第18話 止まらぬゼンマイ③
「今日は散歩日和ね、エリザベスちゃん」
「はい……」
傍らを歩く看護士の女性の声に、自動制御の車椅子に乗ったエリザベスは、うつむいたまま答えた。
エリザベスがいるのは、病院内にある中庭だった。入院中の患者のためだろうか。中庭は広く、手入れも行き届いていた。花壇には色とりどりの花が植えられ、見る者の目を楽しませてくれている。
しかし、それを見てもエリザベスの心が晴れることはなかった。
「死にたい……」
ぽつりと呟く。
「……エリザベスちゃん」
暗い表情の少女に、ナースの女性は一瞬、痛ましそうに目を伏せたが、
「大丈夫よ、エリザベスちゃん」
エリザベスと目線を合わせ、勇気づけるように笑う。
「きっと良くなるわ。だから諦めちゃダメよ。ね?」
「……」
女性の言葉に、思わずエリザベスは叫びたくなった。
そうじゃない、自分は生きたいわけじゃない――と。
しかし、それを口にするだけの気力はなかった。
「一緒に頑張りましょ、ね?」
「……はい」
頑張りたくなんてない。それより早く楽になりたい。その思いを押し込め、エリザベスは頷く。
看護士の女性に付き添われ、エリザベスは中庭を進む。そのまま中庭を抜け、病院の正面の方までやって来たところで、ふいにエリザベスの視界にあるものが飛び込んできた。
十字架の描かれた黒塗りの馬車である。
(あれは……)
霊柩馬車?
眉をひそめるエリザベスを前に、馬車から数人の男たちが降りてくる。皆、制服警官である。
その警官たちは、馬車の中から黒い死体袋を引っ張り出すと、
「おい、どうする、これ?」
「どうせ『醜いもの』の死体だ。適当に献体室にでも放りこんどけばいいだろ」
そのまま淡々と、袋詰めされた死体を病院の中に運び込んだ。
(醜いものの……死体……)
呆然と死体袋を見送るエリザベス。対して、ナースの女性はやれやれと溜息を吐きながら、
「また『醜いもの』が出たのね。どうせ不法市民か何かだろうけど、献体室が溢れるからやめて欲しいわ」
早く行きましょう、と女性。エリザベスは大人しくそれに従う。
しかしエリザベスの脳裏には、先ほどの死体袋がはっきりと焼き付いていた。
(『醜いもの』になれば……楽になれるんだ……)
ごくり、とエリザベスの喉が鳴った。彼女は今一度、肩越しに霊柩馬車の方を振り返る。
そのときだった。
「あ……」
数少ない彼女自身の所有物である瞳が、赤い色を捕らえる。
霊柩馬車の後ろで、静かに佇んでいる血色。
それはまさしく、今朝エリザベスの自殺を押しとどめた人形の死神だった。
「シスターズ……」
そこでふいに、人形の死神がこちらに振り返った。微笑を讃えた血色の瞳が、エリザベスを射抜く。
良く見れば、その形の良い唇が言葉を紡いでいるのが分かった。
え? 言葉?
「っ!」
エリザベスは息を飲む。
なぜだか分からない。しかしエリザベスには、人形の死神がこう言っているのが分かった。
――それ以上進んだら、首を落とすから。
「ひっ……!」
エリザベスの身体を、言いようのない恐怖が縛り付けた。自分の首の両側を挟み込む、鋭い刃の幻影が見える。
おぞましい死の気配。その死の気配から逃れるように、エリザベスは思わずギュッと目を閉じ――
「どうかしたの、エリザベスちゃん?」
「ッ!」
看護婦の呼び声に、エリザベスはハッと我に返った。全身を嫌な汗がぬらしている。
知らず知らずのうちに、エリザベスは自分の首を手の平でさすっていた。幸か不幸か、首は繋がっていた。
「どうかしたの? どこか具合でも悪くなった?」
「う、ううん……別に……」
こちらをのぞき込んでくる女性の緑色の瞳を見つめながら、エリザベスは答える。
と、そこでエリザベスはあることに気付いた。
「あれ、その目……?」
確か、この女性看護士の目はブラウンではなかったか?
「ああ、これね」
女性は自慢するように笑い、言った。
「良い色だと思わない? 前から碧眼にしてみたくて、目だけ義眼に入れ替えてみたの」
似合うでしょ? と女性。
そんな女性を、エリザベスはしばし無言で見つめると、
「……はい」
チキチキという人工心臓のゼンマイの音が、やけに大きく聞こえた。
◇ ◆ ◇
かりそめの主をベッドに戻した車椅子が、次の主を求めてひとりでに去ってゆく。
もはや座りなれた、しかし自分にとっては拷問台にしか思えないベッドの上で、エリザベスは先ほどの出来事を思い返していた。
死体袋に包まれた『醜いもの』と、微笑を持ってそれを見送る美しい死神。
それはエリザベスにとって、ある意味、とてもうらやましい光景だった。陰鬱な黒い死体袋に入れられた死者。彼――あるいは彼女だろうか――がどのような『醜いもの』なのかは知らないが、死体袋の中の死者は、もう何も感じることはないはずだ。
もしも自分が死体袋の中の死者だったらと、エリザベスは夢想する。きっとそのとき、自分は本当の意味で解放されているのだろう。痛み、苦しみ――そういうものから全てが解放される。それだけではない。自分の身体をむりやり生かそうとしている『機械仕掛けのエリザベスたち』からも解放され、『人間のエリザベス』は本当の意味で自由になっているに違いない。
が、しかし――
「なんで、私は……」
エリザベスはグッと下唇を噛み締めた。脳裏に、死神の言葉が蘇る。
――それ以上進んだら、首を落とすから。
本来であれば、それはエリザベスにとって待ち望んでいた言葉のはずだった。神からの幸せなお告げと言っても良い。
先に進むだけで、自分は首を落としてもらえる。機械仕掛けのエリザベスから解放してもらえる。自分は楽になれる……
であるならば、エリザベスは嬉々として前に進むべきなのだ。
なのに、それなのに――
(どうして……私は怖いと思っちゃったの……!)
首を落とす。その幸せなはずの福音に、しかしエリザベスが感じたのは恐怖だった。
今朝だってそうである。あのまま一歩前に進んでさえいれば、自分は首を落としてもらえたはずなのだ。あるいはそのまま地面で赤い華を咲かせられたかもしれない。
なのに、自分は恐怖してしまった。その場で身をすくませ、座り込んでしまった。
どのみち、死ぬことには変わりないというのに――
「死にたいのに……なんで……」
『機械仕掛けのエリザベス』だけでなく、『人間のエリザベス』でさえも、彼女の妨害者となりつつあった。
◇ ◆ ◇
「醜いものか、そうじゃないか……やっぱり、難しいね」
屋上の縁に腰を下ろし、ナインスは小さく呟いた。どこから持ち出してきたのか、白いシーツでシザーズ・マリーにこびり付いた血糊を拭う。
ちなみにその血糊は、先ほど処分してきた不法市民のものだった。都市の決まり事を破った、明確な『醜いもの』の血である。
「こういう醜いものだったら、楽なんだけどな」
ナインスにとって、不法市民というのは分かりやすい『醜いもの』だった。不法市民はすべからく殺処分指定となる。それが都市の女王であるALICEが定めた決まり事だったからだ。
対して、それとは別にALICEから頼まれていたことは、まだまだシスターズとして稼働時間の少ないナインスにとって、非常に難解なものだった。
ナインスは先日、ALICEとしたやりとりを思い出す。
「ただショーを執行するだけじゃダメなの、アリス姉様?」
首をかしげながら問うナインスに、ALICEはクスクスと笑いながら答えた。
【――ええ、そうよ。あなたがしなければならないことは二つ。『その子が自殺しようとしたら、それを止めること』と『自殺に踏み切ったら、死ぬ前に醜いものとして首をはねること』――その二つよ】
ちなみに止めると言っても、むりやり止める必要はないわ、とALICEはからかうように付け加えた。軽く脅す程度で良いわ、とも。
【――醜いものとして死ぬか、美しいものとして死ぬか、それはあくまでその人間の自由よ。とはいえ、まだその人間は子どもだからね。少しくらいは優しくしてあげるつもりよ】
「アリス姉様は、人間の子どもが好きなんだね」
【――あら、それは違うわよ、ナインス】
ALICEは、まるで慈母のような優しい声色で、
【――わたしは、この世界にある全てを愛しているわ。それが人間だろうと動物だろうと、あるいは地面の石畳の一つだろうと、愛しているということには変わらないわ。ただ、その中でも子どもには特に優しくしたいと、そう思うだけよ】
もちろん、一番愛しているのはあなたたちだけれどね、とALICEは優しく付け加えた。
「ありがと、アリス姉様。私も姉様のこと、愛してるから」
【――ふふ、そう言ってもらえると、この都市をもっと美しいものにしたくなるわ。力を貸してもらうわよ、ナインス】
「はい、アリス姉様」
【――良い子ね。もっともっと学びなさい、ナインス。美しいとは、いったい何であるか。なぜ、この世には醜いものが生まれるのか。それらを本当の意味で理解したとき、あなたはきっと完成するわ】
「完成? 何に?」
きょとんとするナインスに、ALICEは神を産み落とす聖母の声で言った。
【――真に美しいお人形。『人形の国のアリス』によ】
「真に美しいお人形……『人形の国のアリス』かあ……」
いったいそれがどういうものなのかは、まだナインスには分からない。
けれどナインスは、きっとそれがとても『美しいもの』であるのだろうと、思わずワクワクしてしまった。
「もっとがんばらないと」
ナインスはグッと拳を握る。
後になって、ナインスは語る。このとき、自分は初めて『夢』を抱いたのだと。
もっとも、この時点で彼女がそれを自覚することはなかったが。
血糊を綺麗に拭い、ナインスはシザーズ・マリーを掲げた。美しい装飾の施されたが刀身が、陽光を浴びて妖しく輝く。
美しい人形の死神は、静かに目を細めた。
◇ ◆ ◇
ドロドロの離乳食のような食事を終え、ようやく人心地ついたかと思ったところで、再びエリザベスは激しい痛みに襲われていた。
「ぎぃ! あ、が……ああ……!」
身体の中心から湧き上がってくる激痛。まるで、先ほど食べた離乳食が全て硫酸だったかのようだった。身体の中が焼けただれているかのように痛く、苦しい。
幸いなことに、食器を下げに来た看護士によってすぐさま発見され、今度は医者が駆け付けた。
「適応不全が激しい! 調整用マイクロマシン、ツーグロスだ! 急げ!」
「は、はい!」
看護士が、金属製の注射器の中に水銀のような液体を流し込む。
「押さえろ!」
医者の声に、看護士たちが数人がかりで暴れるエリザベスをベッドに押さえつけた。医者の男性が素早く腕の静脈に狙いを定め、鋭い針先を一気に突き立てる。
それを見て、エリザベスは内心で絶叫していた。
(やめてっ! これ以上、私の中に私以外の『エリザベス』を増やさないでっ!)
しかし、少女の叫びが届くことはない。
二グロス。二八八体もの微少な機械が血液と混じり合い、新たな『エリザベス』となる。
微少なエリザベスたちは、即座に行動を開始した。他のエリザベスたちに働きかけ、適応不全を調整する。わずかに一時的なものとはいえ、彼女たちは相応の働きをした。
しばらくしたところで、徐々に激痛が鈍痛へと変わってゆく。
容態が落ち着いたことを確認し、医者たちは胸をなで下ろした。エリザベスの部屋を後にする。
「よく頑張ったわね、エリザベスちゃん。えらいわ」
緑の義眼の看護婦もまた、そう言って頭を撫で、去っていった。
その背中がドアの向こうに消えたところで、エリザベスはぼんやりと天井を見つめながら呟いた。
「もう……死にたい……」
叫びすぎたためか、喉がカラカラだった。全身がだるく、身を起こすことすら出来ない。涙すら枯れ果てたのか、目からは何も出てこない。
唯一の例外は、機械仕掛けのエリザベスたちだけだった。新たに増えた二八八人ものエリザベスと共に、その身体を維持するべく稼働を続けている。
少しでも長く苦しめとでも言わんばかりに……
「もう……やだ……」
しばらくすると、気怠い眠気が襲ってくる。
まぶたを閉じながら、エリザベスは思う。
もしこのまま、二度と目を覚まさなければ良し。
しかし、もしも目を覚ましてしまったら……
そのときこそは……
――……




