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第13話 許されぬ愛①





 教会の懺悔室には、多くの苦悩を抱えた子羊たちがやって来る。

 その夜も、また同じだった。


「神父様……僕は一体どうすれば良いのでしょうか……」


 青年のものと思しき声は、まるで巨大な何かを吐き出すように、


「これが、許されない愛だということは僕も分かっています……けれど妹を、サラを愛する気持ちは止められない……どうしても、サラと結婚式を挙げたいのです……」

「――そうですか」


 柔らかな神父の声が響く。


「――どうなるかは、分かっておいでですね?」


 金網の向こうにいる壮年の神父は、壁の方を見つめながら、


「――秘めた愛であるならば、神は優しく見守り、祝福をくださるでしょう。けれど式を挙げ、神の前で永遠の愛を誓えば、それは許されぬ愛となる。神は必ずあなた方を断罪するでしょう」

「わかっています……ですが!」


 青年は声を荒げ、しかしすぐに意気消沈した声色で、


「いえ、なんでもありません……話を聞いてくれてありがとうございます、神父様」

「――教会の扉はいつでも開かれている。何かあれば、またおいで下さい」

「はい……」


 懺悔室の中から、項垂れた様子の青年が去ってゆく。

 その背中が見えなくなったところで、金網の向こうにいた神父がぽつりと呟いた。


「アリス姉様、どうするの?」


 いや、神父ではない。

 神父の姿に、突如としてノイズが走る。


 そして気がついたときには、そこには壮年の神父はなく、かわりに血のような髪を腰まで伸ばした見るも美しい人形の少女が椅子に座っていた。


 人形の少女は、膝の上に置いた宝石箱のようなものに語りかける。

 とたんに、宝石箱の上にモニターが投影された。同時に、宝石箱から声が響く。


 闇を煮込んだようなモニターの中央には、白い『ALICE』の文字がゆっくりと点滅していた。


【――そうね】


 都市の女王であり、今の今まで神父のかわりに青年の悩みを聞いていたALICEは、男性の声から元の声に戻すと、ふむと呟いた。


「醜いものなら、追いかけるけど?」


 ナインスは傍らに立てかけておいた巨大な鋏に手を伸ばすが、


【――とりあえずは見守るわ】


 ALICEの言葉に、ナインスはこてんと首をかしげた。


「醜いものじゃないの、アリス姉様?」

【――ええ、今はね。さっき言った通りよ】


 ALICEはクスクスと笑いながら、


【――秘めた愛は美しいわ。それなら、わたしは何も言わない。むしろ祝福すらしてあげるわ。けれど許されぬ愛は駄目。それは醜いものよ】

「ふうん、わかった」

【――ふふ、良い子ね、ナインス】


 ALICEは優しげな声で、


【――端末とシザーズ・マリーはここに置いておいても良いわ。ちゃんと学ぶのよ、ナインス】

「はい、アリス姉様」

【――良い子ね。何か分からないことがあったら遠慮なく聞きなさい。ではね】


 モニターがブラックアウトし、掻き消える。

 ナインスは椅子の上に宝石箱を置くと、シザーズ・マリーを壁に立てかけたまま、懺悔室を出た。


 そこは、ガーデンの一角にある教会の礼拝堂の中だった。薄暗い夜の教会の中は、どこか神聖な雰囲気に満たされている。月明かりに照らされたステンドグラスには、神の姿がぼんやりと浮かび上がっていた。



 エプロンドレスを纏った、幼くも美しい『アリス』という名の神の姿が。



「秘めた愛は美しい、か……」


 ステンドグラスに描かれた姉の姿を見上げながら、ナインスは小さく笑みを浮かべ、言った。


「美しいなら、私も祝福しないとダメだね」


 ステンドグラスに向かって優雅に一礼すると、ナインスは教会を後にした。






 ◇ ◆ ◇






 オリバー・フラッグとサラ・フラッグ。

 仲の良いこの兄妹が、互いに兄妹愛を超えた愛情を抱くようになったのは、ある意味で当然だった。


 母はなく、交易商を営む父も仕事で忙しくほとんど家にいない。幼いときから二人きりで過ごすことの多かったオリバーとサラは、互いに支え合って生きてきた。


 そして二人はいつしか、互いに恋心を抱くようになる。


 もちろん、それが罪深いことだとは知っていた。二人は血の繋がった兄と妹である。兄妹愛以上の愛を育むことも、まして教会で愛を誓うことも許されない。


 始めは、お互いに諦めようと努力した。オリバーは父の後を継ぐべく勉学に励み、サラは全寮制の女学校に入った。


 しかし互いに離れようとすればすればするほど、愛は深くなるのが道理だった。


 そして――


 兄妹の愛は、もはや止まることが出来ないところまで深くなってしまっていた。






「馬鹿者が! 兄妹で結婚をしたいだなどと、そんなことが許されるはずがないだろうが! 馬鹿も休み休み言えっ!」


 父親の怒声に、オリバーとサラの二人は身をすくませた。


 二人の父親であるリチャードという痩身の男性は、神経質という言葉を絵に描いたような男性だった。額が広く、まだ五十歳前だというのにほとんどが白髪である。

 リチャードは、とにかく厳格な父親だった。早くに妻を亡くしたせいかもしれないが、二人の子どもには常に厳しかった。幼い頃からオリバーには家庭教師を付けて勉強させ、サラには稽古事漬けの日々を送らせた。実を言えば、そうした厳しい環境が二人の兄妹の禁じられた愛の扉を開かせることを助長したのだったが、リチャードはそんなことは気付きもしなかった。


 ちなみにリチャードが二人の関係に気付いたのは、ほとんど偶然だった。つい先日、たまたま寄宿学校から帰ってきていた娘が、息子と抱き合っているのを見てしまったのだ。それ以来、とにかくこの父親は二人を別れさせようと躍起になっていた。


「兄妹で式を挙げたなど、そんなことが世間に知られてでもみろ! 私の会社も地位もおしまいだ! 馬鹿なことを言うな!」

「でも、父さん!」


 しかし、オリバーとサラも引き下がらなかった。


「僕たちは、深く愛し合ってるんだ!」

「兄さんの言うとおりです、お父様!」


 両親のどちらに似たのか、薄い金髪の美男美女と言っても差し支えのない兄妹は、父の下に詰め寄ると、


「お父様に迷惑はかけません! 誰もいない夜の教会で、式を挙げるだけでかまいません! それでもダメなんですか、お父様!」

「ダメに決まっているだろうが!」


 しかし、父親の態度は変わらなかった。

 リチャードは書斎の椅子にどっかりと座ると、


「……サラ、お前は寄宿学校を卒業したらすぐに結婚だ。相手はもう見付けてある」

『え……?』


 兄妹は思わず目を見張った。


「取引先のご子息だ。すでに先鋒にはお前の写真を送っておいた。たいそう気に入ってくださっているそうだ。次の春には式を挙げるつもりだ」

「そ、そんな……結婚だなんて……」

「勝手なことをしないでくれ、父さん!」


 オリバーは机をバン! と叩くが、


「黙れっ!」

「っ!」


 父親の剣幕に、思わず後ずさった。


「とにかく話は終わりだ! オリバー、貴様はさっさと仕事に戻れ! サラもいつでも寄宿学校に戻れるように荷造りをしていろ! いいな!」


 二人を残し、父親は書斎を後にする。

 残された兄妹は、しばらく呆然と立ちつくしていた。


「そんな……見ず知らずの相手と結婚だなんて……」


 思わずその場で泣き崩れるサラ。

 オリバーは膝を付き、その頭を優しく抱き寄せると、


「ごめん、サラ。父さんに見つかってしまったばかりに……」

「ううん、悪いのは私です、兄さん」


 サラは兄の胸に額を押し付けながら、


「兄さんにどうしても会いたくて、私が寄宿学校から帰ってきてしまったから……」

「いいんだ、サラ。僕も会いたかったから」

「……兄さん、私、嫌です。兄さん以外の誰かと一緒になるだなんて」

「サラ……」


 オリバーは妹を強く抱きしめた。

 彼自身、愛する妹が他の男の花嫁になるだなんて考えたくもなかった。


 とはいえ――


(どうすれば良いんだ、僕は……)


 オリバーの脳裏に、昨日の夜、教会の神父様から言われた言葉が蘇った。



 ――秘めた愛であるならば、神は優しく見守り、祝福をくださるでしょう。



 確かにそうかもしれない、とオリバーは思う。もし自分が妹に対する愛を隠し、仲の良い兄妹を続けていたならば、こんなことにはならなかっただろう。こんな苦悩を背負うことも、サラに涙を流させることもなかったに違いない。幸せな兄妹のままでいられただろう。


 あるいは、とオリバー。ここでサラとの関係を絶ち、再びこの思いを秘めさえすれば、またあの幸せな兄妹に戻れるのではないだろうか。


(やっぱり、兄妹でだなんて許されないんだ……)


 そしてオリバーは、血が出るほどに下唇を噛み締めると、妹を抱きしめていた手を緩めた。


「なあ、サラ……」

「兄さん?」


 固い兄の声に、サラはゆっくりと顔を上げる。


「……もう、やめよう」


 愛しい妹の顔から目をそらしながら、オリバーは言った。


「……父さんの言うとおり、兄妹でだなんて駄目なんだ」

「兄、さん……?」


 サラの目が、大きく見開かれた。


「そんな……嘘ですよね、兄さん……兄さんは、私が他の誰かと結婚しても良いって言うんですか……?」

「……それが、サラのためなんだ」

「そんな……」


 サラの瞳から、悲痛な涙がこぼれ落ちた。


「兄さんのバカっ!」


 オリバーを突き飛ばすと、サラは踵を返した。涙を流しながら、書斎を飛び出してゆく。

 バタン! と強く閉められた扉を見つめ、オリバーは苦悩に満ちた表情で呟いた。


「いいんだ、これで……!」


 強く強く、下唇を噛み締めるオリバー。

 そんな自分を優しく見守っている目があることに、彼は気づかなかった。







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