閑話 高潔とその弱さ
#Rレオン視点 日常 / ヴァニラ
俺はヴァニラ、ジウ、ロミューのいる宿屋に遊びに来ていた。ジウとロミューはお酒を飲むのに飽きたらしく、二階の部屋に行ってしまった。
もちろん、俺も飽きた。でも、女の子を一人で居酒屋に残してはおけない。
ヴァニラは正面に座ってお酒を飲んでいる。かれこれ20杯は頼んだと思う。普通の椅子じゃヴァニラには低すぎるから、布をたくさんお尻に敷いている。こういうところはちょっとかわいい。
「ヴァニラって酔わないのか?」
もう夕方過ぎだからか、宿の酒屋はけっこう混んでる。ほぼ満席だ。
談笑の声と食べ物の甘い匂いが混ざった空気。隅の方から聴こえるギターらしきものの音楽が、それらと旋律を作って空間を温めている。
木造の酒屋は椅子も机も木造だ。地球で育った俺だが、それでもこんな宿屋のほうがずっとしっくりきた。でも、心がどこかなにかを探している──いや、何かがしたくて堪らない。そんな気がする。
俺はそれとなく周囲を見渡した。
魔物狩りのあとらしい冒険者の若者たち。メンバーにルテミスがいる。
ルテミスの女と腕相撲をする屈強な剣士の男。
目立たない席で占いのようなものをしているお爺さん──。その相手もやっぱりルテミス。
酒屋でルテミスの立ち入りを許可するのは、酒屋の繁盛のことを考えるとかなり有効な手段だと思う。例えば、普段は恐ろしくて関われないルテミスとも、酒が入れば閑談できる。それが目的でやってくる客もいるだろう。
仮にトラブルが起こっても、常連客のルテミスさえいれば助けてくれる。店の主人さえ偏見がなければ、むしろどんどん受け入れていくべきだ──って、なんで俺はこんなこと考えてんだろ。
騒がしい酒屋では、いつもより声を大きくしないと届かない。いつまで経ってもヴァニラが口を開かないので、そう思い直してまた同じ言葉を繰り返そうとしたところだった。
「メアリって、高潔なのに探さなくていいのかの」
やっぱり聞こえなかったらしい。全く別の話題を振られた。
「ん? なんの話だ?」
ヴァニラは今は赤ワインを飲んでいる。彼女は桃色の目線をワイングラスに落とし、指をグラスの中に入れた。ぷくりと膨らんだ幼気な指で、くるくるワインを回す。
「メアリは高潔だから人魚に戻りたいの。なのにあんまりサフィアっていう男を探すの、頑張ってないの。変なの」
俺は驚いてヴァニラを二度見した。彼女は俺の視線に気付いてない。この子も人間じゃないから、メアリの気持ちに気付いてないんだろうか?
「おいヴァニラ、それメアリに直接聞くなよ?!」
「なんでなの?」
「そんなこと言ったら、メアリ絶対落ち込むし、傷つくよ」
「どういうことなの?」
ヴァニラは指をグラスからだして、それをゆっくり舐めた。うっ、幼女なのにエロい。意味わからん。
いや今はそんなことは良くて。
「メアリって15歳の時から陸に来てたの、知ってるだろ?」
「知ってるの」
「つまり二年も独りぼっちでずっとサフィアのこと探してたんだよ。でも、なぜか知らないけど見つからなかったわけじゃん」
ヴァニラは頬杖をつきながら黙って聞いている。俺は続けて言った。
「二年前はメアリだって必死だったと思う。だけど、まるまる二年も費やして、全く手がかりが掴めなかったんだ。今になってやる気が削がれて、少し真剣になっていないことくらい、俺は普通だと思う」
「そうかのー」
そばにあったエールを一口飲んで、喉を潤した。
「まずさ、そもそもだよ」
「んん?」
「メアリにとって、人魚でいることってのは死ぬほど大切なことなのに、それが15歳で剥奪された時点ですごく悲しんだと思うんだよ」
「それはヴァニも分かるの」
彼女の首肯にこくりと頷き返す。
「で、その悲しみを抑え込みながら、とにかくサフィアを探した。しかも人魚だから、サフィア探し以前に陸の生活に慣れていく必要もあった。初めての土地、初めての常識、頼れる人もいない」
「初めての常識、かの?」
「俺も想像することしかできないけど、例えば足。いくら足をもらったって突然歩けるようになるのか? メアリは初め、一人で歩く練習をしたんじゃないか? それだって、助けてくれる相手もいないんだ」
「た、たしかに歩く練習は必要かもしれないの」
指折り数えて、思いつく限りの海と陸の違いを述べてみる。
「他には食べ物。前にメアリは海藻とかしか食べたことないって言ってた。彼女の体がどうなってるか分からないけど、暮らす場所が変わった以上、昔と同じものを食べていたら生きていけないかもしれない。常に空気に触れているのと、常に水に触れているのではわけが違うはずだ」
どこからこんな発想が生まれたんだ?
まあたしかに常識や生活が違う使族に対して、人間の新しい文化を受け入れてもらって、それを浸透させるのは大変だし時間がかか…………いや、だからなんで俺はこんなこと考えてる?
無意識のうちに言葉が流れ続ける。
「見たこともない食べ物でも、メアリは不自然に思われないよう必死に食べたんだろう。服を着る、寝るって行為ですら、海と陸じゃ違う。彼女にとって人間は敵で、だけど仲良くしなきゃいけない相手だ」
「ふんふん、ふんふん」
「そんな多くのプレッシャーの中で、それでも、初めは懸命にサフィアを探していたんだと思う」
メアリから直接聞いたわけじゃない。でも、これは確信できた。
陸を知らない彼女のことだから、きっとすぐにサフィアは見つかると思ったんだろう。会う人会う人に彼の特徴や性格、名前、身長、全てを聞いて回って、“金髪碧眼の男”と耳にすれば必ず会いに行った。
──でも、見つからなかった。
広大な土地の中で、金髪碧眼の男が数多に存在していること。性格などを伝えても、名前を知らない限りはほとんど意味がないこと。そもそも親切に受け答えしてくれる人が少ないこと。
そういう世知辛い現実を、メアリは知ったんだろう。
海には人魚という使族しかいない以上、コミュニティが案外狭いのかもしれない。だけどここは陸だ。そして、日本なんかとは比べ物にならないくらい、広い広い世界。
俺だったら、一人の人間を世界中から探すなんて絶対に無理だ。二年どころじゃない、きっと一ヶ月も持たない。それどころか、最初から諦めてしまうかもしれない。
この世界じゃインターネットもない。メアリは伝手もないし、権力も持ってない。
文字通り、絶望的だ。
はっとして、俺はヴァニラのほうを見た。知らない間に黙ってしまっていた。彼女が首をかしげているので、慌てて話を続けた。
「そう。あとはメアリが探し始めた年齢、15歳ってまだまだ子供じゃん」
「まー、そうかの」
──目の前のヴァニラは全く子供には見えないけど。って言葉は飲み込んでおく。
陸で一人で生きてきたとしても、結局心はやっぱり子供だ。少なくとも、俺はそう思う。15って地球で言ったら中学生だしなあ。たしかにメアリはそこらの中学生よりは大人びてるし、色んなことができると思うけど、そういうのはもっとこう……複雑に絡み合ってる気がする。
「そんだけ頑張っても、サフィアは見つからなかった。そしたらさあ、やっぱり諦めたくもなると思うんだよ……」
「人魚なのにかの?」
ふうっと息を吐いた。ヴァニラは上目遣いでこちらを見ながら、小さくワインを飲む。
「高潔ってさ、プライドが高いってことだろ。つまりそれは、裏を返せば“弱い”ってことにも繋がると思う」
「弱いのかの?」
「んー。弱いっていうか、『自分の弱さを認められない』ってことだな。例えばメアリは、今まで自分が頑張ってきたことを誰かに自慢したりもしないし、『頑張ったから今はいいんだ』なんてことも口に出したりしない。むしろ、まだ見つけられない自分を責めてると思う」
「それならもっと頑張って探せばいいの」
ヴァニラは淡々とそう返す。言葉にしづらいな、ちょっと考えてから口を開いた。
「いくら高潔でも、人魚だって疲れることくらいあると思うよ。いくらやっても成果が目に見えなかったら嫌になる。人間は少なくともそうだ。人魚だって、ずっと頑張り続けるのは無理なんじゃないかな。高潔でありたい心と、頑張れない心は、両方同時に存在すると思うんだ。頑張れない心と高潔な心は繋がってない」
「頑張れない心……」
ヴァニラはあんまりよく分からないみたいだった。彼女は、何かを諦めようと思うことってないんだろうか。
「ヴァニラはなんでも頑張れるのか? 欲しい酒があっても、その目的のために何年も努力し続けるのはきついだろ?」
人間なら絶対無理だ。俺は聞いたことがない──一年も二年もかけて、永遠に必死な気持ちを忘れず、ものや人を探し続けたなんて話。
いつかはみんな諦める。そして、偶然どこかで見つかるのを期待する。それが人間ってものだし、きっと使族だってほとんどは同じだろう。
でもそんな予測とは打って変わって、ヴァニラは心底驚いたようにピシャリと返した。
「きつくないの。むしろなんで頑張り続けられないの?」
「は? いやだって、ずっと頑張るのって大変だろ?」
「大変じゃないの。それがほしいのものなら、ヴァニは努力し続けるの。だってほしいんだからの」
「でも……自分の生死が関わるくらい辛いことだったらどうするんだ?」
ヴァニラは俺のこと──いや、もしかしたら自分以外の全ての使族を鼻で笑うように嘲った。
「人間も他のみんなも中途半端なの~。お酒が好きなのにそれを誰かにあげたり、お酒のせいで他人に迷惑をかけるからってやめてみたり、病気だからってやめたり、そんなの好きって言えないの。ヴァニから言わせたら、好きなものやなりたいもののために真に努力はしてないくせに、それが好きだとか愛しているという者たちは、物凄く滑稽なの。見ていてイライラするの」
似たようなことをラムズが言っていた気がする。二人は仲が良いから、同じ考え方になってしまってるんだろうか?
「生死? そんなのあとから考えればいいの。それにヴァニは強いから死なないし、考える必要もないの。それよりヴァニはお酒がないと生きていけないの。なかったら死ぬの。ほしいものが手に入らないならヴァニは死ぬの。耐えられないの。だから何年かかってもどんなに大変でも、ヴァニは絶対に手に入れる」
ヴァニラは凛とした声でそう言った。確固たる意思があるというか、それはただの酒狂いとかではなく、もはや俺たちと一線を画した“異常さ”だと思った。
「……なるほど。ヴァニラの考え方はわかった。だけど、たぶん俺たち人間も、おそらく人魚も無理だ。ヴァニラのその性格は、使族によるものか?」
ここまで酒に対する執着心を見せられるとなると、もはや本人の性格の問題ではないような気がした。ヴァニラはすっと目を細めたあと、俺の問いには無視を決め込んだ。
仕方ない。話を戻そう。メアリのことだけど、と呼吸を置いて続きを話した。
「とにかく俺も含めて、メアリは頑張り続ける心は持ってない。だけど高潔である以上、そんな自分を許せないと思う。頑張れてない自分、諦めようとしている自分を許せないと思うよ、メアリは。自分の中にその思いがあることすら否定してるんじゃないかな。きっと心の中ですら、弱音を吐いてはいないんじゃないか? だからメアリにそんなこと聞くなって言ったんだ」
「聞いたらどうなるの?」
「他人から『サフィア探しを頑張ってないメアリ』っていうレッテルが貼られることになるんだから、つまり、『さほど人魚に戻りたがってないメアリ』ってことになって、『自分は高潔な人魚じゃない』ってメアリは考えるんじゃないか? つまり落ち込む」
「なるほどの……」
ヴァニラは横目で俺を見ながら、ツインドリルの髪の毛を弄んだ。よく考えれば、こうやって真面目にヴァニラと話すのは初めてだったかもしれない。
口ごもりながら「それに……」と俺は続ける。
「高潔とかよく分かんないけど、やっぱり初恋の相手を殺すってのは……勇気がいることじゃないかなあ。いくら普段から人殺しに慣れてるからって、知ってるやつを殺すのはまた違うだろ?」
「そうかの?」
きょとんとした顔で返された。つ、つまりヴァニラは当たり前に知り合いでも殺せるってことかよ……。これはヴァニラが変なのか? それとも人間が変なのか?
「メアリの中では、サフィアを探して早く人魚に戻りたいって思いと、なるべく見つからないでほしいなんて思いが葛藤してるんじゃないかって思うよ」
見つからない、諦めるしかない、もう人間に戻れない。きっとメアリは、2年間のあいだでそういう現実を思い知ってるんだろう。
それでも、諦めちゃいけない。そういう思いが心の中にあってすらいけない。
そして、そもそも自分はサフィアを殺せるのか。
それならもういっそのこと、彼が見つからなければいい。どんなに探しても探しても、呪いの期限まで見つからなければいい。
そうすれば自分が“頑張らなかったから”人魚に戻れなかったわけではなく、“運命としてどうしようもなかった”と少しは言い訳できる。
──だけど、これらの思い全て、心に残すことすらはばかられるんだ、メアリは。
それを考えた時点で人魚失格だから。
本当だったら彼女だって、今でも必死に探したいのかもしれない。だけど、もう探せないのかもしれない。既に心が折れちゃってるのかも。だけど、きっと自分でそれを認めてないし、そういう現実から逃げているのかもしれない……。
ヴァニラは興味なさげにぽつりと呟いた。
「ふうん。殺したくない、かの……。一応人を愛することができる使族だから、そう思うのかの」
「まぁ直接聞いたわけじゃないから分かんねえけどさ。とにかく俺からしたら、メアリは十分頑張ってるってことだ」
「なるほどの」
分かったような、分かってないような顔だ。まぁいっか。
「そもそも、誰だって二年もかけて大事なものを探すことなんてそうそうないからな……」
俺が探したことがあるものなんて、家に置き忘れた携帯だとか、どこかに落としたイヤホンとかそんなんだけだ。メアリみたいに、生死が関わるくらい大事なものなんて探したことない。
「ヴァニラが好きな物を探し続けられんのも、ラムズがいるからかもな」
「どういうことなの?」
「だってあんなに強い人がそばにいるなら、なんでも頼りたくなるし、ついて行こうって思うだろ。メアリも実際今はそうなんだろうし。ラムズの船に乗ったのは運命を感じたからって前に聞いたんだけど、今のメアリは、ラムズと旅をすることがサフィア探しの近道だと思ってるのかな」
ヴァニラから視線を外して、ぼそりと独り言を漏らした。
「メアリにとっては、ラムズが人間じゃなくてよかったよな」
ヴァニラは首をかしげたあと、その傾きをどんどん深くしていった。あどけない顔に疑問符を大量に浮かべている。
「ヴァニは別にラムズについて行こうとは思わないの……。そしてメアリにとってラムズが人間じゃなくてよかったっていうのは、どういうことなの?」
「人魚は人間に嫌われてるだろ。けどそれ以外の使族は、人魚のこと嫌ってないんだよな?」
「そうなの」
「つまり、初対面からしてメアリはラムズに悪印象を持つことは絶対にないわけじゃん」
って、こうやって人の感情を分析するのは初めてだな。これもこの世界に来たからなのかなぁ。そうやって理論づけて考えて行かないと、それぞれの使族が考えてること、全く分かんねえからな。
「まぁたしかに、そうかもの。じゃあヴァニもメアリに好かれてるのかのー」
そう言ってるわりに、どうでもよさそうな雰囲気だ。ヴァニラもヴァニラで、よく分かんねえんだよな。
「ヴァニラって何歳なんだ?」
ヴァニラは流し目みたいにして俺を見た。幼女だと分かってるのにドキリとする。潤んだピンクの唇を動かして、物憂げな声を出した。
「人間はそういうのが好きの。そんなの聞いて、どうするの? 年齢なんて大した意味を成さないの」
やっぱり彼女は幼女じゃないんだろうな。そうじゃなかったらこんな意見を言うはずがない。幼女はもっと──舌っ足らずな話し方だったり、色々と世間知らずだったり……。
「まぁ、いいじゃんか。人間はそういうのが気になんだよ」
ヴァニラは両手の肘を立てて、頬を挟んだ。ぐっと俺に顔を近づける。お酒の甘い匂いが鼻を掠める。にこっと笑って彼女は言った。
「ヴァニと恋愛がしたいからなの?」
ぞくりと心臓ごと舐められたような気がして、心拍が一瞬上がった。
──いやいや、俺はロリは専門外だから……! どうもこうも、ヴァニラといると調子が狂う。
「違うって。まぁそういう人もいるかもしれないけど、俺は違う」
「ふうん……。面白いの」
ヴァニラは体勢を戻して、ワインをひと口飲んだ。
「じゃあ、なんでヴァニラはお酒を飲んでも酔わないんだ?」
「それはヴァニがヴァニだからなの」
「意味わかんねえよ。ヴァニラの使族がそういう使族なのか?」
「そうとも言うの」
それなら最初からそう言えよ……。
そこで、ふわあっと欠伸をしてしまった。まだそんな夜遅くはないけど、昼寝ならぬ夕寝でもしたい。
「部屋に戻ってもいいの。ヴァニは一人で飲んでるからの」
「女の子を一人で酒屋に放っておくのは俺のポリシーに反するっていうか……」
ヴァニラはグラスをくるくる回しながら、潤んだ唇から声を漏らした。
「少なくともヴァニは、レオンよりずっと強いの。レオンに守ってもらうまでもないの」
この子もそいうこと言うのか。俺は自分の頭を軽く掻いた。
「っあー。そういうことじゃなくてさ、強いとか弱いとかはいいんだよ。ただ俺がそうしたいだけ」
「女の子だからかの?」
「まぁ、そう」
ヴァニラはふっと俺から目を逸らすと、彼女にとっては高い椅子から飛び降りた。
「女か男かだって、年齢と同じくらいどうでもいいこと」
立ち去り際にそんな声が俺の耳を掠め、ヴァニラは宿屋から出ていってしまった。俺、なんかしたかなぁ?




