第25話 時計は回る②
フォオスが都市の女王との謁見に臨んでいた、そのころ。
こちらは二人の少女が、白い病室で膝をつき合わせていた。
方や、灰色の髪の薄幸そうな少女――エリザベス。
方や、血色の髪の美しい人形の少女――ナインス。
奇妙な友人関係の2人だった。
「ナインス……その針……」
「うん?」
ぽつりと呟かれたエリザベスの言葉に、ナインスは顔を上げた。
ベッドの上に座るエリザベスの視線が、ベッドの縁に腰掛けたナインスの手元に注がれている。
「何か言った、エリザ?」
「……ねえ、ナインス……? 針……何本折れば……気が済むの……?」
「うっ……それは……」
ナインスは思わず口ごもる。
ベッドの傍らにある小卓には、折れた縫い針が五本以上散らばっていた。どれもこれも、ナインスが自分の手を突き刺し、そしてそのまま折ってしまったものである。
加えて、ナインスが現在手に持っている縫い針の先も、見事にぽっきりと折れてしまっていた。
「それ……七本目……?」
「……違う、八本目」
「…………」
エリザベスは呆れたようにナインスを見つめる。
その視線に、ナインスは恥ずかしそうに首をすくめると、
「私、切るのは得意だけど縫うのは苦手だから」
「それは分かってるし……私も……縫うのは得意じゃないけど……」
エリザベスは自分の手元に視線を移す。白いハンカチに、小さな花の刺繍が施されている。素人らしく歪んではいるが、一応は花であることが分かる程度の完成度である。
対してナインスの手元のハンカチはと言うと、なんだかよく分からない物体が出来上がっていた。
八本の縫い針を折った結果がそれだった。
「……いつか……上手くなるといいね?」
「……がんばる」
ナインスは肩を落とし、しかしすぐに頭を振ると、
「それよりエリザ、最近身体の調子はどうなの?」
「……いつも通り」
エリザベスは、わずかに影のある微笑を浮かべながら、
「……痛みは、だんだん強くなってる」
「そっか。それは残念。もうすぐ死んじゃうんだね」
「ふふふ……本当に、ナインスははっきり言うね……」
「嫌?」
「……嫌だけど……嫌じゃないかも……」
エリザベスはどこかすっきりしたような笑みを浮かべる。
「……はっきり言ってくれるのは……ナインスだけ……お医者様も看護婦さんたちも、みんな『いつか良くなる』って言うけど……それが嘘なのは、私が一番良く分かってる……」
「そうだね。エリザベスは、もうすぐ死んじゃうんだよね」
「うん、そう……私は、もうすぐ死んじゃう……」
そこでふと、エリザベスがクスクスと笑った。
「どうしたの、エリザ?」
「ううん……ちょっと、おかしいなって思って……だって、私を殺そうとしてるナインスと……こうして、一緒に刺繍をしてるなんて……。今だって……もし私が自殺しようとしたら……ナインスは私の首を……落とすでしょ……?」
「うん、もちろん」
ナインスは、傍らに立てかけてある巨大な裁ち鋏――シザーズ・マリーを一瞥すると、
「それが私のお役目だからね」
「ふふ……それがおかしいなって……」
「おかしいって、何が?」
「だって……普通、そんな相手と友だちなんかに……ならないよ……」
「そうなの?」
きょとん、とナインスは首をかしげると、
「だって、それとこれとは関係ないよ? 私はエリザのことが好きだし、だからお友だちになっただけ」
「……うん、そうだね……」
エリザベスはわずかにくすぐったそうに笑うと、
「……私も……ナインスのこと、好きだから……」
「ありがと、エリザ」
「ううん……どういたしまして……」
人間のエリザベスと、人形のナインス。
価値観も生きる時間も違う彼女たちが、なぜ『お友だち』になっているのか、実を言えば彼女たち自身も良く分かっていなかった。
そもそもナインスがエリザベスと共に居るのは、エリザベスが自殺をする前に殺すためだった。事実、病室の壁にはこれ見よがしにシザーズ・マリーが立てかけてあるし、もしエリザベスがとっさに窓から身を投げようとしたら、たちまちナインスはエリザベスの首を刎ねるだろう。そこに躊躇などは一切ない。
しかし同時に、彼女たちはこうして言葉を重ね、同じ時間を共有している。ナインスはエリザベスのことを好きだと言うし、エリザベスもそれを受け入れている。
実に奇妙な少女たちの友人関係だった。
しばらくぼつぼつと会話しながら刺繍をしていた二人だったが、ナインスが最後の十本目の針を折ったところで、
「待ってください、ミス・ホイットマン!」
そんな声が、ふいに二人の耳朶を打った。
窓から見下ろすと、幼い少女の手を引く女性に、一人の医師が追いすがっていた。
「お願いします、お子さんの検査をさせてください! 確かにお子さんは……エレンちゃんは死んだはずなんです! 生き返るなんて有り得ない! とにかく検査を!」
「検査なんていりません!」
女性は、ヒステリックな金切り声で、
「この子は……エレンは生き返ったんです! 放っておいてください!」
「ですから死んだ人間が生き返るなんて……待ってください、ミス! せめて検査を!」
女性は医師の声を無視し、そのまま少女を連れ去って行った。
「生き返る……?」
不思議そうにエリザベスが首をかしげる。いくらガーデンの医療技術が優れていると言っても、死んだ人間が生き返るなんてありえないはずだが……
「あの人間、変」
そこで、ふとナインスが呟いた。
「変って……何が変なの……ナインス……?」
「だって心臓の音、してなかった」
「……心臓の音が……?」
「うん、そう」
センサーの感度を上げれば、階下の人間の心音を聞き取るなど造作もない。
しかし集中しても、ナインスは女性に手を引かれていた幼い少女の心音を聞き取れなかった。
「ねえ、エリザ? 人間って、心臓が動いてなくても大丈夫なの?」
「えと……たぶん、大丈夫じゃない……と思う……私の人工心臓も……一応、心臓だし……」
「だよね」
ナインスはしばらく首をかしげていたが、
「ちょっと見てくる」
ベッドの縁から立ち上がる。
「行くの……ナインス……?」
「うん、気になるから。裁縫箱、ここに置いてってもいいよね?」
「わかった……預かっておくね……」
「よろしくね、エリザ。それじゃあ、またね」
シザーズ・マリーを手に取ると、ナインスはサッと身を翻した。窓枠に手をかけると、そのまま飛び降りる。
音もなく着地し、そして霞のようにその姿をかき消すナインスを見送ると、
「ふふ……またね、ナインス……」
胸の鈍痛を抱えながら、エリザベスは散らばった縫い針を集め始めた。
◇ ◆ ◇
ナインスが窓から飛び降りたのと、同じ頃。
病院の屋上で、一人の青年が佇んでいた。
軍服に軍帽、口に紅をさした眉目秀麗な青年である。
「うふふ……あらまあ、もうシスターズちゃんに見つかっちゃうなんてねぇ」
「よろしいのですか、ハク大佐?」
青年の背後に影のように控える燕尾服の男性が問うが、
「ハクじゃないわ。今のあたしはクロックワイズよ」
「……失礼しました、クロックワイズ大佐」
慇懃に男性は頭を下げる。
「うふふ、どのみちこのガーデンの中じゃあ、いずれ女王様に見つかってしまうわよぅ。遅いか早いかの違いだけねぇ。もう少し慣らし運転をしたかったところだけれど、それは諦めるわぁ」
青年は歪な微笑を浮かべると、
「とりあえず、きちんとシスターズちゃんのデータは取るように、帽子屋ちゃんに伝えておいてねぇ」
「畏まりました」
再び慇懃に頭を下げ、男性は屋上を後にする。
一人残された青年は、帽子のつばを弄りながらクツクツと嗤うと、
「それにしても、アリスちゃんに追いかけられるのは時計ウサギの役目のはずだけれど……うふふ、まあいいわ……たまには見物側に回るのも一興よねぇ」
青年の声は冷たくも、狂気的な熱が込められていた。
「さて、いつまでもアリスちゃんの幻影を追っている女王様がどう出るか……とにかく、あなたの大事なシスターズちゃんのこと、調べさせて頂きますわよぅ……?」
青年は眼を細め、ニタリと嗤った




