第97話 二重人格
ツタを猿轡みたいにして、ネヴィルがわたしの口を塞いだ。腕も手足も縛られている。ネヴィルがわたしを見下ろし、死んだ瞳が嘲笑を浮かべた。
涙が零れるたびに、ネヴィルがそれを舐め取る。ざらざらした細い舌が目元を這っていき、眼球を舐めた。瞳に唾液が粘りつく。
『嬉しい? 泣いててカワイー』
『いやだ……。やめて……やめて…………お願い。やめてよ……!』
「メアリ!」
わたしははっとして目を覚ました。布団の中だ。部屋はぼんやりと明るい。いつも寝ている寝室。さっきとは違う景色。
──夢、だったんだ……。
でも本当に泣いてたみたい。まだ涙が止まらない。こわい、怖かった……。
「ね、ネヴィルが……。ネヴィルが……」
「誰? ネヴィル?」
わたしはぎょっとして身体をずらした。ネヴィル、だ。嫌だ。迫ってくる。なんで隣にいるの……?
銀の髪の毛に赤い瞳。不敵に笑う唇────。
「いやだ、いやだ。来ないで」
「待てよ。俺だ、アヴィルだって」
「あ、アヴィル……? ネヴィルは……」
「ネヴィルって誰?」
「わ、分かんない。いやだ……。ずっとアヴィルでいてよ……」
「こっち来い」
アヴィルがわたしの身体を引き寄せて、優しく抱きしめた。背中を摩っている。震えていた心臓が少しずつ戻っていった。
ネヴィルじゃないと分かると、わたしも少しは気を強く持てる。アヴィルはそこまで悪い人じゃないのかもしれない──し。
でも、どうするとネヴィルが出てくるんだろう……。彼はわたしが嫌がるからって言ってた。どういうこと? 抵抗するのがいけないのかな。
彼のことは、やっぱりアヴィルに聞くしかない。
わたしは布団の中でモゾモゾと身体を動かす。アヴィルから少し離れた。不安そうにアヴィルが見ている。
「大丈夫か? なんの夢を見たんだ?」
「アヴィルの中に、もう一人いるって……」
「俺ん中?」
「アヴィルが気を失ってる時は、違う人が出てくるの。その人の名前はネヴィルって言うんだって」
「さっき言ってたヤツか。そいつがメアリにキスしたっつーこと?」
「そう……。ネヴィルは、わたしがアヴィルのことを嫌がると出てくるらしいわ……」
アヴィルは頷いたあと、目線を横にずらした。何かを思い出しながら、淡々と話す。
「嫌がると、か。でもたしかにそれはあるかもしんねえな。森の中で意識が飛んだ時は、メアリに指舐めさせてって言って断られた時だったし」
「あれか……。あのせいだったのね……」
「たぶんな」
「じゃあ昨日は?」
アヴィルはうーんと唸った。顔を上げて考えている。わたしは彼をじっと見た。
よく見れば、たしかにアヴィルとネヴィルは全然違う気がする。ネヴィルの時はもっと怖いもの。それこそ狂ってるみたい。わたしが嫌がると喜んでた──。
「あーそっか。側にいてっつったろ。けどメアリが嫌だって言った。そんで意識飛んだな」
「そんな……。一緒にいないとネヴィルが出てくるってこと……?」
「分かんねえ。あともう一回飛んだことあんな。あん時もメアリに拒絶されたって思ったよーな」
「ごめん、なさい……」
アヴィルは表情を緩めて、申し訳なさそうな顔をした。わたしの頭をぽんぽんと叩く。
「悪い。責めるみたいになっちまったな。メアリは悪くねえよ。俺が最初にあんなことしたのが悪い。けど本当に大事にするから、もう少し心開いて。色々話してくれよ」
「そう、ね……。それにネヴィルのせい、なんだし。何から話せばいいのかな」
アヴィルはわたしの髪の毛を触った。梳くようにして撫でている。優しい目だ。
本当に好きなのかな……。こんな目で見られたことない、気がする
(ラムズの時とは違う気がする。ラムズはもう少し冷えている感じだ。体温のせいなのかな)。
「呪いのこと教えて」
一瞬言おうか迷った。でも、彼は本当に真剣な眼差しをしていたし、助けは多い方がいい。それにネヴィルのこともあるから、やっぱり言うしかないわよね。
「わかったわ。人魚の中で、呪いがあるの。人間に恋をしたら、下半身が人間の足になるっていう呪い……。前に女の人魚がそうなったのよ。恋をした相手を殺せば元に戻れるの。でもそれは、人魚の成人の19歳までに殺さなきゃいけない……」
「メアリは今17か」
「ええ。アヴィルは?」
聞かれると思わなかったのか、アヴィルは目を瞬いた。頭を掻いて、目線をずらす。
「んー。言わね」
「なんでよ」
「歳が違いすぎっから」
「そんなに? でもラムズともけっこう歳が違うわ」
「あー、まぁそうだよな。いやラムズのことはいんだよ。俺のことだけ見て」
アヴィルがわたしと目を合わせる。指が目元をなぞる。頬を包み込むようにして触った。
わたしは目を伏せた。拒絶すると、またネヴィルが出てきちゃうし……。これくらいなら我慢、しなきゃ。アヴィル自体はそこまで悪い人じゃないみたいだから。
「アヴィルはそれで、何歳なの?」
「んー。102」
「そっか。長生きね」
アヴィルは首を振って、苦い顔をした。
「メアリと全然違えじゃん。だからなんか嫌だわ。ラミアって、20歳くらいから見た目変わんねえんだよな。それで呪いの話は、あれで終わり?」
「あ、えっと……。わたしはサフィアっていう名前の男を好きになったの。その人を殺しに行きたいの。そうしたら呪いが解けるから。でも全然手掛かりがなくて」
「じゃー俺が探しておいてやるよ。俺が殺すんじゃダメなの?」
「ダメだと思う……」
「じゃー連れてくる」
「でも、人魚になったらどうするの? 一緒に暮らせないわよ」
「んー……。あー……そっか……」
彼の表情が少し陰った。でも、すぐぱっと顔を上げてわざとらしい明るさで言う。
「分かんねえや。けどメアリが望むことなら、何でもやってやる。人魚になったらそん時にまた考える」
アヴィルは笑って、わたしの頭を撫でた。彼の手に触れてみる。温かい。
「それ以外は? 他に外に出たい理由あんの?」
「えっと、うーん……」
考えてみれば、本来サフィアのこと以外はない。
鱗──。剥がれ落ちた鱗を直したいのは、あくまでラムズだけなのよね。もう直してもわたしにとって意味はない。これは前にも思ったことだけど
(たしか、ラムズと喧嘩をする前だったかな。ジウのところに行こうって思っていた時)。
そう考えると、本当は外にいる意味ってないのかもしれない。別に人間みたいに陸を歩きたいわけでもない。もし二年以内にちゃんと人魚に戻れるなら、別にどこにいたっていいはず。
だけど、やっぱり“閉じ込められる”のが嫌だった。自由がないのは、わたしが壊れていくような気がする。人魚じゃなくなっちゃう気がする。
ましてやここは海なんて全く見えない土地だ。絶対に海に触れることができないと思うと、それだけで気がおかしくなりそう──……。
でも、今ここまで本音を言う必要はない。それにこんなこと言ったらまたネヴィルが出てきちゃうかもしれない……。
わたしはなんとか気を持ち直して、違う理由を口にしてみた。
「それ以外はないけど……。でもサフィアを探すために努力をしていないと、なんだかやるせないの。間に合わなかったらどうしようって思うのよ」
「あと二年もあるんだろ? 大丈夫。俺が探すから」
「けどアヴィルだってこの家にいるわけだし……」
「ラミアの知り合いとか、ヴァンピールの知り合いに当たる。長寿な奴が多いし、何か知ってるかもしんねえからな」
「そっか……」
なんだかどんどん追い詰められてる気がする……。このまま本当に家に閉じ込めるつもりなの? どうしよう。
そうは言っても、これをそのまま伝えるわけにいかないし……。
わたしが何かを言う前に、アヴィルに先を越される。
「メアリにはあいつら以外に知り合いはいねえの?」
「そうね。仲良くなれた人は少ないわね」
「んー。闇雲に歩いて探したって見つかりっこねーだろ。そもそもサフィアとはどこで出会ったんだ?」
サフィアのことを思い出して、声が沈んだ。
「プルシオ帝国のルークス……」
(プルシオ帝国は北大陸の西部を大きく占める国よ。光神教を信仰している人が多くて、戦うのが好きな国。ルークスはプルシオ帝国の首都)
「まじ? クリュートとは全然違えじゃん。大陸からして違えし」
「そうなんだけど……。一応ルークスには寄ったことがあるの。居酒屋なんかで聞いてみたんだけど、見つからなかったのよ。でも、もしかしたらサフィアは貴族かもしれない。それならルークスもまだ探し切れていないわ」
サフィアが貴族らしいっていう情報は、わたしも最近思い出した。なるべくサフィアの顔を思い出さないようにしていたせいで、初めは服装なんて気にしたことなかったのよね。
でも最近サフィアの夢を見るようになって──嫌でも思い出して。けど、その代わり貴族っぽい服装だったってことに今頃気付いた。
アヴィルはふんふんと頷いて、思考を巡らせている。
「貴族ねぇ。けどルークスで貴族っつったら、大物の貴族しかいねえぞ? 首都なんだし、帝国だしな。んあー、そっちに知り合いいたっけか。けど、俺はメアリと違ってずっと陸に生きてっからさ。もっと効率よく探せると思うぜ」
「そう、よね……」
たしかにずっと陸に住んでいたアヴィルの方が、色々と伝手もあるわよね。でも、家から出ないで待っているのは嫌だ……。何もしないで落ちてくるとは思えないもの。
どうしよう。あんまり否定すると、もしかしたらまたネヴィルが出てくるかもしれないからな……。
それにネヴィルのことはどうしたらいいんだろう。そもそもなんでネヴィルがアヴィルの中に入ってるの? よく分からない。
「アヴィル、アヴィルは? どうしてネヴィルが入ってるの? いつからおかしいの?」
「んー。物心付いた頃には、けっこー記憶ねえ時があったな。俺ラミアだろ。ラミアは15で捨てられるっつーじゃんか」
「うん」
「俺は15じゃなくて、5歳で奴隷として親に売られたんだ。見た目がいーからっつってな」
たしかにアヴィルは綺麗だ。ラムズも同じくらい美形だと思うけど。
ラミアはみんな容姿が整っているらしくて、アヴィルもやっぱり格好いい方だとは思う……。切れ長の瞳で、顔の彫りは深い方。小顔だし色白。笑った時は少し無邪気な感じで、でも目が悪戯っぽくなる。
わたしがじっと見ていたからか、アヴィルが照れてわたしの頭を自分の胸に押し当てた。
「そんな見んなよ」
「ご、こめん……。続きは?」
アヴィルは手を離した。体を動かして仰向けになる。懐かしそうにしながら、ゆっくりと話し始める。
「そんで、新しい母親ができたんだよな。かあ様って呼べっつー言われてさ。そん時に虐めろって言われたんだよ」
「虐めろ?」
「あぁ。かあ様を虐めろって言われて、よく分かんねえけど、キスしろとか色んなとこ舐めろとか言われた。あと同じ奴隷同士でもキスしまくってたわ。キスしてんの見せろって言われたんだよ」
どういうこと? 母親なのに、そんなことをさせるの?
彼にそう尋ねた。
「分かんねー。とにかく相手が嫌がってんのにキスしなきゃいけねーわけよ。まぁ相手も演技なんだけどさ。でもそれを見るのが怖くて。その辺りから、けっこー意識飛んでたな。意識が戻ると母親が伸びてた」
「その、キスだけずっとしてたの?」
「んー……いや、色々したかな。10くらいになってからは性行為もしろって言われたわ。だからやった。けど奴隷の中で一番年長だったやつに、ソレは大事な人としかしちゃダメだってずっと言われてたんだよ」
「大事な人と?」
「あぁ。そんだけは履き違えるなってな。あの母親はおかしいっつー言われた。けど15になって髪が銀になったから、その家からも捨てられた。そのあとはヴァンピールと仲良くしてた」
「そっか……。なんていうか、酷い感じだったのね……」
海賊の中にも、奴隷出の人はよくいる。その時は雇い主に乱暴にされたり、暴力を振るわれたりしたことがあるって聞いた。でもなんていうか、こういうのは──聞いたことなかった
(海賊は男が多いからなのかもしれないわね。女の人は、娼婦みたいにして使われると聞いたことがある。当時は意味がわからなかったけど、今は何をされるのかなんとなく分かる。でもどちらにしても、男の海賊でこんなふうに扱われた奴隷の話は、わたしは聞いたことない)。
母親なのに、キス、させるんだ。しかも5歳の頃から……。それに二回も捨てられている。大丈夫なのかな……。
アヴィルを見ていると、彼は優しく笑いかけた。
「そんな心配しなくても大丈夫だって。もう102だっつったろ。気にしてねえし。今はメアリもいるからヘーキ。けどネヴィルは、母親と性行為をしてたのかもしんねえわ。気を失った俺の代わりにな」
「そうなのね……。ラミアってでも、子供ができないんでしょ? それでも性行為はできるの?」
「んー。まぁやろうと思えばできる、みたいな。15まではほぼ人間だしな。それよりもラミアは、好きな相手のこと噛むんだよ。すぐ回復すんだろ。だから噛み千切って食いながら、キスしたりする」
「痛そう……」
「痛いのがいーの。メアリのことも本当は食いたい」
ドキリと心臓が打った。赤い瞳が燃えるようになって、爛々としている。わたしの心臓を掴んだみたいになる。
わたしはアヴィルの服を掴んだ。
「アヴィル……」
「何もしねえって。けどいつかちょっと噛ませて」
アヴィルは茶目っ気のある感じで笑った。また動悸が打って、さっと目を逸らす。
でもそういえば、ネヴィルが言ってたわ。ラミアは恋人同士で噛むんだ、とか……。あの時も怖かった。
知らないあいだに腕が震えていたのに気付く。アヴィルがわたしの腕をさする。わたしはポツリと呟いた。
「ネヴィルがわたしの首を噛んでた……」
「まじかよ、ごめんな……。けど複雑だなー。一応俺みたいだけど、俺じゃねえし。んー、大丈夫だった?」
「痛かったし、怖かった」
アヴィルは申し訳ない顔をして、優しい瞳で言った。
「ごめんな。噛むのはずっとあとでいいよ。メアリは? キスが一番ならその前は何すんの?」
「えっとー……。キスの場所によって意味が変わるの。最初は手の甲で、次が臍、鎖骨や胸の上、そのあと首筋。額、頬、最後が唇、かな」
「そっか。ラムズはどこまでしたんだ?」
鋭い視線に晒されて、目が泳いだ。アヴィルって、色々と勘が鋭い。戸惑った顔を見られたからか、彼は溜息混じりに呟く。
「やっぱりされたんだな? ハァー。ずるい」
「アヴィルはキスしたじゃん……」
「まーな。けどあれは事故なんだろ? メアリそう言ったじゃん」
「それは、ん、うーん……」
事故、といえば事故なのかな。
アヴィルは色々と勘違いをしていたらしいものね。でもわたしの中で、事故だと片付け切れていないのも事実。そのあと何度もネヴィルにキスされたせいで、まだ覚えているし……。
嫌だな。怖かったし、なんていうか気持ち悪いし、よく分からなかったもの。
「なんか、まだ覚えてて……やだ」
「初めての子にあれはキツかったよな。ごめん。今度する時は、もっと優しくすっから」
「こん、ど……」
唇を寄せて、アヴィルは柔らかく微笑んだ。
「いつかな。今はー、じゃー手の甲にキスしていー?」
「え、あ……うん……」
アヴィルは布団の中でもぞもぞ動かして、わたしの掌を探した。見つけると、それを掴んで口元まで運ぶ。柔らかい唇が、手の甲に触れた。
今更のことなのになんだか恥ずかしくなって、少し俯いた。
「メアリかわいー」
「かわいくない……」
「かわいーぜ」
アヴィルがまたわたしを抱きしめた。アヴィルの心臓が凄い勢いで鳴っている。わたしと同じくらい早い。こんなに早く打ち付けていて、なんだか痛そうだ。
見上げると、アヴィルと目が合った。
「もう一個いく?」
「もういっこ?」
「次は臍なんだろ?」
「まぁ……」
「していい?」
「う、うん……」
断ったらまたネヴィルが出てくるのかと思うと、頷くしかなかった。ネヴィルに襲われるのと、ここでアヴィルがキスをするのは、まだちょっとわたしの中の“意味”が違う。
ネヴィルのほうはもう──心や体の全てが拒絶反応を起こしている。
それに比べたら、アヴィルの方がずっといい。
アヴィルは身体を起こした。掛け布団を開ける。アヴィルがわたしの腰の上に乗って、見下ろしている。こわい、少し、なんだかこの前のことを思い出す……。
「大丈夫? 上に乗ると怖えのか」
「ちょっと……」
「それ以上のことはしねえから」
「うん……」
アヴィルはわたしを見ながら、頭を少し掻いた。戸惑ったような顔付きで言う。
「つーか、臍が先なのかよ。服脱がさねえとじゃん」
「ダメなの?」
「だって裸になんだろ? 普段は服着てんだから、裸を見んのはちょっとな」
何がダメなんだろう? キスはするのに、服を脱がせるのはダメなの? ラミアの価値観もよく分からないわ。
「性行為はしないんでしょ?」
「しねえけどー。そのままが見えるって感じすんだろ。まーメアリが気にしねえならいーよ」
アヴィルはわたしの服を捲った。胸の下までめくる。お臍の辺りを凝視している。そんなに思うものなのかな?
普段隠れているものが見えると、“いい”ってこと? でもそう考えると、ラムズは全然気にしてない風だったな……。
アヴィルは身体を少し後ろに下げたあと、わたしのお臍にキスをした。顔を上げて、わたしの方に話しかける。
「舐めちゃダメ?」
「えっ、んー、どういう……」
「ラミアは身体中舐めんだよ。だから臍だけ」
「そう、なの……」
よく分からなくて、とりあえずは頷いた。口から紫色の舌がチロチロ覗く。そのまま唇が、ゆっくりと皮膚に触れた。




