第22話 子どものままで③
「それにしても傑作だったよな、あのヤードの奴ら!」
ドラム缶の上に座りながら、リオはケタケタと笑っていた。周囲にいる取り巻きの少年たちも、合わせるようにヤードを罵りながら笑う。
そこは、リオたちが溜まり場としている路地裏だった。どこからかっぱらってきたのか、ドラム缶や鉄パイプ、壊れかけたソファなどがおいてある。
ちなみに美観を至上とする都市に、このような薄汚れた路地裏が存在することはおかしかった。事実、この路地裏を少し出れば、紙くず一つ落ちていない整然とした美しい街並みが広がっている。
しかし、ここはそうではない。その理由は――
「それにしても、『子ども』様々だぜ! アタシらには、大人は誰も手出しできねーんだからな!」
リオは蔑んだように笑う。
このような薄汚れた路地裏が存在できる理由。それもまた、リオたちが守りべき『子ども』であるからだった。
「さて、次は何やってやろうかね! おい、テメーら。なんかねーのかよ?」
そうっすね、と取り巻きの少年たちは腕を組む。
「なんだよ、何もでねーのかよ。つかえねーな、テメーらは。……うん?」
薄笑いを浮かべながら少年たちを眺めていたリオだったが、そこであることに気づいた。
少年の一人の様子が、どうにもおかしい。
「ん、どうしたんだよ、テッド? 辛気くさい顔しやがって」
「い、いや、姉御。なんでもないっすよ」
「何でもねーって面じゃねえだろ。アタシが聞いてんだ。言いたいことでもあるんなら、さっさと言いやがれ!」
「それは、その……」
テッドと呼ばれた少年は、わずかに躊躇った後、おずおずと、
「俺たちこんなことしてて……ホントに大丈夫なんすかね……?」
「あん? テメー、なに言ってやがる?」
「だ、だってすよ! ヤードの奴が言ってたじゃないっすか! このままだと、大人になった瞬間に『醜いもの』になるって! 俺、聞いたんす! この都市には、醜いものを殺して回る殺人人形が……シスターズが居るって!」
シスターズ。
その単語を聞いた瞬間、少年たちの顔に動揺が走った。中には、顔を青くしている者もいる。
「お、俺も聞いたことがあるぞ! シスターズに狙われたら、絶対に殺されるって!」
「じゃ、じゃあ……俺たちも醜いものになったら殺されるってことか!?」
狼狽える少年たち。が――
「うるせえよ、テメーら!」
次の瞬間、リオが吠えた。苛立たしげな表情を浮かべ、最初に口を開いた少年の顔面を思い切り蹴り飛ばす。
ギャッという悲鳴をあげ、路地裏に転がる少年。鼻から夥しい血を流し、うずくまる。
そんな少年を、リオは何度も蹴り飛ばしながら、
「んなクソみてーなこと言ってんじゃねえよ! 何がシスターズだ、ハッ!」
「や、やめ……姉御……やめてくだ……」
「黙れ、この腰抜けが!」
涙を流しながら許しを請う少年を、リオは容赦なく蹴り飛ばす。
リオは心底苛立っていた。
何がシスターズだ。何が醜いものだ。
そんなもの、女王に尻尾を振るしか脳のない情けない大人たちが勝手に言っているだけに過ぎない。
自分は違う。自分は自由だ。誰にも縛られず、自分だけで好き勝手に生きてゆく。
醜い大人たちとは違って……
「はぁ、はぁ……いいか、これに懲りたら二度とクソみてーなこと言うんじゃねえ! 分かったか!」
泣きながらうなずく少年を見下ろしながら、リオは言い放つ。
胸の中の苛立ちは、治まる気配をみせなかった。
◇ ◆ ◇
「クソ、むかつくぜ!」
果物屋の軒先から万引きしたリンゴをかじりながら、リオは一人毒づいた。
路地裏を後にしたリオは、一人街を闊歩していた。その容姿や雰囲気を畏れてか、道行く人々はリオに道を譲ってゆく。
普段なら、それを薄笑いを浮かべて眺めるリオだったが、しかし今はそんな気分ではなかった。
心の中で、取り巻きの少年が言った言葉が渦巻いている。
――シスターズに狙われたら、絶対に殺される。
「ハッ、何がシスターズだ……!」
もしそんな奴らが出たとしても返り討ちにしてやる、とリオは思った。
第一、自分は子どもだ。
子どもは何をしても罪にならない。それが都市の絶対だ。
ならばシスターズが来たとて、それを笠に着てやればいい。
そして自分に手を出すことの出来ない人形を見て、嘲笑ってやる。
が、しかし――
「子ども様々、か……」
ふと、リオは思う。
子どもなら、何をしても許される。
では、大人なら?
「っ! アタシは違う……アタシは、情けない大人なんかとは違う……!」
沸き起こってきた『何か』を振り払うように、リオはリンゴにかじりつく。
みずみずしい果実が口いっぱいに広がり、わずかにリオの心を落ち着かせる。
そのときだった。
「っ!」
トン、という軽い衝撃に、リオは思わずよろめいた。その拍子に、手に持っていたリンゴを落としてしまう。
見れば、五歳くらいの小さな少女が、自分の足にぶつかっていた。ぶつかったときに打ったのか、少女は額を抑えながら涙目になっている。
しかしそんな幼気な姿を見ても、リオが罪悪感を覚えることはなかった。
逆にリオにわき上がってきたのは……怒りだ。
「てめえ……このガキ……!」
このアタシに……子どもであるアタシにぶつかってくる。
それが気に入らない。
「ひっ!」
リオの形相を見て、少女はハッと身をすくませた。
すぐ側にいた母親らしき女性があわてて駆け寄ってくるが、しかしもう遅い。
リオは衝動に任せるまま、少女を思いきり蹴り飛ばそうと足を上げ――
しかし、その足が少女を吹き飛ばすことはなかった。
「――喧嘩は、ダメ」
ふいに耳元から響く可憐な声。
同時に、リオの足にガンという強い衝撃が伝わってくる。
いつの間にか目の前に現れていた少女が、幼い女の子の代わりにリオの蹴りを受け止めていた。
リオは息を飲む。
怖気が走るほどに美しい少女だった。血のような紅い髪に、汚れの一つ無い肌。スラリとした手足を、球体間接が繋いでいる。
え? 球体間接?
「自動人形、か……?」
「違う。同じ人形だけど、自動人形じゃない」
人形の少女は、小さな笑みを浮かべながら、
「私はナインス。アリス姉様の妹人形、シスターズ・ナインス」
「っ! シスターズ、だと……!」
リオは思わず後ずさった。
脳裏に、先ほどまで自分が考えていたことが蘇る。
対してナインスと名乗った人形の少女は、そんなリオなどお構いなしに、
「前を向いて歩かないと、ダメ。せっかくの綺麗なお洋服が汚れちゃうからね。いい?」
呆然と見上げていた女の子に向かって、そんなことを言っていた。
「ほら、お母さんが待ってるみたいだよ?」
「う、うん……」
ナインスの美しさに見とれていたのか、女の子はしばし立ちつくした後、母親の元に走り去ってゆく。
それを見届け、ナインスはリオの方に振り返った。
その手には、いつも間にかリオが落としたリンゴがあった。
「はい、これ」
ささっと砂を手で払い、リンゴを差し出すナインス。
気がついたときには、リオは思わずそれを受け取ってしまっていた。
「それじゃ」
「お、おい! テメ、待てよ!」
「……? 何?」
何事も無く立ち去ろうとしたナインスを、リオが呼び止める。
「テメーが……シスターズ、なのか? 何でアタシの邪魔しやがったんだよ!」
歯をむき出しにして、リオはナインスを睨み付ける。
しかしナインスはコテンと小首をかしげながら、
「邪魔? 何が?」
「何が、じゃねえ! アタシの邪魔しやがっただろ、テメー!」
「何が邪魔だったのかは分からないけど……」
ナインスは困ったように笑いながら、
「私は喧嘩を止めただけ。子どもは守らなくちゃダメだからね。あの子も、あなたも」
「っ! アタシを……守る、だと……!」
「うん、そう。それがアリス姉様の決めた決まり事だから」
「……ふん、そうかよ」
シスターズの口から出た言葉に、リオは自分の頭が急速に冷めてゆくのを感じていた。
女王ALICEの決めた絶対のルール。
結局、とリオは思う。こいつらシスターズも同じだ。あの情けない大人たちと。
女王のルールに縛られ、自由に行動することが出来ない。
「同じじゃねえか、テメーらも」
「同じ? 何が?」
「大人たちと、だ。女王サマに尻尾振ってなきゃ生きられねえんだろ? ハッ、まるでクズみてーなもんだぜ!」
そこでリオは、大人たちからしたら信じられない行動をとった。
砂で汚れたリンゴを一かじりすると、そのかけらを唾ごとナインスに吐きつけたのである。
果実のかけらが、染み一つ無い人形の少女の顔を汚らしく彩る。
普通であれば、激高するような状況。
しかし――人形の少女が、リオに手を出すことはない。
「フン! テメーらにはお似合いだぜ!」
リオはさっときびすを返した。
人形の少女が、リオを追ってくる様子はない。
当然だ。自分は――『子ども』なのだから。
「……アタシは、ぜってーあんな風にはならねえ」
怒りながら去ってゆく子どもの背中を、ナインスは苦笑しながら見つめていた。




