第32話 球体間接に憧れて②
朝のお茶会が終わって、しばらくの後。
ナインスの姿は、住宅地区の一角にあった。
住宅地区は、閑静と呼ぶにふさわしい場所だった。主に一軒家が建ち並び、ちらほらとカフェやベーカリーがある。緑の豊かな公園もあり、並木道の中を子連れのご婦人や老夫婦などが優雅に散歩をしていた。
そんな中、ナインスもまたテクテクと歩いていた。ちなみに斜め後ろには、美しい黒い髪をサイドテールに結い上げた執事服の自動人形――メイディが付き従っていた。
「ねえ、メイディ?」
「どうした、ナインス嬢?」
「ちょっと聞きたいんだけど」
ナインスは、釈然としない表情で言った。
「なんで、わたしたちがおとり役なんだろ?」
「正確には、おとり役はナインス嬢だけだがな。フィフスの時とは違い、ワタシは球体間接ではなくなってしまっているからな」
「……納得いかないんだけど」
「サアド嬢の思いつきだ。仕方ないと思って諦めた方がいいな」
メイディは小さく肩をすくめる。
二人というか二体というか、とにかくナインスとメイディがこうして住宅街を歩いているのは、サアドの思いつきによるものだった。
早い話、シクスの話に出てきた『人形になりたい女の人』をおびき出してみようというのが、その趣旨だった。
ちなみに執事であるメイディが駆り出されたのは、フォオスが居なくて暇そうだったから。一方、ナインスが選ばれたのは、単純にサアドの指名だった。
「それにしても」
そこで、メイディはしげしげとナインスを眺めると、
「ナインス嬢のそういう格好も、なかなかに新鮮だな」
「……言わないで、メイディ。慣れないし、スースーして変な感じなんだから」
ナインスは、スカートの裾を手で押さえる。
ナインスが着ているのはいつものドレスではなく、サアドのお古というドレスだった。シスターズの中で最も露出が多いサアドのお古と言うことで、ナインスにしてみればあまりに布の面積が少なかった。スカートは短いし、肩もお腹も出てしまっている。サイズが合わないため、所々リボンで結び、無理矢理着こなしている感じだった。
球体間接を見せびらかすという意味では非常に有効ではあるのだが、とかく心許なかった。
「こういうのを、恥ずかしいっていうのかな?」
「ふむ、ヒトで言うところの羞恥心というやつか。どうだろうな」
「メイディは、見られて恥ずかしいって思うことあるの?」
「いや、ないな」
メイディは首を横に振った。
「正確には、感じる感じない以前の問題で、恥ずかしいという感情が無いんだ。戦闘人形だった時と違って、自動人形の処理能力では、羞恥のような複雑な『心』までは演算できなくてな」
「そうなの?」
「ああ。単純に演算速度の問題でな。もし羞恥のような心の動きまで計算しようとすると、処理落ちでフリーズしたり、論理矛盾で思考ループに陥る危険が高くなってしまうんだ。そういった危険を防ぐために、ワタシたち自動人形の『心』は、初めから感情に範囲設定がなされていてな。単純な喜怒哀楽といった感情だけしかないんだ」
「ふうん、じゃあメイディとかエドワードとかって、恥ずかしいって思うことないんだね?」
「他にも『退屈』とか『憎しみ』みたいな感情もないぞ」
「へえ、そうなんだ。退屈がないのはうらやましいかも」
最近になって人間の友人ができ、裁縫というちょっとした趣味も出来てきたナインスだったが、それでもまだまだ暇な時間がたくさんあった。朝のお茶会に出た後、翌日のお茶会まで何もないという日もちょくちょくある。
そんなナインスからしたら、退屈のないメイディはうらやましいものだった。
「だから、お嬢が居ないからといって、別にワタシは退屈というわけではないんだ。なにせ退屈を感じないのだからな。なのに、サアド嬢と来たら……」
まったく、とメイディは嘆息する。
「退屈そうにみえたとしても、それは周囲の環境情報に併せてプログラムされたとおりの仕草をしているだけだからな。別に退屈という感情というわけではないんだ」
「ふうん、そうなんだ。それじゃあサアド姉様、メイディが退屈を感じないことを知らないんだね?」
「いや、知ってるに決まってるだろう。そもそも、ワタシをはじめとしたお屋敷の自動人形達を組み上げているのは、サアド嬢なんだからな」
「え、そうなの?」
きょとん、とナインスは目を見開いた。エドワードを初めとする執事人形やハツカネズミ型メイド人形などで溢れているお屋敷であるが、それをサアドが組み上げているというのは初耳だった。
「ん? 知らなかったのか、ナインス嬢?」
「うん、ぜんぜん」
「……あー、それはしまったな」
あちゃあ、とメイディは額に手を当てた。
「サアド嬢のことだ。どうせ面白そうとか言う理由で秘密にしてたのだろうが……まあ、こうなったら仕方がないか。ワタシがしゃべったということがばれたら面倒そうだが」
「それでどういうことなの、メイディ? サアド姉様がメイディ達を造ってるってことなの?」
「正確には、サアド嬢の専属メイド達が、だな」
「専属メイド? 執事じゃなくて?」
こてん、と首をかしげるナインス。
ナインスたちシスターズには、それぞれ専属執事と呼ばれる自動人形が居た。ナインスであればエドワード。フォオスならばメイディ。エイスならばアルフレッドというようにだ。専属メイドというのは聞いたことがなかった。
「ああ、メイドだ。まあ、単純に服装の違いでしかないがな」
「ふーん、そうなんだ。サアド姉様の専属メイドか……わたし、見たことないね」
「いや、あるぞ。というか、姉妹の中で一番彼女たちの世話になっているのはナインス嬢だな」
わたし?
そう目をぱちくりさせるナインスに、メイディは言い放った。
「トゥイードルディとトゥイードルダムだ。彼女たちがサアド嬢の専属メイドなんだ」
「へえ! そうなんだ!」
珍しく、ナインスは驚きの声を上げた。
双子の自動人形――トゥイードルディとトゥイードルダム。
それは、主にお屋敷で整備係として働いている、ナース姿の自動人形たちだった。シスターズの分解整備から他の自動人形のメンテナンスまで一手に引き受けている。
ちなみにメイディの言うとおり、シスターズの中でいちばん双子のお世話になっているのはナインスだった。シスターズ最速を誇るナインスは、当然に他のシスターズよりも部品の摩耗が激しい。そのため、訓練やショーで超音速駆動をする度に、双子達に部品や手足を交換してもらっていた。ナインスにとって、トゥイードルディとトゥイードルダムは、ALICEや姉たちに次いで頭の上がらない相手であった。
「サアド嬢が、シスターズ唯一の『指揮官型戦闘人形』なのは知っているか?」
「うん、それなら聞いたことある」
「サアド嬢自身は、あまり直接戦闘が得意ではなくてな。代わりに、多くの自動人形達を指揮してショーを行うのがサアド嬢だ。で、そのサアド嬢が指揮する自動人形を組み上げているのが、専属メイドのドルディとドルダムというわけなんだ。お屋敷の人形を造ったり、ナインス嬢達の整備をしているのは、言ってみれば“ついで”というやつだな」
ちなみにメイディによれば、普段は整備係としてナース服を着ているドルディとドルダムだが、サアドの身の回りの世話をするときだけは、本来のメイド服に着替え、背中に大きなゼンマイネジを背負うとのことだった。
「ゼンマイネジ?」
「ああ。ワタシのこれみたいに」
メイディは、自身の左腕から生えている蔦と花を示しながら、
「本来、自動人形は人形らしいパーツを付けるものだろう? ドルディとドルダムの場合、背中に大きなネジ穴があいていてな。本当は、そこに大きなネジ巻きがついてるんだ。ナース服のときは邪魔にならないように外してるんだがな」
「ふうん、そうなんだ」
メイド服と一緒に今度見せてもらおう、とナインスは思った。
「まあ、そんなわけでな。自動人形に誰より詳しいのがサアド嬢というわけだ。だから、当然、ワタシが退屈を感じないなんてことは知ってるに決まってるはずなんだ。その上でやっているんだから、たちが悪いというかなんというか、だな」
肩を落とすメイディ。すかさずナインスは、
「その仕草もプログラム通りなの?」
「ああ。肩を落としてがっかりしているように見えるだろう?」
「うん、そうだね」
ナインスとメイディは、そこで顔を見合わせるとクスリと笑った。
もちろん、ナインスの方は可笑しいからの笑みで、メイディの方はプログラム通りの笑みだった。
「あのう……」
そのときである。
「あなたは、お人形さん……ですよね……?」
おそるおそると言った声。ナインスとメイディは振り返った。
果たしてそこにいたのは、中等学校生くらいの少女だった。栗色の髪を緩く二本の三つ編みにし、大きなメガネをかけている。学生服を纏っていたが、小柄なために袖や肩が余ってしまっており、だぼっとした印象になっていた。地味な女学生、という形容がぴったりくる感じだ。
そんな少女は、びくびくと、しかし意を決した様子で、
「あ、あの……そ、その……私、お人形に憧れてて……そ、その、どうやったらお人形になれるのか、教えてくれませんかっ!」
『…………』
きょとん、と殺戮人形と自動人形は顔を見合わせるのだった。
◇ ◆ ◇
ナナ・サンジェルマン。
中等学校に通うその少女が、人形に憧れるようになったのは、もうずいぶんと前からだった。
地味なその見た目通り、ナナは引っ込み思案な性格の少女だった。友達と呼べるような相手はおらず、学校でもさみしく本ばかりを読んでいる――そういうタイプの少女である。
そんな性格なので、ナナはしょっちゅうクラスメイトからいじめられていた。
もちろん、暴力を振るわれたり、酷いことはされていない。せいぜいが無視されたり、持ち物の本を隠されたり、陰口をたたかれるくらいだ。
しかしそれでも、当の本人にしてみれば耐え難い苦痛だった。
……私なんて放っておいてくれればいいのに。
そう思っていても、クラスメイトはいじめるのをやめてくれない。ナナはジッと我慢するしかなかった。
そんなとき、彼女はとある本に出会う。
ガーデンの歴史や行政について書かれたその本に、こんな文章が載っていた。
『このガーデンの仕組みと秩序は、人工知能ALICEと、彼女によって人間から人形に造り替えられた妹人形たちによって維持されている』
――人間から人形へと造り替えられた……
それはナナにとって魅力的な響きだった。
(私も人形になれば、こんな嫌な思いしなくても良くなるんじゃ……)
ナナは思った。自分が苦しい思いをするのは、自分が人間だからだ。人間だから、無視されたり本を隠されたりするたびに、悲しくなったり嫌な気持ちになったりするのだ。けれど、人形は違う。きっと人形なら、なにも感じないはずだ。いじめられても、苦しく感じることはない。涙を流すこともない。何も感じず、何も変わらず、いつまでも同じであり続けるだけ。
そしてナナは憧れるようになる。
(私も、お人形になりたい……!)
その憧れは、やがて引っ込み思案な少女に、見知らぬ人形に声をかけさせるまでに至ったのだった。
◇ ◆ ◇
(ええと……この子、いったい何言ってるんだろ……?)
公園のベンチに腰掛けながら、ナインスは心の中で首をかしげていた。目の前では、メガネにお下げ髪の少女が、たどたどしい口調で人形になりたいわけを説明している。
ナインスとメイディ、そしてナナと名乗った少女は、住宅街の中にある緑地公園にいた。ナインスとナナは適当なベンチに腰掛け、メイディはナインスの脇に控えていた。
ちなみにナインス同様、メイディもまた困惑した様子だった。もっとも、そう見えるだけであったが。
「その、だ、だから!」
ナナは、キュッと膝の上で拳を握りながら、
「いじめられたりして、嫌な思いをするのは、も、もも、もう嫌なんです! だから、私、お人形に……貴女みたいな、ええと……」
「わたしはナインスだよ。アリス姉様の妹人形。シスターズ・ナインス」
「ナインスさん、というんですね。そう、だから私、ナインスさんみたいになりたいんです!」
「……ええと、そんなこと言われても」
珍しく顔を引きつらせながら、ナインスは思わずのけぞった。
貴女みたいになりたい、と言われたところで、そうなんだね、としか言いようがない。
ナインスは思わず自分自身に意識を向けた。
真っ赤な髪に、シミ一つ無い肌。自分では分からないが、背筋が凍るほど美しいと言われる相貌。濃い赤のミニドレスに身を包み、大きく露出したお腹や脚、腕や肩からは、シスターズの証である球体間接がこれ見よがしに見えている。
ちなみにナインスの視線を追うように、ナナもまたナインスの身体を見つめていた。わずかに頬を赤く染め、うっとりするような目をナインスの容姿や球体間接に向けている。
なぜかよく分からないが、ナインスはスカートの裾をキュッと押さえていた。
「いいなあ……」
「いいって、この球体間接が?」
「え、あ、はい!」
ナナは大きくうなづき、次いで首を横に振ると、
「あ、いえ、別に球体間接だけが良いって訳じゃないんです。でも、その球体間接が、シスターズさんの象徴だって本に書いてあって」
「まあ、そうだね」
ナインスはキュキュッと手首を回した。摩耗はするが、疲れたりすることはない。根本的に人間の関節とは違う、まさしく『お人形』の間接だった。
「それで、その」
ナナは、わずかに身を乗り出しながら、
「ナインスさんは、どうやって……その、お人形になったんですか? もともとは、ナインスさんも人間だったんですよね?」
「……」
思わずナインスは押し黙った。
ナナの問いが、思考の中でリフレインしていた。
――もともとは、ナインスさんも人間だったんですよね?
一瞬、ナインスはその言葉を理解できなかった。
人間? 誰が?
わたしが、人間……?
「あの、ナインス、さん? どうしたんですか?」
「ナインス嬢?」
突然フリーズしたように固まるナインスに、ナナは不安そうな視線を向けた。同じくメイディも怪訝そうな目を向ける。
しかしナインスに、それを気にする余裕はなかった。
そして数秒後、ナインスは震えるような声で――
「あれ? わたし、人間だったんだっけ?」
訂正。
まるで『昨日食べたお菓子って何だっけ?』と言わんばかりの、あっけらかんとした声でつぶやくのだった。




