第28話 贈り物をあなたに①
アリスの妹人形たちと呼ばれる人形の少女たちには、一年に一度、特別な日があった。
『お誕生日』と呼ばれる日である。
シスターズの身体は、全てが機械仕掛けだ。脳の一部だけは人間の時のものを使っているが、それ以外は全て機械で構成されている。
そして機械である以上、どうしても整備や調整をしなくてはならなかった。これが手足の一部というのであれば新品と交換すれば良いのだが、頭部や胴体などの中枢部はそう簡単にはいかない。
そういうわけで、シスターズは一年に一度、全機能を停止させて全身を分解整備したうえで、もう一度起動しなおすという日が決められている。
もちろん、それで人格や記憶が消えてしまうということはない。記憶はバックアップされたうえできちんと引き継がれるし、意識の一部は一時的にALICEの中に移され、保持される。
とはいえ、それでもその日が一旦生まれ変わる日であるということにはかわりはない。
故に、シスターズたちはその日を『お誕生日』と呼び、ささやかながらもお祝いをするのが習わしとなっていた。
◇ ◆ ◇
アリスの妹人形たちが暮らすお屋敷は広い。おのおのの居室から、巨大な戦闘訓練場、お茶会を開くサロンなど、様々な部屋が存在している。
その一角にある薄暗い部屋に、中性的な容姿の少女人形――フォオスは居た。
何もない部屋だった。足下は土がむき出しになっており、室内ではあるが、まるで巨大な枯れ井戸の底のような雰囲気を醸し出している。頭上からはスポットライトのように一筋の光が差し込んでいた。
そのスポットライトの先には、一本の木が生えていた。末っ子のナインスでも抱えられるくらいの小振りな木だ。背丈もまだ低い。しかしその枝は、うす紅色の小さな花たちによって満開に彩られ、力強い生命の息吹を感じさせていた。
その樹の根本には、一体の少女人形が横たわっていた。しっとりとした長い黒髪の、美しい少女人形だった。四肢を無造作に投げ出し、がらんどうの瞳を虚空に向けている。手足には苔が生え、明らかに長期間、この場所で機能停止していることが分かる。
よく見ると、満開の花樹はその少女の腹部から生えていた。あたかも、その人形を己の養分にして、花を咲かせているかのようだった。
「やあ、久しぶりだね、フィフス」
穏やかな声で、フォオスは横たわる人形に声をかけた。
ALICEの五番目の妹人形。シスターズ・フィフス。
フォオスと全くの同時期に生まれた、彼女にとっては双子の妹と言っても過言ではない人形だった。
そして同時に、シスターズの中で唯一、壊れて完全に機能停止してしまった人形でもあった。
「もうすぐ、ボクたちの誕生日だ。サクラ、という花だったかな? この時期は、本当に満開の花でボクを迎えてくれるね。壊れた君に樹を植えてから、もう何年が過ぎたか……数えるのが大変だ」
もちろん、数えるが大変と言うことはない。フォオスのメモリには、いつフィフスが機能停止したのか、その年数はおろか、秒数まで寸分の狂いなく記録されている。
しかしそれでも、フォオスは数えるのが大変だと言う。それだけの時間が経ったのだと、彼女が思っている証拠だった。
「今度のお誕生日で、ボクもついにエルダーになることになったんだ。アリス姉様がそう決めてね。といっても、何かが変わるわけではないけれどね。ボクはお人形。永遠に変わることのない、アリス姉様のお人形だ」
フォオスはそっと膝をつくと、ひび割れたフィフスの頬に手を伸ばした。積もった花びらを払い落とす。
がらんどうの瞳は虚空に向けられ、姉人形の方を向くことはなかった。
「フィフスも変わらないね。壊れたときのまま、永遠に変わらない。桜の樹は毎年大きくなり、花を咲かせるというのに、ね」
長い黒髪をそっと撫で、フォオスは立ち上がった。
「オーバーホールが終わったら、また来るよ。エルダーになったら、しばらく来れなくなるからね」
じゃあね、とフォオスはその場を後にする。
後に残されたのは、花を咲かせる桜の樹と、壊れたままの人形だけだった。
◇ ◆ ◇
「うーん、フォオスへのお誕生日プレゼント、何にしよう……?」
その日、ナインスは朝から悩んでいた。
何についてかというと、三日後に控えたフォオスのお誕生日のプレゼントについてだった。
「何か悩み事でございますか、ナインスお嬢様?」
専属執事のエドワードの問いに、ナインスは小さく頷くと、
「フォオスのお誕生日に、何をプレゼントしようかなって」
「フォオスお嬢様へのプレゼントでございますか?」
「うん。エイスはきっと自分で育てた花だろうし、シクスは絶対に自作の小説。サアド姉様あたりはよくわかんないけど、セカンズ姉様なんかは本とか楽譜とかだろうし……」
ナインスの頭を悩ませていたのは、贈り物が被ってしまいそうだということだった。
なにせ、現在稼働しているシスターズはナインスも含めて七人もいるのだ。当人であるフォオスは除くとしても六人。気をつけなければ、同じものをプレゼントするなんてことになってしまう。
そういうわけで、誰かの誕生日が来る度に、ナインスは頭を悩ませていたのだった。
「刺繍物というのはいかがですか、お嬢様? ハンカチなどに刺繍をして、お渡しになっては?」
「それ、考えたんだけど……」
ナインスはそう言いつつ、傍らのテーブルにある裁縫道具の入った小箱を見た。
そこにあったのは――針先の折れた数十本の縫い針である。
「絶対に間に合わないね」
切るのはともかく、一向に上達しない自分の縫い物の腕に、ナインスはがっくりとテーブルに突っ伏した。
「……どうしよ」
もちろん、絶対にプレゼントを用意しないといけないというわけではない。フォオスのことなので、お祝いをするだけでもきっと喜んでくれるだろう。
とはいえ、ナインスとしては大好きな姉妹であるフォオスにどうしても何かをプレゼントし、喜んでもらいたかった。
「やっほー、ナインス。悩んでるみたいね?」
そのときだった。
ふいに響く、陽気な声。
「…………」
ナインスはテーブルに突っ伏したまま、ビクリと肩を揺らした。油の切れたクルミ割り人形のように、ゆっくりと顔を上げる。
果たしてそこにいたのは、濃い赤毛を高く結い上げた妙齢の人形だった。露出の多い、赤と黒を基調としたドレスに身を包み、首と腰に薔薇をモチーフにしたリボンを付けている。足下はヒールの高い編み上げのブーツ。ヒールも合わせれば、ナインスより頭一つ以上、背が高いだろう。さらけ出したお腹や腕、膝は当然のように球体間接がつないでいる。そのかんばせは、ゾッとするほどに美しい。それだけで、間違いなくナインスと同じ『アリスの妹人形』であることがわかった。
「サ、サアド姉様……」
ナインスは顔を引きつらせる。
三番目の妹人形。シスターズ・サアド。
大きい妹たちと呼ばれ、すでに八〇年以上稼働している、ナインスにとっては歳の離れた姉にあたる人形だった。
そして同時に、ナインスにとって最も苦手とする姉であった。
その理由はと言うと――
「もー、ダメじゃない、ナインス! まず最初は『お帰りなさい』でしょ! ああもう、それにしてもやっぱり末っ子は可愛いわねー!」
満面の笑みを浮かべ、サアドはナインスへと飛びついた。思い切り撫で回す。
もはやそれは撫でると言うより『こねる』と言った方が良い勢いだった。
「やーめーてー!」
ジタバタと抵抗するナインス。スペックだけで言えば後発のナインスの方がサアドよりも上だったが、しかしナインスはなされるがままだった。敵味方識別装置が作動しているため、同型の姉妹に対しては戦闘時のような力が出せないのだった。今のナインスもサアドも、人間の少女程度の力しか出せない。
結果、身体の小さなナインスは、
「姉様やめてーーー!」
あうあうと叫びながら、無駄な抵抗をするしかないのだった。
◇ ◆ ◇
「珈琲でよろしいですか、サアドお嬢様?」
「あ、いいわね、エドワード。紅茶も嫌いじゃないんだけど、こっちの方が味覚センサにグッと来るから好きなのよ」
「そうおっしゃると思いまして、深めのローストにさせていただきました」
完璧ねと言いながら、サアドは厚手のカップを手に取った。香りを楽しむと、ブラックのまま味わう。
紅茶を好む姉妹が多い中、サアドは数少ない珈琲派だった。
「どうぞ、ナインスお嬢様」
「……ねえ、エドワード? これ、甘くしてある?」
「はい。クリームたっぷりのカフェ・オレにしてございますよ」
「ん、ならもらう」
優雅に珈琲を嗜む姉をジトッと見つめながら、ナインスは甘いカフェ・オレをちびちびとすすった。もちろん、サアドによってグチャグチャになった髪は、エドワードによって綺麗に直されていた。
「……いつ戻ってきてたの、サアド姉様?」
「ついおとといね。可愛い可愛い妹のお誕生日だもの。そりゃ、戻ってくるわよ。ちょうど別件でアリス姉様に呼び戻されたとこだったしね」
サアドをはじめとするエルダーシスターズは、普段は都市外での任務に就いていた。
なかなかガーデンに戻ってくることはなかった。
「セカンズ姉様たちも?」
「そうね。セカンズは戻ってきてるわよ。今頃、大好きなお風呂にでも浸かってんじゃない? 我が姉ながら、セカンズの異常なまでのお風呂好きは理解できないわね」
シスターズ・セカンズ。自室より浴場にいる時間の方が長いと言われる、お風呂好きで有名な人形だった。
「ファウスト姉様は?」
「あー、ファウスト姉ぇか……」
サアドは肩をすくめる。
「ファウスト姉ぇなら、相変わらずの都市外じゃない? というか、私もここ最近ずっと姿を見てないのよね」
「わたし、ファウスト姉様って、ちゃんと会ったのは一、二回くらいしかないんだけど」
「神出鬼没だからね、ファウスト姉ぇって」
シスターズ・ファウスト。アリスの妹人形たちの第一女にあたる人形だった。最長の稼働時間をほこるのだが、実は姉妹の誰もファウストが何歳なのか知らないのだった。数百年はくだらないのでは、と言われている。
「ファウスト姉ぇのことだから、いつの間にかプレゼントだけ届いてたりするわね、きっと」
「クリスマスの朝みたいだね?」
「ファウスト姉ぇじゃ、サンタ・クロースって雰囲気じゃないけどね。むしろお化けよね」
いつも真っ黒なマント姿だしね、とサアド。好き勝手言いつつ、サアドに姉を馬鹿にしたような様子は一切なかった。むしろその言葉の端々からは、長姉に対する敬愛と信頼が感じられた。
「それで、フォオスのお誕生日プレゼントで悩んでるのよね、ナインスは?」
「まあ、うん」
「ふーん。あ、なら、すごく良いプレゼントがあるわよ!」
そこでサアドがニンマリと笑うが、
「……わたしをプレゼント、とかもうやらないから」
ジトッとした視線を向けるナインス。
あれは稼働したての頃のことだ。サアドの口車に乗せられ、全身にリボンを巻いて『プレゼントはわたし』というのをナインスはやらされたのだった。かわいい、と姉たちからはわりと好評だったのだが、それ以上にすさまじく恥ずかしい思いをしたナインスだった。
「ありゃりゃ、さすがにもう引っかかってくれないわね」
「……自分で考えるから放っておいて」
「あー、ごめんごめん! そんなにむくれないで、ナインス」
サアドはグッと珈琲を飲み干すと、
「さあ、それじゃあ行くわよ、ナインス」
ナインスの手を引き、立ち上がった。
「へ?」
「へ、じゃないわよ、ナインス。フォオスのお誕生日プレゼントを探しに行こうって言ってるのよ。実は私もまだ用意してないのよね。この際だから、二人一緒のプレゼントってことにしましょ!」
「え、ちょ、サアド姉様?」
「さあさあ、行くわよー!」
満面の笑みを浮かべながらズンズン歩き出すサアドと、ずるずると引きずられてゆくナインス。
そんな姉妹の後ろ姿を、
「行ってらっしゃいませ、お嬢様がた。良いプレゼントが見つかると良いですね」
ゼンマイ駆動式の執事型自動人形は、優雅かつ、割とマイペースに見送るのだった。




