第3話 愛され人形③
幼いその少女が、目も眩むような美しい少女を見たのは、頼まれていたお使いから帰ってきたときのことだった。
赤い髪を腰まで伸ばした少女と、銀色の髪を短く切りそろえた少女。
「天使さまだ……」
少女はそう呟く。
彼女は、いわゆる孤児だった。物心ついたときには両親はおらず、街の孤児院で暮らしていた。
彼女自身、それを不幸だと思ったことはない。お腹いっぱいパンも食べられるし、初等学校にも通うことも出来ている。先生も友だちも大勢いる。なにより大事なお友だちもいる。だから寂しいとは思わない。
しかし、それでも時々フッと胸にぽっかりと穴が空いてしまったように感じるときがあった。
そんな彼女が見た、人間とは思えないくらいに綺麗な少女たち。
少女は即座に悟った。あれは天使さまに違いない、と。
一瞬、少女は天使さまの元に駆け寄りたくなった。しかし、すぐに以前日曜学校の神父様に教えてもらったことが蘇った。
――天使様は、良い子に祝福を与えてくれる。
少女は腕一杯に抱えたパンを届けるべく、台所へと駆けていった。
◇ ◆ ◇
ガーデンは、大きく五つの区画に分けられる。
北側にある行政区画、東側にある居住区画、南側にある商業区画、西側にある工業区画、そして中央にある公園区画である。
今、ナインスたちがやって来ているのは居住区画と商業区画のちょうど境のあたりだった。
「孤児院?」
馬車から降り立ったナインスは、小首を傾げながら目の前にある建物を見た。
それは、小さな孤児院だった。見た目は教会のようだ。屋根に十字架はなく、変わりに壁に『迷える子羊の家』と書かれていた。
「ん?」
そこで、ふとナインスのセンサーが小さな足音を捕らえた。横を見ると、十歳に満たないくらいの女の子が、慌てて孤児院の中に駆け込んでゆくのが分かった。
おそらくここで養われている孤児だろう、とナインスは思った。耳を澄ませば、建物の中から元気な子どもたちの笑い声も聞こえてくる。
いたって普通の孤児院だと思うが……
「ここに『醜いもの』がいるの?」
「そうみたいだね」
ナインスに答えたのは、同じく馬車から降り立ったフォオスだった。こちらもまた、不思議そうに小首を傾げている。
大抵、ナインスたちが殺処分するのは、都市内で何らかの犯罪を犯した犯罪者や、システムに適応できずに反政府活動に走る活動家が主だった。実際に昨日ナインスが処分した男も、都市内で違法とされている麻薬を扱っていた密輸業者の一人である。
(もしかしたら、そんな犯罪者がここに潜伏しているのかもしれない)
とはいえ、とてもそんなふうには見えなかった。
「とりあえず中に入ってみようじゃないか、ナインス。もし、どうしてもショーをしなくちゃいけない時になったら、アリス姉様が教えてくれるはずさ」
「そうだね」
フォオスと連れだって、ナインスは敷地内に足を踏み入れた。
このガーデンにおいて、シスターズは一種の超法規的な存在だった。死刑執行人にして都市の女王の代行者。独自の判断で誰かを殺したとしても、最終的にALICEがその者を『醜いもの』と認めれば何の問題もない。
とはいえ、彼女たちが不作法に何かをするということはありえなかった。
優雅に、優美に、殺すときですら美しく。ひたすらに美しくあることと、都市を汚す醜いものを狩ること。それが、ナインスたちに課せられた役目であり使命だった。
手入れの行き届いた芝生を横目に、ナインスは進む。木製のドアまで来たところで、ナイスはドアについた打ち金を鳴らそうとした。
しかしそれより早く、ドアが開く。
そこには、クルクルとした栗毛の幼い女の子が立っていた。
「あ、あの……い、いらっしゃい、天使さま!」
「天使さま?」
突然の言葉に、ナインスはきょとんと目を瞬かせた。
◇ ◆ ◇
「なるほど、私たちを見て天使だと思ったってわけなんだ」
目の前でペコペコと頭を下げる女の子を見つめながら、ナインスは苦笑を漏らした。
「ご、ごめんなさい! お姉ちゃんたち、すごく綺麗だったから!」
「謝らなくてもいいよ。別に、天使だって言われて悪い気はしないから」
ナインスは小さく微笑む。
ナインスたちが通されたのは、食堂のような部屋だった。もともとそういうものなのか、それとも天使と勘違いされたからなのか、突然の訪問にもかかわらず歓迎されているようだった。食堂の入り口では、幾人もの子どもたちが興味津々でこちらを伺っている。
ちなみに今ここに、フォオスの姿は無かった。園長先生と思しき初老の女性を捕まえ、話を聞きに行っている。
そういうわけで、残されたのはナインスだけだった。
「それで、お姉ちゃんたちは……?」
「シスターズって言ってもわからないよね。とりあえず、お人形ってことにしておいて」
「お人形? お姉ちゃん、お人形さんなの?」
「そうだよ。ほら」
ナインスはそう言いながら、袖をわずかにまくり上げた。球体状の関節が顔をのぞかせる。
女の子の目が、まん丸になった。
「すごい……本当にお人形さんなんだ」
『ええっ、お人形さん!』
そこで、ついにこらえきれなくなったのか、ドアのところにかぶりついていた子どもたちが一斉に食堂になだれ込んできた。ナインスのまわりにワラワラと集まってくる。
「すごーい、本当にお人形さんなんだ!」
「なんで、なんでお人形さんなのに動けるの? しゃべれるの?」
「特別な人形だから、かな?」
へええええ! と子どもたちが驚いた声をあげた。
「ねえねえ、お人形さん!」
そこで、ナインスのことを天使さまと言った女の子が声を上げた。
「あたしのキキちゃんも、お人形さんみたいに動いたりしゃべったり出来るの?」
良く見れば、女の子の腕には小さな人形が大事そうに抱えられていた。少女を模ったビスクドールのような人形だったが、ずいぶんと長い間使われていたのか、だいぶボロボロになっている。
「その子がキキちゃん?」
「うん。あたしの一番のお友だちなの!」
「そっか」
ナインスは手を伸ばすと、少女の腕に抱かれた人形の頬をそっと撫でた。すすと砂埃で、その顔は大分汚れてしまっている。
ふとナインスは、この人形は幸せなのだろうかと、そんなことを考えた。
人形にとって最も大切なことは『美しくあること』だとナインスは思っていた。永遠に変わらない美しさを保ち、愛でてもらう。それが人形にとっての幸せだ。
事実、今のナインスは幸せだった。人間だった頃とは比べものにならない美しさを持ち、自分を愛してくれる姉妹たちに囲まれて過ごしている。
では、この人形はどうなのだろうか?
確かに愛してもらってはいるだろう。これだけ汚れているということは、いつもこの女の子の腕に抱かれているに違いない。きっと眠るときも一緒なのだろう。一番のお友だちと言ってもらえることは、それだけで嬉しいことに違いない。
けれど、この人形は美しくない。汚れてしまっている。
なぜだかナインスには、それが酷く残念なことのように思われた。
「お人形さん、どうしたの?」
「なんでもないよ」
ナインスはそっと人形の頬を指先で拭った。しかし、こびり付いた汚れは取れなかった。
「ねえ、どうしたらキキちゃん、お人形さんみたいにしゃべったり動いたり出来るようになるの?」
再度、女の子が問う。
「そうだね」
ナインスは小さく笑みを浮かべ、言った。
「もっともっと綺麗だったら、動いたりしゃべったり出来るようになるかもね」
「綺麗だったら良いの?」
「もしかしたら、だけどね」
「わかった! ならあたし、キキちゃんを綺麗にしてあげる!」
待っててね、キキちゃん! と女の子が人形に語りかける。ナインスはそれを優しい気持ちで見つめた。
そうこうしていると、食堂にフォオスが姿を現した。
「待たせたかい、ナインス?」
「ううん、ちっとも。この子たちと話をしていたから大丈夫だよ」
「それはよかった。ボクの方も園長先生から色々と話を聞けたよ」
とりあえず出ようか、とフォオス。
「それじゃあね。キキちゃん、ちゃんと綺麗にしてあげて」
「うん! ありがとう、お人形さん!」
「どういたしまして」
手を振る子どもたちにさよならを言い、ナインスたちは孤児院を出る。道路に止めた馬車までやって来たところで、ナインスはぽつりと聞いた。
「それで、どうだったの、フォオス?」
「そうだね。園長先生はとても良い人だったし、子どもたちもみんな笑顔だ。良い孤児院だと思うよ、ボクは。ただ……」
「ただ?」
ナインスは小首を傾げながら問いかける。
対して中性的な人形の少女は、困ったような笑みを浮かべながらこう言いはなった。
「ここは、やっぱり『醜いもの』だったよ」
「どういうこと?」
【――それはわたしから説明するわ】
そこで、ナインスたちの目の前にホログラムモニターが現れた。黒い画面の中央で、見慣れた『ALICE』の文字が点滅している。
姉のALICEだった。
【――この孤児院にいる子たちは皆、不法市民なのよ】
「不法市民? 都市外の人間ってこと、アリス姉様?」
【――ええ、そうよ】
ALICEが説明する。
どうやらこの孤児院は、主に都市の外に広がる租界で親を失った子供を集め、育てているらしかった。
美しいガーデンとはうらはらに、租界は酷い環境だった。三度の世界大戦と、それに伴う環境汚染。親を失った子供が生きてゆくには過酷すぎる環境である。
この孤児院は、そんな租界にいる孤児を密入国させ、育てているのだとALICEは語った。
そしてガーデンにおいて、不法市民は例外なく『殺処分指定』だ。
【――不法市民は決して許さないわ。可哀想だけれどね】
確かに、この孤児院を運営している人間は慈善のつもりでやっているのかもしれない。親を失った子を集め、育てる。それはなかなか出来ることではないし、端から聞けば美談と讃えられることだろう。
しかしそれがいくら美談であろうと、システムに反している以上は許されない。それがユートピアである箱庭の絶対だった。
故に、都市の女王は穏やかな声で、
【――園長をしている女性も、子どもたちも、全て『醜いもの』とするわ】
殺処分の命令を下した。
【――シスターズ4th。シスターズ9th。今晩中にショーを執行しなさい。もちろん美しくよ。いいわね】
『かしこまりました、アリス姉様』
ナインスとフォオスはスカートの端をつまみ上げ、そろって優雅に頭を下げた。
【――良い子たちね。後はまかせるわ】
モニターがブラックアウトし、そのまま掻き消える。
「可哀想だから、夜みんなが寝静まってからショーを始めよう」
「今すぐじゃなくても良いの、フォオス?」
「今晩中にとアリス姉様が言っていたからね。きっと、アリス姉様もそのつもりで言ったんだと思うよ。アリス姉様は優しいから」
「そっか……」
ナインスはついと視線を孤児院の方に向けた。耳の奧に、子どもたちの笑い声がこびり付いているような気がした。
「残念」
ナインスは困ったように笑いながら、ぽつりと呟いた。




