第21話 子どものままで②
「学年末テスト? なにそれ?」
病院にいるエリザベスの元に、お見舞い兼、遊び兼、監視に来ていたナインスは、きょとんと首を傾げた。
「知らないの……ナインス……? テスト……すごく大事な試験……なんだけど……?」
「ううん、全然」
「ふふ……ナインス……らしい……ね……」
胸を押さえながら、灰色の少女――エリザベスはクスクスと笑った。
先日の一件以来、ナインスは度々エリザベスの元を訪れていた。名目は、エリザベスが自殺しようとしたら、その前に殺すため。実際に、ナインスの傍らにはシザーズ・マリーがこれ見よがしに置いてある。
しかしながら二人の関係は、死神と死刑囚というより、友人に近かった。ナインスもエリザベスも口下手なために会話が弾むことはないが、それでも同じ時間を共有し、共に笑い会うこともしばしばである。
もちろん、だからといってナインスが手心を加えることはないだろう。エリザベスが自殺しようとすれば、ナインスはためらいなく彼女の首を刎ねるだろうし、エリザベスもそのことは重々に承知している。
しかしそれでも、彼女たちは友情と呼べるものを育んでいた。実に奇妙な少女達の友人関係だった。
「それでテストって何なの、エリザ?」
「市民になるための……テストだよ……」
通信教育のテキストを広げながら、エリザベスが説明する。
この管理都市ガーデンでは、子どものうちは正式な市民とは見なされなかった。より正確に言うのであれば、『子どもは守るべきである』という女王ALICEの方針によって、『保護市民』という扱いになるのである。納税や労働の義務はなく、それどころか医療費も教育費も、まして生活費すらも無料となる。あらゆる義務が適応対象外となっているため、犯罪を犯したとしても罪に問われることはない。
しかしながら、そんな子どもにも唯一課せられている義務があった。
それは――『大人になること』である。
より正確に言うのであれば、『正式な市民になること』だ。
ガーデンでは、満17歳の誕生日をもって『大人』――つまり市民としての『市民権』が与えられる。その日を境に、子どもではなく大人として見なされるようになる。
ただし、誰でも『大人』になれるわけではなかった。
「市民権をもらうためには……テストに……受からないとダメなんだよ……」
「テスト?」
「うん……大抵は、高等学校の初めのほうで……定期テストとして受けるの……でも私は……学校に行けないから……だから、自分で勉強しておこうかなって……思って……」
「ふーん、そうなんだ。ちなみにどんなテスト?」
「簡単な……テスト……字が書けて、字が読めて……後は都市のルールを知ってれば……絶対に受かるような……テスト……」
そう言いながら、エリザベスはテキストをナインスに見せた。そこにあったのは、正直なところ初等学校の高学年生でも全問正解できそうな問題だった。
「まず全員受かるから……テストじゃなくて『大人になるための儀式』って……呼ぶ人もいるみたい……」
「ふーん、大人になるための儀式か」
ナインスはユラユラと足を揺らしながら、
「その儀式を通らないと、正式な市民にはなれないんだね?」
「うん、そう……そうしないと……不法市民になっちゃう……」
「不法市民はダメだね。醜いものだから殺処分しないと」
正式な市民ではない者――不法市民。
不法市民はすべからく殺処分指定となるのが、この箱庭の絶対のルールだった。
「醜いものは、この世界に存在しちゃダメだからね」
「ふふ……そうかも、ね……」
ナインスとエリザベスは顔を見合わせ、小さく笑った。
◇ ◆ ◇
人形と人間の少女が、少し歪で、しかし穏やかな笑みを浮かべていたその頃。
別の少女もまた、笑みを浮かべていた。
しかしながら、こちらは穏やかとは到底言えない笑みだった。
「あはは……いいぜ、ほら、もっと燃えろよ! あはは!」
猫っ毛をショートカットにした、高等学校生ほどの少女だった。着崩した制服を纏い、耳にはピアス、首からはいくつものチェーンを垂れ下がらせている。
少女の名は、リオ・ヨーク。不良学生たちを纏めるストリートギャングのヘッドをしている少女だった。
リオの目の前には、小さな火を上げる建物があった。火事と言うほどではないが、窓からは黒い煙が立ち上り、玄関からは咳き込んだ大人たちが飛び出してくる。
ちなみにその玄関の上に掲げられたのは――『都市警察』の文字。
「ほら、見ろよテメーラ! ヤードのポリたちが血相変えて飛び出してくるぜ! 傑作だな!」
手下の少年達にそう言いつつ、リオはニヤニヤとボヤを起こす警察署を見上げる。
「こんなことをしたのは、お前達か!」
まもなくして、数人の警官がリオたちを取り囲む。
手下の少年たちはわずかに怯んだ様子だったが、リオはふてぶてしい態度を崩さずに、
「はっ、ようやく来たのかよ。ヤードは相変わらずのろまだぜ」
「なんだと、貴様!」
一人の若い警官が、リオに飛びかかろうとする。が……
「おいおい、いーのかよ、乱暴なことして? あたしは『子ども』だぜ?」
「くっ……」
飛びかかろうとした警官は、リオに言われて踏みとどまった。
――子どもは守るべきである。
それが、都市の女王が決めた絶対のルールだった。このルールがある限り、子どもであるリオを逮捕することは出来ない。警官と言えど、あくまでも正規市民である彼らは、それに従わなければならないからだ。
「ほらほら、どーしたんだよ」
それが分かっているのだろう。リオは小馬鹿にした笑みを浮かべながら、
「ほら、やってみろよ。アタシを逮捕するんじゃないのか? はっ、出来るわけねーよな! 女王様に尻尾振るしか脳のない、テメーらみたいな腰抜けの大人じゃなあ!」
言いつつ、リオは心底目の前の警官たちを蔑んでいた。
都市のルールに縛られ、思うように行動することが出来ない『大人』たち。
そんな大人が、リオは心底嫌いだった。
「くっ……」
ニヤニヤとするリオを、悔しげに眺める警官たち。リオはヒラヒラと手を振ると、
「それじゃあ、アタシらは帰らせてもらうぜ。ごくろーさん」
手下を引き連れ、踵を返す。そんなリオの背中に向かって、
「このガキ……こんなことをしてると、大人になった瞬間に『醜いもの』になるぞ!」
「……」
その言葉に、リオはピクリと眉根を寄せた。
しかしすぐに鼻を鳴らすと、
「ハッ、醜いのはそっちじゃねーのか?」
都市のルールに縛られ、自分の思うがまま自由に生きられない大人たち。
――そんな大人の方が、よっぽど醜いものだ。
(アタシはぜってー、そんな大人になるなんてゴメンだぜ!)
大人たちの厳しい視線を背に浴びながら、子どもであるリオは勝手気ままにその場を後にした。




