第27話 時計は回る④
ナインスがショーの執行を宣言した、同じ時刻。
玉座に座していた女王が、ふいに虚空に視線を向けた。
「ナインス?」
「どうしたんだい、アリス姉様?」
「監視カメラの一つがナインスを捕らえたわ……あの動きは、戦闘駆動中……? いえ、それよりも……まさか、あれは……」
みるみる、その幼い表情が険しくなる。
「……シスターズと同型の戦闘人形、ですって?」
それは、稼働期間が長いフォオスですら滅多に見たことのない、ALICEの焦った表情だった。
「フォオス。現在、ナインスがシスターズ型戦闘人形と戦闘中よ。居住区画、C03D08。すぐに向かいなさい」
「ナインスが!? すぐ行くよ、アリス姉様!」
即座に踵を返し、走り去るフォオス。
それを見送る間もなく、都市の女王は別のシスターズに声を飛ばす。
【――シスターズ・シクス。今送った座標に向かいなさい。シスターズ・エイス。貴方は都市管理コンピュータとリンク。指定した区域に監視用ビットを展開させなさい。シスターズ・セカンズ、シスターズ・サアド。現在の任務は中止。ゲートに向かいなさい。ゲートに付いたら、有線暗号回線で私とリンク。状況説明をするわ】
声を飛ばす間も、女王は同時進行で監視カメラや電子捜査網をフル稼働させて、情報収集や情報処理にあたる。無数の高速演算器がにわかに唸りをあげ、凄まじい熱を発生させ始める。
「……どうやら、本当に『鏡の国』の者が入りこんだみたいね」
幼い容姿の、しかし絶対の女王は虚空を静かに睨むと、
「待ってなさい、時計ウサギ……今に貴方の首をはねてあげるわ……!」
◇ ◆ ◇
「クロックワイズ大佐。街中の電子回線を流れる情報量が、今し方、激増しました」
「うふふ、本格的に女王様に見つかっちゃったみたいねぇ」
黒スーツの男の言葉に、クロックワイズは妖艶な笑みを漏らした。
現在、彼らが居るのは居住区画に停められた馬車の中だった。もちろんただの馬車ではなく、交通管理システムから独立した違法仕様の馬車である。
馬車の窓から、軍服の青年は大鋏を構える美しい人形の少女を見つめると、
「赤い髪に裁ち鋏……あれが最も新しいシスターズのナインスちゃんね。可愛いわぁ」
「そのようです。起動してまだ一年ほど。もっとも御しやすい相手かと思いますが」
「うふふ、そうね。幼いアリスほど好奇心が旺盛。ああいう子が、時計ウサギを追いかけてウサギ穴に堕ちてしまうのよねぇ」
ニタァ、とクロックワイズは嗤うと、
「決めたわぁ。あのナインスちゃんを、穴に堕としちゃいましょう」
その笑みには明らかな狂気と、そして憎悪があった。
「さあ、あたしを見付け、追いかけてきなさい、ナインスちゃん。このあたし……時計ウサギをねぇ」
◇ ◆ ◇
訓練以外でここまでの戦闘駆動をするのは、ナインスにとって始めてのことだった。
最新型の高機動型近接戦闘仕様であるナインスは、スペックだけで言えば、現在いるシスターズの中で最も疾いはずだった。技巧はまだまだであるが、とかく素早さという一面においては、他の者の追従を許さない。
しかしそんなナインスからみても、目の前の少女はなかなかに素早かった。
「思ったよりも速いね」
能面のような無表情で、ナインスはシザーズ・マリーを振るう。その切っ先が少女の頭部を捉えたかと思ったが、しかし少女は素早く身をかがめ、跳び退った。
ジャキン、という空しい金属音が鳴り響く。
跳び退った少女は、着地するなりグッと膝をたわめた。凄まじい脚力を解き放ち、矢のようにナインスに飛びかかる。
少女の姿は、すでにボロボロだった。何度かシザーズ・マリーがかすめたのか、所々衣服が破れ、皮膚の下からは球体関節がのぞいている。
しかしそれに構わず、少女はナインスに襲いかかる。
だが――
「本当に速いね。でも……私のほうがもっと速いよ?」
最も新しい殺戮人形――シスターズ・ナインス。
超重武器である大鋏を持っていながら、なおシスターズ最速を誇るナインスの力が、ついに解き放たれた。
少女の腕が、ナインスの胴体を捉えようとした、まさにその時である。
パン、という甲高い音と共に、ナインスの姿が掻き消える。
音の壁すら超える、ナインスの超音速駆動だった。
それと同時に、連続した金属音が鳴り響く。
そしてその一瞬後、伸びきった少女の右腕が、何カ所も輪切りにされていた。
「――っ!」
少女は驚くように目を見開き、慌てて跳び退ろうとしたが、
「残念」
再び鳴り響く金属音。
次に輪切りにされ、バラバラになったのは少女の右足だった。
右手と右足を失い、その場にドッと倒れ付す少女。
そんな少女を、ナインスは無表情のまま見下ろすと、
「この世界に、醜い者は許されない」
シザーズ・マリーをつきつける。
それはある意味、凄惨な光景だった。
右手右足を失い、倒れ付す幼い少女。その首に、恐ろしいほどに美しい人形の少女が巨大な裁ち鋏を突きつけている。その光景だけ見れば、明らかに悪者はナインスだった。
とはいえ、ナインスに躊躇や戸惑いはない。
なぜなら、目の前の少女――いや、少女の姿をした人形は『醜いもの』であるからだ。
少なくともナインスはそう判断し、宣言を下している。
――お前は醜いものだ、と。
(そう……この人形は醜い人形だ……)
首を落とすべく、ナインスはシザーズ・マリーを掲げる。
引き延ばされる時間の中、ふとナインスは思った。
目の前の人形は『醜い』。少なくとも自分はそう判断した。そこに躊躇いは一切ない。
だが、しかし――
(……醜い人形と、美しい人形……その違いって何なんだろ?)
それは本当に小さな疑問だった。風どころか、少しでも違うことを考えたら消えてしまうような疑問。
しかしその疑問は、妙に大きな重みを持ってナインスの脳裏に染みついていた。
「……」
ナインスは無言のまま、シザーズ・マリーを振るう。その切っ先が醜い人形の首を切り飛ばそうとした……しかし、次の瞬間だった。
「エレンッ!」
ふいに響く女性の声。それと同時に、シザーズ・マリーの正面に一人の女性が躍り出る。
そして気が付いた時には、鋭い刃は少女の首を切り飛ばすのではなく、女性の胸を大きく抉っていた。
「ッ! しまっ……!」
ナインスは慌てて大鋏を引いた。しかしもはや手遅れだ。
メアリ婦人の身体から噴き出した夥しい血潮が、ナインスのドレスと醜い少女人形の身体を赤く彩った。
「ああ……私のエレン……」
メアリ婦人は壮絶な笑みを浮かべると、そこで驚くべき行動に出た。
よろめきながら、なんとナインスに抱きついて来たのである。
「可愛いエレン……さあ、はやく……逃げ……」
最後の命を燃やし、ナインスを押さえるメアリ婦人。
それはまさしく、母の愛であった。
「っ! どいて!」
ナインスはメアリ婦人の身体を押しのけようとした。例えメアリ婦人が決死の覚悟で掴みかかったとしても、戦闘人形であるナインスのパワーを持ってすれば、一瞬で引き剥がすことが可能だ。
しかしその一瞬が、大きな違いを生む。
ナインスがメアリ婦人を引き剥がすより僅かに早く、少女が踵を返した。ナインスも慌てて追おうとするが……ダメだ、このままだと逃げられる!
が、しかし――
「行くんだ、ストリングス・アリア」
ふいに響く中性的な声。同時に、虚空を幾本もの銀弦が走る。
音楽家アリアの弦。
フォオス専用の仕事道具だった。
逃げようとしていた少女の全身を、無数の銀色の糸が縛り付ける。そして次の瞬間、全ての弦がシャン! と鳴り響いたかと思うと、少女の全身を一気に締め砕いた。
ゴキゴキゴキという音と共に、少女の手足や胴体にあり得ない程の間接が出来上がってゆく。まるで出来損ないのマリオネットのように。
そんなおぞましい光景を前に、しかしナインスの顔には明るい色があった。
「フォオス!」
「やあ、待たせたね、ナインス。ボクが来たからにはもう大丈夫だ」
ナインスの傍に降り立ったフォオスは、優雅な笑みを浮かべながら、手に握った銀弦をさらに強く引いた。そのまま少女の手足と胴体をねじ切ってしまう。
血潮のごとくワイヤーや歯車が飛び散り、倒れ伏すメアリ婦人に降り注ぐ。
そして最後に残された、幼い少女の頭部を……
「ナインス」
「任せて」
残念、とナインスはつぶやく。
それと同時に、ジャキンッ! という金属音が、無慈悲なまでに鳴り響いた。
◇ ◆ ◇
「早く行こ、ママ!」
「はいはい、待ってちょうだい、エレン」
仲むつまじげな母娘が、手をつなぎながら去ってゆく。二人の足取りは軽く、幸せに満ちあふれて見えた。
その後ろ姿を、二人の人形の少女たちが見送っていた。
「ねえ、フォオス?」
ナインスは不思議そうに首をかしげながら、
「あの女の子って、人間じゃないよね? 自動人形?」
ナインスは耳を澄ませる。去ってゆく女の子の体内からは、ドキドキという心音が聞こえなかった。
加えてよく見ると、女の子の耳は妖精のように長く尖っており、しかもフサフサとした毛が生えていた。人間にはないパーツが付いているということは、自動人形ということだった。
「アリス姉様の配慮でね。娘を亡くして悲しんでいたご婦人のために、姿形から思考パターンまでそっくり同じにした人形を作ってあげたらしいよ。あのご婦人は別に『醜いもの』ではなかったわけだし、不可抗力とはいえ、傷つけてしまったのはこちらの不手際だったからね」
「……うっ」
そこでナインスは、しょんぼりと肩を落とした。自ら飛び込んできたとはいえ、『醜いもの』ではない、普通の一般市民であるメアリ婦人を傷つけてしまったのは、明らかにナインスの失敗だったからだ。
「……反省してる」
悲しげにうなだれる。戦闘後、ALICEにこっぴどく怒られたナインスだった。
失敗は誰にでもあるさ、とフォオスはポンポンと妹の頭を撫でながら、
「まあ、そんなわけでお詫びもかねて、ご婦人には娘用の自動人形をプレゼントしたと、そう言うわけなのさ。もともとの娘も、一人が寂しかったご婦人が自己クローンで創ったものだったみたいだからね」
「人間じゃなくて人形だけど、それでいいのかな?」
「ボクにも良くは分からないけれど、アリス姉様が構わないと言っていたよ。子どもを可愛がるのも、人形を可愛がるのも、たいして変わらないってことじゃないかな?」
「ふうん、そういうものなんだね」
肩を落としつつ、ナインスはつぶやく。
しばらくしたところで、ナインスはふと、
「そういえばフォオス? 結局、わたしが斬ったあの人形って、何だったのかな?」
「…………」
「フォオス?」
「……いいかい、ナインス」
フォオスは、わずかに声を落とすと、
「詳しくは、ボクからは言えない。必要なら、きっとアリス姉様が教えてくれるはずだからね。ただ、これだけは覚えていて欲しいんだ」
フォオスの光学センサーは、心配そうに揺れていた。
「ナインスが稼働するずっと前のことだ。かつて、ボクは二人の妹人形を失った」
「フィフスとセブンス……だっけ?」
「そう。壊れて二度と動かなくなってしまったフィフスと、迷子になったまま今も見つからないセブンス。あのときの悲しみは、今でもメモリに残ってる。だからね、ナインス。絶対にこれだけは覚えておいて欲しい」
そしてフォオスは、こう言いはなった。
「見つけても、決して追いかけちゃいけない――時計ウサギは、ね」
「時計ウサギ……」
不吉な、けれど懐かしい響きだ。
なぜか、ナインスはそう思った。




