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第26話 時計は回る③






 メアリ・ホイットマンという女性は、夫人ではなく婦人だった。

 どいうことかというと、彼女はいわゆる未婚の母なのである。


 加えて言うのであれば、彼女の一人娘であるエレンという少女には、父親が存在しない。死んだとか離婚したとかではなく、文字通り『始めから存在しない』のである。


 その理由は別として、とにかくメアリ婦人とエレン嬢は、一般的な母子とは少々違っている。


 しかし、間違いなくメアリ婦人のエレンにむける愛情は、慈母のそれだった。


「ああ、エレン……!」


 病院から真っ直ぐ自宅のフラットに帰ったメアリ婦人は、家に着くなり愛娘の身体を強く抱きしめた。


 身体は冷たく、心音も聞こえないが、しかしそんなことは関係なかった。


 一度は死んだと思った娘がこうして生き返り、動いている。それだけで、メアリ婦人には十分だった。


「あなたが死んだとき、私がどれほど絶望したか……もう離さないわ、エレン……!」

「……ママ」

「ああ、エレン……!」


 涙を流しながら、メアリ婦人は娘を抱きしめる。


 死んだはずの娘が生き返り、自分のことを再び『ママ』と呼んでくれる。それだけで、メアリは幸せであった。



 故に――



 メアリ婦人は気付かなかった。

 娘であるエレンの目が、空虚なガラス玉のようであることに……







 ◇ ◆ ◇







 女王ALICEの部屋は、とにかく寒い。立ち並ぶ大量の高速演算器――もちろん、これらは全てガーデンを管理している中枢コンピュータである――を冷やすためだ。部屋の中は常に真冬のようである。


 しかしその中にあって、向かい合う二人の少女たちに寒がる様子はなかった。


「醜いものが都市内に?」


 怪訝そうに眉をひそめるのは、中性的な顔の少女――フォオスだった。


「確証はないわ。そんな気がするだけよ」


 玉座に座るエプロンドレスの少女は、その幼い顔に不釣り合いな気怠げな表情を浮かべると、


「ただ、ここのところ旧世界で妙な動きがあるわ。旧世界とガーデンを隔てるゲートの管理システムに、何者かが細工したような形跡もある。基本的に全てのゲートは私が監視しているけれど、中には私と直結していない旧型システムのものもあるわ。現在、トゥイードルディとトゥイードルダムに監視用チップを至急組み込ませているけれど、急ごしらえだからあまり期待は出来ないわね」

「けれど、侵入と言っても単なる不法市民じゃないのかい、アリス姉様? それなら、ボクたちがショーを執行すれば良いだけだと思うけれど?」

「ええ、そうね。あなたの言う通りよ、フォオス。ただ……」

「ただ?」


 首をかしげるフォオスに、幼い少女はわずかに瞑目すると、


「……確証はないけれど、時計ウサギが紛れ込んでいるような……そんな気配がするのよ」

「時計ウサギって……まさか『鏡の国』のかい、アリス姉様?」

「ええ、そうよ。かつて『アリス』を誘惑し、楽園の外へと連れ出したウサギ(ゲダモノ)。あの者たちが動いているような気配があるわ」

「もしそうだとしたら、また……」


 フォオスの脳裏に、かつてのことが蘇る。

 大切な二人の妹を失ってしまったときのことが――



「それは、絶対に見過ごせないね」

「ええ、あなたの言う通りよ、フォオス。あの『醜い者』たちが本当に動き出したのならば、また都市の秩序が乱されるわ。そればかりか、フィフスやセブンスを失ったときのように、また大切な者を失ってしまう」


 幼い少女は、わずかに真剣な表情を浮かべると、


「シスターズ・フォオス。そろそろあなたにも『エルダーシスターズ』として働いてもらおうと思うわ」

「セカンズ姉様やサアド姉様と一緒に、都市外でかい?」

「ええ、そうよ。幸い、シクスはもう一人で醜いものを見付け、ショーを執行できるまでに育ってくれたわ。ナインスも順調に学んでいてくれる。エイスの妹癖だけはいっこうに抜けないけれど……」

「何せエイスは、後発ロットのナインスのことまで『姉』と呼んでいるからね」


 フォオスはわずかに苦笑。幼い少女もまた苦笑を浮かべると、


「どのみち、封殺型中距離戦闘仕様のあなたや、殲滅型広域戦闘仕様のシクス、高機動型近接戦闘仕様のナインスと違って、エイスは電子戦特化仕様よ。ここのコンピュータ群のバックアップが受けられない都市外では、本来の力の半分も出せないわ。エイスには、これまでどおり都市内の秩序管理に専念してもらうわ」


 そこで、再びエプロンドレスの少女は真剣な表情を浮かべると、


「とにかく、都市内であればまだ私の目と耳が届くわ。けれど、旧世界はそうもいかない。故にフォオス、あなたにもそろそろエルダーとして働いてもらうわ」

「ボクに否応はないよ。ただ……」


 そこでフォオスはわずかに目を伏せた。

 その心内には、まだ幼い妹たちのことがあった。


「ふふ、やはりあなたは過保護ね、フォオス。ナインスたちのことが心配って、貴方の中枢回路とリンクしなくても分かるわ」

「はは、そうだね。シクスについては、ボクももう一人でも大丈夫だと思うけれど、エイスやナインスのことがまだ心配でね。特にナインスは、まだショーの時にドレスを汚してしまうくらいだから」

「ふふ、その気持ちは私も分かるわ。私もまだ心配だもの。けれど、そうも言っていられないというのが実状よ」


 そこで幼い少女は、表情を柔らかく緩めると、


「大丈夫よ、フォオス。ナインスは、私たちの自慢の妹人形よ。信じなさい。それに、後数年もしないうちに、シスターズ・テンスも稼働予定よ」

「えっ?」


 そこで、はじめてフォオスが顔をきょとんとさせた。


「テンス?」

「そうよ。もう候補となる子も見付けているわ」

「それってもしかして、ナインスの友だちのエリザベスっていう子かい、アリス姉様?」

「ふふ、さすがフォオス。察しが良いわね」


 幼い少女はチャシャ猫のように笑うと、


「その子は、後数年もしないうちに死んでしまうわ。そうなったら、新たなシスターズになってもらうつもりよ。ナインスの妹人形、シスターズ・テンスにね」

「はは、なるほど。ナインスの驚く顔が今から楽しみだ」

「ええ、本当に」


 二人の美しい少女はクスクスと笑う。


 しばらくして、エプロンドレスの少女はたたずまいを正すと、


「とにかくよ、シスターズ・フォオス。次の『お誕生日(オーバーホール)』の時に、あなたの身体を都市外戦仕様にお色直し(バージョンアップ)するわ。苦労をかけるけれど、頼むわね」

「畏まりました、アリス姉様」



 都市の女王に向かって、フォオスはスカートをつまみ、優雅に一礼した。







◇◆ ◇








 しばし時を巻き戻す。


 心臓の音が聞こえないという不可思議な少女を追ったナインスは、木の上から一つの家を覗いていた。

 窓越しに、涙を流しながら幼い少女を抱きしめる女性と、人形のようになされるがままになっている少女の姿が見える。


「……やっぱり、心臓の音が聞こえない」


 ナインスは不思議そうに首をかしげる。


 今まで、ナインスは心臓の音が聞こえないという人間に出会ったことがなかった。もちろん、殺処分された『醜いもの』であれば、心臓の音が聞こえなくて当然なのだが、逆に言えば生きているのに心臓の音が聞こえないというのは始めてである。


「どういうことだろ?」


 腕を組み、むむっと考えるナインス。袖がまくれ、視界に自分の球体関節が飛び込んでくる。


 球体関節?


「……そういえば、私も心臓の音しないよね?」


 ナインスは試しに、自分自身に向かって耳を澄ませてみた。


 歯車やワイヤーが擦れるキリキリという音はするが、心臓が奏でるドキドキという音は聞こえてこない。人形なのだから当然である。


 そして女性に抱きしめられている少女も……ドキドキという心音がない。


「あの子、人形? あれ、でも球体関節じゃないよね? エドワードみたいな自動人形でもないし……」


 自動人形とは、高速演算器を内蔵したゼンマイ駆動式の自律稼働人形のことだった。馬車を引く馬などがこれにあたる。そこまで多くはないが、ヒト型の自動人形も都市の中で見ることが出来る。

 しかし、自動人形には必ず一目で人形だと区別できるような特徴があるのが原則だった。事実、馬型の自動人形は金属装甲がむき出しになっているし、ナインスの専属執事であるエドワードなど、頭から捻れたヤギのような角が生えている。


 対して、あの少女にそういう特徴はない。


 では、あの少女は……いったい何?



「ダメ、訳が分からない」



 ナインスはこてんと首をかしげる。分からない以上、考えても仕方がない。

 とりあえずアリス姉様に聞いてみよ、とナインスが踵を返そうとした、そのときだった。


 グルリ。


 女性に抱きしめられていた少女の顔が、突如、ナインスの方に向けられた。

 何も映していない、空虚な瞳がナインスを捕らえる。


「え……?」


 きょとんとするナインス。そんなナインスに向かって、少女が口を動かした。

 薄い唇が、このような言葉を紡いでいる。




 ――あたしを追ってきなさい、アリスちゃん。




「アリス……?」


 ナインスが目を瞬かせた、次の瞬間だった。


『きゃああっ!』


 突如として響く、女性の悲鳴。見れば、女性に抱きしめられていた少女が、その女性をはじき飛ばしていた。

 そのまま少女はグッと足をたわめると、


『シスターズ、確認』


 次の瞬間、窓を破り、ナインスに跳びかかってきた。窓からナインスのいる枝までゆうに五メートル以上あるというのに、少女は一跳びでナインスに到達する。明らかに通常では有り得ない脚力だ。


 そのままナインスに向かって腕を振るう少女。


「っ!」


 ナインスはとっさにシザーズ・マリーを掲げると、少女の拳を受けとめた。

 しかし耐えきれず、そのままシザーズ・マリーごとはじき飛ばされる。


 バランサーを駆使し、空中で姿勢を整えると、ナインスは着地する。

 そんなナインスの目の前に、件の少女が降り立った。


 ナインスは目を見張る。


「球体関節だ……」


 ナインスの視線が、少女の腕に注がれる。シザーズ・マリーを殴ったせいだろうか、少女の拳から手首にかけての皮膚がズルリと向けていた。その下から、球体関節が覗いている。


 間違いなくこの少女は――人形。


「シスターズ……? ううん、違う……シスターズだったら、私を襲うはずない……」


 シスターズは大切な姉妹。ナインスを襲うことなどあるはずがない。

 故に、この少女はシスターズではない。


「意味不明……どういうことだろ……」


 とはいえ、一つだけ分かることがあった。


 それは――明らかにこの人形が自分を害そうとしているということだ。



「よく分かんないけど……貴方を見てるとすごくモヤモヤするね……」



 ナインスは裁ち鋏を構える。


 なぜかはわからない。しかし先ほどから、ナインスの中にいい知れない不快感が広がっていた。


 あるいはこの時、側にALICEかフォオスがいたら、その不快感が何か教えてくれただろう。

 それは『苛立ち』というのだ、と。


 しかし名は分からずとも、ナインスはなぜ自分がそんな不快感を感じているのか理解できた。


 本能的に、目の前の人形が『醜い者』であると分かる。

 そしてナインスは、胸の不快感をそのままに、言い放った。



「貴方を、醜いものとする」



 それはALICEの指示ではなく、始めてナインス自身が下した『殺処分指定』だった。


「この世界に、醜いものは許されない」


 スカートを翻し、猛然と地面を蹴り飛ばした。








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