。俺は俺のやり方で彼女を気にかける、ただそれだけだ」
「レオンのこともあるから、ラムズらしく行くことにしたの?」
「ヴァニラ、けっこう冴えてんな。そういうこった」
ヴァニラは頷いて、酒を口にした。
ラムズのやり方はたまにヴァニラにも理解できないことが多かった。もちろん他人の運命が見えるわけではないので、分からないのも当然と言えば当然だ。
だが少なくとも今回は、一応理にかなっている。そしてヴァニラにも理解ができた。メアリが今のラムズを好きになるなら、それに越したことはない。
たしかにこれまでレオンたちに少しばかり優しくしていたラムズは、彼らと打ち解けているように見えた。色々な話を教えて、まるで師のように相手を従わせていくやり方も、悪くはない。
──そう、これだってただの作り物で、本物のラムズではないのだ。そしてヴァニラは、今回はこのやり方で生きていくのだと思っていた。
だがいつでも助けて、そばにいては特別な存在にはなれない。また、常にヒーローとして生きるラムズでは、メアリやレオンは後々彼のことを疑ってしまうかもしれない。なにせ彼は、実際正義の味方なんかではないのだから。
それならむしろ、普段はヒーローじゃない方がいい。本当らしいラムズを知ってもらった方がいい。メアリがそんな彼を好きになるならば、これ以上のことはない。ラムズは、危険な綱渡りでいて確実な方に賭けたというわけだ。
ふと、ラムズはチェスの一騎を回し始める。右手の指の中で、王が右へ左へくるくると動いていく。酒を呷るヴァニラは、それをぼうっと眺めていた。
独り言のように、ラムズは言葉を漏らした。
「この俺の手に、金の腕輪がもう一つ落ちればなあ」
その戯言に耳を衝かれたヴァニラは、焦点を合わすことなく鼻で笑う。
「そんな何個も聖具が落ちたら困るの」
「そうか? ちょっと面白い場所が増えるだけだろ」
嘲る声に、特段驚く様子もなく彼女はパチンと返す。
「金の腕輪は、もう八個って決まってるの」
「だが七人の神から滴り落ちたとして、残りの一つはどっから落ちたんだ? それならもう一つくらい、いいじゃねえか」
「神様の数なんて関係ないんじゃないの」
ラムズは依然、王を回している。ブラックダイヤモンドの輝きが、たまにきらりとラムズの顔を照らした。
「なんとも俺は不幸だ。今後も聖具が落ちるたびに、こんな目に遭うんだろうか」
全く不幸とは思っていないような物言いだ。むしろその状況を楽しんでいる、そうとさえ思える。ヴァニラは無視を決め込み、酒瓶の底に残った一滴を口の中に落とした。ペロリと舌で唇を舐める。
ラムズのサファイアの瞳がチカチカと瞬いた。
「楽器の聖具なんかが落ちた時には、また同じことになんな」
「宝石が付いた?」
「もちろん」
ヴァニラはくすりとして、心にもない同情を贈る。
「たしかにそれは、ラムズが可哀想なの」
気にとめる様子もなく、ラムズは駒で器用に技を見せている。──その時、カチッと王を回す手が止まった。
「その時はミューズか。まあ先に見つけるしかねえな」
「そもそも、神の機嫌を損ねるようなことをするのはやめればいいの。そうすれば楽器の聖具が落ちるなんてことは起こらないかもしれないの」
「ああ、たしかに?」
ラムズは宙に王を放った。約束された軌道を走り、すとんとラムズの掌に落ちる。コートの内ポケットに、それを滑り込ませた。
「もうちょっと大人しくしていれば、レオンだって来なかったかもしれないのにの」
「そう思うか?」
「たぶんの。価値観が違う分、面倒なことになりそうなの」
「ああ。人間ってのは一番弱いが、案外一番やっかいだからな。あと、転移者」
「ん?」
「おそらくまだいんな」
「へえ」と、音のない声を出した。ヴァニラはそんなことにも興味がなかった。ラムズと関わっていなければ、出会うこともなさそうだ。体をなんとなく左右に揺らしながら声を出す。
「なんでそう思うの?」
「二人より三人の方がキリがいいだろ」
「ただの勘なの?」
「ああ。最後の一人は一体どんなふうに捻じ曲げられたんだか」
ラムズは遠いどこかを見るような目付きで、けだるそうに夜の森を見た。闇に堕ちた森を美しく反射するその瞳は、ここまでの間に重要な話をしたとは思えないほどに無機質だった。
全ては記憶の積み重ね。
この男は、目の前で起きた事象の記録者でしかない。彼にとって、宝石と関わりのないことは問題にならないのだ。
そう、サファイアの海は語っていた。
original&remix : 夢伽莉斗
remake : かわかみさん




