第24話 時計は回る①
溺れる者は、藁をも掴む。
これほど、メアリ・ホイットマンという婦人を的確に形容する言葉はなかった。
「本当に……本当に娘を生き返らせることが出来るんですか!」
病院の霊安室。冷たくなった娘を前にしたメアリ婦人の元に、その青年が現れたのは先ほどの事だった。
「ええ、そうですわよぅ。あたし、嘘はつかない主義ですので」
耳障りの悪い女性口調で、青年が答える。
容姿端麗な青年だった。白い髪に青い瞳。口紅をさしているのか、異常なほどに唇が赤かった。軍服にも似たコートを羽織り、頭上に将校用の軍帽を被っている。耳には、いくつものピアスがあった。
「あなたの大切なお嬢さん、確かに生き返ることが可能ですわよう。まだ、頭の中まで腐ってはいませんからね。うふふ」
「じゃあ、本当に!」
「ええ、確かに。ただ、ちょーっとだけ記憶が跳んじゃってたり、おかしな行動したりするかもですけど、ちゃあんとお嬢さんはあなたの元に戻ってきますわよう」
妖艶な笑みを浮かべながら、白髪の青年は答える。
その青い眼が捕らえるのは、石のベッドの上で冷たくなっている少女だった。まだ、十二歳ほどだろうか。可愛らしい赤毛の少女である。
「それでも構いません! 娘が、私のエレンが戻ってくるなら!」
「うふふ、はーい。なら決定ですわねぇ。安心してくださいな、ちゃーんとあたしが、お嬢さんを綺麗に綺麗に生き返らせますからねぇ」
「あ、ありがとうございます!」
メアリ婦人は涙を流しながら青年を見上げると、
「あの……それで、あなたのお名前は?」
「あら、あたし?」
青年はニィと笑みを浮かべると、
「そうですわねぇ……時計ウサギじゃあ、ちょっと格好が付かないですわねぇ……うふふ、そうだわぁ。これにしましょう」
そして白髪の青年は、軍帽のつばを指先で押し上げながら言った。
「クロックワイズ。あたしのことは、クロックワイズと呼んでくださいな」
◇ ◆ ◇
「おや、ナインス? 裁縫箱を持ってお出かけかい?」
裁縫箱を抱え、軽い足取りで廊下を歩く妹人形の姿に、フォオスは小首を傾げる。
ここのところ、ナインスは度々どこかへ出かけている様子だった。
「うん、お友だちのところに行って来るね」
「お友だち? 裁縫箱を持って?」
「そうだよ。一緒に刺繍でもしようと思って」
もっとも、私もエリザも全然上手くできないけど、とナインスは苦笑する。
「へえ、エリザって言うのかい、そのお友だちは?」
「そう、エリザベス。最近出来たお友だちなんだ」
顔をほころばせるナインスに、フォオスも微笑を浮かべると、
「そうかい。それじゃあ、仲良くするんだよ」
「わかってる。じゃあ、行ってくるね、フォオス」
スキップ混じりで去ってゆく妹人形を、フォオスは目を細めて見送る。
その背中が完全に見えなくなったところで、
「そのエリザベスっていう子、どんな子なんだい、アリス姉様?」
【――あら、心配?】
ふいにフォオスの傍らに、モニターが浮かび上がる。
モニターの中央で『ALICE』の文字を点滅させながら、都市の女王はクスクスと笑うと、
【――あなたも過保護ね、フォオス?】
「ナインスはまだシスターズとして稼働して日が浅いからね。それに過保護と言っても、アリス姉様ほどじゃないさ。……それで、そのエリザベスっていう子はどんな子なんだい?」
【――心配しなくても、とても良い子よ。少し臆病だけれど、でもとても『美しい』子よ。きっと、ナインスにとって良い友だちになってくれるわ】
「アリス姉様がそう言うなら、安心かな」
【――ふふ、ええ、そうよ。この都市の中なら、ちゃんとわたしの目が届くから】
そこでふと、ALICEの声に固いものが混じる。
【――都市の中なら、ね】
「アリス姉様?」
【――フォオス、少し良いかしら。わたしの部屋へ来て欲しいの】
「アリス姉様の部屋に?」
フォオスはわずかに目を見張る。
――アリスの部屋。
それは、本当に限られた者しか入ったことのない部屋だった。フォオスも過去に二度しか入ったことがないし、ナインスやエイス、シクスなどの小さな妹たちに至っては、そんな部屋があることすら知らないだろう。
これはただごとではない。
そう思ったフォオスは、即座に頷くと、踵を返した。
廊下を進み、お屋敷の奧へ奧へと足早に移動する。壁に偽装された秘密扉を抜けると、そこには一台のエレベーターがあった。そのエレベーターに乗り、地下へと降りる。
お屋敷の地下。そこにあったのは、金属製の防護壁によって四方を守られた細い廊下だった。地上部の洋風の作りと違い、金属の板がそのままむき出しになっている。
その通路を、フォオスは進む。四重の対爆・対汚染・対放射能ゲートを抜ける。五つ目の扉を潜ると、それまでの無機質な装いとは正反対の部屋に出た。
そこは、巨大な図書館のような部屋だった。天井は高く、木目が美しい。足音のならないよう、厚い絨毯がしきつめられていた。シャンデリアの淡い照明が、キラキラと部屋を照らしている。数え切れないほどの本棚が並んでおり、見通せないほどだった。
――いや、違う。それは本棚ではなかった。
本棚のごとく並んでいたのは、巨大な『高速演算器』だった。瞬く星のように光を放ちつつ、鈍い熱を発している。それを冷やすために、図書館内は凍えるように寒かった。
この場所こそが、箱庭の中枢だった。
「さすがにここは寒いね」
フォオスは素早く音感センサーを切った。気温に対する肌感覚がなくなる。もう寒いとは感じない。
立ち並ぶ高速演算器の間を進む。しばらく歩くと、ぽっかりと開けた場所に出た。まるで演算器の本棚が、恐れおののいてスペースを空けたかのように。
事実、中央には豪奢な玉座があった。そしてその玉座には、小さな人影が座っている。
青いエプロンドレスを纏い、小さな王冠をかぶった幼い少女が。
「アリス姉様……」
フォオスは少女の前までやって来ると、その場で優雅に一礼した。
「シスターズ・フォオス。お呼びにより参りました」
「――いらっしゃい、フォオス。この姿で会うのは久しぶりね」
幼い少女は、甘い声と共に可愛らしく笑った。




