第15話 許されぬ愛③
寄宿学校の部屋で、サラは一人涙に暮れていた。休みが終わる前に戻ったために、同室の生徒も居らず、寄宿舎自体も静かだ。
そんな中でサラはベッドに顔を埋め、涙していた。
「兄さん……」
いったいどれだけの時間、泣き続けていただろうか。
ふいにサラの耳に、コン、コンという音が響いた。
(なに……?)
サラは涙ではれぼったくなった瞼を開け、音の方に目を向けた。
とたんに、彼女は目を見開く。
夜の闇に紛れるように立っていたのは、誰より愛する兄であるオリバーだった。
サラは慌てて窓に駆け寄ると、ガラスを押し開いた。
「に、兄さん! ど、どうしてここに……!」
サラの問いかけに対し、しかしオリバーは口の前で人指し指を立てると、
「静かにしてくれ、サラ」
「は、はい……」
サラは声を絞る。
「サラの部屋が一階で助かった」
「どうして、兄さんがここに……?」
「もちろん、サラを迎えに来たんだ」
オリバーは決意を秘めた目を妹に向け、言った。
「式を挙げよう、サラ」
「兄さん……」
サラの目から、先ほどまでとは違う涙が溢れた。
「本当ですか、兄さん」
「ああ。もちろん、許されないことだって知ってる。式を挙げればどうなるかだって。でも、僕はどうしてもサラと式を挙げたいんだ」
もう、愛を秘することなどできなかった。
オリバーは懐からヴェールを取り出した。窓から身を乗り出している妹の頭に被せる。
オリバーは今一度、愛する妹に向かって言った。
「結婚しよう、サラ」
「はい!」
泣き笑いを浮かべ、サラは頷く。
美しい笑顔だと、自分たちに訪れるであろう未来を覚悟しながら、オリバーは思った。
◇ ◆ ◇
月明かりが、ステンドグラスを美しく照らしている。
赤い絨毯の上を、二人の許されざる新郎新婦はゆっくりと進んだ。
「サラ……」
オリバーは、傍らを歩く妹に穏やかな目を向けた。
寄宿学校の制服に、ヴェールを被っただけというあまりに簡素な花嫁姿。
しかしそれでも、オリバーにとっては誰よりも美しい姿に見えた。
「愛してる、サラ」
「私もです、兄さん」
二人は顔を見合わせ、微笑む。
祭壇の前では、一人の壮年の神父が静かに佇んでいた。オリバーが無理を言ってお願いした神父だ。その傍らには、なぜか宝石箱のような箱が置いてある。
神父の前までやって来ると、オリバーはわずかに頭を下げた。
「すみません、神父様。無理を聞いていただいて」
「――本当に、よろしいのですかな?」
神父は、困ったような笑みを浮かべながら、
「――神の前で愛を誓えば、もう後戻りは出来ませんよ?」
「いいんです」
オリバーは、傍らの妹に穏やかな目を向けると、
「サラもいいね?」
「はい、兄さんとなら」
「ありがとう」
オリバーは再び神父の方に目を向けると、
「おねがいします、神父様」
「――わかりました」
神の代理人である神父は、その願いを聞き入れた。
「――汝、オリバー・フラッグ」
神父の厳かな声が、教会の中に浪々と響いた。
「――汝は、この者を妻とし、病めるときも健やかなるときも、これを愛し、慈しみ、永遠に愛することを誓いますか?」
「誓います」
「――わかりました。それでは汝、サラ・フラッグ……」
神父の声が続く。
その声を耳に、オリバーは思った。
(きっと、これで良かったんだ……)
オリバーの脳裏に、これまでのサラとの思い出が蘇った。
楽しかったときも、辛かったときも、いつも一緒だった愛する妹。
そんなサラと、神の前で永遠の愛を誓う。
それは、何にも代え難い素敵なことだと、オリバーは思った。
「――永遠に愛することを誓いますか?」
「……はい、誓います」
サラの声が、オリバーの耳朶を打つ。
「――それでは、誓いの口付けを」
二人は、ゆっくりと互いに向かい合った。
オリバーは、しずかに花嫁のヴェールに手を伸ばした。
ふと、オリバーは思う。
ヴェールとは、何かを隠すもの。それを上げるということは、秘されたものを露わにするということだ。
ならば、こうしてサラのヴェールをあげるということは、秘されていた愛を解き放つことなのではないか。
そんなふうに思った。
そして、ついにヴェールが上げられる。その向こうでは、最愛の花嫁が美しい泣き笑いを浮かべていた。
「綺麗だよ、サラ」
「兄さん……」
誓いの口付けが交わされる。
それは、秘した愛を育んだ二人が、ついに本当の意味で許されない愛を育んだ二人に変わった瞬間だった。
「愛してるよ、サラ」
「私も愛してます、兄さん」
二人は、堅く抱きしめあった。何があっても離れないとばかりに。
祭壇の前に立った神父は、そんな二人を困ったような笑みを浮かべて見つめながら、
「――たいへん残念ですが……」
次の瞬間だった。
【――新郎も新婦も、共に『醜いもの』とするわ】
穏やかな雰囲気をそのままに、神父の声が可憐なものに変わった。
【――ナインス】
「はい、アリス姉様」
神父の姿にノイズが走ったかと思うと、その奧から一人の少女が姿を現す。
それは、天使のように美しい人形の少女だった。血のように赤い髪に、同じ色の瞳。白磁のような手足を、球体関節が繋いでいる。震えるほど整った顔には、困ったような笑みが浮かんでいた。その手には、身の丈ほどもある巨大な裁ち鋏が握られている。
「シザーズ・マリー」
ナインスは大鋏のそれぞれの持ち手に両手をかけると、二枚の刃を限界まで大きく開いた。
なぜだか分からないが、今回のショーに限ってナインスは、事前にALICEから『切るときは必ず二人一緒に、美しく処分しなさい』と厳命されていた。普段は『美しく』としか言われないため、ナインスとしては不思議ではあったが、姉の言うことなのできちんと守った。
限界まで大きく開いた二枚の刃を、二人の両側に配置する。
そこでふと、ナインスはあることに気付いた。刃によって挟み込まれている二人の男女。その顔には、なぜか穏やかな笑みがあった。目を閉じ、固く抱きしめあっている。
珍しいな、とナインスは思った。
【――ふふ、あなたたちの愛、確かに見させてもらったわ。もう祝福は出来ないけれどね】
女王は優しげに笑い、そして言い放った。
【――執行しなさい、シスターズ9th】
「はい、アリス姉様」
ジャキン!
鋭い金属音が鳴り響く。
首から上を失っても、花婿と花嫁は抱き合ったままだった。
◇ ◆ ◇
「ねえ、アリス姉様?」
シザーズ・マリーについた血糊を振り払いながら、ナインスは宝石箱の上に浮かび上がるモニターに向かって聞いた。
「この二人、なんで笑ってたんだろ?」
ナインスは、すぐ側で転がっている二つの『醜いもの』の顔を眺める。
その顔には、穏やかな笑みが張り付いていた。
【――あら、不思議なの、ナインス?】
「うん。だって、今までの『醜いもの』は笑ってなんていなかったから」
【――ふふ、そうね】
ALICEはクスクスと笑いながら、
【――もしかしたら、今回のお勉強は少しナインスには難しかったかもしれないわね】
「そうなの?」
こてんとナインスは首をかしげる。
対してALICEは、柔らかな口調で、
【――とりあえず、この世界にはそういう『醜いもの』のあるのよ。今はそう思っておきなさい】
「ん、わかった」
【――良い子ね、ナインス。さあ、もうお屋敷に帰りましょう】
「はい、アリス姉様」
ナインスは右手で大鋏を握ったまま、空いた方の左手で宝石箱を抱え上げた。
そのまま教会を後にしようとしたところで、ふいにALICEから小さな声が響いた。
【――ふふ、もしナインスが居なかったら、貴方たちのどちらかが、わたしの九番目の妹人形になっていたかもしれないわね】
「何か言った、アリス姉様?」
【――なんでもないわ。それよりナインス】
「なに?」
きょとんとするナインスに向かって、ALICEはチャシャ猫のように笑い、言った。
【――ドレス、また血で汚れてるわよ】
「え? どこ? どこ?」
ステンドグラス越しに差し込む月明かりの下、ナインスは大あわてで自分の身体を見渡した。




